言語芸術作品史上、最大、最高の価値をもつものとして、ウイリアム・シェイクスピア(1564~1616)の作品群をあげる文学研究者の数は、誰よりも多いと思います。もちろん,シェイクスピア作品に匹敵する高みをもつ文学作品は、日本を含めてどの国でも生み出されていますが、それでもシェイクスピアが史上最大の言語芸術家とされる所以は以下に述べる二つにあると私は考えています。

今日、シェイクスピアの作品は様々な芸術分野にモチーフを提供しています。例えば、『ロミオとジュリエット』は、「ウエスト・サイド物語」という形でアメリカ社会における人種対立に翻案され、スピルバーク監督の最新作(2021年)に至るまで何回も映画化され、また、バレイ、ミュージカル、音楽、絵画、漫画、などなど、多くの二次創作を生んでいます。しかもシェイクスピアの作品は英語圏のみならず他の国々の文化にも浸透しつつあります。日本では明治時代に移入され、坪内逍遥の翻訳をはじめとして、翻案・翻訳・改作など様々な形で取り入れられました。また中国でも近代化の過程で、京劇など伝統演劇とは違った形で「早期話劇」の中に取り入れられました。その意味で、彼の劇作品は文化的背景を異にする人々が芸術・思想を語り合う上での「共通言語」と言えます。

同時に、シェイクスピアの作品が誕生から400年以上たった今日でも「現代」芸術としての力を持っているという事実は、彼の作品が比類ない美的価値を持っていることを示しています。例えば先ほどあげた『ロミオとジュリエット』は、アーサー・ブルックが書いた『ロミアスとジュリエットの物語』(1562年)が直接の種本と言われます。それを証明するための複雑な学問的手続きは割愛しますが、若い男女の悲恋という古今東西に流布している物語を扱いながらも、シェイクスピアは、無鉄砲とも思える若者たちの情熱と行動に、比類ない美しさを見出し、それを最も美しい詩的言語として表現し、さらに俳優たちに上演されることで美しい世界を現出させました。『ロミオとジュリエット』の初演を見た16世紀末のロンドンの観客は、衝撃を受けたと思います。この『ロミオとジュリエット』によって、人びとが恋愛に対して持つ美的価値観が劇的に変わったからです。それは、一言でいえば「男女の真剣な恋愛は何にもまして美しい」という今日まで続く価値観です。シェイクスピアは、演劇美という点で、革命的な仕事を成し遂げたと言っていいでしょう。

シェイクスピア研究の目的は、結局、シェイクスピアの作品が、どのように文学史上に位置付けられ、その理由は何かということを探ることにあります。それは、人間の芸術的感性の普遍的価値と特異的価値の可能性を研究することでもあります。そして、「共通言語」としての価値、「新しい美的価値観」、その二つにおいて、理系、文系問わず、全ての知識人がシェイクスピアを読まねばならないと私は考えています。

「ドルーシャウトの肖像画」(The Droeshout portrait ):1623年の全集版に使われた肖像画.マーティン・ドルーシャウトの彫版による.ベン・ジョンソンからその出来ばえを評価された.

「コッブの肖像画」(The Cobbe portrait):シェイクスピアの生前46歳頃に描かれたものとされる.所有者のコッブ家にちなんでこう呼ばれる.2009年にスタンリー・ウェルズとシェイクスピア生誕地財団によって肖像画として公表された.

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