はじめに

この度「塾員来往」を執筆する機会をいただけたこと、大変光栄に思います。

またこちらのコラムを読もうとしてくださっている読者のみなさま、まことにありがとうございます。

こちらのコラムがささやかでもみなさまの考えや選択の一助になりますよう、等身大の自分を綴りたいと思います。

高校時代

ヒトの中でうごめいているシステムに興味がありました。私の中では 人間=精巧につくられたシステム。楽しくなったり悲しくなったりするこの感情でさえもシステム由来の産物なのだと思うと自分のことを客観的に、“好き”になることができました。

そのため理工学部の中でも生命情報学科に進級が可能な学門3(現在の学門E)への進学を志望し、無事入学、現在の私につながっております。

大学時代 =研究=

大学では、勉学や研究において大変素敵な環境を用意してくださり、満足するまで勉強や研究に励むことができました。

所属していた生物物理・神経情報研究室では、キンカチョウ脳内神経細胞の電気生理学的実験をしておりました。オスの求愛歌を聞いた際のメスキンカチョウの脳内変化を記録、比較検討を行っていました。

背景にある大きなテーマは、“好き”が脳内でどのように符号化されているのかということ。私が行っていた研究は、キンカチョウのキンカチョウにおけるキンカチョウのための研究でしたので、もちろんヒトの脳内システムの理解までには埋められない隙間があります。ですが、

①旦那の求愛歌がやっぱり一番好き

②旦那以外の求愛歌の中でも「いいね!」「そうでもないや」のランキングが存在していそう

③モテるオス、モテないオスが居そう

などのことがわかったのは私自身とても面白い発見でした。人間界の話かしら?と思うくらいにキンカチョウ界に対してもある種の世知辛さが感じられ、解析結果を目の前にトリになんとも言えない親近感を覚えました。知ること、理解した気になることがこんなに世界を広くしてくれるなんて。

私にとって何かを知ることや理解した気になることは、ただその事象が“面白い”“感動する”といったことはさることながら日々の生活の彩りが増えたり、選択肢が増えたり…。人生を豊かにしてくれる手段にもなってくれています。

今はキンカチョウとは一旦お別れをし、ヒトの行動観察やインタビューを通してヒトを理解していくこと…という元来持っていたヒトの中のシステムへの興味が少し形を変えて、今の自身の興味や仕事にもつながっているように思います。

キンカチョウ三姉妹。私のラボ生活とともに、3年間一緒に過ごしてくれてありがとう。

大学時代 =出会った方々=

私が大学時代の思い出を尋ねられて最初に浮かぶのは、自分に関わってくださった教授や友人、先輩・後輩のみなさまです。

キンカチョウの研究を3年間進めることができたのは、他でもなく教授およびラボの同僚の助けがあってこそでした。定期的にディスカッションの場や進捗の報告の場が設けられていたことで自分の研究の進め方を都度確認、修正することができました。ラボのコミュニティ自体が個を個と尊重する文化が根強かったため、屈託のない意見を聞いたり言ったりすることをストレス無く行うことができました。研究について、また土台の環境についてもご指導、十二分な環境の構築をいただきまして、誠にありがとうございました。

そして友人たち。

30歳になる今でも一緒に食事をしたり、遊びに出かけたり、辛い時に支えてくれたり、笑って他愛もない話ができる友人。

サークルという共通のコミュニティ・話題がある時代に出会い、苦楽を共にし、ラーメンを食し、様々な地へ旅行に行き、それが今でも変わらずに存在し、身近に居てくれている友人。

そんな友人に出会えたこと、一緒に過ごした時間がなにごとにも代えがたい私の宝物です。

ビールの本場ドイツにて(左端、執筆者)

