みなさんには将来の夢がありますか?

高校生の僕には将来の夢がありませんでした。大学生になってからも、実はいまでも、5年後、10年後になりたい姿のイメージがありません。そんな僕でも充実した大学生活を送り、研究の楽しさを知り、やりがいを感じながら仕事をし、さらには博士号を取得できました。

夢に向かって進んでいくことは素晴らしいことだと思います。僕もそうありたいと思っていましたが、ある時、僕はそのようなタイプではないことに気づきました。それからは夢を持たないことが気にならなくなり、夢を持たないことの強みを感じるようになりました。そのような気づきにつながった僕の大学生活やその後のことを紹介します。将来の夢がなくて焦りや不安を感じている方にとってこの記事が何かの参考になればと思います。

軽い気持ちで入ったアメフトサークル

高校生の僕の大学への進学目的は何かやりたいことを見つけることでした。このような進学目的でも父親は受け入れてくれて、ただ、「大学では大学でしか経験できないことをやるように」と僕に言いました。そして、僕は慶應義塾大学理工学部に入学します。

入学式の後、僕はアメリカンフットボール(アメフト)のサークルに勧誘されました。僕はアメフトのようなコンタクトスポーツをしたことがなく、高校3年間で運動したのは体育の授業くらいでした。それでも、なんとなくアメフトに興味がわいたのと、一緒にいると楽しそうな先輩がいて、何よりアメフトは大学でしか経験できないだろうと思ってそのアメフトサークルに入ってしまいました。

アメフトサークルの練習は厳しくて辛いものでしたが、チームの先輩と一緒にご飯を食べたり遊びに行ったりするのが楽しくて、その楽しい時間のおかげで練習に耐えることができました。先輩と遊びたいという動機で練習を続けていたら次第に試合に出られるようになり、試合で勝つ喜びや負ける悔しさを知ることができました。

入学式の日の僕にやりたいことがなかったからこそ、ちょっと興味がわいたアメフトサークルに入る勇気が出たのでしょう。そのおかげで大学でしか経験できないことで溢れたアメフトサークルでの充実した日々を過ごすことができ、素晴らしい先輩や仲間に出会えました。また、未経験のことでも積極的に挑戦すれば何かすばらしいものに繋がるという成功体験を得ることができました。

アメフトの試合の様子(一番手間の57番が筆者)

インターネットとの遭遇

入学式からしばらく経ってアメフトサークルへの参加を決めたころ、授業か何かで僕はコンピュータの使い方を教わりました。大学のコンピュータは学内ネットワークを通じてインターネットに接続していました。これが僕のインターネットに触れた瞬間です。サークルの練習の無い日や授業の合間に図書館へ行き、コンピュータの前に座り、友達と電子メールをやり取りしたり面白いとうわさの”ホームページ”を見たりしていました。

少しずつインターネットに興味を持つようになった僕は情報工学科へ進み、コンピュータネットワークの研究をしている寺岡研究室に入りました。そして、寺岡研究室が参画する産学共同の研究プロジェクトの中で東芝の研究所の人たちに出会います。その人たちはいつも楽しそうで、東芝はどんなところなのだろうと興味がわきました。この出会いがきっかけで、修士課程の後、僕は東芝の研究所でコンピュータネットワークの研究開発を続けることにしました。

研究室に入ったころの僕はインターネットやコンピュータのことについて素人同然でした。そのため、コンピュータネットワークの研究の世界に飛び込んでから数年間は特に苦労し、僕は多くの失敗をします。自分のミスのせいで使っていたコンピュータが起動しなくなるくらいはまだよいほうで、うまく動いていたネットワークを壊してしまって多くの人に迷惑をかけてしまうこともありました。失敗をするたびに僕は落ち込み、時には長い間、失敗を引きずりました。

しかし、いろいろな形で僕を助けてくれて、励ましてくれる人たちが周りに多くいたおかげで僕は失敗から立ち直ることができ、コンピュータネットワークへの興味を失いませんでした。大学進学当初の目的は「何かやりたいことを見つける」ということでしたから、その目的は達成されたと言えるでしょう。在学中含めてこれまで僕を支えてくださった方々には感謝しきれません。

寺岡研究室でのひとこま

その後

最近、同僚にプランド・ハップンスタンス理論と呼ばれる考え方を教えてもらいました。好奇心を持ち、挑戦し、そこで学んでいけばそれが次のチャンスにつながっていく、という考えです。これはまさに僕が大学で実践し、学んだことではないですか!アメフトも、コンピュータネットワークの研究も、大学で挑戦した後、いろいろなことにつながっています。

仕事で知り合ったアメリカの友人とはアメフトのおかげで仲良くなれたといっても過言ではないでしょう。もちろん彼とはアメフト以外の話もしますが、共通の趣味としてアメフトがあったことは彼との初期の関係を築くのに重要な要素だった思います。そして彼の会社の本社はスイスにありました。ただそれだけなのに僕はスイスを身近に感じて、留学のチャンスを得た時にスイスの大学へ行きました。

しばらく事業部門にいて研究から離れていたこともあり、僕は具体的な研究テーマを持たずにスイスの大学に行くことになりました。その後、留学中に研究テーマを定め、帰国後にその研究を続けるために博士課程へ進学し、再び寺岡研究室にお世話になります。研究テーマは電池で長期間動作するほど消費電力が小さな無線通信方式によるマルチホップネットワークに関するもので、要するに「小さな」コンピュータのネットワークの研究です。2022年9月にこの研究テーマで博士号を取得できました。

入学式の後にアメフトサークルに勧誘されていなければ博士課程に進むこともなく、今回このような寄稿の機会をいただくこともなかったかもしれませんね。これまでのさまざまな出会いに感謝しながら、これからも自分の好奇心に向き合い挑戦を続けていきたいと思います。

学位授与式での寺岡先生(右)との記念撮影

プロフィール

田中 康之(たなか やすゆき)
(滝学園滝高等学校 出身)

1999年4月
慶應義塾大学 理工学部 情報工学科 入学

2003年3月
慶應義塾大学 理工学部 情報工学科 卒業

2003年4月
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 開放環境科学専攻 前期博士課程(修士課程) 入学

2005年3月
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 開放環境科学専攻 前期博士課程(修士課程) 修了

2005年4月
株式会社東芝 研究開発センター 入社

2012年7月
株式会社東芝 研究開発センター ネットワークシステムラボラトリー 研究主務

2013年6月
株式会社東芝 府中事業所 スマートメーター通信システム部スマートメーター通信システム設計担当 主務(2015年6月まで)

2015年9月
スイス連邦工科大学チューリッヒ校 Visiting Researcher(2017年2月まで)

2017年9月
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 開放環境科学専攻 後期博士課程(博士課程) 入学

2018年1月
フランス国立情報学自動制御研究所 Research Engineer(2019年12月まで)

2020年7月
株式会社東芝 研究開発センター 情報通信プラットフォーム研究所 コンピュータ&ネットワークシステムラボラトリー エキスパート

2022年7月
株式会社東芝 研究開発センター 情報通信プラットフォーム研究所 コンピュータ&ネットワークシステムラボラトリー フェロー

2022年9月
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 開放環境科学専攻 後期博士課程(博士課程) 修了、博士(工学)取得

2023年10月
株式会社東芝 研究開発センター 情報通信プラットフォーム研究所 フェロー

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