私が工学部(現・理工学部)を選択した理由は、3年次において学科を決定できるという理由が大きかったと思います。3年次で機械工学科、4年次で安藤・棚橋研究室に進みました。研究室の選択理由は、どうしても数値計算をやってみたかったという理由からです。当時、流体解析の分野において有限要素法などの数値解析の研究が盛んに行われていました。数値シミュレーションにより支配方程式という数式の世界をコンピュータの中で可視化、再現する事に夢中になった事を懐かしく思い出します。当時の研究室は非常にまとまりがよく、一番印象に残っているのは蓼科にある塾の山荘でラジコン模型飛行機を飛ばした事です。前日まで研究室のメンバーと徹夜で完成させましたが、飛行時間はたった数秒でした。失敗談ではありますが、今でもこの時のメンバーと飲むとよくこの話になります。

修士論文発表会(学生時代)

学生時代の研究室仲間

島津家仙巌園にて(鹿児島)

現在の会社に入社してからは、機械設計、ソフトウェア開発と幾つかの業務を経験しました。学生時代に学んだ事は現在の業務には直接関係はありませんが、学生時代からのコンピュータとの関わり合いが今でも続いています。また教養課程での実験や研究室での研究などの当時は苦しかった事が、会社生活で重要な本質を見抜く能力を養ったと今でも思っています。また、大学時代特に研究室の仲間とは今でも年数回逢って会社、人生の事などを語り合っています。私にとってこの仲間が大学生活の最大の宝物であると思います。

プロフィール

千野 晃(ちの あきら)
(長野県立諏訪清陵高校 出身)

1981年3月
慶應義塾大学工学部機械工学科 卒業

1983年3月
慶應義塾大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程 修了

1983年4月
セイコーエプソン株式会社 入社
工機設計部、生産技術部、水晶デバイス事業部(システムG)などを経る。

現在
セイコーエプソン株式会社(長野県諏訪市) 情報化技術企画開発部 部長

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