学部卒業旅行で訪れたドイツ。見ただけで酔いそうな1リットルのビールのジョッキは自分の顔よりも大きくて、ペロリと平らげる隣の地元の方にべらぼうびっくりしたこと。

大学院修了の卒業旅行で訪れたカナダ イエローナイフ。肉眼で見た実際のオーロラは、カメラで撮影した写真よりも断然薄く、技術の進歩に感動したこと。

夜のウィーン市庁舎前にて
(右手間、執筆者)

カナダ イエローナイフに向かう
経由地の空港にて(左手前、執筆者)

イエローナイフにて(中央、執筆者)

コロナ禍前のハワイにて。また訪れたい場所の一つです。
(右から2番目、執筆者)

社会人になって訪れたハワイ。いつもお世話になっていた友人に頼ることなく食べたいものをオーダーでき、危うく自身の拙い英語に自信を持ちかけたこと。

訪れた場所で感じたことの全てが、今も鮮明に頭の中で色を持っていることが嬉しいです。

大学進学のために上京した自分にとって、大学生活は何もかもが新鮮でした。電車が5分に1本来ること、路線がJRだけじゃないこと、通勤電車では身体が斜めになること、自分で作ったご飯は美味しくないこと。知り合いが一人も居ない不慣れな街で私の毎日を支え、楽しく彩ってくれたのは間違いなく周りの友人のみんなでした。

不器用で不甲斐ない自分に泣いた日も多くありましたが友人がいて自分がいて、いま振り返るとそんな日々もちゃんと良い思い出になっています。

慶應義塾大学は大きな大学です。沢山の人がいます。沢山の人に出会ってきたその皆が、素敵な個を持っていました。勉学の環境が整っているだけではありません。素敵な人々に出会える場所です。そんな大学に在学できたこと、大学・大学院生活を過ごせたことをとても幸せに思います。

私に関わって下さった全ての方々。今の私を形成してくれて、関わってくれて本当にありがとうございます。

現在 =仕事=

研究所のイベントで表彰いただきました。当時の所長と。

大学院を卒業したのち、メーカーの会社で現在も働いております。5年間の研究所での勤務を経て今は製品開発の業務に携わっており、製品そのものの開発というよりは、上市にあたり複数あるサンプルの中からどのサンプルが良さそうかを選択するためのお客様調査を行っています。お客様が求めている “価値が何か”、“製品スペックにするとどういう特徴になるのか”。調査を経て見えてきたヒトの思考の傾向などをうまく汲み取り、製品に繋げるという仕事が今は楽しいです。

現在 =日々=

長年の友人の結婚式にて(右端、執筆者)

最近はシンプルに楽しく過ごすことがマイブームです。服だったり、化粧品だったり、食品だったり、日々の選択肢は多ければ多いほど豊かだと思っていた時代もありましたし、それもまた良しなんだと思います。私の今のブームが、自分の”楽しい”を削ることなく、モノをぐっと減らして生活してみることというだけです。

削ぎ落とした末に今も身近にある自分の“楽しい”はより一層愛おしく、ピアノに触れたり本を読んだりなどして日々を楽しんでおります。

最後に

気張らないで毎日を楽しんでほしいです。気張らない。

背伸びする必要もないし、しなければならないこと・こうあらねばならないことなど何一つないし、色々なことを考え、体験し、泣き笑い、自分に素直に日々を生活することそれ自体が何よりもかけがえのない宝物になります。

大学の講義中、知らぬまに撮れていたiPhoneのLive写真が私の中のそれでした。

たった3秒。

奥に聞こえる数学の講義、他愛のない話の切れ端、ひそひそ声。楽しそうな友人とのやりとり。日々はそんな宝物であふれていると思います。

どうか取りこぼさないで。自分の「楽しい」をこぼさない目と手を持ち続けてほしいと願っています。

プロフィール

田端 里絵子(たばた りえこ)
(智辯学園和歌山高等学校 出身)

2015年3月
慶應義塾大学理工学部生命情報学科 卒業

2017年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻前期博士課程 修了

2017年4月
日本たばこ産業株式会社 入社

現在に至る

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