この度は塾員来往での執筆機会をいただき,ありがとうございます.私は1999年に管理工学科を卒業し,2005年に博士号を取得しました.現在は,国立研究開発法人産業技術総合研究所という国内最大級の研究機関で研究者として働いています.決して優秀な学生ではなく,“研究者としてやっていけるかどうか試したい”という想いだけで選んだ進路ですが,学生の頃の様々な幸運な出会いのおかげで今に至っています.

理工学部を目指す受験生のみなさんに参考になるかどうかわかりませんが,私のこれまでを紹介します.

理工学部への進学動機

受験勉強の時は化学が好きで得意科目だったこともあり,化学系の学科を志望していたのですが,慶應は化学とは全然違って,管理工学科への進学割合の高い「学門2」を受験しました.ちょうどこのコラムを読まれているみなさんと同じように,私も受験時代,将来の姿を色々と考えてこの手の記事を読んでいました.その中で,将来の時代の流れを見据えて進路を選ぶのが良いという旨の記事があり,その響きがかっこよく映っていました.当時,Windowsが普及し始め,パーソナルコンピュータが日常生活に入ってきたタイミングで,これからは情報を扱う技術が必要になってくると予想し,情報系の研究室への進路も含まれている管理工学科を選んだ次第です.

大学時代

大学1,2年は,友人の家に入り浸っていたりして,そもそも講義への出席率も低く,大学の授業をおろそかにするもったいない学生の典型でした.教養課程の授業をおろそかにしていたのは,学問の基礎が無いということで,研究室配属後にとても苦労することになりました.また,学力の無さは,苦労しつつも後から取り戻せるところではありますのでまあいいかと思っていましたが,大学院進学後に色々な奨学金へ応募した際に,学部時代の成績表の悪さで奨学金を取れないことが多々あり,“あの時ちゃんと授業に出ていれば..”と,その時ほど痛感したことはありません.

研究室の選択

理工学部では大学4年から研究室へ所属するため,3年生の秋に研究室を選択します.それまであまり講義に出ていませんでしたが,基礎実験の演習はとても楽しく,中でも人間工学の実験をおもしろいと感じていました.そのため,人間工学の研究室に行きたいと思い,当時の人間工学研究室の中で,自動車の運転場面という身近な題材を扱っていた川嶋研究室(川嶋弘尚教授)を選びました.

実は,年間を通して全コマ出席した講義が一つだけあり,それが川嶋先生の講義で運命的なものを感じていたことと,講義の中で,時系列解析という数学の手法が普段の生活の中でどのように活かされているのかを紹介してくださった一コマがあり,これまで学校で学んだ学問が日常生活でどう役立っているのかをある意味初めて教えていただいたようで,この先生の研究室であれば面白い研究ができそうと感じたためです(ちなみに,その一コマ以外の内容はさっぱりついていけませんでした.先生すみません.).

研究室時代

川嶋研究室は,人間工学だけではなく,交通工学やOR(オペレーションズリサーチ)などのテーマを扱い,様々な企業との共同研究を進めていました.私は,希望通り人間工学のテーマで,富士重工業(現 株式会社SUBARU)との共同研究テーマを選びました.やっていたことは,自動車を運転する際のドライバーの負担を低減するための運転支援システムの評価で,‘細い道での駐車車両の横’のような狭いところを通過する際に,事前にどのような情報を与えると緊張感や負担感を減らせるのかを実験しました.


これからは高齢者が増えるという人口予測のもと,高齢ドライバーを実験協力者として実験をしたり,自動車の運転場面だけでなく,今後普及するかもしれない情報家電を対象としたり,評価においても,人の認知・行動や生理状態という多面的な評価手法を試したりと,密度の濃い経験をさせていただきました.


川嶋先生には,「理論を拝むからだめなんだよ.理論は踏み台にしなさい.」とある打ち合わせで言われたことを今でも覚えています.当時はピンときませんでしたが,最近になってその意味するところが実感できるようになってきました.

研究室の夏合宿で川嶋先生と今でも仲の良い友人二人と.

現在

学位取得後のポジションを得ることは,現在もそうですが当時も狭き門でした.私は,幸運にも,管理工学科のOBで川嶋先生の後輩にあたる赤松幹之首席研究員(当時研究グループ長)に誘われ,また,当時川嶋研究室で専任講師をされていた大門樹教授の後押しもあって,卒業後は産業技術総合研究所でポスドクとして研究する機会を得られました.そして,無事に研究者として採用され,今に至っています.

ここ数年,自動運転技術の実用化に注目が集まっています.自動運転中にドライバーがどのような状態にあるのかなど,自動運転を使って移動する場合でも人を対象とする研究は重要で,所属する研究センターでは,国プロジェクトや多数の企業との共同研究を実施しています.取り組み方は全然違うのですが,扱っている研究テーマは,見た目上,研究室時代から変わっていないといえます.当時学んだ多面的な評価手法や,色々な企業の方と共同研究を進めた経験は,今でも活かされているところです.

国際会議でのポスター発表の一コマ.

娘が生まれた後に遊びに来てくれた友人(上の写真の二人)とその奥さん.

最後に

博士号を持つ研究者というのは,高度な専門性を有する人材といえますが,その一方で,一つの専門にこだわらずに多様な視点の持てる能力が求められています.私はこれまで,何か一つのことにこだわるということはなく,慶應の研究室時代でも対象を様々に広げる取り組みをしてきました.そのような経験が,はからずも現在求められる人材の素質につながっているように思います.

振り返ってみますと,一貫性のない選択をしてきていますが,それで良かったと思っています.これを読まれている方で,進路の選択に迷うことがあるようでしたら,「あまりこだわらずにまずはやってみる」という姿勢で取り組んでみてはいかがでしょうか.

プロフィール

佐藤 稔久(さとう としひさ)
(東海高等学校 出身)

1999年3月
慶應義塾大学理工学部管理工学科 卒業

2001年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科管理工学専攻 修了

2004年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻後期博士課程 単位取得退学

2005年3月
博士(工学)取得(指導教官名:川嶋弘尚 教授)

2004年4月
国立研究開発法人産業技術総合研究所
人間福祉医工学研究部門 特別研究員(ポスドク)

2007年4月
産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門ユビキタスインタラクショングループ 研究員

2010年4月
産業技術総合研究所ヒューマンライフテクノロジー研究部門
ユビキタスインタラクショングループ 研究員

2012年10月
産業技術総合研究所ヒューマンライフテクノロジー研究部門
ユビキタスインタラクショングループ 主任研究員

2015年4月
国立研究開発法人産業技術総合研究所
自動車ヒューマンファクター研究センター行動モデリング研究チーム 研究チーム長

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