新しい分野に本気でチャレンジしてきたことが、今の研究人生につながった

医者である父の背中を追って国立医学部を目指し、大学受験に挑むも断念。
目標が定まらない大学生活を経て、4年生で研究室に所属したことが、
研究の面白さに目覚めるきっかけだったという柿沼さん。
挫折とは裏腹に、その後の順風満帆な研究生活の背後にあるのは、
自身の心の声のままに、何事にもつねに真剣に取り組んできた姿勢にあるようだ。

Profile

柿沼 康弘 / Yasuhiro Kakinuma

システムデザイン工学科

専門はマイクロナノ加工、知能化工作機械。現在の研究テーマは、ナノ精度加工の現象解析、オブザーバ理論に基づく加工機の知能化。基礎研究から機械と制御を融合した応用研究まで幅広く展開している。2006年、博士(工学)を取得。2005 年に慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科の助手となり、2008年同大学専任講師、2011 年同大学准教授に就任。現在に至る。

研究紹介

今回登場するのは、

精密工学の知能化技術により、革新的なものづくりの研究をしている柿沼康弘准教授です。

人の能力を持つ加工機を目指して

異分野の融合研究が生み出す生産技術

精密工学を専門とする柿沼康弘准教授の研究は、じつに多彩で幅広い。ときには材料工学、またあるときは制御工学、さらにナノフォトニクスまで、異分野との積極的な融合研究を通じて、これまで世界になかった新しい生産技術を次々に生み出し、脚光を浴びている。その精力的な研究への取り組みと成果について、話を聞いた。

応用が期待される電気で粘着性が変化するゲル

微細加工技術や機械要素開発を軸にした生産工学を専門とする柿沼康弘さん。現在、①電気粘着ゲルを用いた機械要素開発、② “力を感じる” インテリジェント加工機の開発、③硬脆材や弾性高分子材の微細加工、の3つが、研究の柱という。
ユニークなのは、いずれの研究においても他分野の要素を取り入れながら、これまでになかった新しいものづくりにチャレンジしている点だ。
たとえば「電気粘着ゲル」の場合、電気で粘弾性が変わる「電気粘性流体」(ER流体= Electro-Rheological fluid)をベースにしているが、これは 1940 年代に発見され、90 年代に自動車産業を中心に人の能力を持つ加工機を目指して異分野の融合研究が生み出す生産技術応用開発が盛んに進められた機能性流体である。
「ER 流体は、電気をかけると、たとえるなら牛乳がババロアへ、さらにチーズへというように、粘弾性を変えていく物質です。つまり電圧によって硬くなるんですね。そのため、さまざまな分野で応用が期待されているのですが、時間の経過にともなって粒子が沈降・凝集してしまい、効果が薄れることや、液体のため扱いにくいという問題がありました。当初は、この ER 流体を使った応用デバイスの研究を目指していて、そのためにER 流体をより扱いやすいゲル状にしようと、専門外の材料開発にまで踏み込んで研究したところ、思わぬ成果が得られたのです」と柿沼さんは言う。
ある日、ゲル化のための材料の分量を間違えて倍以上投入したところ、ゴム状に近いゲルが生成されたのだ。この物質の性質を調べたところ、意外にも、電気をかけるとその表面が粘着性を持つようになることがわかった。
「いうなれば、電気によって、セロハンテープの表面が裏面に変化するようなイメージです。これは、シリコーンゲル中に分散しているマイクロ粒子が、電気をかけると凝集し、内部のゲルが表面に押し出されることで粘着性が生じるというもの。専門外ですから、化学メーカーの協力を得て研究していたのですが、既成概念にとらわれなかったことが逆に幸いしました」。
電気をかけるだけで粘着性によってモノを固定できることから、現在は、半導体のシリコンウエハーの加工時や搬送時の固定、振動を抑えるダンパー、精密機械のクラッチやブレーキなどへの応用を図っている。
「積層させることで粘着力を高めたり、より小型化したり、現在は自分の専門の生産工学を生かして応用開発を進めているところです」。

