「細胞」という単語を聞いて、 どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。顕微鏡を使って見た植物の細胞の写真や、 最新のCGで描かれた綺麗な絵を想像する方もいるかもしれません。教科書的な書き方をすると、 細胞は「あらゆる生物を構成する生命の基本単位」と定義されます。 植物も動物も、 顕微鏡を使って拡大すると、 細胞が見えてきます。 ヒトの体も、 約60兆個もの細胞が集まって出来ているそうです。 細胞にも大小様々な種類がありますが、 細胞一つの大きさはだいたい数十µmくらいで、 髪の毛の太さと同じくらいのスケールです。

細胞は、 ヒトの体から取り出しても、 適切な温度に保ち、 栄養を与えてやると、 まだ体の中にいるものと勘違いして、 人工的な環境でも生かしてやることができます。 「細胞培養」というやつです。 このように体外で培養した細胞を顕微鏡でつぶさに観察すると、 実はこの細胞たち、 よく動きます。 うろうろと動き回りながら、 接している物体をよく引っ張ります。

細胞が、 周辺の物体を強い力で引っ張り、 時に変形させてしまうということは、 実は1980年代から知られていました。 ところが当時は、 細胞の中身の分子の性質に注目が集まり、 細胞が発揮する力の役割はあまり注目されていませんでした。 ところが、 2000年頃に転機が訪れます。 マイクロ加工技術が生物学分野に普及し、 細胞が押したり引っ張ったりすることができる実験道具(さながら細胞のためのミクロなトレーニングジムのようなものです)が生み出されると、 細胞が「力」や「形状」といった入力に応答して、 プログラム 細胞死や分化など、 様々な振る舞いのスイッチを入れること、 すなわち「触覚」を持つことが次々に明らかにされてきました。 細胞にとって「力」とはどのような情報なのか?細胞の「触覚」はヒトの健康維持、 あるいは病気においてどのような役割を果たしているのか?様々な疑問に答えを見出すため、 生物学、 物理 学、 化学、 機械工学、 医学など様々な領域の研究者が集まり、 メカノバイオロジーという複合研究領域が生まれました。

私たちの研究室では、 細胞が持つ触覚の中でも、 半径数百µm~数mm程度のゆるやかな曲面を認識する仕組みを研究しています。 このように、 細胞よりも数十~数百倍大きく緩やかな曲面は、 長い間、 細胞にとっては単なる平面であると考えられてきました。 ところが、 いざそのような曲面を加工して細胞を培養してみると、 細胞はその上をダイナミックに動き回り、 産生するタンパク質の量を変えるなど、 平面上とは振る舞いをガラリと変えることが明らかになってきました。分子・細胞よりもはるかに大きな物体の形状は、 どのような仕組みで細胞に認識されているのか?その仕組みが明らかになると、 例えばステントのような体内へ移植する道具に様々な加工を施し、 細胞の病変を防ぐような、 画期的な医療素材の設計ができるようになるかもしれません。 細胞の「触覚」の仕組みを理解し、 「力学」を介して細胞の行動を制御する新しい技術の創成を目指し、 私たちは研究を進めています。

細胞は「焦点接着斑」と呼ばれる分子複合体を介して、周辺の物体を文字通り 「掴み」、「引っ張り」ます。写真は、細胞が持つ焦点接着斑を、特殊な技術を使って緑色に染め、顕微鏡で観察した様子です。緑色の粒ひとつひとつが、焦点接着斑です。無数の焦点接着斑=分子の手を操る細胞は、ヒトの姿に喩えるならば、さながら千手観音のようです。写真右下の白い横棒の長さが0.02mm = 20µmを表しています。

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