はじめに

塾員来往で執筆させていただき誠に光栄です。
岸本達也先生、ホルヘアルマザン先生推薦して
いただきありがとうございまいした。
私は今、GROUPという名前の事務所を共宰し、
そこで建築設計をしています。

大学入学前から現在までの経緯を思い出してみると、その当時、未来を想像できないままなんとなく決めた小さな選択と偶然の人との出会いが今の生活をかたちづくっていることに気付きます。このテキストで、無数の選択と人々との網目のように交錯し連続する関係性を辿っていくことで、当時の僕を含め建築に関わることに悩んで倒れそうな人の背中を少しだけ支えてあげることができるのかもしれない、と思い執筆いたします。

理工学部を選択した動機について

大学入学前に進路に迷っていた時、建築特集が組まれた雑誌を読んでいて、妹島和世さんという建築家を知りました。当時、そこまで建築について興味をもっていなかったのですが、妹島さんのつくる建築の持つ分野横断的な軽さと明るさに魅かれました。調べてみると慶應義塾大学理工学部で教鞭を取っているとわかり、理工学部を受験しました。実際に入学してみると研究室配属の年度に妹島さんは慶應大学の職をおやめになってしまい、残った妹島研究室の学生が多く在籍していたホルヘアルマザン研究室に所属することにしました。

大学で在籍していた研究室について

学生のころ建築設計の可能性を狭いものだと考えていました。それから建築を学び、実践していくうちに、考えが変わりました。そもそも建築の可能性は大きく拡がっていて、設計者はその可能性をすこしづつ切り取っていき、可能性の新しいかたちをつくっていくもので、設計者に応じて建築の可能性は大きく変わってくる。そのように考えると、今の建築の様子をみて居場所がないように感じたときも、自らで居場所をつくることができます。今、私の建築設計をする際に切り取る可能性の形は大学の頃に選択した研究や実践と関わっています。

所属していたホルヘアルマザン研究室では、建築の理論的な研究だけではなく実践的な研究を並行したいとおもい、建築設計を実践できるプロジェクトを企画しました。理論的な研究としては、学部のときは路上に座席を出す店舗の創発的な空間の研究を行い、修士、博士の時は予算の少ない建築改修プロジェクトにおける建築家の意義と役割について研究を行なっていました。実践的な研究としては、山梨県や群馬県で地域の方が交流できるような場を設計し、時には施工も行いました。この理論と実践のプロジェクトの並行は現在も行っています。双方の基礎を大学で学ぶができたために現在の活動があると思っています。

研究室活動と並行して、大学の先輩に声をかけてもらったことをきっかけに石上純也建築設計事務所という建築設計事務所でインターンやアルバイトを行なっていました。石上純也建築設計事務所は妹島和世建築設計事務所出身の建築家が主宰する事務所で、ランドスケープや公共建築、住宅、プロダクトまで、大小さまざまなスケールの設計を行なっていました。私は大学卒業後もこの事務所で働くことになるのですが、設計の仕方や、プロジェクトに対する姿勢、多分野の専門家と協働の仕方など様々なことことなどを学ぶことができました。中でも協働の仕方について学んだことを活かして、いま私たちの事務所では建築設計の協働を見直すことで建築以外のバックグラウンドを持つ人が設計に関わる方法を模索しています。

現在の仕事について

博士号の取得と石上純也建築設計事務所から独立した後は、何人かの友人と事務所をはじめました。この時、特にプロジェクトがあったわけではなく、これからどうしようかなと考えていました。そんな中、様々な方と出会うことで少しづつプロジェクトが生まれました。

一番はじめのプロジェクトは兵庫県芦屋市の『浜町のはなれ』というプロジェクトでした。クライアントは大学の図書館で働いている方でした。建築の本を何冊も借りようとカウンターに行ったときに、「建築の設計の方?」と聞かれたことをきっかけにプロジェクトがはじまりました。『海老名芸術高速』というプロジェクトは『浜町のはなれ』のクライアントが友人を紹介してくれることがきっかけでした。他にも『新宿ホワイトハウスの庭の改修』プロジェクトは京都のライブハウスでクライアントに出会って、一緒にライブ後、夕飯を食べたことがきっかけです。『三岸アトリエの手入れ』というプロジェクトでは三岸アトリエという建築のオープンハウスに訪れた際、その家主にアトリエの壊れていた部分の修繕をさせてほしいと申し出たことがきっかけです。どのような建築ができるかは、建築設計の技能はもちろん必要ですが、偶然の人との出会いによっても決まっていく。そして、当時は任せられなかった仕事が仕事の実績を積んだ今なら任せられるようになったりと現在の私の状況や実績に応じて人との関係性が変化します。現在の選択によってクライアントに出会い直している。出会い直すことで当時の出会いの印象もまた変化しています。

この『新宿ホワイトハウスの庭の改修』がきっかけになって、個展をWHITEHOUSEで行いました。この個展は建築行為を作品としてギャラリーで展示しました。また、『海老名芸術高速』では、設計者として、映画監督と劇作家・写真家を招き設計を行いました。建築設計の可能性を他分野の作家とともにかたちづくる試みでした。それぞれのプロジェクトたちがプロジェクトを新たに生み、現在は2025年の大阪・関西万博の施設設計を行なったり、駅前の再開発などの大規模なプロジェクトや、ランドスケープ、住宅、店舗デザイン、展示の会場構成などをしつつ、スイス、バーゼルやアメリカ、ニューヨークのギャラリーや美術館でも建築の展示を行っています。偶然の出会いによって生まれるプロジェクトを通して、すでにつくられてきた人間関係は何度も変わり続けています。

「浜町のはなれ」

「新宿ホワイトハウスの庭の改修」

「海老名芸術高速」

おわりに

現在の設計の仕事を通じて、過去の選択と人間関係が今に続いていることと同じように、今、行う選択とつくられる人との関係は、過去のそれらとともに、網目をつくり、過去全体が構成され直されている。行き当たりばったりに、少しずつ、ぼんやりと選択をして網目がつくられていくことは、不安を感じたり、後悔することもあるけれども、現在の選択や人との出会いによってふたたび変えていくことができるかもしれない。未来のことを考えてゆううつになっている方の小さな支えになったら幸いです。このような機会をくださり、岸本達也先生、ホルヘアルマザン先生、改めて誠にありがとうございました。

プロフィール

井上岳 (いのうえがく)
(山梨県立甲府南高校出身)

2012年3月
慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科 卒業

2014年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻修士課程 修了

2017年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士課程 単位取得退学
 
2014年3月 - 2018年8月
(株)石上純也建築設計事務所

2018年9月 -
GROUP共同主宰

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