コンピュータとバーチャルリアリティへの情熱

幼い頃、家にテレビがなかったという杉本さん。
その反動か、中学時代からコンピュータの魅力に取りつかれ、
大学ではバーチャルリアリティの学生コンテストで活躍。
趣味もCGデザインと、コンピュータへの情熱は止まらない。
好きを研究に結びつけてきた杉本さんの姿は、
学生たちが共感できる存在でもあるのだろう。研究室は若い活気に溢れている。

Profile

杉本 麻樹 / Maki Sugimoto

情報工学科

長野県飯田高等学校卒業。電気通信大学大学院電気通信学研究科 博士課程修了。東京大学大学院情報学環研究補佐員、NTT コミュニケーション科学基礎研究所客員研究員、日本学術振興会 特別研究員、MIT CSAIL 客員研究員(Visiting Scholar) などを経て、2008 年、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特別研究講師。2011 年より慶應義塾大学理工学部情報工学科専任講師。博士(工学)。

研究紹介

今回登場するのは、拡張現実感(AR)を使った

新しいインタフェースの研究を進めている杉本麻樹専任講師です

拡張現実で変わるコミュニケーションのカタチ

実環境と情報環境を重ね合わせる AR 研究とは?

近年、スマートフォンのアプリやゲーム、広告・販促のメディアツールなど、さまざまな分野で「拡張現実」のキーワードとともに活用が広がる Augmented Reality(AR:拡張現実感)。その具体例を紹介しつつ、AR の新しい手法を切り拓き、次代のコミュニケーションツールの研究を手がける杉本麻樹専任講師の取り組みについて紹介しよう。

エンタテインメントや広告で普及が加速する AR 技術

現在、情報工学科の杉本さんが手がけているのは、拡張現実感(AR)と呼ばれる研究分野だ。AR とは、SF 映画やゲームの世界でおなじみの人工現実感(Virtual Reality=VR)から派生した研究の一分野である。
「VR の 研 究 が お も に コ ン ピ ュ ー タの 中 に 構 築 し た 情 報 環 境(VirtualEnvironment)にユーザーを没入させるような感覚情報をつくりだすことを目指すのに対し、拡張現実感では、私たちが普段生活している実環境を基盤にして、その上にコンピュータからの情報を重ね合わせることにより、実環境に即した感覚の拡張を実現しています(図 1 右)。つまり、現実世界の上にリアルタイムに、コンピュータの中の情報環境を重ね合わせることで、私たちが自然に情報に触れ合える環境を目指しているのです」と、杉本さんは言う。
近年、AR への関心が高まったきっかけには、2007 年に NHK で放映されたアニメ『電脳コイル』の影響がある。『電脳コイル』では、小型の HMD(HeadMounted Display)を装着した子どもたちが、AR を日常的に体験するシーンが描かれている。
一方で、奈良先端科学技術大学院大学の加藤博一教授が開発したソフトウェア「ARToolKit」の存在も AR の普及に貢献してきた。これは、紙に印刷されたパターンをカメラで読み取り、画面上に仮想的なキャラクターやオブジェを出現させるというもの。オープンソースということもあり、ARToolKit によって制作されたキャラクター動画などが、動画投稿サイトに多数投稿されているほか、近年では、同様の技術を使ったゲームソフトや広告・販促のためのメディアツールが普及しつつある。
「たとえば、車のパンフレットをカメラにかざすと、画面上に車体のコンピュータグラフィックス(CG)モデルが描かれ、走行状態や内部構造を確認できるといったものもあります。あるいは、カードゲームと CG を組み合わせた対戦ゲームが人気になるなど、いまや AR は、広告やエンタテインメントに欠かせない技術になっているのです」。

図 1 実環境での身体性・空間性を考慮したインタフェース
( 左 ) 手のひらにのるサイズのクマ型のロボットがジェスチャによってコミュニケーションを支援する
インタフェース「Stickable Bear」。形状は 3D プリンタによる造形。( 右 ) 空間型 AR 環境において距離画像カメラを活用してマーカレスでの位置・姿勢の計測を実現する試み。プロジェクタから投影したテクスチャが3次元の形状に追従する。