図 1  電 気 粘 着 効 果 の発生メカニズム
(a)無電界時には、ゲル表面より突出した ER 粒子が移動電極を支えている。ER 粒子は滑り特性が良く、移動電極は自由に動かせる。
(b)電界印加時には誘電分極した粒子が互いに引き合い、表面に突出していた粒子はゲル内部へ移動。一方でゲルが隆起して移動電極に粘着する。

画期的なセンサレスの加工機を開発

一方、2つ目の “力を感じる” インテリジェント加工機の研究では、制御工学の知見を取り入れた。
「これは、サーボ情報を観測し、センサなしに加工力やトルクを自在に制御できるシステムです。その際カギとなるのが、リニアモータ駆動のテーブルの駆動制御系に、外部からの負荷を監視する『外乱オブザーバ』を応用すること。これは、入力に対して、理論上得られる出力と違う結果が出た際に、外からどのような影響が加わったかを推定する技術になります」。
本来、機械に加えられている力を直接測ろうとすると力センサが必要になるが、外乱オブザーバでは、あらかじめ工作機械に組み込まれている位置決めシステムを利用して、モータに流している電流(入力情報)と出力された回転数もしくは応答位置(出力情報)を読み取ることで、どれだけの力が加えられているかを運動方程式に基づいて割り出すことができる。動的な加工負荷をリアルタイムで推定できるのが特長だ。
「現在では何にでもセンサをつけるのが主流ですが、センサ自体、高価なものもありますし、センサを付けるとどうしてもメンテナンス期間が短くなり、コストがかさみます。したがって、10 〜 20年も使用する工作機械などではセンサレスが求められる。そうしたことからこのシステムは業界からの注目度が高く、数年後の実用化を目指しています」。
さらに柿沼さんは、モニタリングした結果から、加工力を制御する技術の開発にも取り組んでいる。これにより、機械加工の永遠の課題ともいわれる「びびり振動」をコントロールしたいという。
「振動は不良品や、機械の故障につながります。とくに問題なのが、工作機械の動特性と加工プロセスの過程で、ある条件を満たしたときに突然発生する自励振動(系の中で引き起こされる振動)です。自励振動は事前に予測することが難しく、いまのところ画期的な対応策はありません。そこで外乱オブザーバを使って、どういう振動なのかをリアルタイムで検出し、その結果に基づいて力をコントロールできればと考えているのです。いずれは、本当の意味で人間のような能力を持った機械をつくりたいですね」。

図 2 センサレスプロセスモニタリング
外乱オブザーバ理論に基づき、スピンドルモータやステージのサーボモータの入出力情報から加工負荷を推定し、これに周波数解析などの信号処理を施すことで、びびり振動、工具欠損などの異常加工状態を診断する。

光学素子のナノ加工まで手がける

さらに、硬脆材や弾性高分子材の微細加工の研究では、ナノ加工でみられる現象の解析にまで手を広げる。これに基づいて、微細加工に必要な加工機の開発を行っているという。
「レンズのようなガラスを加工する場合、通常の方法で切り込んでしまうと割れてしまいますが、超音波振動を使ったり、ナノの領域で加工すると割らずに透明なままきれいに加工できるのです。現在は、その現象を解析しています。また、これに関連して電子工学科の先生とともに微小光共振器の開発を手がけています。これは光速で移動する光を一定時間、一定の場所に閉じ込めることで、光による信号処理を可能にする素子になります」。
現状の電気による信号処理ではジュール熱によるエネルギーロスが避けられないが、光による信号処理が可能になれば、エネルギーロスを劇的に減らすことができ、人々を悩ませているバッテリーの持ちを大幅に向上できる。柿沼さんの研究は、光の制御という最先端のナノフォトニクスの領域にまで及んでいるのである。
「融合研究では、未知の分野のことを勉強しなければならない大変さはありますが、今は機械と制御の両方に通じることで、これまでになかった成果が得られつつあります。今後も、世の中の役に立つ革新的な研究をしていきたいですね」と、柿沼さんは意気込む。

図 3 ナノ精度機械加工技術
(超精密加工技術)写真左:学生が試作した超精密加工機で、ダイヤモンド工具を使って鏡面加工した結果。写 真 右: 結 晶 異 方 性 を 考 慮 して、超精密加工機で製作した蛍石(CaF2)の微小光共振器(光を閉じ込める容器)。

(取材・構成 田井中麻都佳)

インタビュー

柿沼康弘准教授に聞く

幼少期の経験がものづくりの研究に結びつく

どんな幼少期を過ごされたのですか?

