小学校の頃、親に買ってもらったエジソンや安藤百福などの伝記を読んで以来、「なにか世の中のタメになるものを発明する人になりたい」と思っていました。 その漠然とした将来のイメージを持ったまま毎日を過ごしていたのですが、高校の頃に親しかった友人の父親がガンで亡くなったことをきっかけに「科学で何とか解決できないものか?」と、体内で働くナノロボット等の最先端技術に興味を持ち始めました。そして、もともと「発明」というキーワードに惹かれていたこともあって、理系に進むことに決意したのです。

ただ、僕はそこまで理数系の勉強が得意ではないくせにうっかり入ってしまった愚か者だったため、理工学部の授業にはついていくのが精一杯でしたが、それでも一つ一つの科目が、これまで知らなかった世界の「理」を次々と暴いていくような感覚で非常に刺激を受けました。印象に残っている授業は、単位を落として何度も勉強した熱力学や流体力学に、実際のモノづくりに繋がるヒントが沢山詰まっていて、毎回ノートをとるだけでワクワクした人間工学やデザイン工学の授業でした。

2年生の終わりには自由研究があり、慣れないプログラミングをイチから勉強して「部屋の中を雑巾掛けするロボット」を作ったことを覚えています。大学院生の先輩にも手伝っていただいたにも関わらず、走行テストで何度も失敗したことも含めて素敵な思い出です。そして4年生で研究室に配属されるのですが、僕は澤田達男先生の研究室にて「磁性流体」というNASAが開発した磁力を持つ特殊な液体について研究をしました。

僕の大学時代は、バンドサークルに入って音楽を始め、「ミスター慶應コンテスト」の運営やフリーペーパーを発行する学生団体を立ち上げるなど、学業以外の部分のほうが充実していたかもしれません。サークルや理工学部で出会った友人たちとは社会に出てからも仕事やプライベートでずっと繋がっていて、一生モノの縁です。

卒業後は、1つの研究に生涯を捧げるよりも、色々なアイデアを形にしていくほうが自分に合っていると感じたので、早々に就職活動を始め、広告会社の株式会社博報堂へ入社しました。博報堂での仕事はまさに「発明の修行」といえるもので、新人の頃の配属はプロモーション、後にクリエイティブの部署に異動して、自動車・化粧品・飲料・食品・電子機器・IT・アパレルなどといったあらゆる業種の会社とお付き合いをしながら「人が商品を買いたくなったり、そのブランドを好きになるための企画」をひたすら出し続けて、10年間、とんでもない数のコンセプトを作ってきた結果、1時間程度あれば3つの新商品とその広告と販売戦略案を考えられるくらいには鍛えられました。

大学時代に組んでいたバンドのライブ
(筆者:左のオレンジ色)

博報堂時代のコスメ広告撮影
(筆者:前列中央の白い服)

そして、そういった博報堂での経験や一緒に仕事をした人たちとの繋がりをベースにして、100名を超えるクリエイターたちと共にあらゆる種類のクリエイティブを生み出す会社「株式会社クリエイターボックス」を2017年に起業しました。また、個人事務所でもクリエイティブディレクターとして複数社と契約をしています。最近では食品・飲料や化粧品などの新商品開発、広告事業、不動産事業、教育事業などを展開していますが、いつかは世界中の人をHAPPYにできる規模の「発明」を世に出すことを目指しています。

このように、僕の社会人生活はいわゆる「理系就職」ではなく「文系就職」から始まって現在に至るのですが、理工学部で授業を受けていた頃の純粋な志と未来へのワクワク感は、いまでもずっと変わらず心の中にあるのだと思います。

CREATOR BOX Inc.広告撮影(筆者:右下の白い服)

仲の良いバンドと一緒に社会人になってからも続けている趣味の音楽イベント(筆者:ステージ前列中央付近)

趣味のDJ

プロフィール

篠﨑 友徳(しのざき とものり)
(慶應義塾高等学校 出身)

2007年3月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 卒業

2007年4月
株式会社博報堂 入社

アクティベーション局クリエイティブ部にてSUNTORY、KOSE、Fujitsu、Google、日清食品など大手企業の統合コミュニケーション戦略を設計し、TV CMなど広告、WEB、PRイベントなどを多数制作。

2017年7月
株式会社クリエイターボックス 創業
篠﨑友徳事務所 設立

現在に至る。

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