この度は塾員来往への寄稿の機会をいただき、誠にありがとうございます。 鳥取県の禅寺で生まれ育った私は、慶應義塾大学理工学部物理学科を卒業した後、曹洞宗僧侶としての修行を始め、現在はアメリカの仏教寺院で修行をさせていただいております。ちょっと変わった経歴ではありますが、こんな人もいるのだなと気軽に読んでいただければ幸いです。

物理学科への進学理由

幼いころから自然科学に漠然と興味を抱いており、特に宇宙や生命の起源といった途方もない問いにどこか心惹かれていました。高校時代に物理学を学び始め、様々な自然現象がシンプルで普遍的な法則に支配されている、という事実にすっかり魅了されました。大学で本格的に物理を学んでみたいと思うようになった私は、慶應義塾大学理工学部へ入学後、迷わず物理学科に進みました。

大学時代

研究室で光電子増倍管と記念撮影。

大学2年次までは講義形式の授業が中心で、現代物理学の基礎をじっくり学ぶことができました。3年次には毎週、実験とレポートに追われる忙しい日々を送っていたように思います。夏休みには、高エネルギー加速器研究機構 (KEK)が主催するサマーチャレンジという研究合宿に参加させていただきました。全国から集まった学生や最前線で活躍する研究者の方々とともに、素粒子・原子核の本格的な演習と研究発表を行ったほか、KEKつくばキャンパスや東海キャンパスの大強度陽子加速器施設(J-PARC)などを見学させていただきました。

また、サークルは1年次から3年次まで、矢上祭実行委員会に所属していました。矢上祭は理工学部矢上キャンパスで毎年秋に開催される学園祭で、研究室展示や科学教室といった理工学部ならではの企画も行っています。テントや会場の設営に始まり、2日間の企画運営、徹夜での片づけまで、くたくたになりがら矢上キャンパスを走り回ったのは良い思い出です。

4年次には西村康宏先生の研究室に進みました。西村研は、岐阜県飛騨市に位置する巨大検出器「スーパーカミオカンデ」を用いた国際共同研究に携わり、素粒子の1種であるニュートリノの観測などを通して、宇宙の基本法則やその成り立ちの解明に取り組んでいます。例えば、超新星爆発によって放出されたニュートリノを観測し、宇宙の誕生と発展の歴史を探る研究や、J-PARC加速器から放出されたニュートリノや陽子崩壊の観測に挑み、素粒子を支配する法則の解明を目指す研究などが行われています。卒業研究では、ニュートリノの質量階層性問題の解決にミューオンと反ミューオンの識別手法の向上が求められることに着目し、両粒子の水中における寿命測定を試みました。当時の西村研は発足1年目で、何もない教室に様々な機材を運び込むところから始め、検出装置の設計と組み立て、プログラミングや各種調整を繰り返し、西村先生のご指導をいただきながら、なんとか研究を進めることができました。西村研の一期生として、研究室の立ち上げに携われたことを今でも大変光栄に思っています。

「物」から「仏」へ

物理の世界にどっぷりはまっていた私ですが、大学を卒業してからは別の道を歩んでいます。

大学3年のある日、実家の禅寺に帰省中、葬儀や年忌法要に立ち会わせていただく機会がありました。生身の人間の死や遺族の方々に接し、人間の生や死といった、科学が答えを出し得ない問いや苦悩の存在、その影響力の大きさを痛感し、次第に普遍性、論理性、客観性といった観点からは語りえない苦悩への向き合い方を、自分なりに模索してみたいと考えるようになりました。 そして、大学卒業後、福井県にある曹洞宗の大本山永平寺、岡山県にある洞松寺という2つの修行道場で、約2年間、僧侶として修行をさせていただきました。2022年からは、駒澤大学仏教学研究科修士課程に進学し、日本と西洋社会における禅仏教の受容のされ方の違いなどについて研究していました。

横浜善光寺留学僧育英会辞令交付式。

一番右が筆者。

駒澤大学での修士課程修了後、横浜善光寺留学僧育英会からご支援を頂き、第37期留学僧として、現在はアメリカのタサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺)という寺院に滞在しています。禅心寺は、1967年に日本人の曹洞宗僧侶によって設立されたアメリカ最初の禅道場で、サンフランシスコ中心部から南に車で5時間、カリフォルニア州カーメルバレー山中に位置しています。携帯電波も届かない辺境の地ですが、禅の修行を体験してみたいと、世界各地から人々が訪れています。日本とアメリカの仏教観、修行観の違いに驚かされることも多く、大変刺激的な日々を送っています。

もちろん、理工学部で学んだ専門知識が、僧侶としての生活に直接活かされているわけではありません。しかし、物理から仏教という異なる領域にジャンプしたからこそ得られた気づきもありました。例えば、科学的な正しさと宗教的な正しさはしばしば矛盾するものの、それぞれ異なる領域で人々や社会を支えています。科学と宗教は次元の異なる正しさを有していると、私は感じています。そしてそれは、科学と宗教の間だけではなく、政治や経済、医療といった、社会を作る様々な領域にも通ずることかもしれません。各領域の有効性と限界を見つめる謙虚な姿勢を大切に、時には漸近する勇気を持って、今後も僧侶として学び続けていきたいと思います。

タサハラを訪れた方々と食事。

タサハラで修行中のアメリカ人僧侶と。

プロフィール

永井 雄大(ながい ゆうだい)
(米子北斗高等学校 出身)

2020年3月 
慶應義塾大学 理工学部 物理学科 卒業

2020年3月
大本山永平寺にて修行

2021年10月
洞松寺専門僧堂にて修行

2024年3月
駒澤大学仏教学研究科仏教学専攻修士課程 修了

2024年4月
サンフランシスコ禅センター・タサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺)にて修行

現在に至る

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