ディスプレイ上だけでなく、実空間での融合も

一口に AR と言っても、その手法はさまざまだ。現在、一般的なのが「ビデオ・シースルー」という方式で、先述の ARToolkit のように、カメラで撮った映像の上にディスプレイ上でコンピュータの中の情報を重ね合わせて AR を実現する。一方、透過型のディスプレイを用いた「オプティカル・シースルー」と呼ばれる方式では、ハーフミラーやシースルー型 HMD を装着し、CG と光学的に見ている実像を重ね合わせる。さらに実環境にプロジェクタで仮想映像を投影することにより実環境を変える、「空間型AR」という方式もある。2012 年、リニューアルした東京駅丸の内駅舎で開催された「プロジェクション・マッピング」がまさにそれだ。
「AR は作業支援でもきわめて有用です。たとえば、手術時に患者さんの体にあらかじめ撮影しておいた CT や MRI画像を重ねて見せることで、切除箇所を明確に示すといった応用が始まっています。また、最近ではスマートフォンやモバイル情報端末の普及により、位置情報とカメラを組み合わせた『Layar』など、一般の人が気軽に使えるサービスも増えてきました」。AR は近年の普及に伴いディスプレイ上の感覚情報だけでなく、実環境そのものをダイレクトに変化させることを含む、幅広い概念「拡張現実」として捉えられるようになってきた点が面白く、研究のしがいがあるのだと杉本さんは言う。

「光の定規」を用い、ロボットの動きを計測・制御

そうしたなか、杉本さんが現在、手がけているのが、実環境に視覚情報を投影する動的な空間型 AR の試みだ。
「プロジェクタやロボットといったデバイスを使うことにより、コンピュータの中の情報を直接、実空間に投影しようとしています。
たとえば、車両型のロボットによる対戦ゲーム『Augmented Coliseum』では、プロジェクタから投影される目印となる画像(指標画像)をロボットにつけた光センサで読み取ることによって正確な位置と姿勢を割り出し、動きを制御します(図 2 上)。いわば “光の定規” を動的に投影することで、高精度な AR 環境を実現しているのです」。
この方式の最大のメリットは、ロボットにつけられた 5 つのセンサが読み取る情報だけで、高い精度で位置を割り出せることにある。一般的な画像センサに比べて、大幅にコンピュータの計算量を減らすことができ、リアルタイムにロボットを動かすことが可能なのだという。
また、AR 環境において手元のロボットと遠隔のロボットの動きをリアルタイムに同期させる研究も手がけている。
「たとえば、テーブルの上で建物内部のモノの配置を決めようというときに、目の前のオブジェを実際に手で動かすと、遠隔にいる人の目の前にある同形のオブジェも同期して動くというわけです。ぐっとリアリティが増します」。
関連して、コンピュータの画面上の情報を、小型のクマ型ロボットに装着した光センサで読み取り、その情報に合わせて多様なジェスチャをさせるコミュニケーションツールの開発も手がけている。
「拡張現実感を用いて実現したいのは、人と情報の間の柔軟なインタフェースです。実環境にある身体性を大切にしながら、空間性をもった情報提示を行うことで、抽象化された情報を具現化し、人と人との円滑なコミュニケーションに貢献できたらと考えています」。

図 2 AR 環境と協調するロボット
( 上 ) プロジェクタと車両型ロボットに装着された光センサによって計測・制御を行う Display-BasedComputing の概念を用いたエンタテインメント環境「Augmented Coliseum」。
( 左下 ) 空間型 AR 環境構築のためのプロジェクションシステム。投影パターンを工夫することでロボットとの連携を容易に。
( 右下 ) ビデオ・シースルー型の AR 技術を活用した遠隔操縦のための車両型ロボット。周囲の環境とロボットの身体の相互作用を考慮した未来予測映像を確認しながらの操縦が可能。

(取材・構成 田井中麻都佳)

インタビュー

杉本麻樹専任講師に聞く

中学生になってコンピュータに興味をもつ

長野県飯田市のご出身ということですが、どんな子ども時代だったのでしょうか?

