最先端の研究の面白さに取りつかれ、研究者の道を突き進む

「逆スピンホール効果」というスピントロニクスの発展に欠かせない現象を発見した
齊藤英治先生のもとで、とびきり優秀な仲間とともに、研究に没頭した学生生活。
その研究生活の支えとなったのが、先生や仲間とのディスカッションだった。
それは現在の安藤さんの研究においても、学問を究めるうえで欠かせない重要な柱となっている。

Profile

安藤 和也 / Kazuya Ando

物理情報工学科

専門は、スピントロニクスを中心とした物性物理学。2007年 慶應義塾大学理工学部物理情報工学科卒業。2008 年 慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻修士課程修了(早期修了)。2010 年 慶應義塾大学大学院基礎理工学専攻博士課程修了(早期修了)。博士(工学)。2010 年 東北大学金属材料研究所助教、2013 年 慶應義塾大学理工学部物理情報工学科専任講師を経て、2015 年より現職。2013 年より科学技術振興機構さきがけ研究員を兼任。

研究紹介

今回登場するのは、
電子のスピン流を研究する安藤 和也准教授です。

電子の磁石としての性質が生み出す、スピンの流れを解明する

スピン流を制御する物理基盤を築き、次世代電子技術を切り拓く

スピントロニクスとは、スピンという電子のもつ量子力学的自由度が生み出す新しい物理現象を探索し、電子技術への応用を目指す分野である。安藤和也さんは、電流と変換可能で、エネルギーをほとんど損失することなく情報を伝達できるとして注目されるスピン流を理論的に解き明かすことで、スピントロニクスの発展に役立てようと研究に取り組んでいる。

スピンとは電子の磁石としての性質

安藤さんが手がけるのは、電子がもつ「スピン」と呼ばれる自由度が生み出す物理現象を解明する、スピントロニクス分野の研究である。
「スピンというと自転と訳されることが多いのですが、むしろ磁石のことなのですね。電子が電荷をもつのと同様に、電子は磁石としての性質を備えています。ところが、量子の世界ではスピンは上向き/下向きのどちらか2つの状態しかとることができません。たとえば、鉄は強磁性の物質ですが、それは、上向きのスピンと下向きのスピンをもつ電子の量が違う、すなわち不均衡だからです。一方、金や銀は、上向きも下向きも同量のスピンをもつ電子が存在することから、磁石にくっつかないのです」と、安藤さんは説明する。
通常、物質に外から電圧をかけると、上下2つのスピンをもつ電子が同じ方向へ動くため、スピンの流れは全体として相殺され、電荷のみが動くことで電流が生じる。ところが、2つの電子を逆方向に運動させると、逆に電荷の流れが打ち消されて、スピンの流れだけが現れる。この電子スピンの流れが、スピン流である。
「スピン流の研究における大きな成果としては、2007 年にノーベル物理学賞を受賞したフェール(Albert Fert) とグリューンベルク(Peter Grünberg)らが 1980 年 代 に 発 見 し た、『 巨 大 磁 気抵抗効果』があります。これは、強磁性膜と非磁性膜を重ねた多層膜において、スピン流の影響により金属の電気抵抗が大きく変化する現象のこと。この発見により、ハードディスクなど記録媒体の記録容量が劇的に向上しました。この現象は電流に付随したスピン流(スピン偏極電流)により発現するものですが、2000 年頃からスピンのみの流れを作り出せるようになり、電荷の流れを伴わないスピン流の研究が盛んに行われるようになったのです」。
スピン流の最大の利点は、電流で起こる熱によるエネルギー損失がないことだ。つまり、電子の電荷の代わりにスピン流をうまく制御できれば、ほとんどエネルギーを損失することなく、量子情報が伝送できるようになる。この点がスピントロニクスが次世代電子技術として期待される最大の理由である。

図 1 「スピン」の流れ
上向きスピンを持った電子と下向きスピンを持った電子が同じ方向に運動していると、電荷の流れが現れる。これを電流と呼んでいる。一方で、もしこの 2 種類の電子が互いに逆方向に運動していると、スピンの流れが現れる。このような電子スピンの流れがスピン流である。

