大学時代は、軟式野球同好会・慶應ブルーアンドレッズ(KBR)に所属し、勉学そっちのけでサークル活動などに没頭していました。大学生活4年間野球に明け暮れる毎日、早慶戦などのイベントも多くあり本当に楽しい学生時代を過ごしました。大学2年の夏には米国ボストンに3ヶ月ほど英語の勉強のためホームステイして異文化に飛び込み、また、アメリカ人との交流により言葉の壁を乗り越えることを体験できました。勉強はあまりしませんでしたが、この時代に社交性、国際性や度胸がついたのではなかと思っています。

研究室は坂田亮先生の研究室と最初から決めていました。「材料科学」の授業が私のような劣等生にも大変分かりやすく面白く、半導体に興味を持ったからです。坂田研究室では、その当時、修士2年であった永井靖浩(現、NTT)さんと一緒に、薄膜の付着力測定装置の開発に没頭しました。私としては割りと斬新なアイデアで精度の高い測定装置が作れたと自負しています。この時はじめて研究というものに触れ、ものをつくることの面白さを感じました。

坂田研究室の遠足で鎌倉にて。前列最右側は武田京三郎・早大理工学部教授、右から2人目は太田英二教授です

学部4年を卒業するにあたり、自分自身としては大学生活を十分満足したという思いが強く、早く社会で活躍したかったので大学院に進学せず(後でもう少し勉強しておけばと後悔しましたが)、1981年にNEC日本電気株式会社に入社しました。半導体事業部に配属されました。そこで出会ったテーマがプラズマを用いた微細加工技術でした。その当時16kDRAMなどの先端メモリデバイスでプラズマプロセスが製造プロセスに初めて導入された時でした。まだまだ技術者の少なかったプラズマを用いた加工技術(プラズマエッチング技術)に大変興味を持ち、そのテーマを自ら志願しました。指導する上司もいない状態で装置開発を担当し、メーカーと一緒に装置つくりに没頭しました。このときプラズマエッチング装置の面白さにのめりこみました。毎週のように半導体事業グループ全体に実験レポートを回し、研究所や他事業部・開発本部の人達と議論することを積極的に行いました。その後、開発した装置の量産工場への移管や先端量産ラインの立ち上げに従事し、益々、プラズマへの興味が高まりました。

台湾・国立ナノデバイス研究所にて(Prof.Simon M. Sze所長と一緒に)

この活動が半導体グループの中で注目を集め、1989年、超LSI開発本部にて高精度な次世代プラズマエッチング装置(64MDRAM用)を開発することを命じられ異動しました。超LSI開発本部では量産工場立ち上げの経験から思いついた新しいアイデアを次々に装置化し、その当時世界に先駆けたプラズマエッチング装置を開発しました。この成果は国際会議で発表し、新聞やテレビにも取り上げられました。また直属の上司が学術論文を奨励する人であったため、30歳にして生れて初めて英語で論文を書くことを覚えました。私も単純な人間ですので、すぐに論文を書くことが楽しくなり、土曜も日曜もなく英語の論文を書きまくり(既に家庭をもち子供もいましたが)、2年間で英語の学術論文が16件に達しました。この業績により32歳で慶應義塾大学より工学博士の学位を授与されました。恩師である坂田先生には大変喜んでいただけました。

オックスフォード大学にて(右から2人目は真壁利明教授)

死に物狂いで頑張っていると良いことは続くもので、この一連の研究開発の仕事を見ていたNEC研究開発グループ・マイクロエレクトロニクス研究所長に声をかけていただき、1992年NEC筑波研究所に異動することとなりました。それまで事業部から筑波研究所へと異動した例はなく、初めて下流側から上流側にかけ上がることとなりました。これは少なからず社内の若手技術者に刺激を与えたように思います。この筑波研究所は大学や国立研究所に近い雰囲気があり、世界中の研究者と共同で研究することができました。このチャンスをものにしようと休む暇もなく研究に没頭し、次々と斬新な発想で革新的な研究成果を世に出しました。その結果、学会でも認められ、多数の招待講演を行い、学会賞なども頂きました。このような研究活動の中でもっと広い世界でもっと自分自身の力を試したいという気持ちが強くなり、大学に行くことを考え始めました。

仙台の西公園にて(研究室の学生と花見です)

そんな折、電子デバイス分野では最も活発な研究活動を行っている東北大学に応募する機会を得、教授として2000年7月に着任いたしました。ゼロからの出発ではありましたが、5年が過ぎましてスタッフと学生を合わせて総勢22名(博士:5名、修士:4名、学部:7名)の研究室となり実験装置も10台前後になりました。今はプラズマやビーム技術をベースにしながら、自分の研究領域をナノテクノロジーとバイオテクノロジーの融合領域まで広げようとしております。このような道を歩めたのも、何事にも前向きに必死に取り組んできたことと、周囲の人たちのサポートに対する「報恩感謝」の気持ちを忘れなかったためだと思います。今は次世代を担う若手にそのことを教えられる立場にいることに大変幸せを感じております。そしてまだまだ夢を追い益々チャレンジを続けていきたいと思っています。

同窓会表彰式にて(北里会長より表彰状の授与)

プロフィール

寒川誠二(さむかわ せいじ)
(茨城高等学校 出身)

1981年3月
慶應義塾大学工学部計測工学科 卒業

1981年4月
日本電気株式会社 入社

1992年2月
博士(工学、慶應義塾大学大学院)

1997年7月
International Microprocess and Nanotechnology Conference, Outstanding Paper Awards 受賞

1998年7月
石黒賞 受賞

2000年6月
日本電気株式会社 退職

2000年7月
東北大学流体科学研究所 教授

2001年9月
応用物理学会論文賞 受賞

2002年4月
応用物理学会JJAP編集貢献賞 受賞

2004年3月
応用物理学会プラズマエレクトロにクス賞 受賞

2004年4月
慶應義塾大学 訪問教授

2005年6月
慶應義塾大学理工学部同窓会表彰

現在に至る

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