数学世界の広がり

幾何学的着想から整数論の予想問題に取り組む坂内さんは、
高校2年までアメリカで過ごした帰国生だ。
その高校時代に数学に魅せられ、今では数学的思索が趣味になってしまったという。
数学の中に社会や人との関わりを良い方向に向かわせる力を見いだしてきた坂内さんは、
開かれた数学を目指している。

Profile

坂内 健一 / Kenichi Bannai

数理科学科

代数多様体のL 関数の特殊値にまつわる予想を背景に、ポリログなどの数論幾何的対象を用いて、抽象的な理論と具体的な特殊関数との関係についての研究を進めている。2000 年、東京大学大学院数理科学研究科博士課程修了。2001 年、名古屋大学大学院多元数理科学研究科助手。名古屋大学在職中、2005 ~ 07 年にフランスのÉcole Normale Supérieure に日本学術振興会海外特別研究員として滞在。2008 年に慶應義塾大学理工学部に専任講師として着任、2012 年より准教授。

『風の谷のナウシカ』に出会って日本に
戻ることを決意

子ども時代をアメリカで過ごされたとのことですが、いつ頃からですか?

2歳からです。私の両親はともに数学者で、父がアメリカのオハイオ州立大学から呼ばれたことをきっかけに、家族全員で渡米しました。1970年代前半のことです。以後、幼稚園の2年間を除いてアメリカにいて、高校2年の2学期の初めに日本に戻ってきました。

高校2年までアメリカにいて、そのままアメリカで進学という
選択肢はなかったのですか?

実は日本に戻ることが決まったとき、すでに飛び級でアメリカの複数の大学から入学許可をもらっていました。1980年代後半、世界が日本の急速な発展に脅威を感じていた時期です。当時、アメリカ人の多くは日本を、年中無休で機械のように働く人々の国と考えていました。私自身、テレビで繰り返し放映された社員全員がそろってラジオ体操をする日本人の姿を見て、全体主義的な国に行くのか、と悲壮感を覚えたものです。
そんなとき、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』に出会いました。人間世界とは異なる生態系が映像として見事に描写されていて、このような世界観を生み出す創造力に圧倒されました。これをきっかけに日本に対する興味が深まり、一度日本に戻ってみようという気持ちになりました。

世の中の広い分野で役立つことを知り
数学に興味を持つ

数学に興味を持ったきっかけは?

数学に本格的に興味を持ったのは高校に入ってからでした。当時はやってみたいと思うことがたくさんありました。アインシュタインの相対性理論などの話を聞きかじって物理を勉強してみたいと思ったり、生態系のモデリングの理論を勉強してみて、人間社会についてもうまくモデリングできたらいいなあと思ったり、人間よりも優れた人工知能(AI)を作って友達になってみたいと考えたり、自然言語よりも正確に多くの情報を伝える言語を作ってみることができないかと考えてみたり、理想的な社会制度を立案することで世界平和を達成できたらいいなあと考えたり、映画の台本や小説を書いてみたいと思ったり、とにかく将来、何でもかんでもやりたいと思っていました。やることを限定することはもったいなく理不尽に感じ、何とかならないものかと考えていました。そんなとき、数学がいいかも、と思える出来事に遭遇したのです。
そのきっかけは化学の授業でした。化学反応による物質の濃度変化の計算に、ある微分方程式が現れたのです。それは数学の授業で計算したばかりの方程式で、その時は何とも思いませんでした。しかし、その直後に受けた生物学の大学講義でも、生態系のモデルで動物の個体数を計算するときに、全く同じ微分方程式を解くことになりました。あれ?と思いつつ、さらに経済学の授業で全く同じ微分方程式が利用され、数学の1つの抽象的な微分方程式が、幅広い分野で具体的な意味を持って使われている様子を目の当たりにしたのです。何をするにも数学は使えると思いました。
その思いは、ヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』(※)を読んでから、さらに膨らみました。この小説は架空の未来の世界の物語で、数学を始めとして物理化学法則、音楽、詩や芸術などを全て統合して作られた「ガラス玉演戯」と呼ばれる知的芸術遊戯の名人の伝記、という形で書かれています。数学を究めることができれば、化学・生命現象や経済学だけでなく、音楽・文学や芸術までをも全て捉えることができる!と思えるようになったのです。

数学が多分野で使われていることに気付かれたとのことですが、
実際に数学を研究されている今、どう思いますか?

