関根・西野研究室で叩き込まれた『学ぶことの本質』

日本経済が高度成長を経て成熟期の入口へと差し掛かる時期に、慶應義塾大学管理工学科の学生として青春時代を過ごしたぼくは、あらゆる権威を疑い、先ず、体当たりしてぶつかり、それから考える『身体的思考』を大切に考えて居たように思う。キャンパスはストライキに次ぐストライキで落ち着いて学ぶ環境にはなく、ぼくは街頭に出て、痛い思いや怖い思いもしつつ、自分が変わることで世界を変えることを夢想した。

講義にはあまり出席しない不良学生であったが、関根先生の数理計画法と西野先生の数理経済学だけは、内容の面白さに魅かれて皆勤し、4年生に進級したときには、迷うことなく関根・西野研究室の扉を叩いた。最初に出された問題は、『内積関数の連続性を証明せよ』であった。教科書を見れば解答は探せるのだとは思ったが、論理的思考を積み上げる能力を試されているのだと理解し、何も見ずに、3日間を掛けて自力で証明を終えた。その後の輪講においても、前向きの議論には積極的に参加するが、後向きの内容は自分で浚って来い、と言う両先生の原則は一貫して居り、『教えないこと』により『学ぶことを知らしめる』指導法に驚き、また励まされた。

最初の夏合宿へ向けての発表準備は、現在までの全体験を通して見ても、最も苦しい知的格闘であった。6月に入ってから、ブラウワーの不動点を求めるスカーフのアルゴリズムを理解して発表せよと申し付けられ、アロウの名著『一般均衡論』の付録を手渡されたぼくは、パラパラ眺めて真蒼になった。アロウ先生の記法は輪講で経験した論文とは全く異なっており、内容が関連しているとはとても思えなかった。何しろ、内点の英訳が interior point であることさえ知らず、何でこの数学的内容が室内デザインに関連しているのだろうと思ったくらい、素朴に出来が悪かった。

夏合宿まで2カ月弱しかないから、どうしようかと思い悩み、そもそも不動点なるものを少しも理解していない事実に思い当たり、思い切って遠回りをする決心を固めた。先ず、不動点に関する文献を漁り、縮小写像に関する不動点定理の証明をクリアする。ここから、ブラウワーの不動点定理になると何故、急に難しくなるのか。絵解きだ、絵解きだ、と自らに言い聞かせつつ、円形の同じ地図を任意に回転させて2枚重ねると上下で同じ場所に来る地点が必ず一つは存在する、と言うイメージを浮かべるが、何故、そうなるのかは皆目分からない。スカーフの計算法をひとまず横に置き、存在定理の証明を理解しようと思い立ち、図書館で文献を漁ると、エコノメトリカに出版されたドブリューの論文を見つけた。非負行列のスペクトル解析でペロン・フロベニウスの定理を拡張することがテーマの論文であったが、応用としてブラウワーの不動点定理の証明を与えている。これを、分かった気分になるまで読み抜き、かなり気持ちが楽になった。既に1ヶ月を遣ってしまっていたが、後は一瀉千里。夏合宿へ出発する3日前に、ノートを完成させた。

八王子で行われた夏合宿でのぼくの発表は、午前9時に始まった。昼食休憩、夕食休憩を挟んで、延々と続き、かつてのように質問に返答できず沈黙のまま立ち往生する場面は皆無。ぼくは、生き生きと黒板の前を歩き回り、話すこと止まるを知らず、これだけ苦労したのだから嫌でも聞いて戴くと言う闘志を前面に押し出した。午前2時を回って、漸く話の終わりが見えて来た頃、流石の関根先生も、『住田、もういいや。残りは、こうこうこう言うことなんだろ。もう、疲れた。』すると、西野先生も、『そうだね。そろそろ、お終りにしよう。』ぼくが、心の中で、ヤッターと叫んだことは言うまでもない。

関根先生、西野先生の研究室

この経験が、その後のぼくの知的創造活動のエネルギーの源となった。理解が遅いこと、能力的に劣って居ることは、そんなに悪いことではなく、正直に自分と向き合って地道に努力を積み重ねて行くと、天才的な人々とはまた異なる回路を経て、自分に固有の知的創造を達成することが可能であることを実感できた。例えば、天才的な両先生は、美しいものにしか興味を示さず、自分の美意識に適わないものは平気で捨ててしまう。ぼくは、平凡な内容の論文であっても、出版に値する水準までは改良を加え、必ず出版する。そうした蓄積を通して、既存研究に対して飛躍した内容を持つ論文をものにすることを目指した。また、せっかく街頭で過ごした時間が両先生より多いのだから、その経験を活かし、社会システムや経営の現実に体当たりして研究課題を掘り出して来る努力も続けて居る。

関根先生が御逝去され、西野先生が一線を退かれた今でも、ぼくは、常に関根・西野先生と自分の中で対話しながら、知的創造活動を行っている。そして、『生涯・知的創造』を貫き通したいと決心している。

講義中の様子

プロフィール

住田 潮(すみた うしお)
(東京都立明正高等学校 出身)

1973年3月
慶應義塾大学工学部管理工学科 卒業

1974年9月
米国ゼロックス社入社 システム・アナリスト

1979年6月
米国ロチェスター大学経営大学院修士課程 修了

1980年9月
マサチューセッツ工科大学 客員研究員

1981年6月
ロチェスター大学博士課程 修了
シラキュース大学工学部 助教授

1982年7月
ロチェスター大学経営大学院 助教授

1987年4月
ロチェスター大学経営大学院 准教授

1991年7月
国際大学大学院国際経営学研究科 教授
ロチェスター大学経営大学院 客員教授
ニューヨーク大学経営大学院 客員教授

1995年7月
国際大学大学院国際経営学研究科 研究科長・教授

2001年7月
筑波大学大学院システム情報工学研究科 教授(現職)

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