理工学部を選択した理由と学部生のころ

小学生の頃にC言語に触れ、プログラミングが好きになりました。その後もコンピュータへの興味は持ち続けていたため、大学でも情報工学を学びたいと考えて、理工学部を選択しました。しかし大学入学直後からサッカーやクラシックギターのサークルへ顔を出したり、他大学のオーケストラにバイオリンのヘルプとして参加したりと、遊びや趣味に没頭した結果、必修単位を多く落としてしまい、成績不良により第一希望だった情報工学科への進級が叶わず、電子工学科へ進むことになりました。 その通知を受けたときは絶望し、実家に引きこもったのですが、そのとき偶然、押入れから私が生まれる前に亡くなった祖父が使っていたという古いフィルムカメラを発見しました。そこで、これをきっかけに何か新しいことを始めて、気持ちを切り替えようと、慶應カメラクラブに入って写真を撮り始めました。これが後々、自分の専門になる画像に興味を持ったきっかけになりました。 また、3年生になった時、昔からジャズが好きでアドリブ演奏をしてみたいという気持ちがあったのを諦められず、モダンジャズソサエティ(いわゆるジャズ研)に入りました。この頃、塾生会館の地下に集まってくるOB・OG含む様々な人たちとの交流を通して、色々な人々の生き方を見たことが、自分も好きなことを追究する生き方がしたい、と思うようになったきっかけだった気がします。 その秋には研究室を選択しなければならなかったので、画像処理に興味があったことと、プログラミングのスキルが磨けそうだと思ったことで、青木義満先生の研究室を希望し、研究生活が始まりました。

研究室時代

卒業研究は複数台のカメラを使って物を把持した状態の手指関節の三次元位置を推定するというものでした。この頃はプログラミングに一生懸命取り組めば取り組むほどそれが評価されるということが楽しく、研究に思いっきりのめり込みました。そして、何かに深く集中するということに、快感を感じることに気づき、こんな生活をずっと送れたら人生最高かもしれないと思って博士課程への進学を考え始めました。修士に進むと、修士論文のために始めた別の研究が早くに形になったこともあり、興味の赴くまま学外で自分の技術を応用する活動を始めました。他大学の演劇ユニットに技術提供という形で参加してメディアアートもどきのようなものを作ったり、彫刻家の方と一緒にライブペインティングの絵をリアルタイムに音楽に変換するというパフォーマンスをやったり、画像センシングとプロジェクションの技術で舞台作品の制作に協力したりなど、多くの時間を研究室とは直接関係がない活動に注ぎ込みました。しかしこれらを通して、可視化技術やGPUを使ったプログラムの高速化技術、プログラムがクラッシュしてもパフォーマンスに影響が出ないようにする工夫など、技術的にも多くのことを学ぶことができました。また、この時期にアートの分野で活動する人たちや大学で哲学を学ぶ人たちと交流する機会を持てたことで、人間が眼を通して世界を認識する仕組みや、世界を認識するというのがそもそもどういうことなのか、といったことに興味が湧いて、人工知能や機械学習などの分野で研究がしたいと思うきっかけにもなりました。
このような活動の傍らで、友人と Web サービスの開発等を行う会社を立ち上げ、副社長兼エンジニアとして起業のプロセスと Web サービスのフロントエンド・バックエンドの開発を学んだりもしました。その会社は修士を卒業する前にサービスごと他社へ売却しました。修士の2年間は、自分が自分の専門に何を据えたいのかを考えながら、興味のあること全てに手を出した時期でした。

修士学生のころ、国際会議での発表のため訪れたスイスで撮った写真

学位取得とその後

その後、機械学習を使った画像認識がやりたい、という気持ちで博士後期課程に進学したものの、しばらくの間は研究テーマが決まらず迷走していました。しかし博士2年生のとき、アメリカの UC Berkeley という大学へ1年間、留学するチャンスをもらい、その間に深層学習を応用して衛星写真から建物や道路などを自動的に見つけ出すという研究にたどり着き、これを博士論文のテーマにしました。
帰国後、単位取得退学をし、CREST プロジェクトで研究員として仕事をさせてもらいながら博士号の審査を受けました。この時の成果を Github で公開したところ、アメリカの Facebook という会社の研究者から私のコードが役に立っている、と連絡がきて、Facebook で働くことに興味があるか、と誘って頂いたので、取り急ぎビザ申請の準備ができるまでコントラクタとしてシンガポールで働くことにし、博士学位授与式のあとすぐシンガポールに移住しました。その後、アメリカ本社を受ける準備もしていましたが、日本の Preferred Networks(PFN)という会社の副社長から直々にお誘いいただき、スタートアップに早期から参加するのが楽しそうだったのと、そこが当時最も興味があった Chainer という深層学習フレームワークを開発している企業だったことなどから、転職を決め日本へ戻り、現在もそこで働いています。

UC Berkeley 留学中、受け入れ先研究室だった MSC Lab の富塚誠義教授と撮った写真

博士学位授与式のあと、慶應で7年間にわたってお世話になった青木義満先生と撮った写真

PFN では入社直後から、マイクロソフトといった世界的な企業との協業を進める仕事をさせていただいたり、画像認識の関わる研究開発のプロジェクトや Chainer 自体の開発・普及のための活動など、様々なことを非常に自由な裁量でやらせてもらっています。最近は「Chainer チュートリアル」というオンライン学習資料を作るプロジェクトを進めるなど、以前から興味のあった教育の分野にも関わらせてもらい、研究や開発の力だけでなく様々な能力が伸ばせる環境で、相変わらず興味のあること全てに首を突っ込んでいく生き方をしています。

マイクロソフトの de:code 2017 というイベントで Chainer のデモをしたときの写真

最後に

最後に、私は学生時代に色々なことをやりましたが、どの取り組みでも、何かの賞を頂いたり大会で優勝したりといった、記録に残る形で評価されるまでやり遂げたことはありませんでした。その理由に、まずは応募したり出場したりしなければ受賞も優勝もし得ないということがあります。しかし競争に参加するのに十分な自信が、私にはありませんでした。その代わりに、何かの取り組みから得られたものがあったら、それを他人が認識できる形に出力しておくことは、できる限りやってきました。それは私の場合、全く違う分野の人と一緒に作った作品をきちんと人前で発表するということであったり、Github で自分が書いたコードを公開することだったりしました。それらは不完全で未成熟なものばかりでしたが、全て次へ繋がっていくきっかけになりました。幸いにも今も自分が好きなことをやり続けられているのは、そのおかげと、それを見て私を拾い上げてくださった方々のおかげだと思います。競争に参加する自信がなくても、何かを得たら、それを外から見える形にして人と共有することで、思ってもないチャンスに繋がることがあると思います。何か好きなことがあるが自信がないという人が、まずはこっそりとでも自分が得たものを人と共有することで、それに長く継続して取り組んでいけるきっかけを得ることに繋がったら、と願います。

プロフィール

齋藤 俊太(さいとう しゅんた)
(東京都立国立高等学校 出身)

2010年3月
慶應義塾大学理工学部電子工学科 卒業

2012年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻修士課程 修了

2013年6月 - 2014年5月
Visiting Student Researcher at University of California, Berkeley

2015年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻後期博士課程 単位取得退学

2015年4月
慶應義塾先端科学技術研究センター 研究員

2016年3月
博士(工学)取得(指導教員名:青木義満 教授)

2016年2月
Software Engineer (Contractor) at Facebook Singapore

2016年9月
株式会社Preferred Networks リサーチャー

現在に至る

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