新しい分野に本気でチャレンジしてきたことが、今の研究人生につながった

医者である父の背中を追って国立医学部を目指し、大学受験に挑むも断念。
目標が定まらない大学生活を経て、4年生で研究室に所属したことが、
研究の面白さに目覚めるきっかけだったという柿沼さん。
挫折とは裏腹に、その後の順風満帆な研究生活の背後にあるのは、
自身の心の声のままに、何事にもつねに真剣に取り組んできた姿勢にあるようだ。

Profile

柿沼 康弘 / Yasuhiro Kakinuma

システムデザイン工学科

専門はマイクロナノ加工、知能化工作機械。現在の研究テーマは、ナノ精度加工の現象解析、オブザーバ理論に基づく加工機の知能化。基礎研究から機械と制御を融合した応用研究まで幅広く展開している。2006年、博士(工学)を取得。2005 年に慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科の助手となり、2008年同大学専任講師、2011 年同大学准教授に就任。現在に至る。

幼少期の経験がものづくりの研究に結びつく

どんな幼少期を過ごされたのですか?

幼稚園から高校までは、私立の一貫校という点で慶應義塾と環境が似ている成城学園に在籍していました。成城学園の教育というのは独特で、とくに初等学校は自然から学ぶことを重視していて、実際のものに触れながら、体感的に理科や数学を学ぶという教育を実践しているんですね。単に机上で勉強を教えるだけでなく、実際になぜそうなるのかということを、体験的に学ばせるというわけです。たとえば、2時間続きの「散歩の時間」というのがあって、校外を散策しながら、草木や虫を手に取って学ぶという、独自のカリキュラムなどがありました。
また、絵や工芸、彫塑、映像、演劇といった、芸術に重きを置いた授業もあり、これらのカリキュラムを通じて、ものづくりへの興味が培われたように思います。家でも、ラジコンを組み立て,改造するなど、機械いじりに熱中していましたね。
実は、僕は主要5科目以外はオール5だったんですよ(笑)。今から思うと、成城学園で過ごした幼少期の経験が、ものづくりに関する研究のセンスを身につける上で、非常に役立ったように思います。
趣味は、音楽鑑賞ですかね。母が声楽を専門としていたこともあり、幼稚園から中学3年までバイオリンを習っていました。桐朋学園の音楽教室に通っていた、というより通わされていたのですが、当時は嫌でいやで……(笑)。やはり嫌々では、身につきませんね。今は、まったくやめてしまいましたが、クラシック音楽を聴くのは好きですし、国際会議などでヨーロッパに行った際には、時間を見つけてよくオーケストラの演奏を聴きに行きます。こういう趣味を持てた点は母に感謝しています(笑)。

理工学部の融合領域の研究に興味をもつ

最初から工学の研究者を目指していらしたのですか?

いいえ、父が大学病院の医師であったこともあり、父の背中をみて、中学くらいから自分も将来は医者になりたいとぼんやり思っていました。しかし、成城大学には医学部がありませんから、大学受験は必須だったというわけです。そして、当時、目指すは国立医学部でした.
ところが浪人しても,国立医学部には合格できず、もう一つの道として考えていた慶應義塾大学理工学部に入学することにしました。もっとも、幼い頃から機械いじりが好きでしたし、一番の得意科目は物理でした。実は、医学に不可欠な生物にあまり面白味を感じていなかったこともあり、浪人中は本当に医学部に行くことが良いのか迷っていました。自分が学びたいのは理工学かもしれないと感じていたのです。ですので、ポジティブに捉えれば、医学部受験の失敗は必然だったのかもしれません。最終的に自分に適した道に進むことができたのですから。
とくに、理工学部の融合領域の研究に興味があり、その後、システムデザイン工学科に進んだのは正解でしたね。

どんな大学生活を送られたのですか?

