さまざまな経験を積み観察することで、情報を精査する力が養われる

スパイに憧れていたと驚きの少年時代を語った、金子さん。
その情報を精査する目は鋭い。
一方で、情報(コンテンツ)の使い方しだいで世の中は現在よりずっと豊かで面白くなると、その流通に懸命に取り組んでいる。

Profile

金子 晋丈 / Kunitake Kaneko

情報工学科

香川県出身。専門はアプリケーション指南ネットワーキング。特に、デジタルデータの利活用を促すデジタルデータのネットワーク化について研究を行っていいる。2001年東京大学卒業。2006年同大学院情報理工学系研究科博士課程終了、博士(情報理工学)。同大学院新領域創成科学研究科での特任助手を経て、2006年9月より慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ総合研究機構、特別研究助手。2007年、同機構特別研究講師。2012年4月より現職、デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター研究員を兼任。

研究紹介

今回登場するのは、

世界に溢れるデジタルコンテンツの有効な活用を目指す、金子晋丈(くにたけ)専任講師です。

人類の財産であるデジタルコンテンツを活かせる社会を目指して

コンピュータのネットワークからコンテンツのネットワークへ

ビッグデータをはじめ、デジタルコンテンツのもつ潜在的な利用価値に注目が集まっている。しかし、デジタルコンテンツが真にその価値を発揮するには、コンテンツを流通させ、利用を促さなくてはならない。そのためにさまざまな技術の開発が求められている。金子さんは、デジタルコンテンツが生まれてから使われなくなるまでを、人の一生のように捉え、それを支えるデジタルインフラから実際の活用方法まで、コンテンツを流通させるための解をネットワーク技術に求め、幅広く研究し、開発している(図1)。

ステージ1家庭で4K放送を見るには

放送局主催の展示会や街の電気店に足を運ぶと、最近は4Kの高精細な映像を見ることができ、その美しさと迫力に息をのむ。東京オリンピックが開催される2020年までには、こんなテレビ放送を家庭で楽しむことができるといわれるが、その実現には多くの技術的問題が解決されなければならない。
金子さんが、4K放送を見越して、大容量デジタルコンテンツを配信するためのネットワーク技術の研究を始めたのは、東京大学で博士課程を修了し、慶應義塾大学のデジタルメディア・コンテンツ統合研究機構(DMC)に勤務するようになった2006年のことだ。
「当時のコンピュータは、今ほどパワーがなかったので、大容量デジタルコンテンツを扱う際の問題点をはっきりさせやすかったのです。おかげで苦労しましたが、多くの問題点を発見しました」と振り返る。データ量が大きいというだけで、小さいものとさほど扱い方に違いはないだろうと軽い気持ちで始めた研究だったが、全く違うことに気づかされたという。
この時の研究が活かされているのが、MOON(Media Operations onNetworks)だ。72台の安価なコンピュータを組み合わせて、大容量のネットワーク通信を可能にしている。高品質・高価格の大容量ネットワークを各家庭に引くことはできなくても、現在普及している程度の品質・価格のネットワークで大容量コンテンツを配信できる。しかも、視聴者が増えたり減ったりした場合にも柔軟に対応できる。
多くの研究者が、強力なサーバと高品質なネットワークで大容量デジタルコンテンツを扱おうとしていた時に、安価なコンピュータとネットワークを使って大容量通信を行う方法を提案し、それが可能だと示したことは、大きな成果であった。

ステージ1からステージ2へサービスを意識してデジタル技術をつくる

金子さんの研究は、大容量通信を可能にするネットワーク技術の開発だけではない。「ネットワークが機能するということは、皆が同じルールを共有し動作することを意味します。そして、ネットワークの規模が大きくなるほど、ネットワークの利便性は飛躍的に高まるのです。だからネットワーク技術を研究していると、自然に提供するサービスやコンテンツのことも考え、できるだけネットワークの規模が大きくなるようなルールを考えるようになるのです」。デジタル技術は、どんな用途に使う場合でも、必要な機能は共通であることが多い。だからといって、適当に組み合わせればいいわけではない。ネットワークインフラの設計において、さまざまなコンテンツやサービスを考え、その最小の共通項となる要求事項を見つけなければならない。
「学生時代にネットワークの研究をしていた頃は、純粋に技術的な視点からネットワークの問題を見つけて、それを解決するという研究をしていました。博士課程修了時に、指導教官の青山友紀先生からネットワークを “どう使いたいか” からネットワーク技術を考えるのもいいのではないか、といわれたのです」。ネットワーク技術だけを研究することの限界を知っていた青山先生の一言で、新しいネットワークの使い方が必要とするネットワーク設計の研究へと大きく舵が切られた。
金子さんはDMCに着任以来、ネットワーク化する価値のあるアプリケーションサービスの視点からネットワーク技術に向き合う姿勢に変わった。4K放送に向けたネットワーク技術を開発することで、アプリケーションサービスの視点が養われ、4Kコンテンツの利活用を牽引するのは何かという新しい問題意識に繋がった。

