「研究」という世界に足を踏み入れて、15年を迎えたタイミングで執筆の機会を頂け、大変光栄に思います。
諸外国と比べると、日本で理系学部を選択する女性の割合はまだまだ少ないです。女性に限らず進路を考えている皆様にとって、将来像のご参考になれば幸いです。
私が生命情報学科に興味を持ったきっかけの1つは、高校生の頃に参加した「サマーバイオカレッジ」です。慶應義塾大学の先端生命科学研究所(山形県鶴岡市)で、鶴岡市の高校生と一緒にバイオ実験を体験しました。ピペットマンに初めて触れ、肉眼では見えないサイズのもの(DNA)を扱う経験にワクワクしたのを覚えています。私が高校生だった2000年前後は、「バイオ」が話題になり始め、ヒトゲノムの全塩基配列解読が行われているような時代でした。新しいもの好きな私にとって、バイオは興味をそそられる学問でした。
また、当時はES細胞やクローン技術等も話題になっており、将来的には臓器等が作り出せるようになり、ヒトへの移植も可能になるという夢のような話がありました。このような背景から、私は大学へ行ってバイオ・医療系の研究を行いたいと考え、理工学部への進学を決めました。
1年生、内部進学だった私にとって、理系必修科目はついていくだけで精一杯でした。理工学部は大教室での必修科目講義が多かったため、クラスの垣根を越えて友人を作りやすかったです。友人と助け合い、何とか座学を乗り切り、2年生になる際の学科分けでは希望通り生命情報学科へ進むことができました。
4年生になる際の研究室分け。各研究室が必修実験を担当されていたので、TAの方々との触れ合いも通じて各研究室でどんな研究が行われているか、どんな雰囲気かということを感じ取れました。当時は希望者が多い研究室ではくじ引きが行われ、私は幸運にも、柳川弘志教授の研究室に配属されました。
本執筆依頼を受けてから振り返ってみて、柳川研での修士課程を含めた3年間は改めて「楽しかった」と感じました。研究室に入るまでは、基本的に答えのある実験しか経験しません。それが研究室に入ると、仮説を立て、自分が実験をして得られた結果が答えになります。結果をもとに次の実験を計画して、困ったら土居信英先生や先輩、同期に相談して、という流れを繰り返すうちに、「研究」をもっと続けてみたいと考えるようになりました。
特に同期には大変恵まれ、よい意味でライバルとなり、研究に夢中になりました。そんな研究はもちろん、ソフトボール、手作りスイーツを持ち寄った研究室メンバーの誕生日会、矢上祭でのたこ焼き販売など、研究以外のことにも全力を注げた濃い3年間でした。
研究室の同期が就職活動を始めた頃、私は博士課程進学を真剣に考え始めました。当時の柳川研では細胞レベルの実験はできましたが、マウスを扱うような実験はできませんでした。また、同じころから免疫学に興味を持ち始めたので、これらをキーワードに様々な大学院の研究室を見学しました。実際に10ヶ所ほど研究室を訪ね、教授や研究室の方々とお話しさせて頂き、最終的に東京大学医科学研究所、感染遺伝学分野の三宅健介教授にお世話になることになりました(久々の受験はとても緊張しました)。
そして学位を取得後、まずお世話になったのは東海大学の幸谷愛教授です。当時、幸谷先生がテニュアを取得して間もなかったこともあり、みんなで頑張っていこうという活気あふれる研究室でした。ここで初めて、ヒト化マウスを使った実験を経験しました。
そんな中、学生の頃より興味のあったヒト検体を使った免疫研究に携わってみたいと思い、Yale大学のSchool of Medicine, Dept. of Immunobiologyで、Dr. Eric Meffreの元、研究生活を始めました。小学生の頃からいつかは留学したいという気持ちを持ち続けていたので、このタイミングで留学することができて本当に幸運でした。日本国内で複数の研究室を渡り歩くことで、各研究室の良い面、悪い面を学べる機会があったため、ある程度自分のスタイルを持った状態でアメリカの研究室生活と比較することができました。 そして、帰国を考えたときに、日本ではアメリカと同じような規模でのヒト検体を用いた研究は難しいと感じました。そこで、サルを使った研究はどうなのだろうと考え、現在の所属先、霊長類医科学研究センターにお世話になることに決めました。ここでは主にカニクイザルを用いて、病原体感染モデルを作成、解析しています。昨今注目を集めているCOVID-19も研究対象です。私自身は新しい結核ワクチンの評価に取り組んでおり、マウス、ヒトとは違ったサルならではの実験・解析方法を模索する日々を送っています。
これまで私は、1ヶ所の研究室に長くても4年しか滞在してきませんでした。研究テーマも少しずつはつながっていますが、比較的多岐に渡っています。研究室を移ることは、いわゆる転職に近いと思います。基礎知識も学び直さなくてはいけないので、もしかしたら1つのことを続けている方よりもロスタイムは大きいかもしれません。それでも、この経験が私らしさを形作っていると信じています。
選択・決断がどんな時もキーワードでした。何が正解、ということはないので、どんな進路を選んでも、またその時点では不本意な道に進むことになったとしても、自分を信じて飛び込んでほしいです。
山川 奈津子(やまかわ なつこ)
(慶應義塾女子高等学校 出身)
2007年3月
慶應義塾大学理工学部生命情報学科 卒業
2009年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻前期博士課程 修了
2013年3月
東京大学大学院医学系研究科病因・病理学専攻博士課程 修了
2013年4月
東海大学医学部血液・腫瘍内科学 奨励研究員、特任研究員
2016年4月
Yale University, School of Medicine, Department of Immunobiology
Postdoctoral associate
2019年3月
国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所
霊長類医科学研究センター プロジェクト研究員
現在に至る