尊敬できる師匠との出会いがあったから、今の自分がある

海洋シアノバクテリアから次々に未知物質を発見し、その有用性に迫ろうとしている末永さん。
研究者としての心得も指導者としての在り方も、大学時代に出会った師匠から受け継いでいる。
化学に特に興味のなかった少年が、
どのようにして未知物質探索に夢中になっていったのだろうか。

Profile

末永 聖武 / Kiyotake Suenaga

化学科

専門分野は天然物化学。海洋生物からの生物活性物質探索に従事。現在は、海洋シアノバクテリアを中心に研究を進めている。1992 年名古屋大学大学院理学研究科に入学。1995 年同大学理学部化学科助手になるため中退。1997 年博士(理学)を取得。その後、静岡県立大学薬学部助手、筑波大学化学系講師等を経て、2006 年慶應義塾大学理工学部化学科助教授、現在に至る。1998年には井上研究奨励賞、2003 年には日本化学会進歩賞を受賞。

研究紹介

今回登場するのは、海洋生物がもつ未知の物質を探索している、

末永聖武准教授です。

海洋生物のもつ未知物質が面白い

医薬品開発に向け研究を加速

この世の中には、どれほどの物質が存在しているのだろうか ?
天然物化学研究室の末永聖武准教授は、「まだまだ知られていない有効な物質がたくさんあるはずだ」と海洋生物の未知物質探索を続けている。最近では、シアノバクテリアから見つかった物質に、がんや骨粗鬆症の治療薬として期待される作用が見つかるなど、医薬品への応用の可能性が高まっている。

未知物質探索の始まり

5 月の沖縄の海。強い日差しのもと、長袖シャツに笠をかぶった一団が、懸命に何かを探している。末永准教授と学生たちが、海洋生物を採取しているのだ。未知物質の探索は、気の遠くなるような材料集めから作業が始まる(図 1)。
末永さんが慶應義塾大学に移ってきた2006 年頃からは、主に海洋シアノバクテリアを採取している。シアノバクテリアは葉緑素をもち光合成を行う細菌(バクテリア)で、原始の地球において酸素をつくり出したとされる。末永さんは、特別な可能性を感じてシアノバクテリアを選んだのではないという。「研究材料に選んだ論理的な理由は、特にありません。何から面白い物質が見つかるかなんて誰にもわからないのですから…」。未知物質の探索に思い込みは禁物だ。
あえて理由をつければ、シアノバクテリアが学生時代に研究していたアメフラシのエサの海藻に付着していたから。アメフラシがもつ変わった物質はエサ由来と考えられており、シアノバクテリアは以前から気になる存在だったのだという。

図 1 海洋天然物化学
海洋生物には、陸上生物には見られないユニークな化学構造と生物活性をもつ物質が含まれている。このような物質を発見することは、単に新しい物質の発見にとどまらず、医薬品開発や生命現象を解明するための道具として役立つので非常に重要である。

抗がん活性を指標として

この 5 年間で採取したシアノバクテリアは、合計でおよそ 150kg。抽出してエキスにして、そこから “これ” と決めた物質を単離する。つまり、クロマトグラフィー *1 などを駆使して、ほかの物質が混ざっていない状態にまで精製する(図 2)。“これをとってみよう” と決める指標として末永さんは抗がん作用 *2の有無を基準にしている。だから、これまでにとってきた物質の多くは抗がん作用をもっている。
続いて、化学構造を調べる。学内にある核磁気共鳴装置(NMR)を使えば、だいたいの構造が短時間でわかる。構造が複雑なときには、学外の分解能の高いNMR 装置を使うこともある。さらに細かい部分は、反応性を調べたり、結晶構造解析を行ったりして決める。構造が決まると、単離した物質が本当にこれまでに知られていないものかどうかがわかる。
このようなプロセスを経て、シアノバクテリアのエキスから最初に見つかったのが、ビセブロモアミドだ。「沖縄県の備瀬という場所で採取したシアノバクテリアから見つかった、ブロモ原子(臭素、Br)をもつアミドだから “ビセブロモアミド” です」。発見した物質には、地名や分子の特徴などをもとに名前をつけている。次いで、ビセリングビアサイドやレプトリングビオライド類が見つかり、さらに 4 つ目を捕らえることができそうだという。
ただ、いずれの物質も数キログラムの材料から数 mg 〜数十 mg 程度とごく少量しか取れないため、物質の性質や作用をさらに詳しく調べるのが難しい。そこで、十分な量の物質を得るために人工的な化学合成を試みている。ビセブロモアミドとビセリングビアサイドの合成法は、まもなく確立されそうだ。

