はじめに

まず自己紹介をさせていただきます。私の慶應義塾との関わりは高校から始まりました。大学進学後は、研究室でコンピューターの応用に関わる研究を存分にしました。卒業後は、その研究での経験を生かしてITエンジニアとして仕事をしています。

次に、この記事についてです。私は、この記事を理工学部や理工学研究科への進学を検討している人に向けて、その進学を目指す際の参考になることを願って書いています。主な内容は、私が慶應義塾や社会で経験したことです。この記事を通じて私の経験の一端を共有することで、役に立つことができれば嬉しく思います。

この記事では、3つの点について触れています。1つ目は慶應義塾で学んだことについて、2つ目は仕事について、最後は趣味についてです。早速、次章では慶應義塾で学んだことについて書きます。

慶應義塾で学んだこと-工学の考え方

システムデザイン工学科の合宿での集合写真

私は慶應義塾で多くのことを学びました。勉学のみならず、全ては自己責任であるという独立自尊の考え方も学びました。この章では、研究室を通じて学んだことについて書きます。

私は研究室を通じて2つの考え方を学びました。
1つ目は「目的意識を持った行動をすること」で、2つ目は「考えたら、まずは実際に試してみること」です。これらの考え方は、今の私の行動原則の柱となっており、私生活や会社での課題解決に向けて有効な行動を取れていると自負しています。

私が所属した研究室は“青山・矢向研究室“です。青山藤詞郎先生の下では機械工学を、矢向高弘先生の下では計算機工学を基にした研究を主にしていました。

その研究室で、青山先生は「その研究の目的はなにか?」という質問を学生に問いかけていました。つまり、その研究の背景にある課題を理解し、提案する手法が課題解決に適しているのかを示すことが大切であると、私は理解しました。

また、矢向先生は「考えたら、まずは手を動かしてやってみよう」と学生に声をかけていました。考えて想定することは大切である一方、実際にやって分かる問題もあります。従って、まずはやってみて発生する事実を確認することが大切であると、私は理解しました。

このお二人から学んだ工学的な考え方は、現在の私を取り巻くビジネスの世界で役に立っています。次の章では、具体的にどのように役に立っているのかを紹介します。

仕事で応用している考え方-ITエンジニアとして

私は外資系の投資銀行でITエンジニアとして仕事をしています。この投資銀行への入社を決断した主な理由は、チャレンジングな仕事を若手にも任せる企業文化があり、自分を成長させる環境が整っていると考えたためでした。

その会社での私の使命は、ITを用いてビジネスの課題を解決することです。ビジネスの課題とは、例えば、事務処理が複雑でその作業に大きな負担がかかることなどです。私は、このような課題についてITを用いることで解決できるかを判断し、その解決方法を提供しています。

このようなビジネスでの課題解決には、研究で培った考え方を応用しています。例えば、ITシステムのユーザー部門から「ある事務処理を自動化してほしい」と依頼を受けたとします。ここで、依頼どおりに自動化するのでは非効率的な場合があります。やるべきことは、その依頼の“目的は何か“を理解し、その目的を達成するための解決方法を提案することです。目的の理解を通じて、全く別の処理をわずかに変えるだけで目的を達成できる場合もあるため、その理解はとても重要です。

また、ITシステムを構築する場合は、課題を完全に解決するものを作ることが理想です。しかしながら現実には、まず“手を動かして“課題の大部分を解決するようなシステムを構築し、実際に問題が発生するのかを見極めるほうが有用な場合が多いのです。このように、研究で培った考え方をビジネスでも応用しています。

私は、たくさんの仲間とこのような仕事をしています。そして、その仕事仲間からの影響を受けて、トライアスロンを趣味にしています。次の最後の章では、私の趣味について紹介します。

趣味-トライアスロンと東京オリンピック

トライアスロン風景

私は、趣味でトライアスロンをしています。選手でもあり、国内外でテクニカルオフィシャル(審判員)としても活動しています。また、東京都トライアスロン連合の技術委員会で委員長を務めてもいます。この章では、私のトライアスロンでの活動について書きます。

私は、同僚を通じてトライアスロンを知りアイアンマンの称号を獲得しました。アイアンマン は、スイム3.8km・バイク(自転車)180km・ラン42kmの3種目を、17時間以内で完走した人に与えられる称号です。大変な努力が必要でしたが、思いがあって挑戦を決意しました。その思いとは、困難に挑戦することや、目標に向かって努力することの大切さを、自分の子ども達に感じ取ってほしいということです。子ども達が大人になって困難に直面したときなどに、思い出してもらえたら嬉しく思います。

アイアンマンの獲得後は、選手としての活動からテクニカルオフィシャル(審判員)としての活動に趣味を移行しました。この移行の主な理由は、社会に恩返しをしたいと考えたからです。今の自分があるのは、社会を通じて多くのことを学んでこられたからだと信じています。今後も、2021年に延期の決まった東京オリンピックに向けて、自分にできることは何かを考えながら活動を続けています。

おわりに

この記事から、慶應義塾でどのようなことを学び、卒業後にはどんな生活が待っているのか、皆さんにその一端が伝わりましたでしょうか?


大きく学ぶと書いて大学ですが、学びは大学では終わりませんでした。人生は絶え間ない学びの連続だと思います。慶應義塾でさまざまな人に出会い、行動の指針を構築できて幸運でした。今後も学びを継続しながら、どのように世の中で自分を役に立たせてゆけるのか、私自身がとても楽しみです。

プロフィール

佐藤 秀雄(さとう ひでお)
(慶應義塾高等学校 出身)

2000年3月
システムデザイン工学科 卒業

2000年3月
2000年 三田会 理工学部常任幹事 就任

2002年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻 修士課程 修了

2002年4月
ゴールドマン・サックス証券株式会社 テクノロジー部門 入社

2019年4月
一般社団法人東京都トライアスロン連合技術委員会 委員長 就任

現在に至る

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