「物事の真理を解き明かしたい」という思いを胸に、世界一の研究を目指す

理科ぎらいだった少年を変えたのは 1 冊の本との出会いだった。真理を探究する研究者たちの人間味あふれる姿に共感し、研究者の道へ。競争が激しい研究者の世界で、過去の偉大な研究者や海外留学で出会った研究者たちがどのように振る舞い、どのように研究テーマを見つけ、研究を続けてきたかを見聞したことが、今も、渡邉さんの人生に大いに役立っているという。

Profile

渡邉 紳一 / Shinichi Watanabe

物理学科

1974 年東京都生まれ。1997 年東京大学理学部物理学科卒業。1999 年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了(東京大学物性研究所秋山研究室)。2002 年同大学院理学系研究科博士課程修了(東京大学物性研究所秋山研究室)。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員、日本学術振興会海外特別研究員、スイス連邦工科大学ポスドク研究員、東京大学理学部物理学科助手(島野研究室)、同助教を経て、2011 年より現職。

研究紹介

今回登場するのは、

テラヘルツ光で物性の観察と制御の研究をしている渡邉紳一准教授です。

「光」で「物」の「性質」を調べ、
その性質をあやつる

テラヘルツテクノロジーが切り拓く、新しい物性の観察と制御

私たち人類は、古くから周波数(振動数)の異なるさまざまな光を使って物を観察したり、物の性質を変えたり、あるいは光のエネルギーを電気エネルギーに変えたりすることで、生活に役立ててきた。そうしたなか、これまで盛んに利用されてきた「可視光」よりも波長の長い「テラヘルツ光」が注目されている。テラヘルツ光を用いた研究を手掛ける渡邉紳一准教授に、研究室で取り組んでいるテラヘルツテクノロジーの最先端について話を聞いた。

テラヘルツ光とは?

物の性質を調べたり、その性質を変えたりする際に不可欠な光。光を利用した研究は、テクノロジーの進化とともに発展を遂げ、現在では宇宙の起源といった人類最大の謎の解明にまで貢献している。そうした道具としての光のなかでも、近年、とくに脚光を浴びているのがテラヘルツ(テラは 10 の 12 乗)光だ。このテラヘルツ光を利用した研究を手掛ける渡邉さんは、その利点を次のように説明する。
「テラヘルツ光は、振動数が可視光の1/100 〜 1/1000 であるため、きわめて波長の長い光です。光というのは、X 線のように振動数が高い(波長が短い)光のほうがよりエネルギーが高くなることから、テラヘルツ光はエネルギーが低い光ということになります。X 線に比べるとエネルギーがきわめて低いので、それだけ人体に与える影響が少なく、安全だとして期待されているのです。
また、物の性質を調べるというのは、言い換えれば物のエネルギー構造を調べるということ。超伝導のように低エネルギー状態にあるものを光で調べようとすると、テラヘルツ光でしか直接見ることができません。つまり、光の種類によって、それぞれ得意分野があるということですね」。
さらに、テラヘルツ光が得意とするのが、可視光を透過しない被服やプラスチックパッケージ、紙を通した観察。セキュリティ検査や半導体製品検査、建物などの非破壊検査、さらには医療・創薬など、あらゆる産業分野でその利用が期待されている。ただし、水で吸収されてしまうことと、最近までこの光を効率よく発生することが難しかったことから、未開拓の帯域でもあった。
「テラヘルツ光が興味深いのは、ゆっくり振動するため、空気中を飛んでいる波の形が生で見えること。私の興味は物の性質を見たり、操作したりすることにありますが、光が物にぶつかった瞬間に何が起こっているのか、その相互作用を直接見てとることができるというのはじつに面白いですね。また、振動数があまりに低いため、電波に近い性質を併せもっており、物質に電極をつけることなく、電場や磁場をかけるのと類似した効果を与えられる点も魅力です」。
電波のように多くの物質を透過する性質と、可視光のように直進する性質を両方併せもつことで、計測対象に広がりがあることが、このテラヘルツ光の最大の特徴といえる。

図 1 テラヘルツ光とは?
テラヘルツ光は、周波数が 1012 ヘルツを中心とした、可視光に比べて波長が100 倍~ 1000 倍ほど長い電波と光波の境界に位置する光である。波長が長いということは光子エネルギーが低いということを意味するので、超伝導ギャップや分子間振動などの低エネルギー構造を調べることが可能になる。

