研究に没頭できる環境に身を置き、努力を積み重ねて得たもの

ロケット好きだった少年が、長じて出会った「燃焼研究」の世界。
勤勉な友人や研究室の優秀な先輩たち、
さらには国際色豊かな教授との出会いや海外留学を経て、
研究者として身につけたのは、日々の努力を怠らない姿勢だった。
うまくいかないときでも、
「コツコツ努力をすれば、必ず出口は見えてくる」と横森さんは力強く語る。

Profile

横森 剛 / Tsuyoshi Yokomori

機械工学科

埼玉県出身。1998 年、慶應義塾大学理工学部 機械工学科卒業、2003 年同大大学院 理工学研究科 開放環境科学専攻博士課程において単位取得満期退学。2004年3 月博士(工学)。東北大学 流体科学研究所産学官連携研究員、日本学術振興会 特別研究員、米国・プリンストン大学 航空宇宙・機械学科客員研究員を経て、2007 年4 月より慶應義塾大学 理工学部 機械工学科専任講師。2013 年4 月より現職。

研究紹介

今回登場するのは、無駄なく高効率に燃焼させるしくみを明らかにし、
燃焼による「ものづくり」を手掛ける横森 剛准教授です。

燃焼のしくみを解明し、環境問題やものづくりに役立てる

CO2 を出さない燃やし方や、燃焼による材料合成の研究

自動車や飛行機などのエンジンをはじめ、発電所の心臓部であるガスタービンなど、内燃機関に欠かせない「燃焼」という現象。古くからある研究分野だが、高効率に、できるだけ環境負荷をかけずに燃やすためには、まだまだ課題が山積している。横森剛准教授は、その燃焼という現象を解明する基礎研究と、燃焼による物質合成という応用研究の両方に取り組む、新進気鋭の研究者である。

燃焼のさせ方により、効率や環境負荷を改善する

「燃焼」をテーマに研究を続ける横森剛さん。燃焼研究の歴史は古く、とくに 18 世紀半ばから 19 世紀にかけて起こった産業革命以降、蒸気機関車や自動車、飛行機、発電機など、さまざまな内燃機関を搭載したシステムが発明され、人類に欠かせないインフラとして活用されるなかで、大きく発展してきた。
「燃焼のエネルギー源のほとんどが化石燃料であり、石油は約 50 年後に、石炭も約 100 年後には枯渇すると言われていることから、それらをいかにうまく高効率に使っていくのかが、人類の喫緊の課題となっています」と、横森さんはいう。
たとえば、燃費がいいとされる T 社のハイブリッド車ですら、熱効率はいまだ 38%程度で、燃料が持つエネルギーの多くは使用されずに排気などから捨てられているため、熱効率の向上はまだまだ大きな課題なのだという。
それと同時に、地球温暖化の原因となる CO2 の排出も、燃焼にまつわる深刻な問題である。また、日本でもかつては大きな社会問題となった大気汚染や、最近では中国を中心に深刻化するPM2.5 なども燃焼のさせ方に原因があるといい、燃焼の研究は効率化から環境対策へと課題が広がってきた歴史がある。
「ところが、燃焼で起こっている現象はじつに複雑で、いまだによく分かっていない部分が多いのです」と、横森さん。「燃焼を解明するには、時間とともに変化する空気や物質の流れや拡散、熱の状態を把握し、そこで起こっている化学反応を知る必要があります。いくつもの要素が同時に絡みながら起こるところが、燃焼の難しさです」(図 1)。
流体にしろ化学反応にしろ、それぞれの現象に特化した専門分野が確立されていることからも分かるように、その解明はけっして容易ではない。それを横森さんは、従来のような経験則ではなく、理論の構築やシミュレーションの活用によって解き明かそうとしているのである。

