説得力のある研究には論理的な思考力が不可欠

学部生の頃からクラスレートハイドレート研究に取り組んできた大村亮さん。
研究者の道を歩み続ける一方で、後進の育成にも尽力している。
自身が受け持つ熱力学について、
「学生にとっては難解で最悪な科目に違いない」と笑うが、
学生からは分かりやすいと好評で、物理が面白くなったという声も聞こえてくる。

Profile

大村 亮 / Ryo Ohmura

機械工学科

専門は熱工学、物理化学。現在の研究テーマはクラスレートハイドレートの物理化学、ならびにエネルギー・環境関連技術の開発。基礎研究から実用を想定した応用研究まで幅広く展開している。2000 年、博士(工学)を取得後、フランスでハイドレート研究に参画。2002 年から独立行政法人産業技術総合研究所研究員。2006年に慶應義塾大学理工学部専任講師に着任し、2009 年同大学准教授に就任。現在に至る。

研究紹介

今回登場するのは、クラスレートハイドレートを活用して

エネルギー分野での新技術開発に取り組む大村亮准教授です。

天然ガスの貯蔵やCO2抽出に役立つクラスレートハイドレート

氷とよく似ているが氷ではない物質の有効活用

水分子が作るかご状構造の中に水以外の物質を封じ込めて結晶化した物質をクラスレートハイドレートと呼ぶ。そのかごに収まる物質の多くは、メタンや窒素、二酸化炭素(CO2)などの疎水性のガスだ。ガスの固形化技術としても注目されているが、その原理や仕組みにはまだ謎も多い。慶應義塾大学理工学部は、この実用化研究において世界でもトップクラスの成果をみせている。研究を推進する大村亮准教授に話を聞いた。

水分子がかごを作りその中にゲスト物質が収まる

「クラスレートハイドレートとは、水分子が規則的に並んだ結晶体で、外観は氷に似ていますが、水分子の並び方が氷とは異なります。水分子が隙間なく整然と並ぶ氷と比べて、クラスレートハイドレートは、水分子が多面体のかご状の構造をしています。その構造体内部にゲスト物質と呼ばれる水以外の物質を取り入れた状態で結晶化しているのです」と大村准教授はその構造の特徴を説明する。
水分子とゲスト物質の関係は、子どもの遊びの “かごめかごめ” を思い描くと分かりやすい。中央で目をつぶる鬼がゲスト物質で、手を取り合って鬼を囲む子どもたちが水分子だ。鬼は仲間外れではないが遠巻きに見守られ、誰とも手をつながず、輪の外にも出られない。クラスレートハイドレートにおけるゲスト物質とは、まさにこの鬼のような存在である。

疎水性ガスを固体化し効率的な貯蔵や運搬を可能にする

こうした特徴を持つクラスレートハイドレートだが、自然界にも存在する。近年、将来有望な天然資源として期待されているメタンハイドレートも、メタン分子をゲスト物質にもつクラスレートハイドレートである。
氷とよく似たメタンハイドレートは、メタンガスを高密度に貯蔵できる媒体として注目されている。大村さんは、このようなクラスレートハイドレートの貯蔵性を、天然ガスのエネルギー利用に活かす研究に取り組んでいる。
「メタンハイドレートは、水分子 46個に対してメタン分子を 8 個の割合で含む結晶体で、体積比で 170 倍という貯蔵性を実現しています。そこで、ゲスト物質として天然ガスを封じ込めてみようと考えたのが天然ガスハイドレート研究の始まりです。今や実用化の一歩手前まできています。天然ガスハイドレートのメリットは、温度管理の手軽さです。通常、天然ガスは−162℃以下に冷却して液化天然ガス(liquefied natural gas,LNG)として貯蔵・輸送していますが、天然ガスハイドレートであれば−20℃程度で 1/170 に圧縮できます。1/600に圧縮できる LNG と比べると体積は 3.5倍程度増えますが、−162℃以下という極低温の維持管理が不要になるなど、代替技術として有望視されています」。
また、ハイドレート化はゲスト物質を分子単位で閉じ込めることができ、保管が難しい物質や危険物の貯蔵への活用も検討されている。
「すぐれた殺菌作用を持つオゾン(O3)は非常に不安定な物質で、オゾン分子どうしで反応して安定な酸素(O2)に変化してしまうため(203 → 3O2)、基本的に貯蔵できません。しかし、ハイドレート化すると分子の形で隔離・保存できるので、長期の貯蔵が可能です」。

