科学を純粋に楽しむ恩師の姿に惹かれ、研究の世界に

これまでに多くのすばらしい人たちと出会い、いろいろな場所で研究をしてきた古川さん。
どんなに小さなことでも、今の学生たちには「考えることの楽しさ」を忘れないで欲しいと強く願っている。
また、生化学と無機化学の境界領域にある金属タンパク質の研究を続けてきた経験から、さまざまな分野に興味をもつことの大切さを感じている。

Profile

古川 良明 / Yoshiaki Furukawa

化学科

兵庫県出身。専門は生物無機化学。特に、金属タンパク質が生理・病理に果たす役割について研究を行う。2002年京都大学大学院工学研究科博士課程修了、博士(工学)。米国ノースウェスタン大学、理科学研究所脳科学総合研究センターでのポスドクを経て、2010年4月より慶應義塾大学理工学部化学科准教授(有期)。2015年4月より現職。

研究紹介

今回登場するのは、

「金属タンパク質」の形成過程を通じて生命現象の理解に挑む、古川良明准教授です。

タンパク質への金属イオンの結合が私たちのいのちを支える

―生命現象を分子レベルで解明する生命機構化学―

タンパク質は金属イオンの助けを借りて、多くの生体反応を司る。SOD1 と呼ばれるタンパク質も、銅・亜鉛イオンを結合することではじめて活性酸素から細胞を守る働きをする。ところが、金属イオンを結合できない変異型のSOD1 は、異常な凝集体を形成して筋萎縮性側索硬化症の原因になると考えられている。古川良明さんは、タンパク質に金属イオンを供給する生体内プロセスに着目することで、さまざまな生命現象の解明に挑むとともに、その成果を難病の予防や治療法の開発にも生かしたいと考えている。

生命活動には欠かすことのできない金属イオン

鉄、亜鉛、銅、モリブデン、コバルト…。生体内ではさまざまな金属イオンが、タンパク質に結合することで機能を発揮している。いずれも生命の維持には欠かせないが、これほどまでにいろいろな種類の金属イオンを必要とするようになったのは、太古の地球に生じた大きな環境変化が関係していると考えられている。
「例えば、赤血球に含まれるヘモグロビンは鉄(II)イオンをもつタンパク質です。ヘモグロビンが酸素分子を運ぶことができるのは、鉄(II)イオンに酸素分子が結合するからです。鉄(II)イオンは生物が最初に利用した金属イオンだとされていますが、これは原始地球の海洋に最も豊富に含まれていたためだと考えられています」と説明する古川さん。金属イオンをもつタンパク質(以下、金属タンパク質)の構造や機能に興味があり研究を進めている。
光合成を行うシアノバクテリアが地球上に登場し、大気中の酸素分子の濃度が急激に上昇すると、鉄(II)イオンのほとんどが酸化され、水に溶けない酸化鉄(III)として海の底に堆積した。鉄イオンの利用が一転して制限された生物は、代わりに銅イオンなどのさまざまな金属イオンを巧みに利用することで、環境の変化に順応してきたと考えられている。

金属イオンを利用して、活性酸素から体を守る

すべてのタンパク質のうち、3割ほどが何らかの金属イオンを結合しているといわれている。なぜ、生物はこれほどまでに金属イオンを必要としているのだろうか。
「生命を維持するために、生体内ではさまざまな化学反応が行われています。それらの多くを進めているのがタンパク質です。タンパク質はアミノ酸がつながってできていますが、それだけでは限られた化学反応しか進めることができません。しかし、そこに金属イオンが加わると、タンパク質が行うことのできる化学反応は一挙に増えるのです」。こうして金属イオンは、高度な生命現象を維持するために欠かせない役割を担うようになった。
古川さんが研究しているSOD1(Cu/Zn-superoxide dismutase)という金属タンパク質は、毒性の高い活性酸素であるスーパーオキシドO2-を除去する酵素だ。正常に働かなければ、O2-がDNAや生体膜を傷つけるため、生物は生きていくことができない。SOD1は2つのサブユニットからなり、それぞれに銅・亜鉛イオンが1つずつ結合した構造をしている(図1)。銅イオンはO2-を除去する活性中心として機能し、亜鉛イオンはSOD1の構造を安定化させる役割を持つ。不思議なことにSOD1は、多くの金属イオンの中から銅・亜鉛イオンだけを選別して結合し、生体内で機能できるのだ。

図1 SOD1 タンパク質の構造
2 つのサブユニットそれぞれに、銅イオン(Cu)と亜鉛イオン(Zn)が結合する。2 つのシステイン残基(Cys57、Cys146)が形成するジスルフィド結合は、Cu/Zn イオンの解離を防ぐ「フタ」のような役割を果たす。

タンパク質はどのように金属イオンを捕えるのか?