図 1 燃焼の難しさ
燃焼を解明するには、流体の挙動、熱の移動、物質の移動、化学反応といった要素を同時に解く必要があり、研究すべきことはまだまだある。

CO2 や NOx を出さないための燃焼方法を探る

なかでも、横森さんが手掛ける研究の大きなテーマが、CO2 をできるだけ排出しない燃焼のさせ方だ。
「化石燃料を燃やせば必ず CO2 が排出されますが、その CO2 を大気中に出さない方法を試行しています。具体的には燃焼に空気ではなく、純粋な酸素を使うのです」と横森さんは説明する。
空気には窒素が含まれるが、酸素を使えば、排出されるのは CO2 と水(H2O)だけになる。そこで、燃焼ガスを冷やして、凝結した水を取り出せば、CO2だけが回収できるというわけだ。現在、回収した CO2 を圧縮して液体状にし、深海底に貯留するなどして大気中に出さない方法が検討されていることから、横森さんの研究にも注目が集まる。
「 た だ し、 燃 焼 に 酸 素 を 使 う と 約3000℃と高温になることから、現状の燃焼装置ではそれに耐えられません。そこで、燃焼温度を現状の 1500〜 2000℃程度に保つため、排出されたCO2 を炉に戻して循環させ、酸素濃度を下げる工夫をしています。これは従来にはなかった手法で、現在、燃焼学会内の研究会などでも取り組んでいるテーマです」。
その際に、酸素と CO2 の濃度をどれくらいに保てば最適な燃焼になるかを、実験とシミュレーションによって探っているのだという。
「燃焼の要は、炎の根本にあります。この部分に適度に酸素を供給しないと、炎が吹き飛んで消えてしまうため、その制御がカギを握ります。火力発電所などの大きなプラントでは炎が消えてしまうことはあってはならないため、非常に重要な課題の 1 つです」。
また、燃焼の際に NOx(窒素酸化物)を出さないための研究も手掛けている。これは、とくに飛行機など、重量やスペースの関係から NOx 回収のための後処理装置が付けられないシステムにおいて、求められる技術だ。
「燃焼の際に NOx が出やすいのは、窒素が多く、炎の温度が 1800℃と高くなる場合です。そこで、空気と燃料の量を、つねにアンバランスになるように制御するのです。具体的には、温度をあまり上げないように燃料を多く入れ、その後、余った燃料に多量の空気を吹き込んで再び燃焼させるという、二段階方式を採用することで、温度と燃焼をコントロールします」。
本来なら、高い温度で燃焼させれば効率がよくなることから、環境負荷をできるだけかけずに、いかに効率を上げるかが大きな課題なのだという。

燃焼による物質合成で、さまざまな酸化物をつくる

もうひとつ横森さんが取り組んでいるのが、構造体として利用されるセラミック材料や、光触媒などに使われる酸化チタン、LED やバイオマーカーなどさまざまな用途に使われる蛍光体といった「酸化物」の合成である。
「酸化物の結晶は高温の酸化反応を利用するとつくりやすく、燃焼研究の知見が生かせるのです。そこで、さまざまな用途に使えるような nm 〜 µm 程度の微細な物質をつくっています。特長は、純酸素を使い、2500 〜 3000℃の高温で物質を生成すると、きれいな結晶をつくり出せることにあります。また、燃焼の仕方や材料の配合を変えるだけで、簡単に多様な物質がつくり出せるところも大きな利点です」(図 2)。
燃焼による物質合成は珍しいが、結晶構造のいい機能性材料などの生成方法として期待されており、酸化チタンを中心に、企業からの引き合いがきているという。
「ただ、このような高温の燃焼を利用した合成では、化学反応や物質の結晶化が数ミリ秒程度の非常に速い時間で起こってしまうため、狙った物質をつくりだすためにはその過程やメカニズムをよく理解して制御することが必要となります。この部分はまだまだ未解明なことが多く、研究対象として非常に面白いところです」。
「燃焼の理論構築をベースにしながら、物質合成などの応用にも手を広げ、社会に役立つ技術開発をしていきたい」と、横森さんは目を輝かせる。

図 2  研 究 室 で 合 成 された粒子の例
横森研では、燃焼研究の知見をもとに、さまざまな用途で使える nm、µm レベルの微細な物質をつくっている。右のような装置によって、左のような多様な物質ができる。

(取材・構成 田井中麻都佳)

インタビュー

横森 剛准教授に聞く

家業の手伝いでしだいに理系に染まっていく

どんなお子さんだったのですか?

