研究者の道を選んだのは、管理工学との出会いがきっかけ

幼い頃から、自然の中で遊ぶことが好きで、探究心が旺盛だったという田中さん。
ただ、幼い頃は、研究者になろうとは夢にも思わなかった。
運命を変えたのは、管理工学の研究分野との出会いだった。
社会の複雑な事象についてモデルを構築して課題解決を目指すアプローチは、現実問題への具体的提案を行う工学的迫力と、自然現象をシンプルな法則で記述する物理学にも通じ研究者の道を選んだのは、管理工学との出会いがきっかける理学的な面白さを兼ね備えた魅力があるという。

Profile

田中 健一 / Ken-ichi Tanaka

管理工学科

東京都出身。専門はオペレーションズ・リサーチ。社会システム工学。2000年、慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業、2005年同大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士課程修了、修士(工学)。東京理科大学工学部第一部経営工学科助手・助教、電気通信大学電気通信学部システム工学科助教、同大学情報理工学部総合情報学科助教を経て、2014年4月より慶應義塾大学理工学部管理工学科専任講師。2016年4月より現職。

研究紹介

今回登場するのは、
数理的手法で都市の課題を解決する田中健一准教授です。

施設配置や運営時間を、数理モデルで導き出す

社会システムのモデリングと最適化

社会のさまざまな問題について、数理的手法を用いて、合理的に計画を立てたり、解決策を提示したりするオペレーションズ・リサーチ(OR)。田中健一さんは、ORの数理的手法を使って、公共施設や商業施設などの最適な配置や運営時間の設定に役立てる研究を行っている。施設の配置や運営時間しだいで利便性や収益が大きく異なることを明らかにすることで、運営者側の合理的な意思決定に役立てることができる。ORは意思決定の科学や問題解決学とも言われる実践的な研究分野だ。

施設配置の最適化問題に時間軸を加える

田中さんが所属する管理工学科では、人やお金、情報、インフラなどにまつわる現実の社会的課題を、数理的アプローチによって解決する研究を行っている。扱う対象が社会システム全般と幅広いだけに、関連する分野は多岐にわたり難しい側面もあるが、現実に即した答えを社会に示すことができる実践的な学問だ。
その中で、現在、田中さんが手がけるのは、都市工学分野の「施設配置問題」。自身の研究の特徴を、田中さんは次のように説明する。
「工場などの施設の最適な配置場所を数理的に求める研究は、すでに1世紀以上前に行われていて、“ウェーバー問題”として知られています。その後、施設配置問題は幅広い展開をみせていますが、これまでは基本的に空間配置しか扱ってこなかった。私の研究では、ここに時間軸の概念を取り入れて、限られた時間の中で施設サービスを享受する人間の行動を直接モデルに取り入れた点に特徴があります」。
その一例として、田中さんは社会人大学院の配置問題を提起した。首都圏の企業などに勤める就業者が退社後の帰宅途中で大学院に立ち寄るという場面を想定して、利用人数を最大化するための施設配置と授業開始時刻を導き出し、サービスを提供する主体の意思決定に役立てようという試みである。
「開始時刻が早すぎれば、退社後に授業に間に合う人が少なくなるし、遅すぎれば帰宅できなくなる。その時間軸上のトレードオフに対して、いかに最適な解を導き出すのかがポイントになります」(田中さん)。

図 1 数理モデリングによる問題解決
数理モデル構築の際には,重要な要因のみに着目し、数理的に扱い易い問題として対象をうまく表現することがポイントである。時間やコストの許す限り、1から5の流れを繰り返して、意思決定に役立つ知見を引き出すことを目的とする。