図 2 生物活性物質の探索
海洋生物由来の生物活性物質は、非常に微量しか得られないため、抽出材料を普通に精製しても取り出すことが困難である。しかし、生物活性を指標にすれば、極微量であっても単離することが可能である。例えて言うなら、アリが甘みを頼りに砂糖を見つけるようなものである。

研究の目のつけどころ

順調に進んでいるかにみえる末永さんの研究だが、最初の 2 年間は何も見つけることができなかった。海洋生物はたくさんいるのだから、ほかの生物を調べようとは思わなかったのだろうか。「もともとほかの海洋生物をやっていて、成果が出せずにいました。それで、シアノバクテリアをやることにしたので、2 年くらいで諦めようなんて思いませんでした」。未知物質の探索には粘り強さも必要なようだ。
転機が訪れたのは、これまでと違う種類のシアノバクテリアを採取するようになった頃からだった。「シアノバクテリアといえば、鮮やかな緑色の藻のような目立つものに目を奪われがちです。ところが、2 年もシアノバクテリアばかりを見ていると、地味で目立たないものも生息していることに気づいたのです」。こうして快進撃が始まった。

注目される海洋生物由来の物質

「たくさんの物質を知っていますが、ビセブロモアミドは、D 型のアミノ酸や臭素原子(Br)、t- ブチル基が入っている点で珍しい物質です」。海洋生物由来の物質が興味深いのは、構造ばかりではない。「最近は、『面白い物質ない ?』と知り合いの研究者からよく尋ねられます。試料を送ると、こんな作用が見つかったと後日報告が返ってきます」。中部大学の禹済泰教授からは、ビセリングビアサイドが骨粗鬆症に効く可能性があると知らされた。
まだ有効な治療法が見つからない骨粗鬆症。その薬が生まれるかもしれないと注目を集めている。「私は未知物質をとってくることはできても、それらのすべてがどのような作用をもっているかまで詳しく調べられる環境にはありません。ほかの研究者が調べてくれるのは、本当にありがたいことです」と謙虚だが、このような共同研究が成立しているのは、末永さんが見つけた物質が魅力的だからに他ならない。
2011 年 3 月 23 日の『化学工業日報』には、末永さんが見つけた物質を本格的に医薬品向けに開発するという内容の記事が掲載された。「高い安全性と有効性が求められる医薬品開発は、非常に難しいことなのです」と、多大な期待はせず、地道に研究を続ける一方で、「薬にならなかったとしても、生命現象の解明につながります」と、未知物質を深く研究する意義は大きいと胸を張る。
「海洋生物は、殻をもたない、動きが鈍いなど無防備なものが多いのです。それでも生きていられるのは、何か体を守る防御物質をもっているためではないか、と発想した先人がいました。これが、海洋生物の未知物質探索の始まりだといわれています。この発想が正しいかどうかはわかりませんが、少なくともこれまでの研究で、海洋生物が人知の及ばない活性物質をもっていることは確かです。世の中には、まだ知られていない面白い物質がたくさんあると思いますよ」。天然物化学研究は、ますます注目されていくことだろう。

(取材・構成 池田亜希子)


*1: 担体との親和性の違いを利用して物質を 分離する手段のひとつ。
*2: がん細胞の増殖を抑制する作用。

インタビュー

末永聖武准教授に聞く

偉大な師匠との出会い

どんな子ども時代を過ごしたのでしょうか?