図 1 クラスレートハイドレートの物性を活かす応用技術
クラスレートハイドレートに特有のガスの貯蔵や大きな分解熱といった物性を既存の技術やシステムに組み込むことで高効率な運用が可能になる。例えば、天然ガスの貯蔵・輸送技術、炭酸ガスの分離・抽出技術、高効率ヒートポンプへの活用などがある。また今後の可能性として、ハイドレートエンジンといったものも想定されている。

特定の物質を抽出できCO2除去技術としても期待できる

クラスレートハイドレートは水とゲスト物質を一緒にするだけでは生成しない。生成には低温高圧という条件が必要で、しかもその条件はゲスト物質ごとに異なる。例えば 0℃の場合、メタンがハイドレート化する条件は 26 気圧(約 2.6MPa)。二酸化炭素(CO2)は 12 気圧、窒素では 150 気圧以上の高圧を要する。
「こうした生成条件の差を利用すると、特定のゲスト物質を選択的にハイドレート化できます。その応用として注目されるのが、火力発電所の排ガスからの二酸化炭素の分離・除去です。二酸化炭素と窒素から構成される排ガスを水と反応させ、二酸化炭素のハイドレート化に最適な条件を与えて二酸化炭素だけを選択的に固形化させる試みです。現在、二酸化炭素除去技術としてはアミン法*がありますが、この方法ではアミンという危険物を扱わねばなりません。それに対して二酸化炭素をハイドレート化させる除去方法で使うのは水だけですので、アミン法に代わる方法として有望と考えています」。

図 2 メタンハイドレートの生成条件
メタンハイドレートは、メタンと水分子、それに温度と圧力条件が揃ってはじめて生成できる。温度と圧力の関係を示したのがこのグラフである。温度が低い時に生成に必要な圧力は低く、温度が高くなると圧力も高くなる。ただし、制御に必要な低温や圧力は制御可能な範囲に収まっており、扱いやすさも特長である。こうした物性は、全てのクラスレートハイドレート物質に共通して見ることができる。

氷蓄熱に代わる高効率蓄熱媒体としても期待

クラスレートハイドレートが生成されると水分子は氷状になるが、その温度を5℃から 15℃の範囲でコントロールすることも可能である。この物性を利用する冷房用蓄熱媒体としても期待される。
「現在、大きなビルなどの空調機器が採用する氷蓄熱システムは、夜間電力で氷を作り、その冷気を冷房の熱源としています。ただ、効率の点からいえば 28℃の室温を維持するために必要な15℃の冷風を作るための最適な熱源は10℃前後であり、0℃の氷では温度が低すぎるという指摘があります。実際、熱源を 10℃にすると 4 割程度の省エネ効果が期待できます。ハイドレート蓄熱ではゲスト物質や圧力を管理することで10℃前後の熱源を提供でき、既存の氷蓄熱をはるかにしのぐ効率を有する蓄熱システムを提供できます」。
しかし、問題がないわけではない。クラスレートハイドレートの実用化にはゲスト物質の安全性の証明はもちろん、この技術の原理や仕組みを解明し、その知識を多くの研究者や識者と共有していく必要があるという。
「実用化が見えだした今だからこそ基礎研究にも取り組んでいます。アカデミックの側に立つ者として、また先行する研究者として、特定のエンジニアリング分野に偏らない幅広い視点でこの現象を捉える時期が来ていると考えています」。
クラスレートハイドレートの研究は着々と進められている。

(取材・構成 渡辺 馨)
*:化学反応を利用した二酸化炭素の分離・除去法の1 つ。二酸化炭素と結合反応を起こすアミノ基を分子構造に持つアルカノールアミン水溶液を吸収液として利用する。吸収液の再生コストの低減が課題。なお、アミンは強いアルカリ性を示し、取り扱いにも注意を要する。

インタビュー

大村 亮准教授に聞く

父親のアドバイスで理工系に進学する

理工系に進学したきっかけは?