合理的な計画案の中に、勘と経験では導けない意外な答えが

ここで、田中さんが用いたのが、首都圏の通勤・通学の鉄道やバスの利用状況をアンケート調査した『大都市交通センサス』と呼ばれる大規模データである。このデータをもとに、退社後、社会人大学院で3時間授業を受けて、夜11時までに帰宅する場合、首都圏のどこに施設を配置して、何時に授業を開始すれば利用者数が最大になるかを、数理モデルを用いて導き出した。
「ただ、時間を取り込むと、単に場所を選定するよりも、桁違いに情報量が増えてしまいます。数理最適化問題を解くためには、すでにさまざまなソルバー(ソフトウェア)が用意されていますが、最新のソルバーを使ったとしても、時間情報まで入れ込むとデータ量が膨大になり計算できなくなる。そこで、モデル化の工夫を行うと同時に、提案モデルの特徴を捉えたアルゴリズムを設計しました」と田中さんは言う。
その結果、ある想定の下では、開始時刻を10分刻みで設定した場合、施設を1つだけ置くのであれば、社会人大学院を新宿に設置して、7時10分に開始するのが最適であることが導き出された。2位以下は、渋谷、表参道、原宿、代々木の順となっていて、直感とのズレはさほどない。
面白いのは、施設数を2つ以上に増やしたときである。施設が2つの場合、開始時刻を施設ごとに独立に設定できる場合には、新宿と青山一丁目で、7時30分と7時に開始するのが最良となった。さらに、同一時刻に授業を始める場合は、神保町と菊名(横浜市)に施設を設置して、7時10分に開始するのが最良という答えが導き出された。
「各施設の開始時刻を独立に設定できる場合には、都心に複数の施設を同時配置して、時刻をずらしたほうが有利だし、開始時刻が同一の場合には、都心だけでなく、サービス享受者の自宅に近い住宅街にも施設を設置したほうがいい。状況設定に応じて、結果に大きな差が出るんですね。このように、勘や経験則だけではたどり着けないような、合理的な答えを導けるところに、数理モデルによる分析のリアリティと面白みがあります」。

図 2 時間軸を導入して一般化した施設配置問題
施設配置問題では通常時間軸は無視される。しかし、都市に施設を配置してそれらを運営していくためには、時間的な要因が重要になる。図では、鉄道網や道路網を表す物理的な都市空間に垂直に時間軸を導入して状況を一般化している。この時空間領域内で、人の流れ(利用者の施設への立ち寄り行動)を表現し、施設サービスを最適化する状況は、身の回りの様々な場面に現れる。汎用的な枠組みの構築を目指して研究を行っている。

汎用モデルを提示して、さまざまな場面に役立てたい

もっとも、社会人大学院の設置問題は、あくまでも一例であって、田中さんの狙いは、さまざまな場面に応用できる汎用的なモデルをつくることにある。
「このモデルも、利用者の施設への立寄り方や施設の運営方法などの条件を変えることで、スポーツクラブや映画館、コンサート、各種イベントなどの幅広い対象に応用できます。また、保育園、図書館などの既存施設のサービス時間帯の見直しや改善など、一見異なる状況にもモデルを少し変更すれば応用できます。つまり、私の目標は、汎用的なモデルをつくり、分析のためのフレームワークを提示することにあるのです」と田中さんは強調する。田中さんの研究テーマが多岐にわたる理由である。
たとえば、最近では、安全性の高い集団下校ルートに関する共同研究といったテーマも手がけている。下校途中の児童が事故や事件に巻き込まれないように、できるだけ1人で歩く距離を減らし、なおかつ全児童の学校から家までの移動距離の合計を短くすることを課題にした。その結果、単独で歩く距離を6割に減らし、かつ移動距離の合計は1%程度の増加に抑えることができた。この成果は歴史ある国際雑誌に採択された。
さらに最近は、交通手段選択を考慮した省エネルギー都市設計、老朽化に着目した都市インフラの維持・管理モデル、火山噴火時における避難施設の適正な配置計画など、現場で求められる問題から出発して、新しい数理モデルの開発とその応用のための研究を行っている。
「数理的な手法を用いることで、意外な気づきがあり、よりよい社会の構築に役立ちます。これからも、世界に向けてインパクトのある研究成果を発信することを目標に、日々研究に取り組んでいきたいと思います」と、田中さんは目を輝かせた。

(取材・構成 田井中麻都佳)

インタビュー

田中健一准教授に聞く

自然に対する探究心、自然に対する興味が強かった

どんな幼少期を過ごされたのですか?