スペースシャトルなどのロケットが大好きな少年でした。ロケットが空に飛んでいく際に、お尻のところにエンジンから吹き出された炎がぼぉっと光って見えますよね。その迫力に魅せられて、興味をもつようになったのです。それから、テレビアニメや映画で人気になった『宇宙戦艦ヤマト』にも夢中になりました。戦艦自体がカッコいいし、やはり船尾の炎の部分がなんともいえず好きで……。今から思えば、当時から燃焼に興味があったのかもしれませんね(笑)。その後、成長するにつれ、クルマや電車など、内燃機関をもつもたないに限らず、メカ全般に興味をもつようになりました。
それから、生まれは埼玉なのですが、父親が都内で電気工事の会社を経営していて、よく現場に遊びに連れて行ってもらいました。中学くらいからは現場で配線工事や機器の取り付け工事などの手伝いもするようになり、自然と理系に染まっていった感じです。子どもながらも責任感を持ってやっていたと思いますが、機械をいじるのは好きだったので、楽しみながら取り組んでいたように思います。
photo 身体を動かすことも好きで、小中高は公立の学校に通い、小学生の頃はスイミングスクール、中学ではバスケット部、高校ではテニス部に所属していました。最近は忙しくてサボっていますが、基本的に体育会系なんですね。
一方、小学生の頃から学習教室に通い、そこで数学の問題を解く面白さに目覚めました。小学6年生の頃には、すでに大学の数学の問題まで進めていて、表彰されたこともあります。それでますます数学が好きになりました。僕は、褒められて伸びるタイプなんですね(笑)。親もわかっていたようで、「勉強しろ」と言われたことはありません。とにかく褒めて、子どものやる気を引き出して、自発的に勉強させていたのだと思います。

数学科に進もうという気はなかったのですか?

当時はまだ、大人になって何をしようかと考えたことはなかったですね。将来を意識し始めたのは高校3年になってからでしょうか。父の仕事の影響で、電気工学科か機械工学科に進めたらいいなぁ、と考えていました。浪人も覚悟していましたが、無事、慶應義塾大学理工学部に合格し、機械工学科に進学しました。

研究室を見学して「燃焼」に興味をもつ

どんな大学生活を送られたのですか?

高校までは部活中心の生活でしたが、大学に入ってからはガラリと意識が変わって、勉強中心の生活を送るようになりました。1年生の頃はテニスサークルに所属していましたが、課題のレポート作成で徹夜することも多く、片道2時間かけて埼玉の自宅から通っていたので大変で……。結局、1年生の途中で体を壊してしまい、サークル活動は諦めました。でも、友人に恵まれて、互いに切磋琢磨しながら勉学に励んでいたので、勉強自体は苦ではありませんでしたね。友人たちは皆、優秀で、私を含めて4人中3人が博士課程に進んだほど。もちろん、勉強だけでなく、一緒に遊んだり、成人してからは、週末ごとに飲んで過ごしたのは、今となってはいい思い出です。

なぜ、燃焼の研究に進まれたのですか?

燃焼の研究をされている溝本雅彦先生の研究室を見学した際に、先輩たちから話をお聞きして、興味をもったのがきっかけです。研究室に入ってからは、燃焼の魅力にすっかり取りつかれて、研究にのめり込んでいきました。研究室には博士課程の先輩が5〜6名いらしたのですが、先輩方の研究に取り組む姿勢にも刺激を受けたんでしょうね。その頃には学校の近くに下宿をしていたので、昼夜を問わず研究に没頭していました。
燃焼の研究というのは、実に奥が深いのです。たとえば、燃焼の事象をシミュレーションしようとすると、流体、熱、物質の拡散、化学反応といったさまざまな要素を同時に解く必要があり、対象によってはスーパーコンピューターを使っても1カ月以上かかります。基礎理論の構築にも、まだまだやるべきことがあるというのが、燃焼の基礎研究の面白さといえます。
じつは修士課程のときに、企業に就職して研究職に就くことも考えたのですが、しだいに基礎寄りの研究をしたいと思うようになり、博士課程に進むことにしました。進学の話を両親にした際は、経済的な理由もあって父は反対しましたが、奨学金を受けることができたので、最終的には賛成してくれました。
その後、2003年9月から東北大学でポスドクとして働き始めたのですが、ここでの経験が大きな転機となりました。というのも、研究室のボスの丸田薫先生は国際色豊かな方で、研究室に海外の著名な研究者がしょっちゅう訪ねて来るのです。そこでグローバルなコミュニケーションの大切さを学び、一気に視野が広がりました。もっとも、それまでも海外の学会で発表するなど、外に目を向けているつもりでしたが、レベルがまるで違っていました。研究を進めるための本質的な議論を、グローバルに展開することの必要性を痛感したポスドク時代でした。
そこで、海外留学を決意して、日本学術振興会のポスドクとして2005年4月から1年間、プリンストン大学へ留学することにしたのです。プリンストン大学といえば、物理や数学、経済の分野で有名なイメージがありますが、燃焼の分野でも非常に歴史のある研究機関なんですね。

海外での研究生活はいかがでしたか?