「当然ですが、生物は金属イオンをつくることができないので、食べ物から摂取しています。しかし、金属イオンによっては毒性があるため、特定の金属イオンだけを細胞の中に取り込んで、特定のタンパク質に運び込む必要があります。とても面白い現象だと思うのですが、わかっていないことが実に多い」と、金属イオンとタンパク質の関係はいまだ謎に包まれていると古川さんはいう。どうやら、細胞内ではさまざまな生体分子が金属イオンを奪い合っているようで、特定のタンパク質に金属イオンを運搬する「金属シャペロン」の存在が明らかになってきた。ジョンズ・ホプキンズ大学のクロッタ(Valeria Culotta)教授やノースウェスタン大学のオハロラン(Thomas O’Halloran)教授が1997年に初めて発見した銅シャペロンを筆頭に、鉄やニッケルイオンを運ぶシャペロンも近年には報告されている。ちなみに、おしゃれな響きの「シャペロン」はフランス語で、社交界にデビューする若い女性に礼儀作法を教える年上女性のことだそうだ。
SOD1には、CCSと呼ばれる銅シャペロンが銅イオンを供給する。古川さんは、SOD1がCCSから図2 のようなサイクルで銅イオンを受け取ることを見いだし、活性酸素の毒性から体を守ることを解き明かした。さらに、このサイクルがうまく機能しないと、CCSからSOD1に銅イオンが渡らず、SOD1は酵素として機能しないばかりか、正常な構造を保てなくなって、たくさんのSOD1分子が「凝集」する異常な現象が生じることも突き止めた。しかし、古川さんによると、SOD1が亜鉛イオンをどのように捕えるのかは、全く見当もつかない状態だと言う。世界初の「亜鉛シャペロン」の同定に向けた挑戦はまだまだ続く。

図2 古川さんが提案するSOD1 の活性化と凝集のメカニズム
① SOD1 は亜鉛イオンをまず結合し(メカニズムは不明)、②銅シャペロンCCS によって銅イオンが供給されることで、③酵素活性を有したSOD1 ができあがる。金属イオンが解離したSOD1 は、④アミロイド(写真は電子顕微鏡画像)や⑤オリゴマー(写真はALS 患者の神経細胞。茶色がオリゴマーを示す)といった異常な構造に凝集し、ALS 発症に関与すると提案されている。

金属イオン結合の失敗は神経変性疾患を発症させる

「私が知りたいのは、タンパク質がどのように金属イオンを確保しているのかということです。その重要性は、金属イオンを結合できなかったタンパク質がいろいろな病気で観察されることに目を向けるとよくわかります」と古川さん。自分の研究はあくまでも基礎研究だと言い切るが、SOD1の凝集が筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者の一部に見られる現象だということから、その研究は医学界からも注目されている。
ALSは、全身の筋肉を支配する神経(運動ニューロン)が侵されることで、手足を動かしたり呼吸したりするために必要な筋肉が萎縮する難病である。遺伝性ALSの多くには、SOD1をコードする遺伝子に変異が見つかっており、現在では150種類以上にものぼる変異型のSOD1が報告されている。
さらにALS患者の運動ニューロンには、変異型のSOD1が凝集している。古川さんは、SOD1への銅・亜鉛イオンの結合を制限することで、ALS患者の運動ニューロンで進行するSOD1凝集を試験管内で再現することに成功した。
「気をつけなくてはならないのは、SOD1が凝集したためにALSを発症したのか、ALSを発症したためにSOD1が凝集したのか、決着がついていないことです。ですから、SOD1の凝集を抑える物質を見つけたとしても、それがALSの治療薬になるとは言い切れません」と古川さんは慎重だ。それでも、金属イオンが制御するSOD1の活性化と凝集の詳細なメカニズムを明らかにすることが、ALSの理解につながると考えて自身の研究を発信し続けている。
金属タンパク質への古川さんの純粋な興味が難病への創薬につながる日が、近々くるかもしれない。

(取材・構成 池田亜希子)

インタビュー

古川良明准教授に聞く

小学生で感じた学問の面白さ

どのような幼少期を過ごされたのですか?