ステージ2コンテンツのネットワーク化

2012年に理工学部情報工学科の専任講師になると、慶應義塾大学におけるデジタルミュージアムの検討を開始した。慶應義塾大学には、歴史的に貴重な資料が多い。これまでも資料のデジタル化は進められてきたが、それがほとんど利用されていない。
そこで金子さんは「MoSaIC(Museumof Shared and Interactive Cataloguing)プロジェクト」を立ち上げた。このプロジェクトの特徴は、「キーワードがなくても、あるコンテンツから、それに関連する別のコンテンツを拾い上げる」という独自に開発した技術にある(図2)。コンテンツの提供では、例えばGoogle検索のように、多くの場合キーワードという言語が介在する。しかし金子さんは、この言語を使った関連付けをやめ、関連するコンテンツ同士を単純に線で結ぶことにした。こうすることで、コンテンツ同士の間にどのような関連があるのか、その理由はわからなくなるが、言語の持つ曖昧さが介在しないため、何らかの関連が確実に存在する。
このような関連付けの意義は、1つのコンテンツを選ぶと、芋づる式に線でつながれたコンテンツが提示され、そこで新しい発見が生まれることだ。新たに見つかったもので、気になったものについては別に詳しく調べれば、両者にどのような関連があるのかもわかる。コンテンツが関連していることを示すことで、利用者の世界は広がるというわけだ。
この線で結ぶ作業は、今は手動だが、今後の研究によって自動化されれば、世界中のコンテンツがその関係性によって網目状につながり、そこからの発見は爆発的に増えるだろう。

ステージ3デジタルコンテンツの世界を豊かに

このほかにも、ハリウッドから請け負っているデジタル映写機の機能や性能を検証する業務や、デジタルアーカイブの標準化原案の作成など、金子さんのデジタルコンテンツ・インフラとの関わり方は多岐にわたり、語り尽くすことはできない。
幅広くデジタルコンテンツの利活用に関わる事業や研究をするのは、実際にデジタルコンテンツが直面している課題をひとつひとつきちんと把握する必要があると考えているからだ。そして、現在すでに存在し、そして将来蓄積されるであろう膨大なデジタルコンテンツを自由自在に活用できる技術を創らなければ、デジタル社会を豊かにできないと思っているからだ。
金子さんの研究は世界的にも珍しい。それを核にして慶應義塾大学のDMCはデジタルミュージアムをつくろうと考えている。DMCには文理が融合し、ネットワークからコンテンツまで考えられる研究環境がある。デジタルコンテンツの流通によってどんな新しい価値が生まれるか、楽しみである。

図1 金子さんの研究のアプローチ
金子さんの研究(赤いピース)はコンピュータのネットワークからコンテンツ(データ)のネットワークへと変化してきた。そして、コンテンツのネットワークを支えるコンピュータネットワークを設計している。

図2 MoSaIC を使って作成したバーチャルミュージアム
MoSaIC の助けを借りて、自分の感性や好みで展示品を並べ、「私のミュージアム」をつくることができる。いろいろな人の作った「私のミュージアム」を組み合わせることでデジタルならではの仮想的なミュージアムが誕生する。

(取材・構成 池田亜希子)

インタビュー

金子晋丈専任講師に聞く

小学生で感じた学問の面白さ

観察好きな子供時代

工事現場でショベルカーの動きを延々と見続けているような子供でした。実は今もそういうところがあって、人の動きなどを見るのが好きですね。話しかけたりはしませんが、何をしているのかな? それは何のためなのかな? と考えながら見ています。
例えば、空港のチェックインカウンターにいたスタッフが、搭乗口にいることに気づいて、どのタイミングで移動するのかな、どうしてそのタイミングなのかなと考えるのです。実際に見えるのは、スタッフの動きのごく一部分ですが、その部分が全体のシステムの中で、どんな意味をもっているのかを考えるのが好きなんです。時には、航空会社の違いが垣間見えてきたりして、面白いです。

