悩んだり迷ったりしながら、好きな研究を続けてきた

「ホヤへの興味がこれほど持続するとは思っていませんでした」と話しながら、
ますますホヤ研究に力が入る堀田さん。
子どもの頃から生物が大好きだったにもかかわらず、
すぐには研究者になる自信を持つことはできなかったと言う。
そして、これまでに「それは自分にできるのか」と何度も自問することがあった。
堀田さんは何を感じながら研究者として歩んできたのだろうか。

Profile

堀田 耕司 / Kohji Hotta

生命情報学科

北海道大学理学部生物科学科卒業。京都大学大学院理学研究科時代に、ホヤに出会う。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。国立遺伝学研究所 生命情報・DDBJ 研究センターの学振PD ポスドク、基礎生物学研究所 形態形成部門、イタリアのナポリ臨海実験所を経て、2005 年に慶應義塾大学理工学部生命情報学科助手。2007 年同助教。2009 年より同専任講師。専門は、進化・発生生物学、分子生物学、バイオイメージング、バイオインフォマティクス。

研究紹介

今回登場するのは、ホヤを用いて生物の発生と進化を研究している、
堀田耕司専任講師です。

ホヤ研究で生物の発生と進化を明らかにする

新しい実験法や技術を駆使して進む

生物研究では、「何を研究対象に選ぶか」によって、得られる成果が大きく変わってくる。生命情報学科の堀田耕司専任講師は、大学院生の頃に「ホヤ」という海洋生物に出会い研究を続けている。尽きることのないホヤへの興味と最新のホヤ研究について聞いた。

ヒトの親戚と言われる「ホヤ」

「ホヤ」という海洋生物を知っているだろうか。運河やヨットハーバーなど流れが緩やかな海に生息し、種類によっては養殖されて食べられたりもしている。岩場などに固着している様子はまるで植物のようだが、心臓を持ちプランクトンを捕食するれっきとした動物である。
堀田さんはホヤという動物の印象を、「植物に憧れを抱いているのだと思います」と話す。その理由は、卵からかえったばかりのホヤの幼生は、オタマジャクシのような形をしていて、尾を振りながら海の中を泳ぎ回るのに、成長して成体になると尾もそれを動かすための筋肉も失い、あえて動かない生き方を選択するからだ。ほかにセルロースを生産できるという点でも植物に近い。
「ホヤは個性的な特徴を持った面白い動物ですが、実は、進化の過程をたどるとヒトを含む脊椎動物の親戚筋に当たるんです」。ホヤの幼生は尾を形成する際に、体の中に「脊索」をつくって体長を前後に伸ばす。ヒトにもこの脊索がある(やがて脊椎に置き換わる)ことから、ホヤとヒトは生物学的に親戚関係にあるとされている。そのため、ホヤとヒトの発生過程(卵から基本的な体が構築されるまで)の共通点を見つければ、生物のもっとも原始的な構造(体制)がわかると考えられており、ホヤをモデルに用いた発生の研究が行われている。また、「個体発生は系統発生を繰り返す」と言われるように、ある動物の発生過程は、その動物の進化の過程をたどっているようにみえることから、発生研究は進化の解明にもつながる。

どうして尾が伸びるのか

「尾を持つことで、ホヤの幼生はそれまでの繊毛によってゆらゆらと漂う動物とは違い、圧倒的な推進力をもつようになりました。また、同時に出現した中枢神経系により、自らの意思で移動できるようになりました。どうしてホヤの尾がこの形になるのか。私の興味は今ここに移ってきています」と堀田さん。カタユウレイボヤの幼生の模型を手に、尾は脊索や神経、筋肉などの器官から構成された複雑な構造体で、各器官がバランスよく伸びないと正常な形にならないのだと説明する。
堀田さんはホヤ研究を始めて 15 年、その時々の実験手法を駆使してホヤの発生や進化を研究してきた。そんな堀田さんが目指す「尾の研究」とは、単に「伸びるときに働く遺伝子を突き止める」ことではない。遺伝子が働いて、尾が伸び完全な形になるまでにいったいどのような細胞のふるまいが必要なのか、その一部始終を解明することだと言う。「尾の先端にどのような力がかかっているのか、物質がどのように流れているのかを知る必要があるので、物理学的な研究手法やモデル化といった手法を取り入れなくてはなりません。そのためには、多くの人たちの協力が必要です」と話し、他大学の研究者たちとともにホヤの尾にかかる力を測る方法を探ったり、計算機科学の研究者と尾の形成過程をシミュレーションするためのプログラム開発に取り組みつつある。

