この度は「塾員来往」へ寄稿する機会を頂き、どうもありがとうございます。卒業してから丸15年が経ちました。古い記憶を掘り起こしながら学生時代について、そして現在の私の仕事について書きました。一卒業生の実例として、皆さんが自分の将来を思い描く際のいくらかの参考にでもなれば幸いです。

理工学部を選択した動機

小学生の頃は、パズルを解く面白さと感覚が似ている算数、それから、音がでたり化学変化を起こす科学雑誌の付録で遊ぶのが好きで、子どもながらに将来は理科系に進むものと思っていました。中学生の頃からは「飛ぶ原理」に興味を持つようになり、流体力学を学んでみたいと思い、理工学部のIV系(機械工学)に進むことにしました(編集注:当時は学門ではなく系への入学でした)。

大学時代の思い出

~教養課程~

大学1年時のクラスは必修諸外国語別で、私はロシア語クラスでした。数学、語学などの必修科目はクラス単位で履修していました。22人という小さなクラスだったため、代返などという手段は使えるわけもなく、皆真面目に授業に出席していたためか、成績優秀な生徒が多かったようで、担任だった金田一先生にはクラス解散時に「君たちのクラスを「秀才クラス」と命名します。だけど、いわゆる「勉強」以外にも学ぶべきことはたくさんあります。もっと視野を広く持っていろんな経験をしていって下さい」と言われたことを覚えています。

私は4年で大学を卒業し、大学院へ進学せずそのまま社会人になってしまいましたが、今振り返れば、もう少し寄り道をしてから社会人になっても良かったかなと思います。
ところで、イクラがロシア語であるのを知っていますか?「魚の卵」という意味です。黒いイクラはキャビアのことです。

ロシア語授業最終日

~研究室~

流体力学を専門とする益田・小尾研究室に所属していました。水槽内に物体を置き、微粒子を流して物体の周りの流れを可視化し、画像解析より流速と圧力分布を測る手法の研究をしました。大学4年時の1年間しか在籍しなかったせいもあり、あまり深い研究はできませんでしたが、ものごとの考え方や事象の整理のしかたを学べたように思います。

研究室の同期と卒業式の日に研究室の前で

実験水槽

~学外生活~

ワークキャンプの仲間と

夏休み中心ですが、海外へ行ったり、日本で海外からの学生の受け入れのお手伝いをしたりと、国際交流に取り組んでいました。大学3年生の夏は国際ワークキャンプに参加し、ドイツ、フランス、ガーナ、チェコからの学生とともに、ニューヨーク郊外にある歴史ある公園に住み込み、草刈りや椅子のペンキ塗りなどの作業をしました。国際共同生活により、英語は下手でも構わないからきちんと自分の考えを伝えることの大切さ、国や人によってものの考えは異なりそれを踏まえて協力することの大切さを学びました。

現在の仕事

就職活動時の希望は「みんなで一つの大きなモノを作る仕事がしたい」というもので、発電設備を製造している富士電機㈱に入社しました。99年の入社以来一貫して、自社の蒸気タービン・発電機を中心に発電設備を納入するプロジェクトのとりまとめをしています。15年も同じ仕事をしていますが、向け先地(国)、お客さま、自分のプロジェクト内での役割など、二つとして同じことはなく、飽きることはありません。

2006年からは地熱発電所向けの仕事をしており、発電所全体の基本設計も手掛けています。常に競争がありますから、効率・性能を追求しながらもより低価格でお客さまへ提案し受注していくことの難しさ、お客さまやパートナー会社、発注先、社内と大勢の人と関わりながら、決められた時間と予算の中で発電所運転開始の日を迎えることの難しさに日々直面しています。苦労も多いですが、就職時の希望がそのまま叶った毎日を過ごしている幸せ者でもあると思います。

ナ・アワ・プルア地熱発電所(ニュージーランド)

最後に

大学時代は心や頭の基礎体力を鍛えるのに良い時期だと思います。面白い授業もたくさんあります。それから長期休暇もあるし、アルバイトをすればまとまった額のお金も手にすることができます。心のアンテナを高くしていろいろなことに興味をもって行動範囲を広げてみて下さい。残念ながら年をとると記憶力は落ちるし、頭は固くなりがちです。大学時代の一見無駄と思える経験があとで生きてくると私は思います。

プロフィール

武藤 寿枝(むとう としえ)
(慶應義塾女子高等学校 出身)

1999年3月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 卒業

1999年4月
富士電機株式会社 入社

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