小学生の頃は、学校から帰ると暗くなるまで友達と野球をする毎日で、将来は阪神タイガースの選手になると本気で思っていました。虫や生き物も好きでしたね。放課後には、空き地に行ってバッタを捕まえたり、田んぼや用水路に入ってオタマジャクシやザリガニを捕ったりしていました。
学校の勉強にはあまり興味がありませんでしたが、小学校5、6年生のときに「考えることの楽しさ」に思いがけず触れることになりました。当時の担任だった後藤先生は少々風変わりな先生で、小学生の私たちに、星の明るさと距離の関係を考えさせたり、周期表をもとにして原子のいろいろな性質を教えてくれたりしました。また、私たちをよく外に連れ出して、実際に観察したり体験したりすることの大切さを理解させてくれました。小学生にはかなり高度な内容だったと思いますが、学問の面白さを肌で感じることができました。

化学に興味をもたれたのはどうして?

中学・高校時代に数学オリンピックやいくつかのコンクールに挑戦して、解答ではなく解法の美しさを楽しむ世界があることを知りました。頭の良い人たちの解法はいたってシンプル。問題を速く解くのではなく、じっくり考えて美しく解く。そんな人たちに囲まれた環境が学問の楽しさを教えてくれたと思っています。ある日の化学の授業で有機電子論に触れ、その明解な考え方に魅了されたことをよく覚えています。そのようなシンプルで美しい化学をさらに深く学びたくて、大学は化学が強いといわれる京都大学を選びました。しかし、当時の京都大学では、試験さえクリアすれば卒業できたこともあってか、授業にはあまり出席しませんでした。化学はいろいろな教科書を読んで勉強する代わりに、ラテン語やドイツ語ゼミの輪読会に参加したり、学内で開催されるセミナーを聞きにいったりと、化学以外の学問にも触れることができたのは非常に良い経験になりました。多くの親友もできて学生生活を満喫していましたが、今思うと日本の化学を代表する先生方の授業を聞いておけばよかったと後悔しています。

生化学と無機化学の境界的な研究分野を選ぶ

研究の世界に入られたきっかけは?

私のアカデミックキャリアの原点は、大学4年生で配属された森島績教授の研究室です。当時から、生命現象を分子レベルで理解する生化学と、分子軌道で反応性を記述する錯体化学に興味がありました。森島研ではヘムタンパク質の構造機能相関という、タンパク質と金属錯体の境界を扱った研究をしていたので、私の両方の興味を満たしてくれました。それに加えて、研究室を見学した際にお会いした森島先生の姿は、今でも鮮明に覚えているほど強く印象に残っています。大きな椅子にゆったりと腰を掛けて、パイプをくゆらせながら、ヘモグロビンの反応性をヘムの分子軌道で熱く説明してくださったのには感激しました。 森島先生が、HOMO/LUMOを提唱して1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一先生の弟子にあたりますので、私は孫弟子ということになります。残念ながら福井先生にお会いすることは叶いませんでしたが、研究にかける情熱には並々ならぬものがあったと森島先生からよくお話を伺い、感銘を受けました。研究室では、生化学・分光学・熱力学などを学びながら、タンパク質の電子移動反応を研究していました。森島先生が放任主義だったので、自分で考えたことを自分で試すような研究をしていました。研究の難しさや辛さも経験しましたが、研究室の至る所に置かれているホワイトボードにあれこれ書きながら先輩や後輩と議論する毎日は本当に充実していました。また、当時の助教授だった石森浩一郎先生には、学術論文に限らず、文章の書き方から研究発表の仕方まで、自分の考えを他人に伝える作法を徹底的に教え込まれ、そのおかげで今でも研究を続けることができていると感謝しています。

大学卒業後はどのような進路を?

