この度は塾員来往への執筆の機会をいただいたことに感謝いたします。

私は慶應義塾大学理工学部情報工学科を卒業後に修士課程を修了し、現在は米国でソフトウェアエンジニアとして働いています。本稿では、慶應義塾での経験がその後のキャリアにどう繋がっているのかを振り返ります。

理工学部情報工学科への進学

私の中高生時代は、パソコン・携帯電話やインターネットが一般的になった頃でした。私自身も、インターネットによって情報検索や友人とのコミュニケーションが便利になっていくのは感じていたものの、それらがどう動いているのか、誰が作っているのかなどは未知の世界でした。そんなある日、テレビでシリコンバレー企業の特集を目にしました。世界中から集まった人々が技術の力で壮大なビジョンを実現しようとする姿に、衝撃を受けました。私も人々の生活をより良くしている製品をただ使うだけでなく、作り出していく側に携わりたいと感じ、大学では情報工学を学びたいと考えました。

一方で、高校で始めたラグビーにのめり込み、大学では高いレベルのリーグに挑戦したいという願望もありました。慶應義塾大学の蹴球(ラグビー)部は関東大学ラグビー対抗戦Aグループに所属する強豪チームでありながら、理系学部の選手も活躍していました。これらの理由から、情報工学を学びながらラグビーもレベルが高い環境にチャレンジできる慶應義塾大学理工学部情報工学科への進学を決めました。

学部時代

情報工学科では講義や実験を通しコンピューターサイエンスの幅広いトピックを学びました。大学の授業ではコンピューターがどのように動いているのかという理論や、ハードウェア・ソフトウェアを自ら作る方法を学びます。子どもの頃から慣れ親しんできたコンピューターの仕組みを日々解き明かしていく感覚が嬉しく、毎回の授業が楽しみでした。

4年生の研究室配属では、コンピューターで画像を認識・理解するコンピュータービジョンを専門とする斎藤英雄先生の研究室に入りました。卒業研究では、現在ではスマートフォンにも搭載されるほど一般的になった深度カメラと通常のカメラのフレーム同期手法を研究しました。また手法の応用例として、複数のカメラと深度カメラを用いたスポーツの自由視点映像の生成にも取り組みました。この研究ではコンピュータービジョンの知識だけでなく、部活動を通して培った「スポーツの観戦や分析に役立つスポーツ映像は何か」といった知見も活かせました。

蹴球部時代の筆者

また、理工学部で過ごした4年間は蹴球部での部活動に明け暮れた日々でもありました。170名を超える部員と切磋琢磨し大学日本一を目指した日々は、何物にも代えがたい経験です。最終年である大学4年の慶早戦では、早稲田大学に10年ぶりの勝利を収めることができました。この試合の終了を告げるノーサイドの笛が鳴った光景は、人生最高の瞬間のひとつとして今でもはっきりと覚えています。

大学院時代

大学院でも深度カメラに関する研究を続けました。大学院においてほとんどの授業は英語で実施され、研究室に所属する学生の約半数は留学生で、普段のミーティングやプレゼンも英語という環境でした。このような多国籍かつ英語中心の環境は、留学経験のない私にとって新鮮でした。

研究室での国際的な環境に後押しされ、海外での活動の機会にも恵まれました。2012年にドイツのミュンヘン工科大学に滞在し、深度カメラの医療教育現場での応用プロジェクトに携わりました。人間の骨格の構造を学ぶ教育用ゲームとして、プレーヤーが身体を動かしながらCGで表示される骨格を自らの身体に当てはめて遊ぶAR骨格パズルを開発しました。このプロジェクトの成果は国際会議IEEE VRにも採択され、私が日本で学んできた技術は多国籍のチームでも活き、またその成果は海外でも評価され得るという自信を得られました。

本場のオクトーバーフェストにて

ミュンヘン滞在中の筆者(中央左)

卒業後

修士課程の修了後は、各種インターネット関連サービスを提供する株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)に入社しました。大学院での理論検証やその応用の実験的なソフトウェア開発とは異なり、Webサービス開発においては大規模チームでの開発効率や、システムの安定稼働などが重視されます。数々のプロジェクトに参加し、大規模サービスの開発・運用ノウハウを学ぶことができました。チームで協力してソフトウェアを開発・リリースし、自分の書いたプログラムが何百万人もの人々に利用される体験に感動しました。この感覚は、現在でも私の仕事に対する大きなモチベーションになっています。

一方で、大学院での国際的なプロジェクトが懐かしく感じられることもありました。そんな中2015年のラグビーワールドカップで、慶應義塾大学蹴球部の3学年上の先輩である山田章仁さんを始めとするラグビー日本代表の大活躍を目にしました。スポーツ史に残る大金星となった南アフリカ戦勝利の舞台に立つ選手たちの姿に、強い感動と興奮を覚えました。この出来事をきっかけに私も自分のフィールドで海外へチャレンジしたいと考え、翌年に株式会社メルカリへ入社しました。当時のメルカリは国際展開に注力し始め、米国シリコンバレーに拠点を立ち上げた頃でした。入社後は米国版メルカリのサービス開発に従事しました。

2017年には、米国事業の拡大に貢献するためサンフランシスコへ移住しました。サンフランシスコやその周辺エリアであるシリコンバレーの魅力の1つは、世界中から様々な人が集まっていることです。社内外での多様な背景を持つ人々との交流は、日本で培ってきた常識を超えて新たな価値観を取り入れられる貴重な経験でした。2018年には、ソフトウェアエンジニアからマネージャーへとポジションが変わりました。生まれ育った国とは異なる地でサービスを開発し、マネージャーとして組織を作ることは困難の連続でしたが、事業は私の渡米当初と比較して売上・組織ともに何倍もの規模に成長することができました。特に印象に残っているのは、2021年にアメフトの全米決勝戦であるスーパーボウルに自社のテレビCMを放映したことです。全世界で最も注目が集まる放送に広告を出せるまでに組織が成長したことは、渡米当初には想像もできないことでした。

2022年には再び役割を変え、マネージャーからソフトウェアエンジニアに戻りました。キャリアのステップアップのために必ずしも管理職に留まる必要はなく、多様なキャリアパスを歩むことができるのも、この地の魅力です。世界中の人々に使ってもらえるような製品を1つでも多く作り続けていくことが、私の当面の目標です。

米国拠点のチームメンバーと筆者(前列左)

最後に

大学生活から現在までのキャリアを振り返ってみると、大学で情報工学の学習と蹴球部での部活動が両立できたこと、大学院での国際的な研究活動など、どれかひとつ欠けていても今の自分はなかったのだと実感します。このような環境を与えてくださった当時の先生方および友人に感謝します。本稿が受験生や在校生の進路選択の参考になれば幸いです。

プロフィール

清水 直樹 (しみず なおき)
(大阪府立北野高等学校 出身)

2011年3月
慶應義塾大学理工学部情報工学科 卒業

2013年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻修士課程 修了

2013年4月
株式会社ディー・エヌ・エー ソフトウェアエンジニア

2016年5月
株式会社メルカリ Software Engineer

2017年1月
Mercari, Inc. Software Engineer

2018年5月
Mercari, Inc. Engineering Manager

2020年10月
Mercari, Inc. Director of Engineering

2022年4月
Mercari, Inc. Principal Engineer

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