東京都武蔵野市の出身で、自宅から数キロの範囲に、野川公園や小金井公園、井の頭公園などがありました。また、父が、休日や夏休みに車で山梨県や長野県など自然豊かな場所へ連れていってくれたこともあり、屋外で遊ぶのが好きでした。よく友達と昆虫採集をしていました。なかでもクワガタが好きでした。海へ行っても、泳ぐよりも、潮溜まりで魚やカニを観察するのに夢中になっていた記憶があります。また、天体や星座にも興味があって、小学生の頃は星座や星雲の名前を図鑑で調べて覚えたり、超新星爆発やブラックホールなどについて書かれた本を読んで驚いたり。宇宙の果てがどうなっているのかを考えて、眠れなくなったこともあります(笑)。というわけで、小中学校を通じて自然科学に興味を持っていた子どもでした。
一方、父が音響関係のエンジニアだったことと、母がクラシック音楽好きだった影響もあり、幼い頃からピアノを習っていました。中学時代には、音楽学校への進学を目指して、音大の先生に師事していたこともあります。当時は、1日6時間くらいピアノを弾いていたんですよ。ただ、いろいろと迷った結果、ピアノは途中で辞めてしまいました。残念ながら、いまはピアノから遠ざかっていますが、いつか趣味として再開したいと思っています。
そうしたわけで、高校は地元の都立高校に進学しました。数学の面白さに目覚めたのは、この頃です。とくに曲線に囲まれた領域の面積が積分という操作で求められることを知ったときは、本当に驚きました。数学を魅力的な学問だと感じた瞬間です。いまから振り返ると、自然科学や数学の面白さを知覚する感性はもっていたのだと思います。だからといってこれらの成績が良かった訳ではありませんでしたが(笑)。

それで大学は、生物系ではなく、理工系へ進まれたのですか?

そうですね。当時はまだ、特定の学問分野に強いこだわりはありませんでした。慶應義塾大学理工学部は、大学2年生のときから学科に所属するシステムになっているのですが、管理工学科へ進んだのは、人間や都市、社会などの多様な領域をカバーしていてなんとなく面白そうだと思ったからです。実際の講義がはじまると、社会の課題や人間の行動といった、複雑でやわらかい対象を数学的に表現し、背後にある構造を明らかにするというアプローチに面白さを感じました。当時は物理に興味があって、シンプルな法則で世界を記述できるところに魅力を感じていましたが、実社会の問題にも同じようなアプローチが可能なのだと、授業を受けてみてはじめて実感した部分が大きく、運が良かったと思います。

大学生活を満喫し、4年生で研究の面白さに目覚める

管理工学科に進んだ時点で研究者を目指そうと思われたのですか?

いいえ、それがまったくそうではないのです。自分が研究者になるなんて、当時は、夢にも思っていませんでした。大学3年生までは、とくに学業に熱中するという感じでもなく、塾の講師のアルバイトをしたり、バスケットやバドミントン、さらにはアウトドアサークルに入ったりして、学生生活を楽しんでいました。ちなみに、妻はアウトドアサークルの後輩です。 学問の面白さに目覚めたのは、大学4年生のときに、都市工学とオペレーションズ・リサーチを専門に、都市空間の数理的分析を手がけてこられた栗田治先生(現管理工学科教授)の研究室に所属してからです。研究室の説明会で、栗田先生の話を伺って、知識の幅広さと社会のさまざまな問題を数理モデルを用いて分析していく力強さに圧倒され、先生の下で研究したいと強く思いました。都市や地域のように空間的な構造をもった対象に、数理的に迫っていくという先生の研究スタイルは、現在の私の研究に大きな影響を与えています。 ただ、研究生活自体は大変な側面もありました。研究室のポリシーとして、学生が自らテーマを見つけるプロセス自体に重点を置いているためです。当時はまだ研究の入り口に立ったばかりでしたから、非常に苦労しました。結局、卒論では、鉄道駅の最適配置を駅までのアクセスに着目して分析するモデルをつくりました。いま振り返ってみると、研究としてはレベルの高い内容とは言えませんが、試行錯誤の末、苦労してテーマを設定し、ゼロからモデルをつくったという経験が、いまの自分の研究者としての原点です。振り返ると懐かしいですね。 それから、現実のどのような構造に着目するかは人それぞれですから、モデリングという行為には、主観が入るんですね。よくモデリングはアート&サイエンスと言われます。モデルをつくる人の世界観が反映された作品性を備えているところに面白みがある。特に人間や社会の問題は、物理学の世界のように厳密な法則に支配されているわけではないので、複数の異なるモデルが共存しても良い。そんなところにも、研究の魅力を感じました。 修士のときに、シンクタンクでインターンを経験して、就職するかどうか迷った時期もありましたが、結局、もっと研究を続けたいと思うようになり、博士課程へ進学し、栗田先生に引き続きご指導いただきました。

東京理科大学と電気通信大学で教鞭をとり母校に戻る

卒業後はどのような経験を積まれたのですか?

