私は指定校推薦でⅢ系(化学系)に入学しました(編集注:当時は学門ではなく系への入学でした)。「福翁自伝」で福澤先生が川を上ったり下ったりしながら化学実験をしたくだりを読み、理工学部は慶應義塾にとって新しい学部でしたが、きっと楽しい大学生活が待っているだろうと胸を膨らませて上京しました。

受験勉強をしていないので、最初は授業についていけるかドキドキでした。ところが、1年生のクラスは語学の選択で編成され、塾高出身のH君が学級委員長になってクラスをまとめてくれたので、コンパはもちろん、過去問の収集、宿題をしていないときの座席の並び順まで工夫して何とか落ちこぼれずについていけました。1年生は理工学部の全学部の学生が一緒だったので個性豊かなクラスメイトに恵まれ、今でも年に2回ほど集まって近況報告して、いい刺激を受けています。以下は卒業後にクラスの女の子3人で、宇宙開発事業団(当時)でロケットの打ち上げをしている同級生を訪ねて種子島宇宙センターに見学にいったときの写真です。

<留学>

語学の必修授業があるのは1,2年生だけ。3年生になって矢上キャンパスに移ると意外と短期留学生が多くて、彼らとコミュニケーションをとろうとすると英語でもしゃべらないと通じません。そこで三田キャンパスの外国語学校に入学して週に2回アメリカ人とアイルランド人の先生が教えるクラスに通うようにしました。矢上にもインテンシブクラスがあるので、わざわざ三田に行かなくてもいいのですが、せっかく慶應義塾に入学したのだから、 幻の門 の雰囲気を味わうこともお薦めです。

修士1年生のとき、仏ECN交換留学プログラムに参加して、約6週間ホームステイしながら、ナント大学で研究実習しました。研究は英語で、家に帰ると仏語で話す毎日でした。研究の内容はさることながら、異文化や生活を体験することに重点がおかれていたこのプログラムでは、ブルジョアの住居を自宅に改装した教授宅で印刷技術や数学の歴史を学ぶなど、フランスの教養に触れることができ、とても感動しました。ECN(Ecole Centrale de Nantes)との交換留学は現在では ダブルディグリー制度 へと発展しています。

交換留学先の仏ECNにて

研究実習中の1コマ

<研究室と就職>

4年生になると化学工学研究室に入りました。企業との共同研究で水酸化ニッケルの昌析が研究テーマでした。研究の進捗を報告する発表会が毎月あり、教授によく指導していただきました。また研究と授業の合間に矢上のグランドでソフトボールをしたりサッカーをしたりしたので、先輩・後輩のつながりが出来た時期です。就職に関しても専門分野が生かされる会社に就職していく先輩の話を間近に聞け、夏合宿で企業の研修所に宿泊させてもらったり、会社見学させていただけたりして、だんだん具体的に社会人生活がイメージできるようになりました。

柘植研究室の夏合宿にて

「工場をつくる」仕事がしたいと思い、千代田化工建設(株)に就職しました。石油プラントが中心だった当時、新規分野である医薬品工場を設計する部に配属を希望して、6年間で4プロジェクトに参加。概念設計・設計・調達・施工・試運転・バリデーション・引渡しまで担当させていただきました。

千代田化工建設での記念写真

<趣味>

大学時代に始めたクラシック・バレエを今も続けています。日吉のバレエ・スタジオに週に2~3日通って、2年に一度の発表会を目標にレッスンに励んでいます。よき指導者に出会えたことが続けられる理由です。どんなに仕事が忙しくても、心身の健康のためにバレエはやめられません。

2007年アンサンブル・バレエ・クラシック発表会。「くるみ割り人形」よりアラビア(中央の赤い衣装が深谷さんです)

理工学部のカリキュラムは必修や実験が多く、文系のように自由な時間は多くありませんが、仲間と一緒に過ごす時間が長い分、一生の友達に恵まれます。専門分野ばかりでなく、自らの興味の赴くままに教養や語学も学んで、充実した塾生生活を送ってください。

プロフィール

深谷 幹子(ふかたに みきこ)
(名古屋市立菊里高等学校 出身)

1993年
慶應義塾大学理工学部応用化学科 卒業

1995年
慶応義塾大学大学院理工学研究科応用化学専攻修士課程 修了

同年
千代田化工建設株式会社 入社

2001年
三菱レイヨン株式会社 入社

2005年
エムアールシー・ホームプロダクツ株式会社へ異動

現在
同社メディカル事業部設計部 所属

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