憧れの慶應理工学部へ

1941年、私の祖父は福井県福井市において繊維産業の加工工程に欠かせない界面活性剤の製造を始めました。当社は今でこそ東証一部に上場しておりますが小さな「町工場」からのスタートでした。祖父は、自身が技術屋(薬剤師)だったこともあり、社の信条を「製品を売るにあらずして技術を売る」としたほど、技術を大事にしていました。 私は小学生のときから、祖父から「お前は技術屋になって日華化学を継ぐ運命だ」と言われ続けてきました。もともと理系が得意だったこともあり、何の迷いもなく理工学部への進学を決め、父も通っていた慶應大学に強い憧れを持っていたので、受験することにしました。

充実した学生生活

研究室は、界面化学や油化学の権威である阿部研究室に所属しました。研究内容についてですが、当時琵琶湖や河川にアオコが発生し水質汚濁が問題になっていました。洗剤の中のリンが富栄養化をもたらしていたことが原因であり、リンを含まない生分解性の優れた洗剤を開発することでした。SDGsが叫ばれている今、当社も開発の最優先事項を環境としているほどですが、30年以上前にすでに現在のニーズにマッチした研究に携わっていたことに感慨を深くしております。また、同級生だった朝倉くんが現在は同研究室の教授として立派に継いでおられ、とても誇りに思っています。

1984年研究室旅行(奥只見)、(筆者:後方左から2番目。後方左が朝倉教授)

大学時代・研究室仲間と(筆者:左)

勉学以外の学生生活も、非常に楽しいものでした。5、6人の仲間でサークルを作ったところ、他学生含め20名程のメンバーが集まり、まさにバブル時代を迎えようとしている頃、神宮コートでテニス、夏は蓼科、冬は栂池や斑尾でスキー合宿。ゴルフにも行きました。また、六本木のディスコを貸しきったダンスパーティを企画するなど、硬派な田舎モノが徐々にサークルによって垢が取れ始め、標準語もマスター、自分の殻を破っていきました。このサークル活動を通じてコミュニケーションや人脈形成を学んだようにも思います。

化学の素養は今も財産

卒業後は、三菱化学に入社しましたが、配属先は営業でした。自分のケミストとしてのバックグラウンドより、コミュニケーション能力のほうを買われたのかどうかはわかりませんが、まさにビジネス最前線で仕事が出来ることに対し、期待はあれど違和感はありませんでした。営業職としても、これまで学んだ化学の知識は、お客様への論理的な説明に大いに役立ちました。

1989年(平成元年)に日華化学に入社し、2001年、祖父が言っていたとおり社長に就任しました。今では海外8カ国に12の拠点を持ち、世界各国で化学品・化粧品を製造販売するまでになりました。社長になってからも年4回の研究発表会には必ず出席し、研究者の新たな発見を共有する機会としていますが、大学で化学を学んでいなければ、質疑応答等で深い意見交換は出来ないのではないかと感じています。社員とのコミュニケーションの中でも化学が共通用語の基本となっているのです。2007年から2009年に日本界面活性剤工業会の会長を務めさせていただいた際には、行政や各業界トップの方の視座に触れ、お客様のニーズを把握し社会に役立つ製品を創ることと同時に、環境に配慮することの重要性を改めて実感しました。

society5.0やAI導入等、時代はますます変化していきますが、化学技術の重要性は増していくばかりです。例えばIoTやロボット等の技術革新をはじめ、新しい薬で人の命を守るのも、地球環境を改善していくことも、化学のチカラが不可欠なのです。大げさかもしれませんが、化学なくして人類の幸せや世界の進歩はないと考えています。

「全社会の先導者たらん」

新しい時代、令和が始まりました。東京オリンピック、大阪万博を控え、日本は世界からもますます注目を浴びています。しかし、今後日本が世界でさらに発展していくためには、欧米や、中国をはじめとするアジア諸国でも作れないような新しいイノベーション、新しい技術が必要です。今は非常識だと思われるようなことにもどんどん挑戦してください。何もしないことが後退であり、失敗は前進なのです。

慶應義塾の創始者、福沢諭吉先生の「全社会の先導者たらん」という言葉があります。慶應理工学部は優秀な学生が集まる場であり、イノベーションを生み出しベンチャー企業をも立ち上げている、日本でも最先端の人材が生まれ育つ場となっています。慶應で学び、世界に向けていろんなことを発信しましょう。人類の幸せと世界の進歩は皆さんのチャレンジから始まります。

プロフィール

江守 康昌 (えもり やすまさ)


1985年
慶應義塾大学理工学部応用化学科 卒業
三菱化成株式会社(現三菱ケミカル株式会社) 入社

1989年
日華化学株式会社 入社

1991年
ニッカU.S.A., INC 上席副社長

1993年
日華化学株式会社 取締役

1995年
同社 専務取締役

1997年
同社 代表取締役専務

2001年
同社 代表取締役社長

2006年
同社 代表取締役社長執行役員(現任)

2017年
イノベーション推進部門長(現任)

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