夢は007

スパイになりたいと思っていた時期がありました。きっかけは、『世界の名探偵50人』のような本を読んだことでした。その中で007が一番格好よかったのです。ただ、スパイになるための本はありませんから、スパイに求められることは自分でマスターするしかないと考えていました。知識、体力、忍耐力、感情のコントロールを習得するために、いろいろな本を読んで試しました。また、スパイは基本的に異国の地で活躍するものですから、限られた情報からきちんと理解しなくてはなりません。その時に情報の真偽を判断する力はどうやったら身につくのだろうと考えましたね。 この点は、親の教育も影響していたと思います。幼い頃から、家には複数の図鑑や百科事典があり、自然と見比べていました。図鑑によって書き方が違うし、中には間違っていることもありました。

慶應義塾大学に来るきっかけは?

東京大学時代の指導教官の青山友紀教授は、NTTで4K技術の研究に関わっていた経験をもつ方でした。博士課程2年の時に、就職をどう考えているかと聞かれ、「特に考えていません」と答えたら、「会社もいいけど大学もいいんじゃないか、私が考えておくから」とおっしゃり、後日、ある国際会議で慶應義塾大学の先生に引き合わせてくださり、慶應義塾大学を勧められました。
こうして2006年に慶應義塾大学のデジタルメディア・コンテンツ統合研究機構(2011年に改組になりデジタルメディア・コンテンツ統合研究センター、以下DMC)に勤務することになりました。 2012年4月からは理工学部情報工学科の専任講師に着任し、DMCは兼任することになりました。
古今東西のデジタルデータを相互に接続する超大規模な情報ネットワークをどのように設計するか、そのネットワークを軸に展開するサービスからそのネットワークを支えるIT技術までを一貫して考えている人は、世界的にも他にいないと思います。

常識の脆さに気づくまで

初の海外経験は驚きの連続─先入観や思い込みの覆り

小学3年生の時に、生物(形態分類)学者だった父についてイギリスで1カ月間、アメリカで3 カ月間生活しました。当時の飛行機は事故も多く、“あんな重いものが人を乗せて空に浮くなんておかしい”と飛行機の旅に恐怖感を持っていました。しかし、国産プロペラ機のYS-11や、ジェット機に乗ってみると空を飛ぶことが自然に思え、“へぇ、浮くってこんな感じか”と分かったら嫌いではなくなりました。硬いと思っていた雲を飛行機が突き抜け包み込むような柔らかさを持っていることもはじめて理解しました。イギリスに行く際に経由したモスクワでは、知らない言葉をしゃべる人たちがいることに驚きました。父がコミュニケーションできていることにもびっくりしました。イギリスでは、日本から持っていったラジオをつけたら、英語が流れてきて「こいつ日本では日本語しゃべるのに、違う言葉をしゃべるのか!」って思いました。ほかにも、社会システムや文化、あらゆる製品も日本のものとは違っており、カルチャーショックとともにイギリス紳士へのあこがれも生まれました。

知識の限界

4カ月間ですから現地校には通わず、1日おきに家にいて勉強する日と、外に遊びに行く日にしていました。外出する日は、母と兄と私とで順番に行き先を決めました。小学5年生の兄と2人でバス旅行をした時に、居場所がわからなくなってしまいました。持っていた和英辞典で「ここ」と「どこ」を調べて、それぞれ “here” と “where” だとわかりましたが、どう組み合わせていいかどこにも書かれていなくて……旅行中肌身離さず持ち歩いていましたが、辞書って使えないと思いましたね。それとは逆に、“here, where, here, where” としゃべる子どもに、バスの運転手がわかるまで付き合ってくれたことは本当にありがたかったですね。 日本の小学校に戻ったら、学校の授業もよく理解できなくて、周りからは「海外ボケをしている」と言われていました。でも、貴重な経験をたくさんしたと思っています。

