高校時代までは数学が得意だったのに、大学に入って苦手になった。よく聞く話です。理科系の人だったら程度の差こそあれ誰もが経験することだと思います。同じ数学でも、高校までの直感的な取り扱いから厳密な議論をするための道具立てにすんなり馴染めない、あるいは抽象化のために必要な公理論的なアプローチへの頭の切り替えに時間がかかるためだろうと思います。今は冷静にそんなことをいえますが、大学1年で私もしっかり落ちこぼれました。ただ、幸い数学を嫌いにはなりませんでした。落ちこぼれた分もすこしずつ取り戻して、3年生になるときは入学時の希望通り迷わず数理工学科(現、数理科学科)を選択しました。

数理工学科は創設が1974年で1976年3月に最初の卒業生を出しています。私が3年になったのは1979年です。まだ第6期生ということで、学科創設に携わった先生方がたくさんいらっしゃいました。フーリエ解析で有名な河田龍夫先生(1911-1996)もそのお一人です。先生は戦時中の一時期、第一生命でアクチュアリーをされていたと伺っています。そんなこともあってか、当時既に保険数学の授業が選択できました。最近でこそ多くの大学で保険数学の講義を受講できるようになりましたが、当時は随分珍しかったと思います。学生の側もまだアクチュアリーという言葉に馴染みはなく、失礼ながら、とりあえず単位だけ貰っておこうといった感じでした。実際に授業を受けてみると、変わった記号がたくさん現れ、思いのほか苦労したことを覚えています。実際には保険数学で使われる記号は実にシステマチックに出来上がっており、また、国際的に統一された記法ですから、覚えてしまえば大変便利なものですが、そのころの私はアクチュアリーになるつもりもなく、ありがたみなど感じる余裕もありませんでした。そんな状況でしばらくアクチュアリーという言葉も忘れて学生生活を過ごしました。

4年生では、篠崎研に入り統計学を勉強しました。研究室は総勢8名でしたが、当時は大学院に進む人は少なく、実際修士課程への進学を希望したのは私一人でした。そんなこともあり、4年の後半からは、修士論文のテーマともなるDECISION THEORYの勉強をマントゥーマンでご指導いただきました。そのころもまだアクチュアリーになろうとなどは全く思っていませんでした。

大学4年間は英語会(KESS)に所属。夏キャンプの同学年の集合写真。小野川湖にて。

修士の時は、管理工学の鷲尾研にも参加。野尻湖ホテルの夏合宿

再びアクチュアリーという言葉に関わるのはいよいよ就職というときのことです。就職活動にはほとんど無頓着な学生生活を送っており、もうそろそろ就職先を決めないといけないという時、就職担当の先生から外資系の生保会社にアクチュアリーの口があるとの紹介を受け、早速会社訪問しそのままアクチュアリー志望として就職が決まったときからです。卒業後、その会社に就職しアクチュアリーになり、転職はしましたが一貫してアクチュアリーという職業に就いています。また、アクチュアリー会の活動にも積極的に参加し会社の利害を超えた付き合いをさせてもらっています。

アクチュアリー仲間は、会社を超えての付き合いが多い。同世代の他社のアクチュアリー仲間とのひととき。

縁あって、数年前、他社の先輩アクチュアリーから塾(編集者注:慶應義塾の事)での保険数学の講座を引き継いでくれないかとの話があり喜んで引受させていただきました。2002年度から2004年度まで3年間です。私も一生懸命工夫をして教えましたが、授業の後、熱心に質問にくる学生も多く、アクチュアリーへの関心の高さを目の当たりにして本当に嬉しく思いました。アクチュアリーが実際どんなことをしているか、あるいはどのようにしたらアクチュアリーになれるのかなど、さらに詳しく知りたい方は、日本アクチュアリー会のホームページを覗いてみてください。学生向けのページも設けてあります。

さて、現在私は会社で「保険計理人」という肩書きになっています。これは保険料などの計算に関わることが義務付けられている法定の役職で、アクチュアリーとして最も伝統的な領域を担当しています。しかし、昨今、アクチュアリーの活躍の場はどんどん広がっており、保険、年金の世界だけでなく、不確実性を伴う経済活動全般にわたるようになっています。資産サイド、リスク管理などで金融工学を駆使した活躍が広がっています。そんなことから、どこの会社でもアクチュアリーは慢性不足の状態にあります。

リスク管理部門で活躍している会社の後輩アクチュアリーと。彼も塾員(管理工学科90年卒)

数学が好きで将来それを実学に活かしてみたいという方には、是非お勧めの職業です。純粋数学は必要ありません。たくさんの後輩がアクチュアリーを目指すことを期待します。

プロフィール

河原崎 純一(かわらさき じゅんいち)
(静岡県立池新田高等学校 出身)

1981年
本塾大学工学部数理工学科 卒業

1983年
本塾大学大学院工学研究科数理工学専攻修士課程 修了

1983年
外資系生命保険会社 入社

1995年
住友海上火災保険㈱(現三井住友海上火災保険㈱)入社

1996年
生保子会社に出向し、現在に至る

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