幼稚園から高校までは、私立の一貫校という点で慶應義塾と環境が似ている成城学園に在籍していました。成城学園の教育というのは独特で、とくに初等学校は自然から学ぶことを重視していて、実際のものに触れながら、体感的に理科や数学を学ぶという教育を実践しているんですね。単に机上で勉強を教えるだけでなく、実際になぜそうなるのかということを、体験的に学ばせるというわけです。たとえば、2時間続きの「散歩の時間」というのがあって、校外を散策しながら、草木や虫を手に取って学ぶという、独自のカリキュラムなどがありました。
また、絵や工芸、彫塑、映像、演劇といった、芸術に重きを置いた授業もあり、これらのカリキュラムを通じて、ものづくりへの興味が培われたように思います。家でも、ラジコンを組み立て,改造するなど、機械いじりに熱中していましたね。
実は、僕は主要5科目以外はオール5だったんですよ(笑)。今から思うと、成城学園で過ごした幼少期の経験が、ものづくりに関する研究のセンスを身につける上で、非常に役立ったように思います。
趣味は、音楽鑑賞ですかね。母が声楽を専門としていたこともあり、幼稚園から中学3年までバイオリンを習っていました。桐朋学園の音楽教室に通っていた、というより通わされていたのですが、当時は嫌でいやで……(笑)。やはり嫌々では、身につきませんね。今は、まったくやめてしまいましたが、クラシック音楽を聴くのは好きですし、国際会議などでヨーロッパに行った際には、時間を見つけてよくオーケストラの演奏を聴きに行きます。こういう趣味を持てた点は母に感謝しています(笑)。

理工学部の融合領域の研究に興味をもつ

最初から工学の研究者を目指していらしたのですか?

いいえ、父が大学病院の医師であったこともあり、父の背中をみて、中学くらいから自分も将来は医者になりたいとぼんやり思っていました。しかし、成城大学には医学部がありませんから、大学受験は必須だったというわけです。そして、当時、目指すは国立医学部でした.
ところが浪人しても,国立医学部には合格できず、もう一つの道として考えていた慶應義塾大学理工学部に入学することにしました。もっとも、幼い頃から機械いじりが好きでしたし、一番の得意科目は物理でした。実は、医学に不可欠な生物にあまり面白味を感じていなかったこともあり、浪人中は本当に医学部に行くことが良いのか迷っていました。自分が学びたいのは理工学かもしれないと感じていたのです。ですので、ポジティブに捉えれば、医学部受験の失敗は必然だったのかもしれません。最終的に自分に適した道に進むことができたのですから。
とくに、理工学部の融合領域の研究に興味があり、その後、システムデザイン工学科に進んだのは正解でしたね。

どんな大学生活を送られたのですか?

