私にとっての慶應義塾での6年間は、化学と研究の面白さを教えて頂き、また良き師、良き友と出会えたかけがえのない時代でした。また、モラトリアムしながら自分の進路を見つけた時代でもありました。

推薦入学での入学と転系試験

親父が塾員であり、愛塾心がとても強い親父ですので、塾に対して親近感がありました。当時私は、化学と数学が好きな理科系志望の普通の受験生であり、将来 は、技術者になりたいと漠然と思っていましたが、具体的に何がしたいとは明確に持てていませんでした。その様な中で当時、成長分野としてIT分野が取り沙汰されていたことなどから、Ⅱ系※(数理・管理工学系)を選択しました。

入学してみて、状況は一変。パターンの訓練で問題が解ける受験勉強と異なり、教養課程の数学系の講義に出てみて、全く歯が立たない、自分のセンスのなさ に驚きました。一方、竜田邦明先生の有機化学、一般教養科目の磯野直秀先生(本塾名誉教授)の生物学はとても興味深く引き込まれるように聴講させて頂きま した。この『勉強』から『学問』に変態する環境変化に身を曝すことで、やっと自分のやりたい方向性が見えました。

81年は、系列別入学の一年目だったと思います。その年は、2年生への進級前に希望者に転系の試験をやって頂ける、ということでチャンスが生まれまし た。推薦入学で入試を免除して頂いていていた私でしたが、転系試験は必死でした。無事、Ⅲ系(化学系)への転系を許可して頂けましたが、このチャンスがな ければ、自分の人生はどう変わっていたのだろうかと思うとゾッとします。
※編集注:当時は学門ではなく系への入学でした。

専門課程は化学科を選択

大学3年の時の関西への企業・研究所見学旅行。右後方のキラリと光った眼鏡の方は茅幸二先生です。

化学科は新設されたばかりで、我々が1期生でした。先生方は、みなさん燃えていらっしゃり、とても迫力がありました。同期は58名。どの講義も座席は前から詰まって行き、活気に溢れていました。初めての学生となった我々は先生方との距離がとても近く、密度濃くご指導頂けたのが、(大変でしたが!)本当に幸運でした。

山村研(天然物化学研究室)

山村庄亮先生(本塾名誉教授)は一生の恩師です。天然物化学を純粋に愛され、情熱的で、研究指導は厳しく、お人柄は温かく優しい先生です。私はお世辞にも実験が上手とは言えませんでしたが、天然物化学の研究は面白く、没頭しました。何度研究室に寝泊りしたでしょうか。教授室にソファーベットを2台買って頂きました。泊まれるのは定員2名。東横線の終電が近づく頃、同期連中の実験の進捗を見ながら、ベットを取り合いました。

山村先生は、我々に『墓石に名を刻むより、図書館に名を刻め。』と言われていました。天然物化学で新しい知見を見出し、論文化して貢献しようという意味です。

繁森君(筑波大)、戸嶋君(茨城大)、中村建君(奈良先端大)などの山村研同期や隣の土橋研(反応有機化学)の松本君(東京薬大)、大熊君(北大)、守田君(新日石)、岩田研(理論化学)の橋本君(首都大学東京)、武藤君(ソニー)達とは、主に夜中によく喋りました。互いの実験の合間に青春談義に花を咲かせました。もちろんくだけた話が大半ですが、皆化学に対しては真面目でした。大学に残ったメンバーが多く、今では多くが教授や准教授などのポストに就きアカデミックの世界で活躍されています。

山村研の研究会で。山村先生、志津里先生、西山先生と同期の仲間。みなさん若い!

修論のテーマは、当時謎に包まれていたワモンゴキブリの性フェロモンの真の構造を解き明かすことでした。実験は下手でしたが、直接ご指導頂いた志津里芳一先生から愛情溢れる(!)叱咤激励を頂きながら何とか実験量でカバーしました。謎解きはサイエンスの醍醐味です。2年間かけて狙った化合物が合成出来た時は達成感がありました。しかし高揚しながら昆虫に供したところ、真の構造ではなくゴキブリに無視されガッカリしたのも思い出です。結局、時間切れで完全な謎解きまでには到りませんでしたが、頂いたテーマに恵まれ、研究室時代の3年間で4報の論文になりました。修論を書き上げた2月以降も毎日研究室に通い、最後の1報は修論後の2ヶ月間で出した結果です。私は3月31日まで研究室におり、先生方や後輩達に送られ、翌日から花王の入社式に行きました。

進路

「化学を追求したい。」そんな活力のある同期達に刺激を受けながら、自分は、何をすれば充実できるのだろうかと、考え悩みました。いよいよ進路を定めないといけない修士2年生の頃、花王の『サニーナ』という商品に出会いました。用を足した後、油性の洗浄剤であるサニーナをスプレーしたトイレットペーパーを用いると、汚れを残さず皮膚にも優しい、という商品です。太古の昔から、紆余曲折を経て、ヒトは用を足した後、紙で拭くようになった。しかし、紙で拭いても汚れは落ち切れていない。『液体を含漬させた紙で拭く』ということは、生活習慣を高めた画期的なことではないか、と思いました。かつて紙で拭き始めた人の名前などは残っていないでしょう。しかし、その価値は後世に残せる。価値を創ることで、誰かにありがとうと言ってもらえる商品開発がしたい、と思うようになりました。サニーナの目指した新習慣は、その後、温水洗浄便座の普及によって定着しませんでしたが、私の人生に契機を与えてくれる商品になりました。(温水洗浄便座は凄い商品です。)