「テラヘルツ時間領域分光法」を応用

そうしたなか、現在、渡邉さんの研究室で手掛けるのが、「テラヘルツ時間領域分光法」という手法である。これは、波長の長い「テラヘルツ光」と、波長の短い「近赤外光パルス」を「非線形光学結晶」と呼ばれる透明な物質中でミックスさせることによって、まるでオシロスコープ(電気信号の挙動を観察する波形測定器)のように、テラヘルツ光の波の形がわかるというもの。
「光物性物理学では、光を物に当ててその反射光あるいは透過光の強度がどの程度減るかを見て、その物質のエネルギー構造を調べるのが一般的です。一方、『テラヘルツ時間領域分光法』を用いれば、光強度の変化だけでなく、近赤外光パルスの照射のタイミングをずらすことで、波の『振幅』と『位相』という 2 つの変化、つまり 2 倍の情報量を得ることができるのです」。
さらに渡邉さんの研究室では、この手法に工夫をこらし、振幅や位相に加えて、「偏光」の情報を精度よく測ることに成功した。これは、検出に使う半導体結晶を一定の角速度で高速に回転させることにより、テラヘルツ電場ベクトルの大きさと向きを同時に計測できるようにしたものである。これにより、反射波の電場ベクトル成分の方向を精度よく解析することが可能になった。
この半導体結晶の回転に伴う信号の解析には高度な計算が必要だが、当時、学部 4 年生だった安松直弥さんが膨大な計算を担い、実現に漕ぎ着けた。
「この手法を用いて、高さの違う 2 点から反射したテラヘルツ電磁波パルス光の、ある決められた時刻における電場ベクトルの向きの情報を高精度に計測できるようになり、金属などの輪郭や表面の粗さを高精度に検査できるようになりました。その結果、波長の 1000 分の 1 以下の深さまで凹凸が識別できるようになりました。この成果は、2012 年米国光学会レター誌『Optics Letters』オンライン速報版に掲載されました」。
今後は、より波長の短い赤外光や可視光の領域までこの手法を拡張していき、より応用分野を広げていきたいと渡邉さんは意気込む。

図 2 光電場のベクトル波形計測
渡邉研究室では、時間的に振動したり回転したりするテラヘルツ光電場のベクトル波形を、まるで電気信号をオシロスコープで観察するようにコンピュータ上に表示できる。光の「振幅」「位相」に「偏光」情報を加えることで、物質の表面形状を細かく観察したり、あるいは物質中の電子スピンの振る舞いや結晶格子の振動の様子など、物質内部の情報を調べることができる。

振幅の大きいテラヘルツ光で物性を変える

さらに渡邉さんは、波の振幅が非常に大きなテラヘルツ光を物質に照射し、その状態を変えるという研究も手掛けている。
「本来、半導体の電子を励起(基底状態から高エネルギー状態への移行)するには可視光くらいのエネルギーが必要ですが、テラヘルツ光でも振幅をきわめて大きくすることで、それが可能になります。しかも、波の形が見えるので、どの時点で電子がどういう状態になったのかをつぶさに観察できるのです。
また、テラヘルツ光は物質を構成する分子の振動の共鳴周波数に近いため、共鳴させやすく、格子を大きく揺らすことで構造変化を起こすことも期待できる。これにより、物の性質を自在に変化させることができるため、新しい物質科学への応用に期待が集まっています。今後は物質制御の画期的な新手法を確立していきたいと思っています」。
まだまだ大きな可能性を秘めているテラヘルツ光研究の今後に着目していきたい。

図 3 光波の1サイクル内での物理現象を調べる
光物性の研究では、物質に光を照射したとき、究極的に短い時間スケールでどのような光と物質の相互作用が起こるかに興味がある。きわめて時間幅の短い「超短パルスレーザー」と「テラヘルツ光発生技術」を組み合わせると、テラヘルツ光を物質に照射したときに、どのタイミングで新しい状態ができ、そして消えるのかといった詳しい物理現象が分かるようになる。

(取材・構成 田井中麻都佳)

インタビュー

渡邉紳一准教授に聞く

1冊の本に出会い物理学に興味をもつ

どんな幼少期を過ごされたのですか?

東京都中野区にて、電気工事業を営む両親の長男として生まれました。実家が電気屋だったため、ワープロやパソコンなどが身近にある子供時代を送り、早くからコンピュータ・プログラミングなどに興味をもちました。父は朝遅く仕事に出て夕方には帰ってくる生活で、夜はほとんど家にいたので、昔から、父のように自由に時間が使える仕事につきたいと思っていました。

勉強はお好きでしたか?