福島県会津生まれの仙台育ちです。ノンビリしたところで育ったので、周囲に塾に通っている子どもはいませんでしたし、親に勉強しろといわれたこともありませんでした。だから、中学校くらいまでは家で勉強をしたことがほとんどありません。
小さい頃は、国鉄(現在のJR)に勤めるものと思っていました。わが家は曾祖父の代から3代続いて国鉄職員で、私は国鉄の官舎で育ちました。実は父は、東北新幹線の初代運転士の1人だったんです。私が小学生の頃、東北新幹線の開通に向けて父が運転士になるための勉強をしていたのを覚えています。私の子どもは、何をやっているのかわからない私よりも、私の父のことを尊敬しているようです。

化学に進もうと思ったきっかけは何だったのでしょう。

宇宙にあこがれた時期もありましたし、大学に入るまでは物理の方が好きでした。しかし、大学で研究室を選ぶ頃には、天然物や複雑な物質に興味をもつようになっていました。ただ、当時の名古屋大学の理学部化学科で有機化学系に進むのは、ちょっとした覚悟が必要でした。後にノーベル化学賞を受賞することになる野依良治先生と、僕の師匠の山田靜之(きよゆき)先生が研究室をもっていたのですが、どちらもとても厳しい先生だったんです。結局、私は山田先生の研究室に行きました。

どんな雰囲気の研究室だったのでしょうか?

所属した当初は知らなかったのですが、山田研究室はとても伝統のある研究室でした。山田先生の前任でかつ師匠の平田義正先生は、フグ毒のテトロドトキシンの研究で世界的に有名な方です。クラゲの発光物質の研究で、2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩(おさむ)先生は平田先生の研究室で研究していたことがあります。私は、偶然にも天然物化学がもっとも盛んな場所の1つに身を置くことになったんです。
今でも「生物活性分子の化学」という学部3年生向けの授業のはじめに、師匠である山田先生の「ワラビ発がん物質」の研究を紹介しています。植物のワラビが原因で家畜が中毒を起こすことが知られていて、19世紀からヨーロッパを中心に研究が行われていました。その過程で、ワラビに発がん性があることがわかり、この発がん物質を突き止めようと世界の多くの研究者がしのぎを削っていました。
しかし、この発がん物質はとても不安定で壊れやすい上に、抽出分離の指標となる簡単なテスト法が確立できなかったためになかなか捕らえられませんでした。それを山田先生は、温和な抽出分離法を編み出し、長い年月と大量の抽出試料を必要とする発がん試験を地道に行うことで突き止めたのです。
これは、師匠の研究だということを抜きにして、間違いなく歴史に残るすばらしい研究です。ちなみに、調理すれば発がん物質は完全に分解するので、安心して食べることができます。このことも、この研究で明らかになりました。

研究人生のスタート

人生最初の研究はどのようなものだったのでしょうか?

アメフラシという大きなナメクジみたいな海洋生物からとれるアプリロニンAという物質の合成でした。アプリロニンAは山田研究室で発見された抗がん物質なんですが、アクチンに作用する点が当時非常に珍しかったのです。修士2年の終わりに、あと一歩というところまで行ったんですが、最後の反応がどうしても進まなくて、結局、万策つきてしまいました。仕方なく、ずっと手前の物質まで戻って改めて合成方法を組み立て直しました。9合目まで登ったのに、アッという間に3合目までずり落ちてしまった気分でした。それでも、途中で投げ出すわけにはいかないと頑張りました。合成に成功した時には、博士1年の終わりを迎えていました。

なお、この物質の作用機構の研究は山田先生の弟子の木越先生(筑波大学)が引き継がれています。最近、学会で講演を聴いたのですが、新たな展開が見えてきたようです。

合成が完了したので、博士に進んだらやりたいと思っていた「単離と構造決定をやらせて欲しい」と山田先生にお願いする決心をしました。誰かが単離・構造決定したものを合成するのではなく、自分で新しいものを見つけたかったんです。そうしたら、先に山田先生の方から「単離をやれ」といわれました。何もいわなくても、気持ちは伝わっていたんだと感じましたね。

当時、タツナミガイにどうしても捕まえられない物質がありました。それは、活性が非常に強いのですが、量が極端に少なかったんです。タツナミガイ250 kg分のエキスを材料に、地道な単離作業を繰り返して、最終的に0.5 mgほどのオーリライドという物質を採取しました。これまでにとった物質の中でも、かなり少ない量です。そのサンプルを使って2種類の構造決定の実験をして、天然のオーリライドはすべて使い切ってしまいました。この実験は緊張しました。構造が決定できれば合成できるので、1.5 gほどを合成して抗がん作用を動物実験で確認したりもしました。しかし、毒性が出てしまい医薬にまでは至りませんでした。

