英国に来て3度目の夏を迎えています。英国の冬は長く暗いため、午後9時過ぎまで明るい夏を恋焦がれる英国人の気持ちは日本人を遥かに凌駕しています。私は脳神経系薬剤の探索研究のために英国に来ておりますが、これまでの研究者人生を振り返ってみますと、これまでにも何度か英国との係わりがあったことが思い出されます。

大学院博士課程1年生のとき、研究室にて

まずは博士課程1年の夏のことです。お盆休暇で帰省していた私のもとに、恩師である只野金一先生から突然の電話がありました。当時私が行っていた全合成研究と同じことをロンドン大学でもやっているという情報が入ったということでした。まだ勝算があるということを聞いてすぐに研究室に戻り、予定していた学会参加をキャンセルして研究に励みました。そしてわずか2週間程でしたがロンドン大学よりも早く合成を達成することが出来たのです。“We were beaten ---”というロンドン大学からの手紙が届き、有機合成研究者として二重の喜びを噛み締めることが出来たのです。

ロンドンの大英博物館前にて只野先生と一緒に(2003年夏)

私は大学受験の際、将来何をやりたいかが(理系ということ以外)何も決まっていませんでした。当時慶應義塾大学工学部の学部選択は受験時ではなく2年終了時でした。それが慶應義塾大学を受験した理由の一つでした。そして2年が経過して何となく応用化学科に進み、3年の秋が来て研究室を選ぶ時期となりました。しかしこの時点でも何をすべきか迷っていたのです。そんな中、ある日の昼休みに図書館に行きました。そこで熱心に調べ物をしている一人の先生を見つけたのです。学生実験で若干面識のあった只野助手(現・教授)でした。私は軽い気持ちで先生の研究内容を伺いました。先生は調べ物の手を止め、熱く有機合成の楽しさを語ってくださいました。そして昼休み終了のチャイムが鳴った時に「うちに来ないか。」と誘っていただいたのです。「お願いします。」と即答したことを昨日の事のように覚えています。

次は1997年4月のことです。私は出張で英国のリゾート地ブライトンを訪れました。アルツハイマー型痴呆(AD)治療薬「アリセプト」の発売記念大会に招かれたからです。時差ぼけと疲労がかえって幸いしたのか依頼されたスピーチも無事に済み、多くの出席者の祝福を受け、創薬研究者としての夢の一つが適ったことを噛み締めることが出来たのです。

アルツハイマー型痴呆(AD)治療薬「アリセプト」

博士号取得後、慶應義塾大学で学んだ知識と技術をもう少し具体的に人のために使えないかと考えてエーザイ株式会社に入社しました。そして担当したテーマがAD治療薬を目指したものでした。正に苦戦の連続でしたが、非常な幸運にも恵まれて「アリセプト(一般名:塩酸ドネペジル)」を合成することが出来たのです。この成功には、只野先生から学生時代に何度も教えられた「人と同じことはするな」、「原料は絶対捨てるな」の二つの教訓が大きく生かされました。アリセプトは現在世界60カ国以上で発売されており、AD治療の第一選択薬としての地位を確立しています。(研究開発の詳細にご興味がおありの方は、梅田悦生著、講談社 +α新書「奇跡の新薬開発プロジェクト」をご一読下さい。)

以上のように私の研究者人生は慶應義塾大学での只野先生との偶然の「出会い」から始まりました。そしてこれからも「若き血」を胸に創薬研究者として邁進して行きたいと考えています。また、慶應義塾大学理工学部はきっと皆さんにも大いなる「出会い」の場を与えてくれるものと確信しています。

そして今。今日も好天です。わくわくする英国の夏です。

プロフィール

飯村 洋一(いいむら よういち)
(茨城県立水戸第一高等学校 出身)

1981年3月
慶應義塾大学工学部応用化学科 卒業

1986年3月
慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程 修了・工学博士

1986年4月
エーザイ株式会社 入社

1995年4月
エーザイ株式会社 主幹研究員

2002年4月
エーザイ株式会社ロンドン研究所(出向) 主幹研究員

現在に至る


受賞

1998年3月
日本薬学会技術賞

1998年5月
化学・バイオつくば賞

2002年6月
全国発明表彰恩賜発明賞

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