両親は美大の出身で、父と母は東京のインダストリアルデザインの会社に勤めていたのですが、あるとき、田舎で自給自足の生活をしたいと東京から長野へ。のびのびと自然豊かな環境の中で子どもを育てたいという両親の教育方針もあって、小学校の高学年くらいまでテレビのない暮らしをしていました。幼い頃はそれこそ、毎日、野山を駆け回って遊んでいましたね。

では、あまり勉強はしなかったのですか?

母は長野では塾の先生をしていたこともあって、熱心に英語や数学を教えてくれました。ただ、直接に親から教わるのは抵抗があって、いつも逃げ回っていました(笑)。
テレビがなかった反動か、中学からはコンピュータにとても興味をもつようになりました。小学校の高学年のときに、従兄弟の家に遊びに行った際、MSXという初心者向けのコンピュータがあって、それに触れたのが私のコンピュータとの最初の出合いです。以来、まだコンピュータも持っていないうちから、コンピュータ雑誌を毎月買っては、熱心に読みふけるようになりました。
実際に自分のパーソナルコンピュータを手に入れたのは、高校に入学してからです。私のコンピュータ熱を見かねた父が、志望高に合格したお祝いとして買ってくれました。
高校のサークルでは物理班に所属して、放課後に仲間と自習でプログラムを組んだり。オリジナルのマークアップ言語を定義して、今で言うパワーポイントのようなテキストとイラストを用いてプレゼンテーションをする機能をもったソフトを開発して、文化祭で発表する資料として活用したり……。ちゃんとアニメーション機能もサポートしていました。コンピュータを手に入れてからは、ますます情報学の面白さに魅せられて可逆圧縮の専門書が高校時代の愛読書だったりも。ちなみに、父に買ってもらったコンピュータは今でも大切に持っています。

大学1年で参加したコンテストをきっかけに
研究者を目指す

研究者になろうと思ったきっかけは?

学部1年のときに、当時、東京大学にいらした舘暲(たちすすむ)先生(現・慶應義塾大学特任教授/東京大学名誉教授)らが主宰していたIVRC(国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト)という大学生向けのコンテストに出場したのがきっかけです。
大学入学と同時に入ったサークルの先輩たちが、前年度にこのコンテストで優勝していたことから興味を持ちました。
先輩たちが手がけたのは、「バーチャルボブスレー」という装置です。ちょうど長野オリンピックが開催される直前のことで、ボブスレーコースの模型をつくって、バーチャルにボブスレーが体感できるという本格的なものでした。実を言うと、先輩たちは前年度にがんばりすぎたせいか、もう出たくないと言っていたのですが、そこを説得してチームで出場に漕ぎ着けました。
大学1年のときに最初に手がけたのは、水槽の中にある操作対象に自己投射した感覚をつくりだすテレイグジスタンス(遠隔臨場感)のシステムでした。初挑戦でしたが、日本バーチャルリアリティ学会奨励賞を受賞しました。翌年以降も多くの仲間や、その後に卒論でお世話になる先生方の助けを借りながら出場し、3年目には、3次元空間として表現したコンピュータの記憶装置のフォルダ構造の中を自由に歩き回れるシステムを制作し、奨励賞と技術賞を獲得しました。特に技術賞はそれまで、優れたメカを開発することで有名な東京工業大学ロボット技術研究会のチームが独占していたので、自分たちが受賞したときはとても嬉しかったですね。
このコンテストを通じて、修士課程修了後にお世話になった前田太郎先生・安藤英由樹先生(現・大阪大学)、博士課程の恩師である稲見昌彦先生(現・慶應義塾大学)など、最先端のヒューマンインタフェース研究者と一緒に研究する機会を得たことで、研究の面白さを実感するようになりました。
特に博士課程の研究のなかで、稲見先生と時空間分割多重による光計測の技術を手がけていたときに、自分が考案した輝度勾配指標(光の濃度の指標)を用いて光学素子の位置をリアルタイムに計測するという基本的な考え方を発展させることができたのは有意義でした。SIGGRAPH Emerging Technologies など、最先端の学会で好評を得たことが自信となり、研究を続けていきたいと強く思うようになりました。