花王での商品開発研究

モノづくりがしたくて花王に入りました。花王では、衣料用洗剤などのハウスホールド分野の商品開発研究所に配属され今日に到っています。入社して6年間は住居用洗浄剤の開発を担当しました。洗浄力が高く、洗浄時の豊かな泡立ちとすすぎ時の素早い破泡性を両立させるようにバスマジックリンを改良しました。水道水に含有されるCa2+などの硬度成分をスイッチングに活用し、すすぎ時に高級脂肪酸塩をスカム化させることで高速すすぎを実現したものです。その後、この商品は広くお客様に支持して頂けることになり、日本のおふろ洗浄のスタンダード的な洗浄剤になることが出来ました。

93年から16年間衣料用洗剤の開発をします。アタック(87年)に比べ、更に3/5まで小型化した超コンパクト洗剤ザブを96年に開発。この仕事は技術的には頑張った積りですが、生活者ニーズを見誤り大失敗します。
 
01年には砂糖や食塩のように素早く溶解することを目指したアタックマイクロ粒子を開発。この仕事は、帰省のときに母が衣料用粉末洗剤をお湯で予め溶かしてから洗濯機に入れている光景をヒントに取り組んだものです。研究において信頼できるパートナーは財産です。共同研究者である先輩が共鳴してくれ、先輩達の製造プロセス開発部隊と私達の配合成分設計部隊が一体となって高速溶解性を達成しました。当初2~3名で始めたテーマでしたが延べ50名程度の研究員が参画する大プロジェクトに発展しました。約5年間、その中心で仕事が出来たことは、苦しかったですが遣り甲斐がありました。発売後、お客様から高いご支持を頂くことが出来、また大変光栄なことに、本塾同窓会から研究教育奨励基金(03年)による表彰をして頂くことも出来ました。

03年からアジアの衣料用洗剤の開発を担当します。アセアン地域では、手洗い洗濯の習慣が主流ですが、洗濯機用洗剤に注力して来た花王にとって崩せぬ牙城でした。現地の洗濯習慣が全く分からないため、プロジェクトメンバーと共に数ヶ月間住み込み、実際に洗濯をされている様子や生活・気候・汚れ・意識などを徹底的に知ることから始めました。体当たりです。現地のお母さんにとって、手洗い洗濯がかなりの重労働であることを体感し、少しでも楽(ラク・たのしく)させて差し上げたいというコンセプトに行き着きました。手揉み洗いを滑らかにする水和潤滑基剤を開発し、タイとインドネシアで、アタックイージーという商品を発売しました。この洗剤は、五感で分かり易く、今日では花王のアジア事業の看板商品のひとつに育ってくれています。

そして08年からプロフェッショナル向け(業務用)の洗浄剤の開発を担当しています。

バンコク郊外で。 現地のお母さんに手洗い洗濯を教えてもらっている様子。

最後に

山村先生からは『図書館に名を刻め』と教えられていました。しかし私は、先生の教えとは違い、生活者に使って頂くモノづくりの道を選びました。教えて頂いた天然物化学を直接活かすことは出来ていませんが、熱心に鍛えて頂いたお陰で、研究の進め方や楽しさ、化学的視点などは私のバックボーンとしてモノづくりに活きています。卒業後23年間が経った今でも、毎年元日には先生宅にお邪魔させて頂いています。不肖の弟子に対しても、とても気を掛けてくださっていまして、一年間の報告をしながらとても楽しい時間を共有させて頂いています。

今春(2010年3月)、先生は天然物化学で顕著な研究業績に贈られるナカニシプライズ(日・米化学会)を受賞されることが決まりました! 今週(編集注:執筆は2010年3月)の授賞式で、久しぶりに先生のご講演を拝聴できることが今とても楽しみです。

山村先生宅にて。白血病で早く逝ってしまった後輩の鈴木孝之君(元 味の素)と共に。

09年11月の全慶早戦(甲子園)に山村研の仲間と共に。慶應義塾には気持ちを通わせる歌があります。
大切な故郷です。

プロフィール

山口 修(やまぐち しゅう)
(神奈川県立横須賀高等学校 出身)

1985年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業

1987年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程 修了

1987年4月
花王株式会社 入社 栃木第二研究所配属(栃木)
(住居用洗浄剤研究開発担当)

1993年2月
ハウスホールド研究所第一研究室(和歌山へ転勤)
(衣料用洗剤研究開発担当)

2003年6月
慶應義塾大学理工学部同窓会研究・教育奨励基金による表彰

2005年10月
ハウスホールド研究所第一研究室 室長

2008年4月
ハウスホールド研究所第四研究室 室長
(業務用洗浄剤研究開発担当)

現在に至る

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