どんな大学生活を送られたのですか?
正直、学部の1年生、2年生のときはナメた学生だったと思います。当時目標としていた医学部に進めなかったことで将来の目標が定まらず、モチベーションは下がっていました。授業は好きな科目だけ出て、あとはテニスサークルでの活動や家庭教師のアルバイトなどをして過ごしました。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、浪人時代の蓄積があったので、一生懸命勉強しなくても単位を取ることはできましたからね。当然、研究者になろうという気は、まったくありませんでした。
意識が変わったのは、4年生になって青山藤詞郎先生(現・学部長)の研究室に所属してからです。実験を通して実際の現象をひもとくことの面白さや、自分の考えを具現化していくことの楽しさ、難しさに目覚めていきました。
とは言うものの、当初は、電気粘性ゲル(電気粘着ゲルの前身)の研究を始めたばかりで、まったく成果が出なくて、机上の理論と現実にはこんなにも差があるものかと愕然(がくぜん)としていました。しかも、自分で課題を見つけ、その解決法を自ら導き出しながら、答えが見えない問いに突き進まなければならない。研究の楽しさを感じると同時に、研究者生活というのはこんなに辛いものなのかと、身をもって感じました。
修士課程に進学した際に、テーマを変えたいと青山先生に訴えたところ、「研究は根気」だと諭され、修士でもこの材料の研究を続けることになりました。当初は、材料を応用することが研究テーマでしたが、材料そのものを開発する基礎研究が必要だと訴えたところ、ふところの大きな青山先生は、この訴えを快く認めてくれました。そして、研究にのめり込み、その結果、修士2年の初夏に新機能材料の開発に成功し、共同研究先と特許も申請することができました。すると今度は、ここで手放すのはもったいない、応用研究のステップに繋げたい、と欲が出てきたんですね。それまでは就職も検討していたのですが、博士課程に進むことを決心しました。

助手として採用され、研究者への決意を新たにする

その段階ではじめて、研究者になろうと思われたと…。

そうですね。青山先生からの勧めもありましたし、親に相談したところ、背中を押してくれました。自分自身、自分らしい道を歩みたいという気持ちを強く持っていました。また、博士課程に進んだ翌年の2005年には、システムデザイン工学科の助手としての採用が決まりました。博士課程での採用は異例のことですし、この分野でトップになってやろうと、研究者としてのモチベーションを新たにしました。
周囲の期待に応えようという気持ちもあって、その後は、死にものぐるいで研究に没頭し2年で博士を取得。2008年に専任講師、2011年に准教授と、とんとん拍子でここまできた感じです。
ちなみに、青山先生は実に自由にやらせてくださる先生で、材料の次に制御を学びたいと言うと、制御の大家である大西公平先生のゼミに参加させてくださいました。その当時(博士課程の学生の頃)、大西研で同じく博士課程の学生であった桂誠一郎先生と出会い、リニアモータステージの位置制御に関する共同研究を一緒にできたことも大きな財産となっています。今では、二人ともシステムデザイン工学科の准教授ですから面白いですね(笑)。このおかげで、生産工学と制御工学の両方に通じていることが、自分の研究者としての大きな強みになっています。

現在、柿沼研究室には何名の学生が在籍しているのですか?

博士課程が1人、修士2年が5人、修士1年が4人、学部生が6人の16名です。一緒にゼミを行っている青山先生の研究室と合わせる総勢28名になります。経験豊富な青山先生と、学生の年齢に近い私がいることで、バランスがとれていることもあるのでしょう、青山・柿沼研はとても雰囲気のいい研究室です。うちの研究室のモットーは、「研究も遊びも本気でやる」こと。学生たちは、研究の合間にソフトボールの練習をしたり、休みの日には皆で一緒に旅行に出かけたりもしているようです。ソフトボールといえば、以前、全学部で競う「塾長杯」で優勝したこともあるんですよ。メンバー全員仲がよくて、一体感があるのが、うちの研究室のいいところですね。

研究の合間の息抜きは?

3人の子どもがいるのですが、子どもたちと一緒にアニメを見たり、一緒に遊んだりして、息抜きをしています。とはいえ、研究で忙しくて、子どもたちとゆっくり過ごせる時間があまりないので妻や子どもたちから怒られてばかり……。ただ、今は研究者としてもやりたいことが山積しているので、なかなか思うようにはいきませんね(笑)。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
●年齢が近いせいか、学生との距離が近く、いつも親身になって相談に乗ってくださる先生です。しかも、先のビジョンまで見通して、的確に研究の方向性を指し示してくださるので、とても心強いです。うちの研究室は皆、本当に仲がよくて、楽しいから研究室に来ているといった感じです。だからこそ研究に遊びに、本気で取り組めるんでしょうね。

(取材・構成 田井中麻都佳)

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