現在はIVRCの運営を手がけていらっしゃるのですね。

大学4年からは運営側に回るようになり、現在は実行委員として運営をサポートしています。IVRCの開催は今年でちょうど20年になりますが、技術の進歩とともにその内容も非常に多彩になりつつあります。自分を含めて、これまでも数多くのVR、ARの研究者を輩出してきました。とても有意義な試みなので、研究室の学生たちにも積極的に参加を勧めています。今後も、ぜひ、多くの研究者の卵たちに参加してほしいですね。
ちなみに現在は私の手を離れていますが、IVRCのWebページをデザインしていたことも。というのも、研究の息抜きというか、趣味でもCGデザインを手がけているのです。学生時代には、数カ月分の生活費を投げ打って、とても高価だった3D CGのソフトウェアを購入したほど。当時はまさに清水の舞台から飛び降りる覚悟でした。最近は、教育機関だと無料で使える高機能なソフトウェアが多数出ているので、今の学生さんたちがうらやましいです。
息抜きで作ったCGは、実は研究の説明資料やWebなどに活用しているので、趣味と実益を兼ねています。先日、博士課程時代に国立天文台からの依頼で制作した人工衛星「ひので(Solar-B)」のCGモデルがNASAのWebに掲載されているのを見つけました。自分の作ったCGが多くの方の目に触れる機会があるというのはとても嬉しいことですね。
最近では、CGデザインの応用として、三次元造形装置「3Dプリンタ」を研究室に導入しています。研究に使用する装置の固定具などもCGモデルとして設計して、その場で作ることができます。趣味のデザインが研究の上でも実際に役立っていて、嬉しい限りです。
もっとも、研究でも趣味でもコンピュータばかりというわけではありません。3〜4年前から、富士スピードウェイを軽自動車で走行する「エコラン」に研究者仲間のチームと出場しています。自宅には液晶プロジェクタによる130インチ画面のホームシアターがあり、SF映画やアニメをよく見ています。学期の終わりには、学生たちを呼んでは、映画鑑賞をしつつ飲み会をすることもあります。とくに好きなのは、新海誠さんの作品です。幼い頃にテレビがなかった反動かもしれません(笑)。

何でも「自分の問題」として実践してほしい

今、研究室には何名の学生さんがいらっしゃるのですか?

学部生が4名、大学院生が6名の計10名です。皆、育ちがよく素直で、とても教え甲斐があります。ちなみに、まだこの理工学部での卒業生は1回しか出していないのですが、広告代理店など、メディア系に就職した人も。今後はますますARがメディアとして活用されるようになっていくということかもしれませんね。
それから慶應義塾大学は、研究者が学外の研究活動でもとてもアクティブで、学会運営を通じて、学科の先生方と関わりをもつことがあったり、さまざまな刺激を受けています。分野や領域を越えた交流も多く、研究・教育両面で、とてもいい環境だと思います。
ただ、大学の授業は受け身で聞いているだけではほとんど身につかないものです。学生たちには、興味のある分野に関連した趣味を持って、何でも「自分の問題」として実践してみてほしいと思っています。とくに、情報学の分野は、コンピュータと情熱さえあれば、すぐに自分のアイデアを形にすることができます。ぜひ、身近なところから実践することで有意義な学生生活を送ってもらいたいですね。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
●何か相談すると、いつも学生側の目線に立って、親身になって答えてくださる、とてもやさしい先生です。フランクに何でも言い合える雰囲気なので、研究室はいつも和気あいあいとしています。

(取材・構成 田井中麻都佳)

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