神経はどのように形成されるのか

堀田さんは、ホヤの神経ができる過程にも注目している。ホヤの神経管は、シート状に並ぶ細胞が変化して管状になったものだ。この神経管の一端が大きくなって脳になり、もう一端が脊髄になる。こうして光を感じ、尾の動きをコントロールする神経系ができる。堀田さんは、ホヤの神経細胞を蛍光で光らせ、シート状の細胞が管状になる様子をとらえることに成功しており、今後はより詳細な研究を行いたいと考えている。
「ヒトでは、神経管が閉じない先天的な奇形(神経管閉鎖障害)が知られていますが、その原因はわかっていません。ヒトの脳や脊髄もホヤの神経系と同じような発生過程をたどるので、この研究はヒトの神経疾患の解明にもつながるのではないかと期待されています」。

シンプル・イズ・ベスト

「多くの研究者から、ホヤは本当に素晴らしい生き物だと言われます。それは、ホヤの幼生が、私たち脊椎動物の要素だけを取り出したようなシンプルな存在で、余計なものがなく美しいからです。モデル生物は、シンプル・イズ・ベストなんです」と堀田さん。例えば、ホヤの幼生は体長が 200µm、全細胞数がたったの3000 個ととても小さい。小ささゆえに、全体が顕微鏡の一視野に収まり観察しやすい。全細胞数が 3000 個と少ないから、発生過程における細胞の挙動を容易に追跡できる。だから、尾を構成する器官がそれぞれどのように伸びるのかを明らかにできるし、神経管についても、はじめ32 個だった細胞が分裂を繰り返して約300 個になる様子を映像におさめることができる。細胞数が少ないために、少ない計算量で観測データを用いた形成過程シミュレーションを行うことができる。
しかし、ホヤが観察しやすい生物だからと言って、実験が簡単なわけではない。「卵に精子を加えて受精させると、受精後 7 ~ 11 時間の間に神経管が形成されていく様子が観察されます。その間の 3~ 4 時間は、成長に合わせて顕微鏡のピントを調整しなくていけないので、離れることはできません」。3 ~ 4 時間という時間は、ほかの生物の発生時間に比べたら非常に短い。しかし、ひたすら顕微鏡をのぞき続けるにはとても長く、実験する者には忍耐力が求められる。その上、卵の状態などさまざまな要因によって、必ずしもいい結果が得られるとは限らない。ただ、苦労して得られた映像や成果は、貴重であり高く評価されている。
堀田さんがいい映像を撮影できるのは、ホヤというモデル動物が優れているだけでなく、ともに研究室を運営している岡浩太郎教授がイメージングや計測技術に力を入れていることがある。イメージング技術の強みを活かして、堀田さんは FABA(ファバ)というホヤのデータベースを作っており、各成長段階のホヤの形態を 3D 画像として公開している(http://chordate.bpni.bio.keio.ac.jp/faba)。各成長段階には「Hotta’ s Stage」と自身の名前を付けており、堀田さんの遊び心と研究への愛情を感じる。このFABA は、今では世界標準になっている。
ホヤ研究は世界中で行われているが、堀田さんら日本人が進める最先端研究がこれからも世界をリードしていくことは間違いなさそうだ。

ホヤの尾芽胚を 1 細胞ごとに色分けすると実に 少ない細胞で体が構成されていることがわかる。

(取材・構成 池田亜希子)

インタビュー

堀田耕司専任講師に聞く

モデル生物「ホヤ」と出会う

どんな子ども時代を過ごしたのでしょうか?

