理工学部を選択した動機

私の進路選択は、いま考えるととても曖昧なものでした。幼い頃から環境問題に関心があり、その解決に何らかの形で携わりたいと漠然とは思っていたものの、具体的なアプローチ方法がわからなかったので、「とりあえず」理系に進んでおいたほういいかなという気持ちを持っていました。

そのような中、一貫教育校(慶應女子高)で、理工学部を志望する生徒が矢上キャンパスを見学できる機会があり、訪問した研究室の教授や大学生の先輩たちが楽しく研究内容を紹介してくれるのを見て、なんだか研究も楽しそうだという気になって、理工学部に進学することを決めました。

大学時代の思い出

大学に入ってからは、大変申し訳ないことに、またいまも後悔が残りますがあまり真剣に勉強しておらず、ギリギリ進学できたというかんじでした。

私が無事に進学できたのも、ひとえに良き友人たちに恵まれたからといえます。特に化学科に進んでからは、化女(かじょ)(※)にお世話になりました。化女のみんなはとても仲が良く、また騒がしく、一緒にいると笑いが絶えず周囲に迷惑をかける日々でしたが、学業においては頼りになる人ばかりで、試験前になると化女で集まって矢上の新棟の部屋に入り込んで勉強会をやり、お陰様で無事に試験を乗り切ることができました。そして大人気だった立ち上げ2年目の栄長研究室にも入ることができました。

(※化女・・・化学科の女子の略称で、当時自分たちのことをこのように呼んでました(笑)。)

化学科女子のメンバー

では勉強をそっちのけで何をやっていたのか。当時私はサークル活動に熱心に取り組んでいました。

現在では大変大きな組織になっています「E.C.O.」という環境サークルに所属していましたが、当時はまだ30名程度しかいなかったと思います。試験期間に大量に出る古紙(過去問など)の回収や、三田祭でのチャリティーバザーやゴミ分別・リサイクル活動をしていました。あとは大体自由気ままに、気が向いた時に川沿いをゴミ拾いしたり、他大学の環境サークルと交流したりしていました。また、今でも続いているということで驚いておりますが、矢上祭の立ち上げにも関わったりしておりました。

このE.C.O.で様々な学部の仲間と過ごすことで、環境問題を社会・経済・倫理など色々な側面で見る経験を得たことは、職業を選ぶ際の大きな要素になったと思います。

また、研究室では、学部で卒業しましたのでたった1年間という短い研究室生活でしたが、いつも好奇心に満ちてワクワクしている栄長先生を筆頭に、楽しい先輩・楽しい同期に恵まれ、濃密なかけがえのない時を過ごすことができ、振り替えると楽しかった日々がいまも思い出されます。

現在の仕事について

一刻も早く社会人になって社会に貢献したいという思いが強かったため、私は大学院へは行かずすぐに就職する道を選びました。私が勤めるNEDOという組織は「エネルギー・地球環境問題の解決」と「産業技術の国際競争力の強化」をミッションとし、それらを遂行するために必要な技術開発プロジェクトを立ち上げ、推進し、成果を世に発信するということ等を行っている政策実施機関です。これまでに、「愛・地球博」でのNEDOパビリオンの企画業務、電子・情報技術分野のロードマップ作成業務、各種の国際会議・展示会の企画・運営業務、省エネルギー技術の国際実証事業など様々な仕事に携わってきました。そして現在は人事部にて人材育成を担当し、職員がプロジェクトをマネジメントしていける人材となるための育成プログラムを考えたり、新人教育を行ったりと、これまでとはまた異なる仕事をさせていただいております。どの仕事もやりがいがあり、若いうちから色々な経験ができることが有り難いです。

社会人1年目の出張で

2014年4月の新人研修の引率時

皆さんへのメッセージ

NEDOに入り、「日本」ということをよく考えるようになりました。日本は、資源が少なく、災害が多く、また世界に先駆けて少子高齢化を迎える等、多くの試練を抱えた国です。だからこそ日本は、世界の問題解決のフロントに立つ使命があると感じています。いま皆さんがおられる理工学部で真剣に研究・勉強することは、必ず日本・世界の問題解決につながっていくと思います。その意味で、私はもっと真剣に勉強しておけば良かったと思っていますので、学生の皆さんには、皆さんの「使命」について日々問いかけながら、勉強・研究に打ち込み、また様々なことに挑戦していただきたいと思います。

プロフィール

藤崎 栄(ふじさき さかえ)
(慶應義塾女子高等学校 出身)

2003年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業

2003年4月
独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO) 入構

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