大変でしたね。最初は住む所も決まっていなくて、2週間くらいは先生などのお宅を転々としながら住まい探しからスタートしました。当時は英語もたどたどしい状態でしたし、わずか2週間でホームシックにかかったほどです(笑)。研究は楽しかったけれど、海外での生活自体に慣れるまでにちょっと時間がかかりましたね。研究室の人たちは私に配慮してしゃべってくれるのでそれほど会話には困りませんでしたが、いったん街へ出ると、当然のことながら皆しゃべるスピードが速く、スラングまじりだったりで、なかなか聞き取れなかったりして……。銀行口座ひとつ作るのにも苦労した思い出があります。
大学にも、日本人はほとんどいなくて、別の学科に1人いたくらいだったでしょうか。むしろ中国から来ている留学生を多く見かけましたね。実は私の指導教官もYiguang Ju教授という中国人の方です。この先生は、先ほどの東北大の丸田先生同様、海外に目を向けていると同時に、理路整然と考えて物事を進めることができるたいへん頭のいい方でした。性格もとてもよくて、研究者として憧れの存在です。

世界の優秀な人たちと議論できるような留学を

やはり海外に出ることは必要でしたか?

ええ。世界中から集まってくる優秀な人たちと議論できる環境に身を置くというのは、非常に重要でしょうね。四六時中研究のことばかり考えている研究者たちとつねにディスカッションをして、皆で考えていくスタイルを経験できたのはよかったと思います。現在の私の研究室も、プリンストン方式を踏襲しています。
また、プリンストン大学ではランチをとりながらディスカッションすることがあり、いい勉強になりました。もちろん、日本でも学生と息抜きで飲んだりはしますが、欧米ではランチの時間やお茶の時間が研究に関するコミュニケーションの場として機能しているんですね。ですから、休憩時間というよりは、研究の延長線上の貴重な時間という印象があります。
研究者であれば、できるだけ早めに、30歳くらいまでには一度、海外へ出たほうがいいでしょうね。

研究者として大切にされている信条はありますか?

研究のアイデアというのは、ある日突然、突拍子もないところから生まれてくることはありません。1つひとつ積み重ねて、はじめて形になるものだと思います。つまり、日々、コツコツと努力をすることが大切です。もちろんうまくいかないこともありますが、がんばっていればいつか出口は見えてくるもの。そうやって何かをつかむことができれば、大きな達成感を得ることができる。実際に、研究の中でそういう喜びを感じた瞬間が、幾度かありました。それこそが研究者としての醍醐味でしょう。もちろん、研究者でなくても、社会で成功されている方というのは、皆さん努力されていますよね。
ちなみに、慶應の学生は、スマートな人が多いという印象があります。自分でうまく進めていく能力もあるし、コミュニケーション能力もとても高い。悪く言えば要領がいいんですね。そこに努力が加われば、怖いものナシでしょう。ぜひ、そういう力を身につけてほしいですね。

休日はどのように過ごされていますか?

よく友人たちと温泉に出かけます。先日も、福島県の岳温泉というところに行ってきました。強い酸性のお湯が特徴の温泉で、露天風呂に入って、何も考えずにぼーっとリラックスできて最高でした。後は、ときどき日本酒を飲むことでしょうか。学生たちとも、たまに飲んでストレスの発散をしています。

どうもありがとうございました。


◎ちょっと一言◎


学生さんから
●どんなに忙しいときでも、困ったときには相談に乗ってくださる、真面目で頼りがいのある先生です。ただ学生を甘やかすのではなく、学生が自立できるように仕向けてくださるところは、先生ならでは。研究には厳しい方ですが、飲み会のときなどは、学生と一緒になって思いっきり騒ぐ、意外な一面もあります。

(取材・構成 田井中麻都佳)

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