小学校 1 年生まで愛知県東海市に住んでいました。その頃は、虫を取ったり、絵を描いたり、生物を観察したりするのが大好きでした。特に、小川からすくってきた水を顕微鏡で観察して、ミジンコなどのプランクトンを見つけては、その動く様子にワクワクしたものです。うちには立派な木箱に入った顕微鏡があったのですが、今考えると、普通のサラリーマンの父がどうして持っていたのか不思議です。
かすかな記憶ですが、粘土で「鬼」の体の内部構造をつくって、祖父に熱心に説明したこともありました。その時「坊は大きくなったら学者になるよ」と言われたのを覚えています。 
滋賀県大津市で過ごした中学・高校時代には、陸上部に所属して、琵琶湖岸沿いを毎日走っていました。その後、北海道大学に進学。迷うことなく基礎研究のできる理学部を選びました。基本的に生物が好きなので、獣医学や薬学、水産学なども私に合っていたかもしれないと思っています。

ホヤには、どのようにして出会ったのでしょうか?

北海道大学では、卒業研究としてカエルの受精に関わる研究を行いました。そのまま大学院に進学するつもりでしたが、指導教官の片桐千明教授が定年を迎えられたため、別の進学先を探さなくてはならなくなりました。そんな時、京都大学の佐藤矩行(のりゆき)教授の特別講義を聞く機会があり、佐藤研究室へ進むことを決めました。佐藤教授は、日本のホヤ研究の第一人者で、ホヤをモデル生物にまで昇華させた人です。
ホヤという動物の存在を知った時には、「何てオタクな生き物なんだろう」と思いました。当時はまだ、あまり知られていなかったものですから……。今では佐藤教授の功績もあって、高校生用の教科書に、ホヤを取り上げているものがあるようです。
佐藤研究室は、とても活気のあるところで、いろいろな刺激を受けました。まず、研究室に顔を出した翌日から、青森県にある東北大学の浅虫臨海実験所に行かされ、それから1カ月間ひたすらホヤの発生を顕微鏡で観察しながら、脊索細胞を集める仕事をしました。今考えると、この時に生物の発生について1から学んだのです。以来15年間、ホヤの研究をしています。

15年間でホヤ研究はどう進んだのでしょうか。

かなり進みましたね。私は最初、脊索細胞を集める仕事をしていたと話しました。それは、地味な作業でしたが、その先には生物の進化を解き明かしてやるという大きな夢がありました。大きな転機が訪れたのは、2002年にホヤの全ゲノム配列が明らかにされた後のことでした。当時、私は国立遺伝学研究所に派遣されて、ホヤの遺伝子の解析をしていました。全ゲノム配列が決まったことで、これまでの遺伝子を1つひとつ探していく地道な研究から、遺伝子はわかっているのだからとにかく網羅的に調べあげたデータから新しい発見を見出すといった、データマイニング型の研究へと変わりました。
また、こうした遺伝子研究によってホヤがヒトの祖先ではなく「親戚」だということが明らかになり、進化系統樹が大きく変わるのも目の当たりにしました。歴史的な出来事をいくつも経験できたことはよかったと思っています。
今は、また少し研究手法が変わってきています。遺伝子を網羅的に調べることが容易になり、種間あるいは個体間の違いなどを、高い解像度で理解することに重きが置かれるようになってきています。

「研究者」になることに敷居の高さを感じていた

ごく自然に生物の研究者になる道を選んだのでしょうか?

実は、そうではありません。昆虫の研究者がいる一方で、昆虫採集を趣味にしている人がいるように、両者の間には何か敷居があると思っていました。佐藤教授のもとにいた大学院時代、なかなか研究者として生きていくことに自信が持てませんでした。同期生が5人いたのですが、1人は京都大学出身の四天王などと呼ばれていた秀才で、早くから自力で論文を書いていました。東京大学から来た同期はフロンティア精神にあふれていて、手つかずのまま残されていた「オタマボヤ」の研究をしたいと、飼育システムづくりをしていました。それに対して、佐藤研究室に入ったばかりの頃の私は、「生き物って面白いな」くらいにしか思っていなかったのです。最初は、同期との温度差に戸惑いましたが、私もいつしか研究に没頭するようになっていきました。
きっかけは、学会発表を経験したり、論文を出したりして、達成感と世の中に認められた喜びを経験したことでした。私は、研究は社会に還元されなければならないと思っていたので、これで、研究を続けていく自信がついたのです。
この自信は、佐藤研究室が育んでくれたものだと思っています。佐藤研究室は小さな発見でも大切にするところで、成果をできる限り論文として世の中に出していました。学生が大変な労力を割いて出した結果に対して、それに見合った何かを用意してくれたのです。
今、学生を指導する立場になって、このことを心がけています。もちろん頑張ったからといって、いい結果がでるとは限らないのが研究です。それでも、学生たちには発見を経験して欲しいので、筋のいい研究方針を立てられるように助言しようと思っています。そして、得られた結果はなるべく論文などの形にして欲しいと考えています。