どんな大学生活を送られたのですか?
正直、学部の1年生、2年生のときはナメた学生だったと思います。当時目標としていた医学部に進めなかったことで将来の目標が定まらず、モチベーションは下がっていました。授業は好きな科目だけ出て、あとはテニスサークルでの活動や家庭教師のアルバイトなどをして過ごしました。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、浪人時代の蓄積があったので、一生懸命勉強しなくても単位を取ることはできましたからね。当然、研究者になろうという気は、まったくありませんでした。
意識が変わったのは、4年生になって青山藤詞郎先生(現・学部長)の研究室に所属してからです。実験を通して実際の現象をひもとくことの面白さや、自分の考えを具現化していくことの楽しさ、難しさに目覚めていきました。
とは言うものの、当初は、電気粘性ゲル(電気粘着ゲルの前身)の研究を始めたばかりで、まったく成果が出なくて、机上の理論と現実にはこんなにも差があるものかと愕然(がくぜん)としていました。しかも、自分で課題を見つけ、その解決法を自ら導き出しながら、答えが見えない問いに突き進まなければならない。研究の楽しさを感じると同時に、研究者生活というのはこんなに辛いものなのかと、身をもって感じました。
修士課程に進学した際に、テーマを変えたいと青山先生に訴えたところ、「研究は根気」だと諭され、修士でもこの材料の研究を続けることになりました。当初は、材料を応用することが研究テーマでしたが、材料そのものを開発する基礎研究が必要だと訴えたところ、ふところの大きな青山先生は、この訴えを快く認めてくれました。そして、研究にのめり込み、その結果、修士2年の初夏に新機能材料の開発に成功し、共同研究先と特許も申請することができました。すると今度は、ここで手放すのはもったいない、応用研究のステップに繋げたい、と欲が出てきたんですね。それまでは就職も検討していたのですが、博士課程に進むことを決心しました。

助手として採用され、研究者への決意を新たにする

その段階ではじめて、研究者になろうと思われたと…。

そうですね。青山先生からの勧めもありましたし、親に相談したところ、背中を押してくれました。自分自身、自分らしい道を歩みたいという気持ちを強く持っていました。また、博士課程に進んだ翌年の2005年には、システムデザイン工学科の助手としての採用が決まりました。博士課程での採用は異例のことですし、この分野でトップになってやろうと、研究者としてのモチベーションを新たにしました。
周囲の期待に応えようという気持ちもあって、その後は、死にものぐるいで研究に没頭し2年で博士を取得。2008年に専任講師、2011年に准教授と、とんとん拍子でここまできた感じです。
ちなみに、青山先生は実に自由にやらせてくださる先生で、材料の次に制御を学びたいと言うと、制御の大家である大西公平先生のゼミに参加させてくださいました。その当時(博士課程の学生の頃)、大西研で同じく博士課程の学生であった桂誠一郎先生と出会い、リニアモータステージの位置制御に関する共同研究を一緒にできたことも大きな財産となっています。今では、二人ともシステムデザイン工学科の准教授ですから面白いですね(笑)。このおかげで、生産工学と制御工学の両方に通じていることが、自分の研究者としての大きな強みになっています。

現在、柿沼研究室には何名の学生が在籍しているのですか?

博士課程が1人、修士2年が5人、修士1年が4人、学部生が6人の16名です。一緒にゼミを行っている青山先生の研究室と合わせる総勢28名になります。経験豊富な青山先生と、学生の年齢に近い私がいることで、バランスがとれていることもあるのでしょう、青山・柿沼研はとても雰囲気のいい研究室です。うちの研究室のモットーは、「研究も遊びも本気でやる」こと。学生たちは、研究の合間にソフトボールの練習をしたり、休みの日には皆で一緒に旅行に出かけたりもしているようです。ソフトボールといえば、以前、全学部で競う「塾長杯」で優勝したこともあるんですよ。メンバー全員仲がよくて、一体感があるのが、うちの研究室のいいところですね。

研究の合間の息抜きは?

3人の子どもがいるのですが、子どもたちと一緒にアニメを見たり、一緒に遊んだりして、息抜きをしています。とはいえ、研究で忙しくて、子どもたちとゆっくり過ごせる時間があまりないので妻や子どもたちから怒られてばかり……。ただ、今は研究者としてもやりたいことが山積しているので、なかなか思うようにはいきませんね(笑)。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
●年齢が近いせいか、学生との距離が近く、いつも親身になって相談に乗ってくださる先生です。しかも、先のビジョンまで見通して、的確に研究の方向性を指し示してくださるので、とても心強いです。うちの研究室は皆、本当に仲がよくて、楽しいから研究室に来ているといった感じです。だからこそ研究に遊びに、本気で取り組めるんでしょうね。

(取材・構成 田井中麻都佳)

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