海上でのプラットフォーム試運転にて

卒業から早5年、現在私はタイにある関連子会社に出向しております。将来は海外で働いてみたいという漠然とした願望は高校生の頃からありましたが、当時はこんなにも早く海外で仕事をすることになるとは思ってもいませんでした。全ては学生時代、化学工学の学問と出会ったのが事の始まりです。

高校時代

私は中学・高校とアメリカのカルフォルニア州で過ごしました。父親の転勤です。約7年英語漬けの環境に置かれたこともあり、高校時には一切英語への抵抗感はなくなっていました。そんな中、高校最後の年、いよいよ進路を決める時期に差し掛かりました。

最初はアメリカでの大学進学も考えました。しかしある時、現地の友人と進路の話をした際、こんなことを言われたのです。“大学どうするの?日本には帰らないの?日本はいいよね。アニメは面白いし、食べ物は美味しいし、車はクールだし・・・”その時、なぜか自分が日本人であることに無性に嬉しくなったのを今でも覚えています。それから自分で考えた上で決意し、日本の大学に進学することを決めました。またいつか、別の形で日本人として海外の舞台へ出て行くために。

高校時代の友人と10年ぶりの再会

大学時代

大学では学門3を受験しました。理由は将来、モノづくりを手掛ける仕事がしたいと思い、モノづくり=化学という意識が強かったからです。そのため、授業では材料や合成に関する授業を積極的に受講していました。ところが大学3年時、まったく異なった分野の授業に興味を持ちました。これが化学工学との出会いです。

化学工学は応用化学の中でも比較的工学よりで、今まで受講してきた化学の授業とでは異質の学問に感じました。物質の創製を考えるのではなく、物質ができるまでの過程・効率を科学する。そしてその物質を作り出すのに必要な単位操作(装置)を考え、その1つ1つの装置の設計を行う。その壮大な学問の幅にドンドン引き込まれていきました。研究室選びでは反応工学(化学工学系)研究室を見学しに行き、研究室の寺坂先生・所属していた先輩方の雰囲気も含めて迷いなく希望を出しました。

反応工学(寺坂)研究室(奥左側から3番目が私)

研究室時代

研究室での日々は私にとってかけがえのないものでした。研究では自作で装置を開発し、その装置を使って実際に市場ニーズがある研究課題に取り組みました。この自作装置は言葉を置き換えるとスケールの小さいプラントそのものです。この時から私のプラントエンジニアリング人生がスタートしたのです。研究室の諸先輩方もプラントエンジニアリングの舞台に羽ばたいていく人が多く、研究室在籍中・就職活動中もたくさんの熱い話を聞くことができました。木が生い茂る現場を切り開いてキャンプ地を作り、現地に張り付いて何もない場所に大きなプラントを建設する。そして性能試験を得て生産を開始した時、それまでの苦労が報われ安堵感から涙する。そのような話を聞くたび、将来はこのような仕事がしたいと強く思いました。研究以外にも先輩・後輩含めて旅行に出掛けたり、研究室のメンバーとバンドを組んで矢上祭で演奏したり、研究の合間を縫って ソフトボールの練習をしたり、などなど。ここでは書ききれないほどの思い出があります。楽しい研究室での生活を経て、国内・海外でプラントエンジニアリングを手掛ける現在の会社に内定を得ることができました。

研究室時代の同期と(左側から4番目が私)

矢上祭でのステージ。
寺坂研バンドで出演(真ん中のドラムスが私)

そして社会人

会社に勤めて3年目の春、突然の辞令でタイの関連子会社に出向しました。現在も出向先の会社で仕事をしています。当社は海洋の天然ガスや原油を採掘するプラント(海洋プラットフォーム)の設計から試運転までを請け負うコントラクターで、顧客は国営・民営のガス・オイル会社になります。今は設計部に所属しているのですが、設計だけでも総勢300人。国籍はタイ・インド・フィリピン・インドネシア・ミャンマー人と多種多様のエンジニアを抱えています。そこで数少ない日本人としてプラントの設計はもちろん、海洋の現場にも試運転対応で張り付く事もあります。以前はミャンマー沖のアンダマン海に納めたプラントの試運転で延べ約5か月間、船上で生活をしていました。学生時代、漠然と考えていた“将来は海外で活躍する仕事に携わりたい”という思いが現実になった瞬間でした

TNS設計部プロセス設計室のメンバーと
(奥左側から2番目が私)

最後に

学生のみなさんはいろんな思いを持って大学に入学されることと思います。漠然としているかもしれませんが、皆一緒です。何がきっかけとなるかはわかりませんが、大学でいろんな人に会い、いろんな経験をする中でそのうち自分のやりたい事、進むべき道が見えてくるかと思います。私はとても楽しい学生生活を送りました。またその中でやりたい事も見つかり、そして念願の海外の舞台でエンジニアとして働いています。

大学は楽しみながらやりたい事を見つける場だと思っています。大学を卒業すると、もう学生生活には戻れません。嫌でも社会人になります。ですので、大学での時間を有意義なものにしてほしいと思っています。私は慶應義塾大学に入学して本当に良かったと思っています。

プロフィール

尾崎 裕太(おざき ゆうた)
(米国カルフォルニア州エスペランザ高校 出身)

2007年3月
慶應義塾大学理工学部応用化学科 卒業

2009年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻修士課程 修了

2009年4月
新日鉄エンジニアリング株式会社 (現:新日鉄住金エンジニアリング株式会社) 入社

現在
Thai Nippon Steel & Sumikin Engineering & Construction Corp. Ltd. (TNS) 勤務

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