私が、研究者や科学者という職業に対して初めて漠然と興味を持ったのは、中学2年生のときに参加した地元のサイエンススクールでした。その中で、ヒト・ゲノム計画の第一線で研究されていた、東京大学の軽部征夫先生の講演を聴いて、今まさに人間が自らのDNA配列を解読し終える段階にあることを知り、将来はDNAのような暗号を使って、生命や進化の謎に迫りたいと思ったのがきっかけでした。講演後、軽部先生に進化についての質問をしたところ、“その答えはまだ証明されていないから、君が大学で研究して解明すればいい”とアドバイスしてくださったのです。今思えば、その言葉に背中を押されて、理系の道に進んだのかもしれません。
その後、生物系の研究をするため、慶應義塾大学理工学部に進学し、学門3から生命情報学科へ進学しました。また、生物系の分野について幅広く知るうちに、自分が、生物の中でも“人間”に、その中でも“人間の脳”に興味があることに気付きました。そこで、学士と修士課程では、生体医工学研究室に進み、富田豊先生と牛場潤一先生にご指導いただきながら、脳神経生理学的な研究に取り組もうと決めました。具体的には、ヒトの脳から発せられる微弱な電気信号を頭皮から計測し、特定の周波数で発振(オシレーション)する現象が、どのように随意的な運動制御と関わっているかを調べる内容でした。さらに、それらがパーキンソン病やジストニアといった運動異常(手足の筋活動や動きを随意的に制御できない状態)に影響しているのか調べることが、この研究の醍醐味でもありました。
その当時は、まだ出来て間もない創想館キャンパスの中で、自分の思い描いていた研究生活が始まるのだと意気込んでいましたが、実際の研究生活は、思ったよりかなり大変でした。特に、大学医学部や病院との往復を繰り返す日々の中で、毎週、研究の進捗を研究室メンバーの前で発表するのが精神的に辛かったと記憶しています。そのような状況でも、同期、先輩、後輩と苦しさを共有し、助け合えたおかげで、継続して取り組めました。3年後には、確かな知見が積もってきて、それらをまとめて国際雑誌に掲載できたのは、今でも大きな糧になっています。また、修士2年時に初めて国際学会で発表した際に、論文でしか知らなかった研究者と直接会ってディスカッションしたことで、今までラボの中で研究していた世界が一気に開けた感じがして、自分の中に“研究者”としての意識が芽生えました。具体的に後期博士課程へ進学を決断したのも、この時期でした。
私は、在学時に、ワグネル・ソサエティ・オーケストラと理工学部体育会アメリカンフットボール部に所属しました。高校までは、陸上競技部で個人種目をしてきたのでチームプレーがしたいと思ったのと、小学4年生から続けてきたオーケストラを継続して取り組みたいと思ったからです。実際、2つのサークルの掛け持ちは無理もあり、アメフトで怪我をして大事なシーズンを棒に振り、バイオリンの演奏もできなくなるという苦い経験もしましたが、4年間継続して続けたことで、普段出会うことのない個性溢れる先輩や後輩に出会うこともできました。
バイオリンは、オーケストラを卒団しても手放すことができず、修士2年生の時に思い切って、日本クラシック音楽コンクールという大会に出場しました。とにかく自分の演奏がどこまで通用するのか挑戦したかったからです。参加者は音楽大学の在学生か出身者ばかりでしたが、全国大会でメンデルスゾーン作曲のバイオリン協奏曲を演奏して、入賞(シニアの部、全国第5位)をいただいたのは一生の思い出です。現在も、大学で知り合ったメンバーと室内楽をしながら、定期的に演奏会を重ねています。
私の場合は無茶な部分もありましたが、考えてみれば、一度切りの(羽目を外せる)大学生活ですし、自分のやりたいことを追求し、その世界にどっぷり浸かるのが良いと思います。どっぷりとその世界に浸かった分、そこで得た経験は、長く自分の記憶として残り、今後の人生の様々な場面で活きてくると思います。
学部卒業式にて
富田豊先生、牛場潤一先生、同期とともに
ムジークフェライン室内楽団のメンバーとともに
現在の職場の同僚とともに
前期博士課程を修了後、私は生理学研究所(総合研究大学院大学)に後期博士課程として進学し、本格的に脳神経生理学・神経工学の研究に取り組みました。そこでは、脳梗塞や脊髄損傷等で失った神経経路を代替するためにマイクロコンピュータを用いた神経インターフェースを開発し、失った随意運動機能を再建するという壮大な研究テーマに挑みました。まだ臨床領域では試されていない前進的な研究でもあり、ヒトではなく霊長類(マカクサル)を用いて実証しました。すべてが新しい経験でしたが、指導教員であった伊佐正先生と西村幸男先生に一から研究のノウハウを教えていただき、無事、後期博士課程を修了できました。この研究を通して、脳神経生理学に潜む背景の奥深さを知ることができたのは、かけがいのない経験でした。
その後、慶應義塾大学の牛場潤一先生の研究室へ助教として戻り、さらに昨年から国立長寿医療研究センターにて、これまでの脳神経生理学・神経工学分野での経験を基に、高齢者を対象とした生活支援ロボットの開発や実証研究に携っています。
科学は、一つの単純な物事を証明するだけで、時に何年という時間を要します。一方で、証明した結果に、これまで考えつかなかった要因が絡んでいたりと、その結果に対する解釈は、日々変化しています。そのように目まぐるしくも、時には不毛な世界で生き抜くには、体力的にも精神的にもタフである必要があると思うし、科学的に仮説を立てて具現化していくプロセスの面白さを感じながら地道に進めていく根気強さが必須と思います。私もまだまだ新米の研究者ですが、これからも、一歩ずつ確実に成長できるよう、努力していきたいと思っています。
加藤 健治(かとう けんじ)
(東海高校 出身)
2005年-2009年
慶應義塾大学理工学部生命情報学科生体医工学研究室 学士 (工学)
2009年-2011年
慶應義塾大学基礎理工学専攻生体医工学研究室 修士 (工学)
東京都リハビリテーション病院 リハビリ工学士(非常勤)
2011年-2014年
自然科学研究機構生理学研究所認知行動発達機構研究部門
総合研究大学大学院生命科学研究科 博士 (理学)
2012年-2014年
日本学術振興会 特別研究員(DC2)
2014年-2015年
自然科学研究機構生理学研究所認知行動発達機構研究部門 研究員
2015年-2017年
慶應義塾大学医学部リハビリテーション医学教室 特任助教
2017年-現在
国立長寿医療研究センター健康長寿支援ロボットセンター
ロボット臨床評価研究室 室長