日吉の駅を降りて、普通部に向かう緩い坂道をはじめて歩いたのは、12歳の時でした。その後、中学・高校・大学から大学院まで、15年間をこの町で過ごすことになるとは・・・。この度、大学院でご指導いただいた吉岡直樹先生からこのコラムのお話を頂き、放射状に広がる街並みを懐かしく思い出したのでした。
慶應普通部入学から6年後、理工学部の第三系、さらに応用化学科に進学することになりました。本当は生物に興味があったのですが、理工学部にはいわゆる生物学科はなく、一番近いのは化学かな~、くらいの気持ちで選びました(いいのか、そんなことで・・・)。本人が気になっていたのはサークル活動。当時、なぜだか冬の、それも雪山を登ってみたい!という思いに取りつかれて、全く経験もない山岳部の扉を叩き、6月には訳も分からずに北アルプスの劔岳に黒四ダムから登ることになったのでした。縦走に出てはバテ、岩に登れば落っこちて、問題部員ではありましたが、春夏秋冬、年間100日間をアルプスの稜線で過ごした4年間は最高でした。
大学3年のゴールデンウイーク。 北アルプスの劔岳に登りました。
大学3年のクリスマス! 槍ヶ岳に登る途中、テントの中、男だけでクリスマスパーティーです。
大学院に進学して、飲み仲間は大方就職し、部活も終わって、ちょっと暇になりました。さすがに勉強しようかな~、ってことで、物理化学と無機化学の教科書を一から読み直すことにしました。すると、これが面白い!何しろ真剣に勉強したのは中学受験以来、10年ぶりで、改めて学ぶことの楽しさを知ったのでした。分析・錯体化学の井上秀成先生から頂いたテーマは「金属置換クロロフィルの合成とその分光学的性質」。近所の八百屋さんで買ってきたほうれん草からクロロフィルを抽出し、いろんな誘導体を合成して、電子スピン共鳴法、メスバウワー分光法などちょっとマニアックな方法で分析する。博士課程に進学したあとは、吉岡先生から有機合成や分子軌道計算の手ほどきをしていただくと、ちょっとした官能基の違いや分子構造の歪みが、分子軌道の形態やエネルギーに劇的な変化をもたらし、それが光合成や酵素の活性につながっていることがうかがえて、超マニアックな世界にワクワクしたものでした。その頃は、毎日のように図書館で最新の論文をコピーして、それを参考に新研究テーマを先生方に相談するのが楽しみでした。
当時の井上先生の指導は、一言でいえば放任主義。私の記憶では、4月に研究室に入って、夏休みの中間発表までに先生とディスカッションしたのは2回くらいだったような…。一方でこちらから相談に行くと何時間でも相手をして下さって、最後は「まあ、やってみたらいいんじゃないですか?」なんて、試薬を買ってくださるのでした。夜遅くに一緒に帰ると、東横線で議論になってしまい、そのまま自由が丘あたりでお寿司をごちそうになったことも何度かあったような・・・。流行りを追わず、とにかく自分で考えて、やってみる!今から振り返ると、そんな私のスタンスは、矢上の実験室で6年間、先生方にご指導いただく間に、身についたように思います。
大学院を修了して、花王株式会社に入社しました。一応、博士だし、基礎研究の部署に行くのかなあ、と思っていたら、配属されたのはまさかの化粧品研究所!入社研修で生まれてはじめて化粧品とメイクアップの手ほどきを受けたのでした。当時の花王は化粧品業界に参入して日も浅く、とんがった商品を作って、どうやってコンペティターと戦うか模索を続けていた時期でした。最初の面談で言われたのは「野々村君、いままでにない、すごいもの作ってよ!」だけ・・・。専門を錯体化学から界面化学に切り替えて、粉と油にまみれて、新らしい素材や製剤技術をファンデ―ション・口紅さらにはボディーソープに展開する毎日が続きました。始めてみるとこれがなかなか面白い!商品開発の現場は分からないこと、未解決の課題がてんこもりで、これ、なにやったって論文にできるじゃん!なんて興奮したものでした。しかも職場で界面化学の世界的なエキスパートにご指導頂いたり、研究仲間とディスカッションをする機会もいただけるようになり、商品開発の合間に学会発表をしたり、論文を執筆することもできるようになりました。
そんなこんなで、10年が過ぎました。ある日、通勤電車の中で学会誌を眺めていたら、ある大学から私が専門とする「界面化学」の教員を募集しているのを見つけました。ん???これ、僕でも応募できるんじゃない?大学の自由な環境で、自分の心の赴くままに、研究を展開したいという気持ちがむくむくと湧き上がってきました。企業での研究は、やりがいもあり、研究資金も潤沢だったりするのですが、一方で何が生まれるかわからない、未知の世界へのチャレンジはなかなかできない、ひとつひとつ周囲を説得したうえで研究を進めなければならないというフラストレーションもあったのでした。さて、転職活動の始まりです。なにしろアカデミックポジションに応募するのは初めてのことなので、研究仲間や友人に教えを請いながら履歴書を準備し、大学に送付・・・。残念ながら最初に公募を目にした大学は不採用でしたが、山形大学工学部で採用していただき、2007年の春に米沢市のキャンパスに赴任しました。
山形大学で界面化学の研究室を立ち上げて十数年が経ち、七十数名の卒業生・修了生を送り出しました。ラボのコンセプトは「美味しさと美しさの化学」。これまでに、ヒトが感じる多彩で繊細な手触りを調べる「バイオミメティック触覚センシングシステム」やヒト皮膚の菌叢をコントロールする「天然由来の抗菌パウダー」やヒトがしっとり感を感じるメカニズムを提案することができました。日々を過ごしているといろんなことがありますが、学生さんたちとあれこれ言いながら新たな研究を進めることができることは、本当に幸せなことです。
大学を卒業して30年、ちょっと疎遠になっていた仲間から連絡があったりして、矢上で過ごした数年間を思い起こすことがあります。小さなことでもひとつひとつ新しいことにチャレンジしようという雰囲気がそこにはあって、先導者たらんとする気分が脈々と受け継がれているように感じます。
受験生の皆さん、矢上、楽しく、刺激的なところです!ぜひ、お越しください。
野々村 美宗(ののむら よしむね)
(慶應義塾高等学校 出身)
1991年3月
慶應義塾大学理工学部応用化学科 卒業
1993年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科応用化学専攻前期博士課程 修了
1996年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科応用化学専攻後期博士課程 修了
1996年4月~2007年4月
花王株式会社
2007年5月
山形大学大学院理工学研究科 准教授
2017年4月
山形大学大学院理工学研究科 教授
現在に至る