スピン流と電流は変換可能

そのスピン流の研究の中で安藤さんが手がけるのが、スピン流の制御に役立つ基礎的な物理現象の解明である。「そのひとつが、『逆スピンホール効果』と呼ばれる現象です。これは、スピン流が流れているときにスピン流と直交する方向に電圧が現れるというもので、2006 年から 2007 年にかけて、金属系において初めて観測されました。
この現象は、アインシュタインが発表したことで知られる特殊相対論から理解できます。特殊相対論では、『動いている物体の長さは縮んで見える』とか、『動いている時計の時間はゆっくり進む』といった不思議な現象が説明されますが、この理論を使うと、動いているスピンの一部は電気分極へと変換されます。このような相対論的現象が物質中で現れているのが逆スピンホール効果です。簡単に言えば、逆向きのスピンをもつ2つの電子が同じ方向に散乱され、電子がたまることで電圧が現れるんですね。
同様に、逆の現象も起こります。つまり、電流を流すことで2つの電子が逆方向に散乱されて、垂直方向にスピン流が発生する。これが、2004 年に複数のグループでほぼ同時に実験的に観測された、スピンホール効果です」。
こうした物理現象を理論的に解き明かすことで、磁性体を使わずにスピン流をつくったり、スピン流と電流を変換したりできるようになり、スピン流の研究が一気に加速した。安藤さんはこうした知見に基づき、現状は数%というスピン流と電流の変換効率を上げる試みや、物質界面の相対論的効果の制御など、日進月歩で進展する研究テーマに取り組んでいるところだ。

図 2 スピンホール効果・逆スピンホール効果
物質中の相対論的効果によって、電子の運動にはスピンの向きに依存した偏りがある。物質に電流を流したとき、この効果によりスピン流が生成される現象がスピンホール効果であり、スピン流から電流が作られる現象が逆スピンホール効果である。

さまざまな物質におけるスピン流

ここで安藤さんの研究で特筆すべきなのが、スピンの揺らぎがつくる「マグノン」と呼ばれる粒子の研究である。
「実はスピン流というのは、電荷が流れていなくても発生するんですね。つまり、絶縁体の中でもスピン流は流れる。この絶縁体中のスピンの流れを担うのが、スピンの揺らぎであるマグノンです。量子力学では、ゆらぎ(波)というのは、粒子と見なすことが可能で、スピンの波の粒子としての振る舞いがマグノンであり、この性質により絶縁体においても情報の伝送が可能になるのです」。
従来の電流による情報処理では、半導体などの電気伝導性をもつ物質が不可欠だったが、絶縁体で情報処理ができれば、材料として使える物質の幅が大きく広がることになる。
「しかも、電気伝導性をもつ物質ではスピン流はわずか数ナノメートルから数百ナノメートル程度で消えてしまうのですが、絶縁体中では数ミリメートルと桁違いの距離をスピン流は伝導する。また、金属と絶縁体の界面では、スピン流を運ぶキャリアが伝導電子からマグノンへと変換されるのですが、その際に、このマグノンの寿命が変換効率の鍵を握ることを最近、突きとめました」と、安藤さんは言う。この画期的な発見は、2014 年 12 月に『NatureCommunications』に掲載された。
さらに、マグノンの分裂・結合が引き起こす非線形物理の解明にも挑む。
「マグノンというのは、いきなり 2 つに分裂したり、2 つのマグノンが 1 つに結合したりと電子とは違う性質をもちます。そうした動きを、外から制御したり、スピントロニクス現象に与える影響を明らかにしようとしています。スピントロニクスに使える材料が広がったり、スピン流を自在に制御できたりするようになれば応用につながるわけですが、そのための基礎的な物理を解き明かすのが私の研究の目的です」。
さらに最近では、有機物におけるスピン流の研究も手がけている。有機物中における電流からスピン流への変換効率は低いが、スピン流の寿命はマイクロ秒と比較的長く、スピントロニクスにおける新たな材料としての可能性を探りたいと安藤さんは展望を語る。
「磁性の研究は日本が強い分野なのですが、次世代メモリとして注目されるホットな研究だけに、企業も含めてライバルが非常に多いのです。その中で、マグノンや有機材料など、未踏の分野を自らの手で切り拓いていきたいと思っています」。

図 3 固体中の非線形角運動量変換
金属と絶縁体の界面では、伝導電子とマグノンの間でスピンの受け渡しが起こる。これによって、界面ではスピン流を運ぶ粒子がマグノンから伝導電子へと変換される。

(取材・構成 田井中麻都佳)

インタビュー

安藤和也准教授に聞く

小さい頃から理数系が得意で研究に憧れる

どんな幼少期を過ごされたのですか?