今でこそ理工学部の、それも機械工学科の教員をしていますが、高校時代の私はといえば、数学と物理が大の苦手で、好きな科目は政治・経済や倫理、そして歴史、という社会系が得意な学生でした。  そんな文系向きの私が理工系に進んだのは父の影響でした。進学先の大学を考えていた時、父に「せっかく専門の先生に出会える機会だから、どうせなら苦手なことを教えてもらったらどうだ」と言われたのです。文系の科目は1人でも学べるが、理系の独学は難しいぞ、という父の言葉が心に響き、なるほどそういうものかもしれないと思ってしまいました。幸いにも数学や物理もテストはそこそこできたので大学は理工系と決め、慶應義塾大学理工学部の機械工学科に進学しました。

苦手な理系はどうでしたか。

数学の苦手意識は変わりませんでしたが、物理への印象は入学後すぐに変わりました。力学や熱力学関連の講義を担当される先生方はさすがに専門家で、ちゃんと分かっている人が教えてくださるとこんなに面白いのかと実感しました。 大学では物理現象や機械の動作について、それがなぜそうなるのか、どうして動くのか、その原理からメカニズムまでの一部始終を実験を交えながら学ぶことができます。講義を受け持つ先生も実際に産業界との関わりを持っておられる方ばかりで、力学や熱力学が具体的にどういうところで役立つかを熟知されています。そうした背景があるから講義に説得力もありますし、学生からの質問に対しても自分の経験を交えて答えてくださるので、言葉に強さがありました。「これが何の役に立つのか」と自問自答しながら勉強した高校の物理とはまったく別物でした。

Sloan教授に出会い、クラスレートハイドレートの研究を本格化

クラスレートハイドレート研究に取り組んだきっかけは。

大学4年の時、森康彦先生の研究室に入ってからです。当時、森先生は伝熱(熱伝達)の研究をされており、そのテーマの1つがクラスレートハイドレートでした。当時から面白い事象とは思っていましたが、それ以上のことは考えていなかったように思います。その意識が変わったのが、米国のコロラド鉱業大学のE. D. Sloan Jr.教授と出会ってからです。
Sloan先生はエンジニアリングの世界においてずば抜けた業績を持つハイドレート研究の第一人者で、私が修士課程の学生だった時に先生を招いた特別講座がここの理工学研究科で開講されました。2カ月という短い期間でしたが、クラスレートハイドレートを専門に研究されてこられたSloan先生から体系的な知識を学べたのは素晴らしい経験でした。それまで私がしてきたクラスレートハイドレート研究は、伝熱工学分野からの1つの展開の域を出ない研究でしたが、Sloan先生と出会ったことで基礎的な物性についても深く知ることができました。論文を通してではなく、先生を目の前にして直接に教わることで気付いた驚きや可能性は、私自身のその後の研究の方向性に大きな影響を与えたと思っています。
学位取得後もクラスレートハイドレート研究を続けようと考えていたとき、産業技術総合研究所(産総研)のハイドレート分野で若手研究者を求めていることを知り、早速応募しました。産総研のプロジェクトで一緒になった先輩研究者たちは応用物理の専門家が多く、物性の見極めを目標に研究を進めていくというスタイルが主流でした。エンジニアリングの視点を重視する機械工学出身の私にとって、応用物理からのアプローチは新鮮だったことを覚えています。産総研には4年間在籍しましたが、その間、エンジニアリングの視点で対象を見つめながらも、応用物理的なファンダメンタルな研究もするというエンジニアリング・サイエンスを実践できたことは今につながる貴重な経験でした。

その後大学に戻られたとのことですが、何か思うところがあったのですか?