実験して、議論して、発表するということに夢中だったので、企業への就職は全く頭になかったですね。気がついたら博士課程3年の夏。来年からどうしようかという危機的な状況でしたが、多くの先生の勧めもあって、銅シャペロンの研究で活躍されていたノースウェスタン大学のトーマス・オハロラン教授のもとに留学しました。銅シャペロンについて研究するうちに、タンパク質と金属イオンの相互作用を明らかにできれば、いろいろな生理現象や病気の発症について理解できるかもしれないと考えるようになり、現在の研究につながっています。
「自然の摂理は常にシンプルであるべき。でも、シンプル過ぎてはよくないんだ」とアインシュタインの言葉をオハロラン教授はよく言っていました。現在は、別の研究プロジェクトでも活躍されており、斬新なアイデアを次々に生み出すその能力には全くかないません。「新しい考えを生み出すことを恐れずに楽しみなさい」とも助言され、研究をもっと楽しもうと考えるようになりました。
その後、理化学研究所の貫名信行先生の研究チームに加わりました。貫名先生は、神経変性疾患の発症をタンパク質の構造変化で理解しようとされる、当時では数少ない神経内科医で、現在も基礎研究を非常に大事にされています。培養細胞やマウス・ラットといった、これまで扱ったことのない実験モデルや、高価な実験装置を自由に使わせていただき、自分の実験技術に磨きをかけることができた最も充実した時期だったかもしてません。
振り返ると、師事した全ての先生には非常に恵まれました。どの先生も科学を、そして人生を楽しんでいて、私のよい「ロールモデル」になっています。

大学は自分の路を考える大事な場所

今の学生に望むことは?

2010年に慶應義塾大学に異動してきました。化学科の先生方が「慶應に新しい研究分野の導入を」と尽力して下さった結果、私は新しい研究室を立ち上げることができました。
慶應義塾大学は、多くの卒業生が広く社会で活躍しており、いわば日本の原動力とでも言うべき存在だと感じています。それは素晴らしいのですが、一方で、学生たちには慶應というブランドやその人脈に頼りすぎず、個々人が各々の色を出して欲しいとも感じています。大学には国の政策には左右されにくい“私学”の良さをこれまで通り発揮し続けて欲しいと思っています。
また、最近の学生に非常に多いと感じるのですが、学問を物理・化学・生物に無理矢理に細分化したり、基礎か応用かをやたらと気にしたりすることはやめるべきだと思います。学問には本来、境界はないので、こうした考えは自然科学の理解の妨げとなるからです。
大学は、自分のこれからの路を見つけるための場所であって、企業に就職するための単なる通過点ではありません。私は“noblesse oblige”という言葉を森島先生から教わりました。これは「高貴なものには、それなりの責務がある」という意味です。慶應という恵まれた環境に置かれているのですから、今の学生には、自分はいったい何をすべきなのかをもっとよく考えて、プライドをもって生きて欲しいと感じています。

研究の合間に息抜きなどはされますか?

世界の言語や文字が大好きで、今でも気になる展覧会などには家族と一緒によく足を運びます。きっかけは、中学か高校時代に読んだ井上靖の『敦煌』に出てくる「西夏文字」。「漢字のようだけれども漢字ではない」と小説の中で紹介されるその西夏文字が一体どのような文字なのか、非常に気になって仕方なかった記憶があります。インターネットで調べることのできない時代だったので、幾つかの図書館や本屋を巡って、西夏文字について色々と調べました。初めて西夏文字を見たときには、何とも言えない不思議な感覚になったことを覚えています。それ以来、世界中の至る所に色々な文字があることを知り、不思議な文字を眺めているだけで癒されます。 本を眺めているだけではどうしても飽き足らず、実際に古代文字を見てみたくなって、エジプト(ヒエログリフ)・イラン(楔形文字)・メキシコ(マヤ文字)をはじめとして、色々なところを旅しました。中国のカシュガル(新疆ウイグル自治区)では、ウイグル語を漢字で表記するので、町中にいろんな漢字が溢れているのだけれども、意味が全く分からないという状況は非常に刺激的でした。そもそも旅行することは大好きでしたが、それは両親が小さい頃から国内外を問わず色々なところに連れて行ってくれたからだと思います。喜びや苦しみを分かち合える人と一緒に、世界の文字を見る旅行をするのが大好きで、妻とは結婚前からあちこちを訪れています。 日々の息抜きは、何と言っても小学生と幼稚園生の娘たちと遊ぶこと。見ているだけでもとにかく面白いんですよ!

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
●古川先生が慶應義塾大学に移られてきた2010年に、私も大学に入学しました。タンパク質のような大きな分子を扱った研究に挑戦したいと考えていたので、「これだ!」と思って金属タンパク質について研究している古川研を迷わず選びました。今は、博士課程1年生の私を信じていただき、自由に研究させてもらっているのが心地いいです。

(取材・構成 池田亜希子)

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