2005年3月に博士課程を修了して、運良く、4月から東京理科大学に助手として採用されました。理科大では、慶應義塾大学の出身学科である管理工学科と近い研究領域をカバーしている工学部の経営工学科に所属し、数学の演習科目やコンピュータを使った実験科目に加え、学生の卒業研究の指導も行うなど、幅広い経験を積むことができました。さらに、2008年10月に電気通信大学へ異動しました。その頃には、息子も授かり、大学のすぐ近くの宿舎に親子3人で暮らしていました。ここでは、腰を落ち着けて研究に専念しようと思ったこともあり、現在の研究の核となる仕事に取り組んだのはこの時期です。このときの研究や研究に対する新しい着想が、いまの自分の大きな財産になっています。
電気通信大学で5年半ほど教育・研究に携わった後、また、運良く2014年に慶應義塾大学に戻ってきました。

現在、研究室の体制は?

3年目ということもあり、現在は修士課程1年生が2名、学部生が5名という比較的少人数の研究室です。興味あるテーマに主体的に取り組むことを重視しているため、学生の研究テーマもスポーツチームのランク付けの問題から都市景観の数理的分析まで、実に多岐にわたっています。社会のさまざまな課題に数理モデルをつくって切り込んでいくことに、皆、面白さを感じてくれているようです。また、学生の持ち込んだテーマだと私自身も一緒に苦労してあれこれ考える必要があるため、いろいろ勉強になるし、新しい発見が得られることが多いんです。

休日はどのように過ごされていますか?

小学2年生の息子ともうすぐ2歳になる娘と妻の4人暮らしで、息子は私の影響で、虫捕りが大好き(笑)。夏休みを心待ちにしています。一方の娘は歌とダンスとアンパンマンが大好きなようです。最近はたくさん言葉を話せるようになってきたので、これからが楽しみです。また、家族で水族館や博物館に行ったり、旅行をしたりすることが、いい気分転換になっています。家族からパワーをもらうことが多いですね。
とくに妻は、学術系の出版社で編集者をしていることもあって、よき相談相手です。法学部出身なのですが、私の研究が社会をテーマとしていることもあり、新しい研究テーマについて話をすると、あれこれ意見を言ってくれます。まずは、妻を納得させられないようでは、社会的にインパクトのある研究にはなり得ませんからね(笑)。

慶應義塾大学の良さについて教えてください。

いくつもありますが、とくに、教職員や学生が慶應義塾という組織に強い愛着を持っていること。「慶應義塾から世界に向けてインパクトのある研究成果を発信する」、「慶應義塾をより良い組織にするためにはどうすればよいか」といったことを、皆が、それぞれの立場で考えて実践しているのが素晴らしいことだと思います。
また、理工学部全体としては、とくに若手の活躍を支援する空気があります。若手のための研究資金、海外派遣などの制度についても、学部全体でサポートしていくという気運がある。そうした雰囲気の中で研究と教育に携われるのは、本当に幸せなことだと感じています。組織としての一体感を強く感じることができるのも、慶應義塾の大きな強みでしょうね。

 

どうもありがとうございました。

  

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから

何を聞いても、真摯に、ていねいに、そしてわかりやすく答えてくださる、やさしい先生です。とにかく知識の幅が広く、話題も豊富で、とても勉強になります。ここでは、皆がパソコンを使ってプログラムを組んだりしていますが、行き詰まったときも、ちゃんと面倒をみてくださる。それでいて、研究のテーマ選びは学生に主体性を持たせるなど、厳しい一面も。ちなみに、先生のプライベートは謎に包まれています(笑)。

(取材・構成 田井中麻都佳)

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