研究テーマとの接点

専門の選び方

最初からネットワークの世界を目指したわけではありません。高校生の頃は航空宇宙に興味がありました。私が小中学生の頃は、今みたいにロケットが次々に打ち上げられていたわけではないので、憧れの対象でした。 航空宇宙を専門にしたいと東京大学に入りましたが、物理学があまり好きになれず、電子情報に進路を決定しました。無線とインターネットに魅力を感じていたからです。高校1年生の時に、短波ラジオを手に入れたのをきっかけに、自宅にあったカーテンレールを利用してFMアンテナを独学でつくり大阪のFM放送を楽しんだり、上空にスポラディックE層と呼ばれる特殊な電離層が発生した際に、聞こえるはずもない北海道の放送を受信できたこともあり、電波の神秘性に心を奪われていました。また、同じ頃に手紙を書いて数カ月後に受け取っていたイギリスBBCの短波放送の最新プログラムや周波数情報を、ウェブサイトから即座に入手できたことにも感動していました。 これらのことを思い出して、無線やインターネットで情報をやり取りする電子情報を選んだのです。卒論ではモバイルインターネット、修士ではモビリティサポート、博士ではネットワークアーキテクチャを考えるようになりました。

研究テーマの変遷

DMCに来て4K映像の伝送実験を始めると、課題がたくさん見つかりました。学生時代に学んだあらゆるネットワーク技術を持ち込んで解決を試みましたが、うまくいかないことも多々ありました。そのたびに、わざわざネットワークを使わなくてもいいのでは、と周囲(ネットワーク技術者ではない人たち)から言われ、ネットワークの意義や価値とは何だろうとつくづく思いました。さらに、4K映像を配信できる技術を創っても、ネットワークを介して4K映像にアクセスしたいと思う人がいなければ、その技術は生きてきません。そこで、一つでも多くのコンテンツを閲覧してもらえるような世界の実現を考えるようになりました。
誰もが簡単にデジタルの情報を作れるようになればなるほど、デジタルの情報が埋もれやすくなってしまうのが現状です。ですから、コンテンツとコンテンツを繋いでおいて、何かをきっかけに少しでも人の目に触れる機会をつくっておくことが重要になります。すなわち、コンテンツをネットワーク化することが重要と考えたのです。現在のインターネットの規模の何兆倍もの規模のネットワークです。そして、この大規模なコンテンツのネットワークにどんな仕組みがあったら情報の精査がしやすくなるのかを研究テーマにしています。

情報の精査とは?

何が真実かを自分なりに見極めることです。先生が教えてくれたことだから、教科書や文献に書いてあるから、経験したことだから、すべて間違いがないと考えてはいけません。これらはきっとある事象のある側面においては真実ですが、今自分が向き合っている事象において同じ側面を見いだせるのか、また同じ側面を見ることに価値があるのかは、よくよく考えなければいけません。過去の知見は最大限活用して事象の側面の切り取り方の参考にしながら、真実をつねに模索し続けることです。ひとつの側面に満足してはいけません。側面が多いほど真実に近づくのです。もちろん、真実の探求に失敗はつきものです。失敗しても新たな側面に気づくことができたのであれば、必ず次につながります。
過去の知見を自分のものにするためにも、常日頃のいろいろな経験や観察、そして惜しみない考察が重要です。

 

どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎


学生さんから
IT機器の修理サポートのアルバイトがきっかけで、ネットワークの知識を深めたいと思うようになって、金子先生の研究室を選びました。私たちの世代は、インターネットはつながって当たり前ですが、インターネットが機能する理由を1つずつ理解することが大事だなと思います。先生からは、世の中の課題を見つけ、解決策を考える姿勢を学んでいます。一方で、学生のプライベートも気にかけてくださる、気さくな先生です。

奥様の池田真弓さんから
理工学部で英語と総合教育科目を教えています。慶應義塾大学が所蔵するグーテンベルク聖書のデジタル化に携わっていた関係で、DMCのメンバーになりました。現在は、金子さんのモザイクプロジェクトのミュージアムコンテンツに関わっています。9カ月の男の子がいて、子育てに奮闘中です。金子さんはなかなかイクメンで、保育園の送迎、お風呂、オムツ替え等々、育児はほぼ全てこなすことができます。料理もできるのですが、なぜか離乳食作りはしてくれません…。

(取材・構成 池田亜希子)

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