この度は、塾員来往コラムにご招待いただきありがとうございます。私は現在、米国で博士研究員をしております。このコラムをご覧になっている受験生の皆さんは、進路や職業に対して意識の高い方々だと思います。私自身が高校生のときは、将来自分が研究に携わることになるとは考えてもいませんでした。決して誇れる経歴ではありませんが、少しでも皆さんのご参考になれば幸いです。

理工学部入学

私は理工学部の学門3に入学しました。高校では物理が好きだったこともあり、物理系である学門1に入りたい、と単純に考えていました。しかし、父親からの「お前に物理で食べていける頭脳はない。」との宣言で我に返り(笑)、最終的には学門3を選びました。学門3であれば、2年次の学科選択で化学・生物・物理系から広く選ぶことができそうだ、というモラトリアムな理由からでした。もちろん自慢できる進路選択ではありません。それでも、確固とした目標がなかった私にとって、理工学部の学門制は魅力的なシステムでした。入学後は、2年次に化学科に進みました。少人数制教育に惹かれたからです。私は高校時代、化学と化学実験が好きではありませんでした。しかし、実験化学系の研究室を見学させていただく機会があり、先輩方が各自の研究テーマをもって主体的に実験をされている様子が印象的でした。決まった実験をこなす中学・高校の授業とは違うのだと感じ、「実験系の学問も面白そう」とワクワクしたことを覚えています。そして不思議なもので、今は実験系の研究者をしています。行き当たりばったりの言い訳のようですが、何を選択するにしても、選んだ後にエネルギーを費やすことで、意外性のある面白い人生が楽しめるのではないかと思っています。

大学生活

大学3年生まで私が夢中になっていたのは、サークル活動でした。小さいときからクラシックバレエを習っていたこともあり、競技ダンス(技術を競う社交ダンス)のサークルに入りました。全日本チャンピオンを輩出する厳しいサークルでしたが、頼もしい先輩方と仲の良い同期達と寝食を共にし、本当に楽しい時間を過ごしました。競技ダンスでは合宿や合同練習とは別に、プロのダンサーから個人指導を受けます。夜遅く個人レッスンが終わってから、実家のある鎌倉まで帰る電車がないこともしばしばで、そんなときは深夜営業の漫画喫茶で実験レポートを書き上げ、翌朝そのまま矢上校舎に通学していました。遅からず漫画喫茶生活は限界に達し、最終的に実験レポートそっちのけでダンスの練習に没頭した結果、大学3年生で留年しました。自業自得で迷惑をかけたにも関わらず親身になって心配してくださった化学科の先生方、そして友人達にとても感謝しています。そしてダンス部での経験は、今でも、研究発表などの機会に役に立っています。人前に立ったら(自分ではなく)100%観客のことを考えること、そして臆せずに表現することを、私はダンスから学びました。

研究室配属

大学3年生のとき、私は末永聖武先生の研究室に入りました。当時、末永先生は着任されてからまだ3年目。立ち上げ当時の熱い雰囲気を、研究室のそこかしこに感じました。末永研究室の「海洋生物から医薬品のもとになる物質を探し出し、化学反応で創る」というテーマを聞いたときの興奮を、今でも鮮明に覚えています。私は小さなころを湘南海岸沿いで過ごしました。暇さえあれば海に出かけ、小魚を捕まえたり、海藻や貝を探したり、浜に打ち上げられたカツオノエボシを観察したりと、海の生き物に夢中になっていました。今でも、ダイビングで見るような美しい魚や壮大な海の景色よりも、ささやかな磯とそこに生きる生き物が大好きです。そして末永研究室の研究ターゲットは、磯の生き物たちがもつ物質でした。私にとって身近な生き物たちが、人間には想像もつかないような物質をもち、それが新たな薬になるかもしれない。流されるようにして選んだ化学という学問が、偶然にも好きだった海洋生物につながり、そのご縁で研究者になりました。高校生のときは、全く想像していなかった職業です。そうした場とチャンスを与えてくださった理工学部、化学科、そして末永研究室には感謝の気持ちでいっぱいです。

末永研にてタツナミガイをミキサーで粉砕する実験の様子

生物採集で訪れた沖縄県久高島にて末永先生、後輩とともに

台湾から化学科に来た学生さん達とミニシンポジウムの後で

現在

現在は、米国ユタ大学で博士研究員をしています。若いときを海外で生活していた両親の影響もあり、留学したいという漠然とした思いはあったものの、具体的な方法が分かりませんでした。留学経験のある方にお話を伺ったり、下手な英語でポスドク応募の手紙を書いたりと、博士号を取得してから結局1年ほどかけて留学先を探しました。博士課程での研究が「海の宝探し」だとすれば、ユタ大学でのテーマは「宝の設計図探し」と言えるかもしれません。海洋生物がもつ物質をつくるための遺伝子情報(設計図)を探し出し、実際にどのような化学反応が使われているのかを明らかにすることが今の仕事です。私が所属する創薬化学科では、米国人はもちろんのこと、世界各国からの学生や研究者が、広いワンフロアのスペースで研究しています。多国籍な環境ですが、不思議とカルチャーショックに苦しむということもなく、のびのびと仕事をしています。これは、博士課程在籍中に国内留学や短期海外留学などを経験させていただき、バックグラウンドの異なる人たちと関わる機会が多かったからではないかと思っています。研究者としてはまだまだ駆け出しですが、若い方の刺激になれるよう、これからも頑張っていきたいです。

ユタ大学構内にて研究室メンバーの皆と

研究室にて学生の実験指導

最後に

振り返ってみて、理工学部での10年間がいかに貴重なものだったかを改めて気付かされました。これから入学を考えている皆さんも、思いもよらない出会いやチャンスがあると思います。手痛い失敗があっても好奇心を曇らせることなく、ぜひ理工学部で充実した楽しい学生生活を送ってください。

プロフィール

森田 真布(もりた まほ)
(神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校 出身)

2010年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業

2012年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程 修了

2015年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程 退学(7月学位授与)

2015年7月
東京大学大学院分子細胞学研究所 博士研究員

2016年2月
米国ユタ大学創薬化学科 博士研究員

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