数学には事物を抽象化し、その本質を抜き出す力があります。複雑さを増している現代社会でこそ、数学の抽象化の力が活用できると感じます。様々な価値観の人がいるとき、表面的な差が大きく歩み寄るのが難しく感じることもあるかと思います。しかしながら、全員が達成したいことを十分に考え抜くと、実はやりたいことは本質的には変わらないことに気がつきます。具体的な手段や個別の事情に固執しすぎて共通点がなさそうな場合にも、問題を正しく抽象化して捉えると、同じ土俵に立つことができ、どの解決策が良いかについて冷静に議論できると思います。
数学自身は主に方程式や幾何的図形などの対象を扱いますが、抽象化をはじめとする数学の問題解決の考え方自体は、実社会でも非常に貴重な道具になるのではないかと再認識するようになりました。
今後、私としては、数学の潜在力を存分に発揮させるために、抽象化をはじめとする数学の様々な問題解決手法を習得した人材をどんどん社会に送り出したいと考えています。それにより、例えば縦割りの弊害で悩む組織などで、組織としての目的の本質的な部分を正しく抜き出して、統一した方向性を生み出すことを期待しています。 だからこそ、学生さんには個別の具体的な問題だけでなく、抽象数学もきちんと学んでほしいと思っています。具体的な問題は裏を返せば、結局、応用範囲が狭いですし、個別の事情が複雑に絡むことから問題としても難しいことが多いのです。最初は取っ付きにくいかもしれませんが、抽象数学の明快さと応用範囲の広さは壮観です。
(※)ガラス玉演戯:ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)の著作。

学生や家族にも数学と同じように愛情を持って接する

研究とは別に、何か息抜きにしていることはありますか?

昔から妻と過ごす時間はとても楽しみでしたが、2年ほど前に娘が生まれ、家族との時間がさらに充実したものになりました。ただ、その時間が数学の研究と切り離された時間という感覚はあまりないですね。実は最先端の数学を研究しているときも、学生と接しているときも、そして娘と遊んでいるときも、すべて同じような頭の使い方をしていると感じています。数学と愛娘を同列に扱うと一見冷たい親のように見えてしまうかもしれませんが、私としては数学的対象にも娘に対するときと似たような愛情を抱いているのだと思います。
人との向き合い方というか、関係の築き方について、その本質を考えることが楽しくなって、今ではこうした抽象化というか、数学的思索ともいえる視点を持つことが趣味みたいな感じになっています。
その一方で、現実や具体的な事象を無視した安易な一般化には気を付けなくては、と思います。例えば「人間はこう育てるべきだ」と、どこぞの誰かが言ったことを深く理解せずに聞きかじり、状況を踏まえずに強引に持ち込むといったことです。抽象論を持ち込んで議論することに抵抗がある人が多いのは、あまりにも安易な一般化がはびこっているからではないかと思います。数学の抽象論を利用するときには、問題となる個別の場合に適用可能か、厳しく確かめます。このように、個別の問題の状況をきちんと把握して、考えている抽象論がその場合に適用可能かどうかを常に意識しながら考えていく癖は、とても大切だと思います。

慶應義塾大学の良いところとは、どんなところだと思われますか?

最初に、学生がとても元気だと思います。2007年のフランス滞在中に、ケンブリッジ大学と慶應義塾大学の共催で開かれたUK-Japan Winter Schoolという整数論の研究集会に参加したとき、慶應の学生さんにとても良い印象を持ちました。
また、多くの大学では数学は理学部の中にあり、私がいた東京大学や名古屋大学はさらに数学だけの独立した大学院で、他の学部から離れていたように感じました。でも、慶應では数理科学科は理工学部の中にあり、工学系の学科とも接点を持つことができます。他学科の教員と議論する機会も多く、理学と工学との相乗効果があると思います。元気のいい学生が多く、のびのびとした発想力にあふれているのも、こうした環境があるからかもしれませんね。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
●最先端の数学を研究されているのに数学者然としたところが全くなく、学生の素朴な疑問や興味にもちゃんと向き合い、面白がってくれる自由闊達な雰囲気が魅力です。授業にも熱心で、僕らに数学の楽しさを気付かせてくれます。行き詰まったときには、さりげなくヒントをくださる優しさもあります。

新しいもの好きで、気になるものがあれば実際に確かめに行く行動力もあります。先日も電子白板を試すためにメーカーのショールームまで出かけられ、その感想を僕らに熱く語っていました。自分の興味を隠さずに話し、面白いものは面白いと笑う、親しみやすく、相談しやすい先生です。

(取材・構成 渡辺 馨

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