人は一生のうち、ほとんどの時間を建物の中で過ごすと言われており、空間設計は人の生活に多大な影響を及ぼしています。この記事を読んでくださっている皆さんも、知らない間に普段過ごしている空間から影響を受けているかもしれません。例えば、引っ越した先の階段が以前よりも少し急だと、最初はつまずきそうになったり、昇るのがしんどいと感じたりしますが、数週間も経つと次第に慣れてきて、気が付くと当たり前にスイスイ昇り降りできるようになった、というようなご経験はないでしょうか。階段が急になると、歩行中の下肢にかかる負荷は増大するため、頻度にもよりますが多少のトレーニング効果も期待できます。普段通りの生活を送っているだけなのに、空間設計を変えることで人々がより健康になる、そんな設計指針があっても良いのではないかと考え、空間設計による利用者の健康への効果を調査する研究を始めました。

 そもそも階段の設計はどのように決定されるのでしょうか?階段の緩急は図1に示すように蹴上と踏面という2つの値で決まります。日常生活を思い返してみると、駅構内の階段などは蹴上が低く、且つ踏面が長くなっており、住宅の階段と比べて昇りやすくなっています。これは、建築基準法やバリアフリー整備ガイドラインにおいて、多くの人が利用する公共空間は、特定の住民が利用する住宅よりも緩やかな階段となるように設計条件が定められていることによります。このように、階段設計は決められた蹴上と踏面の設計条件において個々の空間の制約に沿うように設計されています。

図1 階段の設計パラメタ

 今回ご紹介する研究1)は、階段歩行を観察することで昇る人の身体機能を知ることができること、さらに身体機能の良し悪しの判断しやすさが階段設計に依存することを示したという内容です。私たちは、膝が痛い高齢者と健康な高齢者にご協力いただき、勾配が急な階段と緩やかな階段において彼らの歩行を計測し、各段にどれだけ深く踏み込めるかを観察しました。その結果、身体機能が低下している人ほど段に深く踏み込むことができない、という結果が示されました。また階段毎に統計モデルで記述したところ、説明変数の係数と有意確率が階段設計によって異なり、急な階段を昇った際の歩行を観察したデータの方が緩やかな階段のデータよりも身体機能を上手く説明できることがわかりました(図2)。すなわち、階段設計が異なると身体機能の良し悪しを見分ける性能が変わる、ということが示されたのです。これは身体機能のスクリーニング効果を得るための新たな階段設計基準になり得ると考えています。

図2 日常生活の状態が悪い人は階段歩行中の踏込み時に膝が高くなる傾向が見られた

 世界各国の階段設計基準は図3に示すように多様です。通常は公衆衛生学的な根拠に基づき統計的に安全性が担保された設計基準が採用されますが、これを各国が独自に定めているためです。この設計基準の中に、今回の研究成果のような、本来空間が人に対して与えうる様々な効果が反映された基準が追加されていき、人の健康を増進するような空間設計が実現される未来を目指しています。

図3 世界各国の階段設計基準

図2および図3は文献1)をもとに作成。

1) Ami Ogawa, Hirotaka Iijima, Masaki Takahashi, Staircase Design for Health Monitoring in Elderly People, Journal of Building Engineering, Vol. 37, p. 102152 (9 pages), 2021.5.

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