当時、タツナミガイにどうしても捕まえられない物質がありました。それは、活性が非常に強いのですが、量が極端に少なかったんです。タツナミガイ250 kg分のエキスを材料に、地道な単離作業を繰り返して、最終的に0.5 mgほどのオーリライドという物質を採取しました。これまでにとった物質の中でも、かなり少ない量です。そのサンプルを使って2種類の構造決定の実験をして、天然のオーリライドはすべて使い切ってしまいました。この実験は緊張しました。構造が決定できれば合成できるので、1.5 gほどを合成して抗がん作用を動物実験で確認したりもしました。しかし、毒性が出てしまい医薬にまでは至りませんでした。

学生の頃から、研究ではたいへんな経験をされたのですね。

実は、この時はすでに助手になっていました。前任の助手が助教授として他の研究室に栄転されたこともあって、私は博士1年の2月に中退して助手になりました。ですから、研究者になろうとか、今後どうしようとか考える間もなく、研究の道に進むことになりました。

家族や学生との時間を大切に

根気のいる研究のようですが、息抜きはどうしていますか。

趣味は、音楽鑑賞です。大学に入った頃から、名古屋周辺のコンサートを聴きに行くようになりました。年に50~60回通っている時期もありました。東京には9つもプロのオーケストラがあるのを知っていますか。音楽好きにはたまりませんね。東京交響楽団の定期会員になっていますし、昨日はN響のコンサートに行ってきました。公演によっては託児サービスがあって、6歳と3歳の息子を預けられるんです。9歳の娘は一緒に聴きますが、寝ていることが多いです。私が好きで行くので、それでいいかなと思っています(笑)。とてもリフレッシュします。
それから、できるだけ子どもとの時間をとるようにしています。朝ご飯と夕ご飯は一緒に食べます。家が近いので、一度家に帰って夕ご飯を食べて、子どもたちをお風呂に入れてからまた大学に戻るんです。子どもとの時間も、息抜きです。

素敵なパパですね。
教え子の学生さんたちにはどのように接しているのですか。

厳しい先生かもしれません。英語で書かれた教科書を持ち回りで読む輪講、自分たちの読んだ専門雑誌を紹介する雑誌会、機器分析について学ぶ勉強会をそれぞれ週1回ずつやっています。研究室の学生十数人のうち5人が担当するので、2〜3週に一度は何かを担当します。これは、かなり勉強させていると思います。
実験をおろそかにして欲しくはありませんが、それ以上に広く勉強して力をつけて欲しいんです。この分野なら、有機化学の知識を一通り身につけて欲しい。単離・構造決定をやっているからといって、有機合成反応のことは知らないとか、天然物合成をしていて生合成を知らないなどということがあってはいけないと思うのです。
私自身、学生時代にはずいぶん教育されました。当時は、勉強するからといって実験の手を休めることは許されませんでした。だから、実験台で何かしらの反応を仕掛けながら勉強したものです。月曜日に研究報告会があったので、金曜日に実験がうまくいかなくてどうしようかと悩んでいると、先輩に「どうして研究報告会が月曜日にあるか考えたことあるか」などといわれましたね。暗に土日にやれということだったんです。私は学生にそんなことはいいませんが、今でも勉強会を土曜日に行っているのは、学生時代の名残かもしれません。思い返してみると、当時は大変でしたが、今となっては役に立っていることが多いんですよ。企業に就職した私の友人もそういっています。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
徳之島で忘れられないことがありました。手違いのためか民宿の部屋が予約されておらず、夕方になって暗くなってきたので、頼み込んで何とか2間続きの部屋を貸してもらいました。そんな状況でも、シアノバクテリア採取を精力的に行いました。いつも先生のパワーに引っ張られています。(Mさん)

有機化学反応でいろんな物質をつくってみたいと思ってここに来たので、好きにやらせてもらえるのが心地いいです。困ったときには、一緒に考えてくださるし、僕の提案も聞いてくださいます。(Nさん)

(取材・構成 池田亜希子

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