高校時代までは数学と世界史が好きでしたが、理科は苦手でした。理科というのは、複雑で多様性のある自然現象を相手にするため未解明のこともあり、数学のように厳密な理屈が成立しないことが多く、教科書の説明にどこか「ごまかし」を感じていたためです。丸暗記しなければいけない部分もあって、無味乾燥に思えたんですね。当時、予備校の先生にその疑問をぶつけたところ、「なぜかと聞かれてもわからない。実験でそうなるので認めるところから物理は始まるんだ」といわれたことを覚えています。
ところが、高校3年生の時に近所の図書館で、『X線からクォークまで』という本を借りて読んで以来、物理が好きになりました。これは、複雑に見える自然現象を相手に個性的な物理学者達がぶつかり合いながら、どのようにして20世紀を代表する学問である「量子力学」という美しい学問体系ができたかを躍動的に描いた本です。登場する物理学者がみな個性的できわめて人間臭く、こういう人たちと友達になって一緒に仕事をしたいと思いました。また、複雑でわからない自然現象を相手にするからこそ、自分の個性を発揮して自分のアイデアで活躍することができるということを理解しました。

できるだけ独自の道を進むよう心がける

で、東京大学に入学された後は、3年から物理学科に進学されたわけですね。

ええ。まわりにとても優秀な人たちが多くて、ともに勉強できることに幸せを感じていました。一方で、自分がこの世界でプロとして生き残るためには、優秀な友人と同じことをしていてはダメだ、とつねに感じていました。
そこで大学院では、多くの人が素粒子や宇宙物理を専攻するなかで、私はデバイス物理を研究しようと、今は柏にある東大の物性研究所に進学しました。さらに、ポスドクはスイス連邦工科大学に留学するといった具合で、できるだけ独自の道を進むようにしてきました。幸い、私の興味のある分野がレーザー光を用いた物質科学研究だったので、世界のどこででも活躍できる土壌がありました。
じつは学科を選択する際に「物理学科」にするか「応用物理学科」にするかで迷ったんですね。というのは、「実社会への応用に根ざした学問に進みたい」と感じていたからです。しかし「根源を知りたい」という思いもあったので、あれこれ迷ったあと、最終的には物理学科に進学することにしました。そうした中で、「光学」と出会いました。特に光の波動性を活用したホログラフィーの発明によりノーベル物理学賞を受賞したガボール(Dennis Gabor)の研究に触れ、自分もこういう研究者になりたいという思いから、光科学に進むことにしました。
物性研究所では、秋山英文先生のもとで半導体レーザー構造の基礎物理について研究しました。大学院時代に培った「ものをじっくり考える力」は現在も役立っており、秋山先生にはたいへん感謝しています。
スイスに行ったのは、計測だけでなく、「ものづくり」も学ばなければならないと考えたためです。カポン(Eli Kapon)先生のもとで、半導体量子デバイス構造作製の仕事に携わりました。世界最高品質の量子ドットの作製に携わることができ、世界各国の個性的なポスドク仲間と一緒に研究できたことは楽しい思い出です。海外へ出たことで、外国人とのコミュニケーションに恐怖心を感じなくなったことも大きな収穫でした(笑)。とくに海外では、自己主張をすることが大事だということを学びました。
その後は助教として東京大学大学院の島野亮先生の研究室で、現在の研究につながる「テラヘルツ電磁波を用いた物性研究」を手掛けました。当時はまだ新しい研究分野で手探りの状況でしたが、そのおかげでさまざまな計測技術の基礎を学びながら、世界に類を見ない計測装置を開発することができました。
こうした経験から、「光計測」と「サンプル作製」の両方において、世界一の技術をもつ研究室で経験を積むことができたというのが、私の研究者としての大きな強みになっています。

研究者として進む方向を決め、研究テーマを探すというのは容易ではありませんね。

研究者の世界は競争が激しいため、今でも、どうすれば生き残れるかを必死に考えています。そういう意味で、「今はやり」といわれている研究はやりたくない。「はやり」に飛びつくと、結局、自分がこの世界で何を残したのか不明確になってしまいます。もっとも、「テラヘルツ光」は「はやり」の分野なので矛盾しますが、自分なりの切り口でオリジナルな研究をしているつもりです。一方で、自分の興味に走りすぎて、まったく「はやり」ではない分野に進んでしまうと研究資金を集めるのが大変になったりもしますので、このあたりの「さじ加減」にはいつも苦心しています。
ちなみに、慶應義塾大学物理学科の4年生の必修科目に「論文講読発表」という、古今東西の英語原著論文を読んで解説するという授業があります。その中で過去の有名な研究者がどういう戦略で自分の学問領域を切り拓いてきたのかを、学生と一緒に学んでいます。研究に必要な「新しい発想」を生むためには、過去の人間の努力の足跡を学ぶことが一番の近道です。過去の偉人の戦略に学び、世界中の人をあっと驚かせる研究成果を出せるように日々努力しているところです。