実は学生の頃から、自分の性格を考えると、人を励まして力を引き出すような仕事の方が向いていると思っていたのですが、産総研に勤めてそのことを強く意識するようになりました。
産総研の研究者は部下や臨時職員と一緒に研究することもありますが、基本的には自分自身の研究に邁進するというタイプがほとんどです。ところが私は、学生と一緒にあれこれ考え、社会のために、大学のために、何より将来を担う学生を育てたいと思うようになり、大学から舞い込んできた専任講師の話をチャンスと捉え、教員という道を選びました。自分では厳しい面も持ち合わせつつ誉めて伸ばすタイプの教員だと思っています。学生には、怖い教員として通っているようです……この点は自分でもある程度は納得しています。

ジョギングで気分転換し、学生の力を引き出す努力を

研究以外で関心があることや、続けてきたことはなんでしょうか?

体を動かすことですね。長く続いているのがジョギングです。最近では毎日16kmほど、時間にして1時間40分くらい走っています。家が綱島なので、鶴見川沿いを新横浜に向かい、日産スタジアムまで行って戻ってくるという感じです。午後の予定がないときは大学(日吉)から多摩川に出て、川沿いの遊歩道を田園調布まで往復することもあります。趣味というよりは習慣になっている感じもしますが、走っている間に考えをまとめることができるし、逆に迷っているときには走ることですっきりできるなど気分転換になっていると思います。
また、筋トレやベンチプレスもやっています。研究室にベンチプレス用のベンチがあり、森先生の研究室と合同で週に2回のペースで汗を流しています。ベンチプレスでは、持ち上げた重量(より正しくは質量)ではなく、その質量を自分の体重で割って指数化して競っています。私たちはそれをMori数と呼び、研究室のメンバーの多くが,1Mori数、すなわち自分の体重分ですね、それくらいは持ち上げようと競っているところです。私自身が持ち上げられる最大の質量は95 kg。体重は54 kgですので、私のMori数は1.76ほどとなります。
運動以外ではベランダ園芸もやっています。夏から秋の今の季節はハーブの栽培が旬ですね。北海道にいたときにもらったライラックの苗木も大切に育てています。さすがに東京の夏はライラックには厳しく、日陰の涼しい場所に避難させています。ちょっとした気遣いですが、春の訪れを告げる花を楽しむためには欠かせない一手間です。

教員として、学生の力を引き出すために意識していることを教えてください。

「論理的であれ」ということでしょうか。組織や社会の中で自分を活かすために欠かせないのが筋道を立てる力だと思っています。その場を支配するルールを尊重することも大事です。社会に出るとルールが悪いといってもどうにもならないことがある、という現実に備える意味でも大事なことです。そして、もう1つが、相手の立場で考えること。伝えたいことがあるときほど、自分の意見を前面に出しがちですが、そこをぐっと抑える。研究報告でも同じです。すごい成果は、その成果がすごいほど人には伝わりません。すごすぎて本人以外には理解できないのです。だからこそ一歩引く。そのすごい成果を発見する前の自分が聞いたらどう思うだろうかと考える。私が努めて意識するのは、研究や発表会などを通してこれらのことを経験し、体感できる環境を用意することです。
機械工学的な視点でいえば、物理法則を基準に物事を判断できる応用力を身につけて欲しいと思います。例えば、好きなだけ食べても太らない、といったダイエット系の話題に対して、エネルギー保存の法則と対立しているという視点を持って欲しいですね。現実世界を支配している物理法則の存在を日々の生活の中で意識することで、物理の面白さを実感できるはずです。学生にとって力学や熱力学ほどわかりにくい科目はないと思いますが、身につけてみるとこれほど役に立つ学術は他にはないというのも事実です。社会の仕組みやシステムの構築に欠かせない学術であるということに、在学中に気付けるような講義や講座を提供していきたいと思っています。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
知識の幅が広いという一言に尽きます。講義だけでなく、歴史や文化の話も面白いですし、料理やその食材、ワインにまつわる話題も豊富で、つい聞き入ってしまうほど。研究室で飲み会をする時、先生が美味しいワインやチーズを振る舞ってくださるのですが、そのワインの由来やワイナリーの特徴といった話も興味深くて、僕らも楽しみにしています。スポーツも得意で、体力も僕ら以上にあると思います。

(取材・構成 渡辺 馨

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