堀田さんの指導を受ける学生さんたちは幸せですね。

それはわかりません(笑)。これをやってみたらと提案すると、「むちゃぶり」だと言われることもあります。また、「ホッタマジック」というのがあるようです。自分ではよくわからないのですが、どうも学生たちの間では、研究発表会の前日などに準備してきたものがゼロベースで直しが入る(つまり消えるマジックですね)ことがある、と恐れられているようなんです。私としてはロジックがおかしい研究発表はあってはならないと思っていて、問題に気がついた時に指摘しているだけなのですが。
学生には外に出て多くの経験を積んで欲しいと思っていて、成果が出れば学会などに積極的に連れて行きます。一方で、実験は何度も何度もチャレンジしなければうまくいくものではないという、生物研究の難しさ厳しさも伝えています。

慶應義塾大学での充実した研究生活

慶應義塾大学に来るまでにいろいろな経験をされたようですね。

15 年間ホヤの研究を続けていますが、場所はいろいろと移ってきました。ホヤのゲノム配列が決定される時期には静岡県三島市にある国立遺伝学研究所の五條堀孝教授のもとでバイオインフォマティクスや進化を学びました。愛知県岡崎市の基礎生物学研究所やイタリアのナポリにある世界最古の臨海実験所でも研究していました。ポスドク時代に多くの方々にお世話になり、私はのびのびと研究に没頭させていただくことができました。場所を変えることで、新しい出会いがあったり、実験手法を学んだり、たくさんのことを吸収してきました。
しかし、慶應義塾大学で職を得られることになったときに思い悩んだのは、自由を失うということよりも、後進を育成する責任の重さについてでした。私なりに覚悟をして、ここに来たつもりでいます。
2005 年に移ってきたので、慶應義塾大学にはかれこれ 8 年間在籍しています。これだけ長くいられるのは居心地がいいからです。岡教授をはじめ周りの人たちが、私が研究に没頭できる環境をつくってくださっていると感じています。岡研究室では、岡動物園と呼ばれるほどいろいろな動物の研究が行われていて、ホヤ研究を専門にする私にはとても面白い環境です。また、慶應義塾大学では申請して認められれば、学内研究資金も十分に得られますし、教員を育てるシステムも充実しています。
優秀な教員がいれば、学生たちもいい教育が受けられるわけです。最近私は、福澤基金を活用して海外留学でもしたいと考えはじめています。

教員仲間とスイーツ部をつくっているそうですね。

私にとっては研究が趣味みたいなもので、特にこれといった趣味はないのですが……。実はかなりの甘党なんです。教員仲間と甘党部をつくって、たまに甘いものを食べに行っています。ただ、最近太り始めたので、自転車を買って、この4月からはサイクリングを始めました。自分の力でどこへでも行ける感覚や道すがら偶然発見するさまざまな街の様子が楽しくて、結構気に入っています。ホヤの幼生が尾を振りながらどこにでも泳いで行く感覚に近いのかな。ホヤは親からできるだけ離れて、固着する場所を求めて移動していきますが、私の場合サイクリングで目指すのは、美味しいスイーツ店です。自転車で気軽に立ち寄れるスイーツ店があったら、ぜひ教えて下さい。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
●堀田先生は、対等に言い合える存在です。議論を交わすことで、自分も成長できたと感じています。何より先生の研究者らしいこだわりと、興味があることに向かっていくひたむきな姿勢を尊敬しています。ただ、これもあれもやってみようと次々にアイデアがわくので、時々仕事がいっぱいになってしまうことはあります。

(取材・構成 池田亜希子)

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