この度は、塾員来往への寄稿の機会を頂き大変光栄に思います。私が慶應義塾大学理工学部及び理工学研究科で学んだこと、そしてその学びをこれまでどのように生かしてきたかについてご紹介します。
私は理工学研究科を修了した後、日立製作所に入社し知的財産本部(いわゆる知財部)に15年間勤務しました。その後、メイヤー・ブラウンという米系の法律事務所に転職し現在6年目になります。今はそのワシントンDCオフィスで米国特許訴訟を主に扱う訴訟弁護士をしております。
元々、ロボットなどの物作りに興味があったこともあり、私は大学及び大学院時代、機械工学を専攻し、当時の前野研究室にてマスタ・スレーブ型の手のロボットや触覚、超音波アクチュエータ関連の研究をしていました。研究室時代は同期や先輩、後輩皆とても仲良く、ゼミ発表や論文提出が近いときは皆で研究室にこもり、家族以上に一緒に時間を過ごすこともありました。当時は頑張って国際学会に論文を提出し、査読に通れば海外の発表に行かれるということで、半分(というかほとんど)海外旅行の行先を選ぶような気持ちで学会への参加を希望していました。その甲斐もあり、スイスのローザンヌ、アメリカのハワイやラスベガスの学会で発表する機会に恵まれました。
スイス・ローザンヌ駅で先生と焼き栗を手に
指導教授であった前野先生は以前キヤノンのデジカメ技術者であり、先生は技術者時代から特許マインドが高く、研究室で成果が出た学生たちにも特許を書くことを勧めていました。私も運よく学生時代に特許を書くことになり、大学院時代の成果で出願した特許は日米で特許になりました。その時に先生が紹介して下さった弁理士が素晴らしい方で、知財が楽しそうだなと思ったのが、私がこの道を目指したきっかけです。また、知財の道では特に技術・法律・英語に精通していることが大事であり、私が幼少期に住んでいたロサンゼルスで培った英語力が活かせることも大きな理由になりました。就職活動では、知財の専門職採用をしていた会社のうち、一際大きな知財部を有していた日立製作所を志望し、無事に就職することになりました。
私は2004年に日立製作所に入社し、転職するまで15年間一貫して知財部に在籍しました。研究室時代に手のロボットに携わっていたこともあり、携帯電話やテレビ等の身近なコンシューマ製品を担当する部署に配属されました。コンシューマ製品は当時から特許紛争が多い分野であり、新人時代はいわゆる特許部員として特許明細書の執筆等から始め、徐々に特許ライセンスの交渉の場にも参加するようになり、最終的に米国特許訴訟にも従事するようになりました。
また、知財の仕事には弁理士や弁護士といった資格が関連しており、私も入社と同時に資格の勉強を始めて何とか約2年半で弁理士資格を取得しました。働きながら平日夜に勉強し、週末は10時間ぐらい予備校に缶詰になるような大変な生活でしたが、弁理士を取得すると、次はアメリカのロースクールへの留学や米国弁護士資格を取得して将来アメリカで働いてみたいと思うようになりました。しかし、そのためには法学部の学位が必要であると知り、今度は働きながら慶應大学法学部の通信課程に通うことにしました。理工学部時代に取得した一般教養科目の単位はそのまま使えるものの、理工学部で卒論・修論を書いた後に、社会人になって法学部で卒論を書くことになるとは思ってもいませんでした。その後4年半かけて法学部も卒業すると、幸運なことにタイミングよく会社で社費留学に選ばれ、TOEFL受験やエッセイ執筆といった厳しい選考を経て米国のシカゴ大学ロースクールへ留学することになりました。ロースクールの日々の勉強や、その後の米国司法試験受験は人生でこれほど詰め込んで勉強したことがないぐらいの勉強量で過酷なものでしたが、何とかニューヨーク州司法試験にも合格することができました。
とんとん拍子で進んだように書きましたが、社会人になってから10年間、仕事をしているかたわら、常に資格試験や学業が頭の中にあり、最後に司法試験を終えてそれらが完結したときには本当にほっとしたのをよく覚えています。
留学から帰国後、その知識や資格を活かし、会社では米国特許訴訟を多く担当することになりました。日立時代の終盤には、米国特許訴訟において陪審員裁判に出席し、見事に勝訴するという非常に貴重な経験をすることができました。その経験がきっかけで、特許訴訟の本場とも言える米国でもっと訴訟実務をしてみたいと強く思うようになり、米国の法律事務所に転職することを決意しました。転職後はパンデミックもあり数年間東京オフィスに在籍しましたが、その後ワシントンDCオフィスに移籍し、今があります。現在はワシントンDCのど真ん中で働いています。主要な法律事務所が建ち並ぶ通り沿いにメイヤー・ブラウンのワシントンDCオフィスもあります。
これがオフィスの外観です。12階建てで、最上階が我々知財チームの階です。最近リフォームされ、ガラスが多く使われていてとても開放的です。
最近行われたオフィスのクリスマスパーティでの知財チームの写真です。上司も同僚もほぼ皆アメリカ人です。彼らと共に法廷で裁判官や相手方弁護士と議論するなど、映画やテレビで見るような世界で働いています。
研究室の教授に勧められて特許を書いたことが私のその後の人生の方向を決める大きなきっかけになりました。また、研究室同期とは、密に過ごした時間が長かった分、卒業後もなるべく関係を維持しようということで、社会人になっても夏休みにほぼ毎年1~2泊の“合宿”をして温泉や海に行き、ゴルフやバーベキューをしながら互いの近況を報告する集まりを続けていました。さすがに私が米国で働き始めてからは合宿は難しくなりましたが、それでも帰国の際には同期や先輩後輩達と定期的に会っています。このように、研究室を通じて何物にも代えがたい経験や、関係が築けたと思います。
小山 立家(こやま たつや)
(慶應義塾高等学校 出身)
2002年3月
慶應義塾大学 理工学部 機械工学科 卒業
2004年3月
慶應義塾大学 大学院理工学研究科 総合デザイン工学専攻 修士課程 修了
2004年4月
株式会社日立製作所 入社
2011年9月
慶應義塾大学 法学部 法律学科 通信課程 卒業
2013年6月
シカゴ大学ロースクール 卒業
2019年5月
メイヤー・ブラウン法律事務所 入所
現在に至る
●資格
弁理士(特定侵害訴訟代理業務付記)
米国弁護士(ニューヨーク州、ワシントンDC)