中田浩二氏による人間教育講座が開催されました

2019年07月26日

2019年7月4日(木)に、日吉キャンパス・第4校舎独立館DB203教室にて、「イノベーションをサッカー界で追求するー人生100年戦略と移動革命の時代を受けてー」と題して、中田浩二氏(サッカー解説者、鹿島アントラーズC.R.O【クラブ・リレーションズ・オフィサー】、元サッカー日本代表)による人間教育講座が開催されました。

理工学部が主催するこの講座は、現代社会の先導者とも言える方々に、世界観、人生観、哲学を語っていただくことによって、塾生が「社会の中でどう生きるか」を考えることを目的としています。今回の人間教育講座には、理工学部・理工学研究科所属の塾生・教職員だけではなく、他学部に在籍する塾生や社会人を含めた120名超の方が参加されました。

講演は、中田氏がサッカーを始めたきっかけを話すことから始まりました。ご両親と大学に進学すること約束して帝京高校に進学するものの、高校卒業後にJリーグの4チームのオファーをもらってプロになることを決意して鹿島アントラーズに入団した経緯や、試合では常に勝つことを求められるために「試合の方が楽に感じるほど練習で全力を尽くした」と語る鹿島アントラーズでの選手時代の経験などを語られました。

また、その後念願叶って初めての海外移籍をしましたが、移籍先の「マルセイユ(フランス)」では1年間で10試合しか出られず、海外移籍を目標に勉強していた英語が通じず、フランス語でチームメイトとコミュニケーションを取ることに苦労した経験を語られました。しかし、次の移籍先である「バーゼル(スイス)」ではその経験を生かし、積極的に英語でチームメイトとコミュニケーションを取ることを心がけた結果、チームに溶け込むことに成功し、最終的には主力選手としてリーグ戦とカップ戦で3つのタイトルを獲得した成功体験を伝え、文法や単語が完璧で無くても失敗しても良いから積極的にコミュニケーションを取ることの大切さを説きました。

それから、中田氏が引退後に指導者の道ではなく敢えてフロントに入ることを選び、筑波大学大学院で学び始めた経緯について説明されました。サッカー選手の引退後の厳しいセカンドキャリアや鹿島アントラーズが都市型クラブと競争していくための問題点に触れ、キャリア課題先進業界であるJリーグのセカンドキャリア問題解決方法や、「スポンサー収入」「入場料収入」「グッズ収入」という一般的なクラブ収入の三本柱だけでなく、「スタジアム指定管理者」という4本目のクラブ収入の柱を生かしたスポーツクリニックや温浴施設の運営やゾンビイベントの開催などといった取り組みや、カシマスタジアム周辺の交通渋滞の解消方法(MaaS)について具体案を挙げながら、鹿島アントラーズのフロント業務で大学院での研究成果を生かされている紹介していただきました。

講演の最後に、中田氏は塾生に向けて今日一番伝えたいこととして、「チャレンジすることの大切さ」を挙げました。中田氏は、2016年に鹿島アントラーズがJリーグチャンピオンとなり、FIFAクラブワールドカップの決勝で世界最強クラブであるレアル・マドリードをあと一歩のところまで追い詰めた時の選手達の状況を具体例として挙げながら、「成功している人でも全てが上手く行っているわけではない。失敗することの方が多いし、失敗することは恥ずかしいことではなく、自分が成長するために必要なことだから、現状に満足せずにチャレンジしてください。」と語り、講演を終了しました。

講演後に行われた塾生との質疑応答では、「理想的なJリーグのクラブに必要な要素は何ですか?」「Jリーグの魅力をどのように高めていきますか?」「サッカーで身につけたスキルや経験をビジネスマンとしてどう生かしてきましたか?」「大学院進学時の研究テーマとして、経営学やマーケティングではなく、都市計画と地方創生を選んだ理由は?」「海外移籍で価値観が変わったと感じたことはどんなことですか?」など、次々に中田氏への質問の手が挙がりました。中田氏はこれらの質問に対してプロサッカー選手・大学院生・鹿島アントラーズC.R.Oとしての具体的な経験事例を挙げながら30分以上の時間をかけて丁寧に回答し、講演後にも気さくに来場者との記念撮影に応じつつ、今回の人間教育講座を終了しました。

中田浩二氏による講演の様子

中田浩二氏による講演の様子

在学生との質疑応答

在学生との質疑応答

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