この度は、本欄への執筆の機会を頂き、関係各位の方々に深謝いたします。
私は、1985年4月、岡山県の田舎から上京し、慶應義塾大学理工学部III系(当時)へ入学した後、学科は少人数制(40人/学年)の化学科(5期生)を選択しました。化学科を選択した理由は、講義や学生実験を通じて化学科を設立されて間もない諸先生方の熱い情熱と意欲を肌で感じていたからと記憶しています。
卒業研究から修士課程までは、酵素有機化学研究室(太田博道先生、須貝威先生)でお世話になり、研究者としての“イ・ロ・ハ”を教わりました。その頃、漠然と化学を基盤とした“バイオ系”の研究者になりたいと考えていました。当時、新しい化学反応を司る酵素や微生物を必死にスクリーニングし、ほとんどが失敗の連続でしたが、良い結果が得られた時の感動も何回か味わうことができ、研究者の道を志したような気がします。
博士課程では、新設の理工学研究科生体医工学専攻の生物化学教室(梅澤一夫先生、井本正哉先生)でお世話になり、化学科で鍛えた情熱と根性を柱として、天然物化学の醍醐味を教わりました。博士号(工学)取得後は、理化学研究所抗生物質研究室(長田裕之主任研究員)でお世話になり、“天然物化学を基盤としたケミカルバイオロジー研究”に従事して参りました。直属の長、すなわち(独)理化学研究所中央研究所・所長として、茅幸二先生(元・化学科教授)が着任された際には、不思議な巡り合わせを感じました。
化学科3年時の研究所・工場見学旅行時における集合写真(1988年2月, 愛知, 於:分子科学研究所、あるいは基礎生物学研究所)。山村庄亮先生(慶應義塾大学名誉教授)、茅幸二先生(現・(独)理化学研究所
慶應義塾大学理工学部同窓会研究・教育奨励基金による表彰式時の記念写真。
理工学部入学後、人生の半分以上を関東で過ごしてきた私にとって、昨年、大きな転機が訪れ、現在、京都大学大学院薬学研究科で教育・研究に従事する機会を頂きました。現在の研究室の主な研究課題は、1) 多因子疾患(癌、神経変性疾患、免疫疾患、糖尿病、心疾患等)に対する次世代化学療法の開発を指向したケミカルバイオロジー研究、2) 創薬リード化合物の開拓を指向した新規生理活性小分子の天然物化学・天然物薬学、3) ケモインフォマティクス、バイオインフォマティクスを活用したシステムケモセラピー研究、4) 有用物質生産・創薬のための遺伝子工学的研究(コンビナトリアル生合成研究)、5) 先端的ケミカルバイオロジー研究促進のための革新的プラットフォームの構築、等々です。全くの偶然なのですが、昨年、母校・慶應義塾大学と京都大学との間で「連携協力に関する基本協定」が結ばれ、またまた不思議な巡り合わせを感じました。
第4回ケミカルバイオロジーシンポジウム—化学-生物融合領域の軌跡—
母校・慶應義塾大学を起点とした様々な巡り合せに感謝しながら、今後も新しい“サイエンス”と“くすり”の創出を目指し、オリジナリティーの高い研究を展開し、化学、生物学、薬学、生命情報学等の学際領域における優れた人材を社会へ輩出するために、教育・研究に全力を注いでいきたいと考えています。
掛谷 秀昭(かけや ひであき)
(岡山県立井原高等学校 出身)
1989年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業
1991年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程 修了
1994年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科生体医工学専攻後期博士課程 修了、博士(工学)号取得
1994年4月
理化学研究所抗生物質研究室 研究員
1995年10月
カリフォルニア大学・デービス校(U. C. Davis, 米国) 客員研究員(~1995年12月)
1998年10月
マサチューセッツ工科大学(M. I. T., 米国)
客員研究員(~2000年3月)
2003年4月
理化学研究所ケミカルバイオロジー研究推進グループ
分子探索研究チーム チームリーダー(併任)
2003年8月
理化学研究所抗生物質研究室 副主任研究員
2004年4月
京都大学大学院薬学研究科医薬創成情報科学専攻
システムケモセラピー・制御分子学分野 教授
独立行政法人理化学研究所 客員研究員
現在に至る