この度は「塾員来往」への寄稿をいただき大変光栄です。
私は2024年3月に理工学研究科を退学しておりまして、卒業後に様々な分野で活躍されている皆様の文章が並ぶ中大変恐縮ですが、筆を執らせていただきました。
こんな自分に寄稿のチャンスをくださった、この学校、この学部、中野先生の懐の広さに感謝いたします。
皆様が疑問に思われているところは一旦置いておいて、私が大学に入る前の話をさせてもらいます。
慶應義塾中等部在学中、私は「骨肉腫」という病気を左膝に患いました。これは子供にできやすい骨にできるがんです。小中学校9年間、野球に打ち込んでいた自分ですが、これを期にスポーツを続けるという道は断たれました。その後、慶應義塾高校では軟式野球部のマネージャーを務め、物理が好きだったことから理系を選択、理工学部への進学を決意します。
大学への進学と同時期に、私にとって大きなふたつの出会いがありました。
ひとつは、車椅子ソフトボールとの出会いです。膝が悪く、走ったり立ってスポーツができなくなった私にとって「自分もまたスポーツができる、ボールを追いかけることができる」、これは奇跡的な出会いでした。
もうひとつは、慶應義塾中等部女子ソフトボール部との出会いです。高校時代のコーチ経由で、選手として活動できない私に、指導者としてスポーツに関わる機会をいただくことができました。
勉学・障害者アスリート・コーチ、この3つの柱によって私の大学時代は構成されていました。
アスリートとしては、偶然大学1年生の秋に、車椅子ソフトボールの日本代表として試合に出る機会をいただき、それから現在にいたるまで日本代表としてプレーしています。また大学3年生の頃には、車いすバスケットボールもプレーしはじめることになります。
そしてアスリートとしてだけでなく、コーチとしても競技に向き合う日々でした。中学生の指導をしていた繋がりから大学女子ソフトボール部のコーチとして活動するようにもなります。
アスリートとして主観でスポーツに打ち込むだけではなく、コーチとして客観的に見ることでスポーツを上達するとはどういうことなのかを考え、大きく成長できたと感じています。
勉強に関しては、誰かより得意だったことはありませんでした。高校時代もそうでしたし、大学に入ってからもそうです。ここまで読んでいただいていて、相当忙しそうだというのはお分かりいただけたかと思いますが、もちろん実験レポートやテスト勉強にも取り組みました。時には友人たちの手も借りながらではありましたが、私なりに時間を作りなんとか食らいつきました。今思えば、それが好きな分野の勉強であるということはとても幸せでした。
さらに4年生になり、中野研究室に配属。右も左も分からない自分を中野先生や先輩方が沢山助けてくださり、超音波がん治療器用集積回路の分野で卒業論文を書き上げ、無事に卒業しました。
卒業後は大学院に進学。優秀ではなかった私ですが、研究の道でがんばろうという思いは人並みにありました。ただそれと時期を同じくして、こんなオファーをもらいます。
「プロの車椅子ソフトボール選手兼任監督」
まだ車椅子ソフトボール界にいないプロにならないかという提案でした。
車椅子ソフトボールの競技環境もあり活動頻度はあまり多くなく、研究と両立できると考え、このオファーを受けました。1年間という任期の中で、全国規模の大会で準優勝という成果を手にし、選手としてだけでなく監督としても職務を全うしました。
翌年は、アメリカ・イリノイ州にあるLincolnway Special Recreation Associationという障害者スポーツ団体で半年間インターンシップを行い、車椅子ソフトボールとバスケットボールをプレー。夏の車椅子ソフトボールワールドシリーズ2023では、日本代表として優勝、個人では大会MVPを受賞することができました。
そんな中研究活動はというと、全く時間を裂けていないのが実態でした。大学院1年生の後期から研究を離れ、翌年、翌々年は休学という形で、競技などの活動に力を入れていました。研究や研究室に対して何かが嫌になったということではなく、それ以外に熱中できることに改めて気付いた、というような感覚でした。
そして大学院3年目の春、並行して行っていた就職活動で企業から内定をいただいたことをきっかけに研究を諦め就職することを決意し、翌3月に大学院を退学します。
現在は企業でマーケティングに携わりながら、競技活動を続けています。実は大学院在学中に車椅子ハンドボールもプレーしはじめており、社会人になった2024年に日本代表に選出され、エジプトで開催された世界選手権に出場することができました。
いわゆる「文系就職」と競技活動。理工学部で学んだ意味はあったのかと問われると、直接的には「NO」かもしれません。ですが理工学部や研究室での経験があって、今の私がいることは間違いないです。
「大学には色んな人がいる」とよく言われますが、これは解釈によって正解と不正解が分かれると思います。中学、高校よりは確かに幅の広い、様々なバックグラウンドを持った人と出会うことができます。ただ出自は違えど、同じ学部、学科、研究室と、近い分野を勉強する人たちとはどうしても視点は近づいてきます。(むしろそこが大学というものの価値な気がしています。)
それと同時に、外の世界の人たちと接する機会を沢山得られたことが、私にとってとても大きな価値だったと振り返って思います。
「世の中にて最も大切なるものは人と人との交わり付き合いなり。これ即ち一つの学問なり」
私の好きな福澤先生の言葉です。
理工学部の研究だって人との関わりなしには成し得ないはずです(私が言うことではないと思いますが)。
これを読んでくださっているのが、これからこの学校に入る人なのか、在籍している人なのか、それとも離れられた人なのか分かりませんが、「こんな人いるんだ」「面白い人がいるな」と少しでも思っていただけたならご連絡ください。お茶でもご馳走します。
小貫 怜央(おぬき れお)
(慶應義塾高等学校 出身)
2021年3月
慶應義塾大学 理工学部 電気情報工学科 卒業
2024年3月
慶應義塾大学 大学院理工学研究科 総合デザイン工学専攻 退学
2024年4月
株式会社 電通 入社
現在に至る