研究所内の広報でプロのカメラマンに撮ってもらった写真

この度は塾員来往への寄稿の機会をいただき、大変光栄です。私は、理工学部化学科を卒業後、そのまま大学院博士課程まで進学し、博士号を取得しました。現在は、大阪大学の微生物病研究所というところでウイルスの研究をしています。

いざ自分のこれまでを振り返ってみると、テキトーな選択が多かったなとつくづく思います。そんな私でも、後悔ばかりの学生生活にならなかったのは慶應義塾のおかげだと思っていますので、受験生あるいは在学生のみなさんに、慶應義塾は良いところだよ!と少しでも伝われば嬉しいです。

理系の選択

私に理系進学を意識させたきっかけはロボットアニメでした。小学生の頃から、車のエンジンや、工場で稼働しているような大きな工作機械を見るのが大好きだったので、某機動戦士が戦うアニメを見て、将来こんなロボットを作りたい!というのが理系選択の理由です。

物理や機械工学などに興味を持っていた私ですが、高校生のときに転機が訪れます。某汎用人型決戦兵器に少年少女たちが乗り込んで戦う劇場版アニメを見て、バイオテクノロジーとロボットが融合した世界観が私の興味を一気に生物工学へと引き込みました。このときから、私の研究分野の軸が生命科学に定まったのだと思います。

慶應義塾への入学

「慶應義塾は良いところだよ!」と冒頭で言っておきながらなんやねんコイツと思われるかもしれませんが、大学受験の際、慶應に行く気は全くありませんでした。実際、最初は第一志望だった某国立大学とW大学にしか願書を出す気がなく、慶應の願書は準備もしていませんでした。しかし周りがそんなことを許すわけもなく、渋々と願書を準備しましたが、理工学部の学門制を全く把握しておらず、自分が3月生まれのため学門3を選びました。

さていざ大学受験が終わってみると、国立・W大は不合格、慶應理工だけがなんとか補欠合格。さあ浪人だ!と河合塾への入塾手続きに向かおうとするも、周囲からの猛反対により、結局、慶應義塾大学理工学部へと入学しました。

研究との出会い

入学当初は大学生活に価値を見いだせず、授業もかなりサボりがちで早々に留年の危機を迎えていましたが、こんな状況を打破するきっかけとなったのは学科分けでした。当時の学門3から進学できる学科は、応用化学科・化学科・生命情報学科・物理情報工学科と、生物工学・生命科学に興味があった私にとってはドンピシャなラインアップでした。説明会前に各学科の研究室を調べると、ちょうど私が入学した2010年から化学科に着任した古川良明先生の研究室紹介に「生物物理」という文言を見つけ、私の入学年と同時に、私の興味を惹くキーワードを掲げた研究室ができたなんて運命を感じずにはいられません。逸る気持ちを抑えながら矢上キャンパスへ向かいましたが、応用化学科志望の友人に付き合いすぎたために、化学科の古川研に着いたときには古川先生はすでに帰宅、実験室にはB4の先輩がひとりぼっち。すこしがっかりした気分でしたが、残っていた先輩が見せてくれた光る大腸菌にバイオテクノロジーを感じ、当初の予定通り化学科への進学を決めました。

化学科は1学年40名程度の学生に対して教員が20名と、非常に少人数かつ教員との距離が非常に近い学科です。楽しい友人たちと親身な教員に囲まれた環境は、私に慶應義塾で良かったと感じさせてくれた(& 留年の危機を回避させてくれた)最大の要因であることは間違いありません。そんな化学科の居心地の良さを感じながら、なんとか進級に必要な単位を取得し、古川研究室(生命機構化学研究室)に配属されました。

学科の友人の板書を見ながら必修科目を勉強している風景

研究室配属後は、ひたすら研究に打ち込んでいました。私は、神経変性疾患に見られるタンパク質の異常な構造変化を分子レベルで明らかにするという研究に従事しており、物理も生物も好きな私にとっては最高の大学院生活でした。もちろん研究だけではなく、学会発表や学科の懇親会等、様々なイベントが充実しており、今思えば、人生で一番楽しい時期だったのではないかと感じています。

学科懇親会の後、当時の学科長・垣内先生(右)の居室で

楽しそうに騒いでいる写真(筆者は上段左)

そんな充実した生活を過ごし、気づけばあっという間に博士課程の最終学年になると、博士号取得のための公聴会に備えなければいけません。古川先生に叱咤激励されながら博士論文と公聴会発表の準備をした期間は、研究者人生としての礎になる経験だったと思います。幸いにも修了要件は早めに満たしていたため、比較的気持ち穏やかに博士論文の作成を進めることができ、無事に公聴会も終了し、学位も取得できました。

博士論文の公聴会終了直後、

先輩からもらったシャンパンとともに

出張先の居酒屋にて、ガリガリ君チューハイを前に

楽しそうな私(左)と古川先生(右)

新天地へ

博士課程修了後、最初は企業への就職を考えていたため、博士課程2年時に研究職を中心に就職活動を行っていましたが、数社面接を受けたあたりで、「なんか違うな」と感じ、アカデミアに残ると腹を括っていました。そのため、学位取得後しばらく学術振興会の特別研究員として慶應に残り、次の行き先を探していたところ、現在の大阪大学微生物病研究所の分子ウイルス学分野での公募を見つけて応募、無事に採用されました。

大阪大学に着任した当初(2019年8月)は、まだ新型コロナウイルスの発生前でしたので、ウイルスは今ほど注目される分野ではありませんでした。私も正直、「ウイルスはタンパク質の超集合体だから今研究しているスケールよりも大きいしなんか楽しそう」くらいの軽い気持ちで応募したので、まさか着任してから数ヶ月後にここまでホットな研究分野になるとは全く想像もしていませんでした。研究に興味がある方は、ぜひラボのホームページを御覧ください( https://watanabe-lab.biken.osaka-u.ac.jp )。

研究所全体で開催された2025年度新人歓迎会での研究室集合写真。

フルーツカクテルを振る舞いました。(筆者は上段左)

最後に

慶應義塾を出て、他の大学に来たからこそ感じますが、慶應ほど人のつながりを大切にする大学は他にないと思います。化学科で出会った友人や先生とのつながりは今でも続いていますし、学生の頃は会ったこともない他学科・他学部・他大学の先生でも、慶應出身という話題で盛り上がり、さらにそこから共同研究など新たな繋がりが生まれることもあります。

慶應義塾大学理工学部には、幅広い分野・充実した設備だけでなく、様々なバックグラウンドの人とのつながりを得る機会が多くあります。理工学部を志望する皆さん、大学生・大学院生はまだまだ変化の時期です。思慮深く選択することはもちろん大切ですが、「直感でなんとなく」で選択した先にも、周りの環境から刺激を受けることで思わぬ化学反応が起こるかもしれません。そんな環境が、慶應義塾大学理工学部にはあると思います。

プロフィール

安齋 樹(あんざい いつき)
(渋谷教育学園幕張高等学校 出身)

2014年3月
慶應義塾大学 理工学部 化学科 卒業

2016年3月
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 基礎理工学専攻 修士課程 修了

2019年3月
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 基礎理工学専攻 博士課程 修了

2017年4月-2018年3月
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 助教(有期・研究奨励)

2018年4月-2019年8月
日本学術振興会 特別研究員DC2-PD(慶應義塾大学理工学部)

2019年9月-2020年3月
日本学術振興会 特別研究員PD(大阪大学微生物病研究所)

2020年4月
大阪大学 微生物病研究所 特任研究員(常勤)

2020年5月-
大阪大学 微生物病研究所 助教

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