研究者として進む方向を決め、研究テーマを探すというのは容易ではありませんね。

研究者の世界は競争が激しいため、今でも、どうすれば生き残れるかを必死に考えています。そういう意味で、「今はやり」といわれている研究はやりたくない。「はやり」に飛びつくと、結局、自分がこの世界で何を残したのか不明確になってしまいます。もっとも、「テラヘルツ光」は「はやり」の分野なので矛盾しますが、自分なりの切り口でオリジナルな研究をしているつもりです。一方で、自分の興味に走りすぎて、まったく「はやり」ではない分野に進んでしまうと研究資金を集めるのが大変になったりもしますので、このあたりの「さじ加減」にはいつも苦心しています。
ちなみに、慶應義塾大学物理学科の4年生の必修科目に「論文講読発表」という、古今東西の英語原著論文を読んで解説するという授業があります。その中で過去の有名な研究者がどういう戦略で自分の学問領域を切り拓いてきたのかを、学生と一緒に学んでいます。研究に必要な「新しい発想」を生むためには、過去の人間の努力の足跡を学ぶことが一番の近道です。過去の偉人の戦略に学び、世界中の人をあっと驚かせる研究成果を出せるように日々努力しているところです。

自分たちにしかできない実験技術で
未解明の真理を見つけたい

今後はどのような研究をしていきたいですか?

高温超伝導の起源や生命の謎など、今現在では、さまざまな説が提唱されている問題も、何十年後かには人類にとって当たり前の知識になっている可能性が高いと思います。その時には、なぜそうなのかという、実験を裏付ける理屈が見出されていることでしょう。その理屈がわかりやすいものほど、人類にとって利用しやすく、社会に貢献することになります。
私は、自然現象というのは一見複雑に見えても、問題をばらしていけばシンプルなものになるはずだと思っています。その「わかりやすい理屈」を世界で最初に解き明かしたいですね。
未解明の真理を見つけるためには、自分たちにしかできない実験技術を磨くのが一番です。実験結果には、自然現象を解き明かすさまざまなヒントが詰まっていますから…。ヒントをもとにパズルを解いていくのは、とても楽しい作業です。
実際に私は、以前に、当時としては世界最高の電場クラスのテラヘルツ光パルスをつくり、これを用いて誰も行ったことがない物質の光制御に取り組みました。また、慶應義塾大学に着任した後は、テラヘルツ周波数領域の光の偏光情報を、速く正確に調べる世界トップクラスの技術を手に入れました。これからも、世界一の技術を使って未知の物理問題を解決していきたいですね。

研究の合間はどんなふうに過ごされているのですか?

中学時代から現在まで、アマチュアの吹奏楽団に参加してチューバを吹いています。
ちなみに、好きな曲の多くは行進曲(マーチ)です。チューバは単調なテンポしか刻まないので、よく人からは「つまらないでしょ?」と言われますが、むしろ単純なのに感動的な曲が多いということが面白い。研究と一緒で、わかりやすいものが好きなんですね。

慶應義塾大学のどんなところに良さを感じますか?

先生方や事務の方々が、私のような若手・中堅研究者をつねにバックアップして積極的に売り出してくださることに、いつも感謝しています。着任したときの第一印象は、とにかく効率的な運営をして、教育も研究も、みんなで協力して最高の成果を上げていこうという意識が非常に強いことでした。とても働きやすい環境です。
また、充実した教育環境のせいか、学生さんの基礎学力および学習意欲が極めて高く、一緒に勉強や研究をするのがとても楽しい。教職員と学生の協力による相乗効果で、質の高い研究ができる環境が整っていると思います。

 

どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎

学生さんから
●うちの研究室の学生の多くは、先生の人柄にひかれて入ったといってもいいほど。とてもやさしくて、面倒見のいい先生です。学生それぞれに合った課題をつねに与えて、きちんとフォローもしてくださいます。研究室の雰囲気もとてもよく、居心地のいい研究室です。

(取材・構成 田井中麻都佳)

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