出身は、愛知県稲沢市というところです。ちょうど名古屋と岐阜の中間くらい、名古屋から電車で10分程度というベッドタウンで高校まで過ごしました。
両親も妹も、親戚も、理系にはまるで縁のない一家に育ちましたが、なぜか幼い頃から図鑑が好きな、マニアックな子どもだったようです。覚えているのは、ミニカーを集めていたことですね。とにかく車が好きで、通りすぎる車の車種をすべて言い当てることができたと親が言っていました。今は車すらもっていないのですが……(笑)。ハマったら熱中するタイプの子どもだったようです。
それから、小学生の頃から理数系が得意で、夏休みの宿題は友達と分担して、自分は理科と算数を担当していました。ただ、実験はあまり好きではありませんでしたね。どちらかというと、頭で考えることが好きだったのかもしれません。
ちなみに、電車通学が嫌だったので、小中高と一貫して、すべて家から徒歩や自転車で通学できる公立校に通っていました。家からだと多くの私立校が名古屋方面にあって、朝の通勤ラッシュに巻き込まれることは目に見えていましたからね。実は、大学で慶應に進学した際も歩いて通える日吉に住んでいましたし、今も大学のそばに住んでいるんですよ。

何か、スポーツなどはされていたのですか?

ええ。小学校のときはサッカーをやっていたし、中学のときはバレーボール部に所属していました。ただ、中学の部活の先生がとても厳しくて、それで嫌になってしまい、高校では部活には入らずじまいでした。そもそも、愛知県の公立高校は勉学重視で、厳しかったですからね。とはいえ、熱心に取り組んでいたのは、相変わらず数学と物理でした。その頃から、漠然と研究に憧れはもっていたように思います。
本来なら、このまま地元の名古屋大学を目指すのが普通なのですが、どうしても親元を離れて一人暮らしがしてみたかったこともあって、大学は慶應大学理工学部に進学しました。そして、2年からは物理情報工学科へ。当時はまだ、何の研究をやりたいのかよくわからなかったのですが、物理学科と比較して、物情のほうが将来の選択肢の幅が広くて、なにかすごいことができそうな気がしたのです。和気あいあいとした学科の雰囲気も進学の決め手になりました。

新しい研究分野で成果を生み、
研究者としてのキャリアを積む

研究室への配属のときに、研究の方向性を決められたのですか?

実はふたたび物理熱が高まって、最初は物理の佐藤徹哉先生の研究室に入ったのです。ところが、4年の4月に、物理学科の助手から物理情報工学科の専任講師に着任された齊藤英治先生が新しく研究室を立ち上げられることになり、第一期生として入れてもらうことになりました。ちょうどその直前に、齊藤先生は逆スピンホール効果という現象を見つけられたばかりで、スピン流という新しい研究テーマに興味を惹かれたからです。さらに、翌年の2007年には、スピントロニクス分野の研究者がノーベル物理学賞を受賞したこともあって、一気に研究にのめり込んでいくことになりました。
研究室に入ってまず驚いたのが、齊藤先生の物理に対する情熱と理解の深さです。たとえば、先生と議論をすると、直前までそのこのとについて考え込んでいたんじゃないかと思うくらいに、最先端かつ深い知識に裏打ちされた答えが返ってくる。つねに新しい研究にキャッチアップしつつも、何かを知っているという程度ではなく、深く理解して、自分の言葉で話をされる姿勢に、たいへん感銘を受けました。 そのほか、研究室には齊藤先生について物理学科から移ってきた先輩の針井一哉さん(現在、日本原子力研究開発機構研究員)や、井上博之さん(現在、プリンストン大学研究員)、さらには「実験が趣味」という後輩の内田健一君(現在、東北大学准教授)など、とびきり優秀な研究仲間が揃っていて、大いに刺激を受けました。
ただし、研究室はできたばかりで、実験装置がなかったため、他の施設を使わせてもらっていたこともあり、実験をするのは土日に限られていました。必然的に、平日は勉強したり、セミナーをやったり、議論に明け暮れたりしていたのですが、それが研究のアイデアを探ったり、考えを深めたりするうえでは、かえってよかったように思います。

サークルなど、研究以外の活動はされていなかったのですか?

