理工学部への進学、大学/大学院時代

理工学部への進学は考えたというよりももともとイメージしていたことで、中学・高校時代から数学や物理など理数系が好きだったことから迷うことなく、ここに進むことに決めました。なかでも、F1をはじめとする自動車産業に興味を持っていて非常に漠然とした“自動車ならドイツだろう”という考えの下、塾高時代・大学時代ともにドイツ語には結構力を入れていましたが、自分でも不思議なことに自動車関連の研究を選ぶことはありませんでした。

4年生からの研究室配属は、泰岡研究室を希望しました。具体的な研究内容は分子シミュレーションを使って主にハイドレートの物性調査を行っていました。きっかけは、2年生時に選択した、やはり泰岡先生の担当されていた分子動力学の授業でした。泰岡先生のスタイルは、付かず離れずで、いきなり10教えることもないし、かといって分からないことや相談があれば本当にきさくに、どんなことでも快く相談することができ、また議論があればあくまでフラットな関係ですることもできるような人でした。最初からあまり多くを語らないので、自分の思考を試されているのかもと思ったこともありますが、このときの経験がその後の自分の研究者としての基礎を形成し、自分の大きな糧になったことは間違いありません。

今でもそうかも知れませんが、この研究室には非常にエネルギー溢れるメンバーがいて、最初の忘年会での洗礼をはじめ、研究活動以外のイベントも多いが、研究活動そのものも非常に力が入っていて国内・国際合わせた学会発表や論文発行数も多く、自分の代だけでも3人のドクターを輩出するなど、非常に充実した研究室生活だったと記憶しています。

泰岡研究室時代

その後大学を卒業、大学院まで進み、2008年になって修士1年時には就職活動をはじめました。ここで最初に戻りますが、仕事としてはやっぱりF1がやりたいなと思いました。ホンダは2008年時点でもF1に参戦しており、希望する人も多いだろうから簡単ではないだろうけど、挑戦せずに後悔するのも嫌だと思って面接をうけ、無事内定をいただきました。しかしながらその後、経済危機などの時代の背景もあり、自分が入社する前の2008年末を持ってF1を撤退することを発表しました。

卒業後 – ホンダに入社

その後、2009年にホンダ(本田技術研究所)に入社しました。夢見ていたF1はありませんでしたが、そもそも内燃機関というものを扱ったことのない自分にはちょうど良い学習期間ととらえ、量産エンジン開発を希望し、ハイブリッド機種のエンジン開発部署に配属され、3年ほど実務を担当しながら経験を重ねたところで、F1再参戦の話が出てきて、非常に幸運なことに2013年4月のプロジェクト開始からF1用PU(Power Unit: 内燃エンジン+2モーターのハイブリッドエンジン)開発に参加することが叶いました。

忙しいレースの合間にチームメンバーと息抜き
(2020年9月 イタリア2連戦の合間で国内移動した道中寄った街、チンクエテッレにて)

しかしながら、コンペティターとの経験差やレース復帰までの準備期間の短さもあり、2015年参戦復帰当初のMcLaren Racingとの参戦はかなり厳しいものでした。性能面もさることながら信頼性面では数多くのトラブルが発生し、苦しい時代だったと思います。自分自身も2016/2017年の2年間は信頼性担当としてレース現場に参画するようになりましたが、レースイベント中はトラブル対応に追われ、レースが終われば将来への改善案をファクトリーに提案する、、、寝ても覚めてもレースのことばかりを考え、気づけばあっという間に3年が過ぎました。2018年からはあらたに、Scuderia Toro Rosso (現: Scuderia Alpha Tauri)とタッグを組むことになり、同時に自分もイギリスMilton Keynesに所在をおくHRD-UKに異動しました。このとき同時に、主にPUの性能面やストラテジーを担当するPU Engineerとなり、より中核となるレースエンジニアや担当ドライバーと直接コミュニケーションを取るようになりました。ホンダとしても、着々と蓄えてきた技術力がようやく実を結びはじめ、性能面や信頼性面でも大きな前進を遂げ競争力としてはコンペティターに遜色ないレベルにまで改善をとげました。2019年からはトップチームであるRed Bull RacingにもPU供給が決まり、自分自身もRed Bull Racing担当となり、2015年に復帰して以来初の表彰台、初優勝など、目標であるチャンピオンシップ獲得にはまだ届いていないながらも目標に向かって着実に成長を遂げています。

残念ながら、ホンダとしては2021年を最後にF1への参戦を取りやめることが決まっているため、今年がホンダPUとして最後の挑戦となります。今年こそ、チャンピオンを穫れるように悔いのない一年を過ごすつもりです。

さいごに

自分は専門性もなく、ホンダに飛び込んでからはじめてエンジンを学び、それでもこの位置にまで来ることができました。ひとつに、タイミングや人に恵まれたこともあり、自分自身、とても幸運な人間だと思っています。しかしながら、経験が足りないからこそ、環境が変わるたびに周りに負けないように自分自身のレベルを上げる努力をし、経験ある人達を追い越し、常に自分自身がまわりをリードするつもりで動いてきた自負もあります。

トラックサイドで一緒に働いているチームメンバー(例えばMcLarenやRed Bullのエンジニア)と話していると、必ずしも学生時代から一直線にここを目指してきた人たちだけじゃないようです。全然関係ない領域から飛び込んできた人もざらにいます。エンジニアの中でも上級レベルに位置する彼らの共通点は、新しいことを飲み込み、咀嚼、自分のものとして習得するスピードが速いと思います。

毎レースのように新しい技術が投入されるF1では大事な資質と思いますが、何もこの世界に限ったことではなく、新たなテクノロジーが雨後の筍の如く現れては消える現代の高度な情報化社会では、異なる環境や技術への適応能力、言い換えると、精神論は好きではありませんが、何事にも積極的に取り組む姿勢というのはどんな分野でも大事になる資質なんだと思います。

2021年第二戦、ちょうどこの原稿を書いているときのイベントで今シーズン初優勝

今、やりたい夢を持っている後輩の皆さんへ、チャンスは訪れるかも知れないし、訪れないかも知れません。しかし、本当にチャンスが来たときのために今何ができるのか、考えてみるのもよいと思います。

娘二人とロンドンブリッジを背景に一枚

プロフィール

湊谷 圭祐(みなとや けいすけ)
(慶應義塾高等学校 出身)

2007年3月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 卒業

2009年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科 開放環境科学専攻前期博士課程 修了

2009年4月
本田技研工業株式会社 入社

2009年10月
株式会社本田技術研究所 HGT 量産ハイブリッド自動車研究開発

2013年4月
株式会社本田技術研究所HRD-Sakura F1パワーユニット研究開発

2016年1月
株式会社本田技術研究所 HRD-Sakura トラックサイド System Engineer (McLaren Racing)

2018年1月
HRD-UK トラックサイドPU Engineer (Scuderia Toro Rosso)

2019年1月
HRD-UK トラックサイドPU Engineer (Red Bull Racing)

現在に至る

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