入学当初、テニスサークルに一瞬入りましたが、すぐに辞めてしまいました。また、研究室に入る前は塾講師や家庭教師などのアルバイトをしていましたが、研究室に入る際に、勉強に集中しようと辞めました。もちろん、息抜きで、学部のときの学生実験グループの仲間や研究室の仲間と飲みに行くことはありましたよ。

とはいえ、ほぼ研究一筋の学生生活を送られていたのですね。

運が良かったというのもあるのですが、できたばかりの研究室で好きなように研究ができたことに加えて、新しい研究分野で次々に成果が生まれ、とにかく研究が面白かったのです。年に1回くらいは予想もしなかったようなデータが出ることがあって、その意味するところを理解した瞬間の、霧が晴れていくような爽快感はたまりませんでした。それこそ新しい現象を見つけたときは、自分だけがこの真実を知っているという特別な感覚に満たされるものです。研究者冥利に尽きる瞬間ですね。
修士2年のときには、自分で仮説を立てて実験し、理論模型までつくって独力で論文にまとめることができ、大きな達成感を味わうこともできました。 実は、いつだったか齊藤先生に「次は何の研究をやったらいいですか?」と尋ねたことがあります。ところが、先生からの返答は、「安藤君なら大丈夫でしょう」というものでした。こうしたことがきっかけとなって、しだいに研究者としてやっていく自信がついたように思います。もっとも親からは、「まだ勉強するの?」と言われたこともありましたが、奨学金をもらっていたので、とくに反対されることはありませんでした。
結局、4年から博士課程までに、共著も含めて十数本の論文を書き、修士・博士課程を3年間と、短期間で修了しました。

自分の研究室でさらに新しい分野を
切り拓いていきたい

それは異例の早さですね。
その後、東北大学の金属材料研究所に助教として赴任されたのですね。

博士を修了する少し前に齊藤先生が東北大学に移られていたのですが、声をかけていただき、ふたたび先生の下で研究することになりました。東北大学では実験室も広く、装置も充実していて、非常にいい環境の中で3年間にわたり研究に専念することができました。その後、慶應大学から声をかけていただき、2013年4月からこちらで研究室をもつようになりました。
あまりにトントン拍子だったこともあって、実は海外留学には3週間しか行ったことがないのです。英会話を学んだのは、齊藤先生の研究室にケンブリッジ大学から来ていたポスドクと一緒に実験をした3カ月間くらいですね。学会などで発表もするので専門の会話には困りませんが、今も、日常会話は少々苦手です(笑)。

プライベートはどのように過ごされているのですか?

慶應大学に戻ってきた年に研究室の後輩と結婚したのですが、妻は名古屋で就職したこともあって、結婚した当初からずっと別居生活をしています。週末に行き来をして、一緒に出かけたりしていますが、さすがに別居が長くなってきたので、そろそろ一緒に住もうかと話し合い中です(笑)。
そんなわけで大学入学以来、一人暮らしなので、得意な料理で息抜きをしています。たとえば、海外のお土産でもらった缶詰やパエリアの素みたいなもので、創作料理をつくってみたり、クックパッドを愛用しつつ、実験のようにあれこれ試して、楽しみながら料理をしています。
また、研究に行き詰まったときは、机を離れて、歩いてリフレッシュするようにしています。学生たちと議論するのも、発想の転換になります。研究室では学生と同室なので、齊藤研のときと同じように、「何かいいことない?」と言っては、暇な学生をつかまえてディスカッションをするのが日課になっています。

 

どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎


学生さんから
●安藤先生はまだ30歳ととても若く、つねに学生目線で接してくださるので、気兼ねなくなんでも相談しています。研究のことで悩んでいるときも、ディスカッションを通じて一緒にアイデアを練ってくださったり…。とくにスピントロニクスの研究は新しい分野なので、新規の発見のチャンスも多くエキサイティングで、大きなやりがいを感じています。

(取材・構成 田井中麻都佳)

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