研究に必要なのは、チャレンジ精神と集中力

女性研究者では珍しい量子光エレクトロニクスの研究を手掛ける早瀬潤子さん。
その柔らかな物腰からは想像できないが、高校時代はボート部に所属し、
全国大会で4位になったほどの実力だ。
早瀬さんは、部活で鍛えた体力と集中力を武器に、
自らの手で研究者としての道を切り拓いてきた。

Profile

早瀬 潤子 / Junko Hayase

物理情報工学科

専門分野は量子光エレクトロニクス。特に超短光パルスを用いた半導体ナノ構造の光物性、量子制御、量子情報応用に関する研究に従事。2001年上智大学にて博士(理学)を取得後、(独)理化学研究所基礎科学特別研究員、(独)情報通信研究機構専攻研究員、(独)科学技術振興機構さきがけ研究者、電気通信大学先端領域教育研究センター特任助教を経て、2010年慶應義塾大学理工学部准教授、現在に至る。2009 年度文部科学大臣表彰・若手科学者賞。

高校の物理の先生との出会いが転機

どのような子ども時代を過ごされましたか? 
昔から、理系科目が得意だったのでしょうか。

私自身は全く覚えていないのですが、両親が言うには、しょっちゅう「どうして?」「どうして?」と質問ばかりしている子だったようです。ただ小さい頃は、とりたてて理系科目が得意だったというわけではありませんでした。 生まれは福島県で、のんびりしたところに育ったので、小学生の頃はあまり勉強した記憶はありません。中学のときに埼玉県に引っ越し、進学した県立高校で教わった物理の先生との出会いが大きな転機になりました。 高校の物理の授業というと、実験などはあまりやらず、教科書にかじりついて受験向けの計算問題を解くというものがほとんどだと思うのですが、この先生はちょっと変わっていて、毎回必ず実験をして、なぜそうなるのかを生徒たち自身に考えさせるという授業だったのです。定期試験でも、計算問題はほとんど出さず、「なぜこうなるのか説明せよ」といった設問ばかりでした。もともと考えることが好きだったので、この先生との出会いで、物理の面白さに目覚めました。とはいえ、このときはまだ、研究者というのは憧れの存在でしかなかったのですが……。 というのも、高校時代はボート部に所属し、インターハイに出るなど、部活動しかやっていなかったんですね。高校3年の9月の国体までは、部活一色の生活でした。なので、受験勉強はほとんどせずに、推薦で上智大学の物理学科に入学しました。

でも、普段の成績が良くなければ推薦は受けられませんね?

ボート部で体力がつき、集中力が鍛えられたおかげだと思います。体力と集中力で、定期試験を一気に乗り切っていました。実を言うと、私は一度も塾に行ったこともないし、模試も1回しか受けたことがないんですよ。推薦入学に際しての試験も、計算などは一切出なくて、すべて「○○について説明せよ」という論文形式の試験だったので、なんて私向きの試験なんだろうと思ったほどです(笑)。

新しい成果を求めて研究者に

研究者になろうと思われたのは、いつ頃ですか?

大学4年のときです。着任されてまだ2年目の江馬一弘先生の研究室に入ることにしたのですが、研究室では、超短光パルスを使った非線形分光という、世界でも最先端の研究を手掛けていました。大学3年生までは、答えの用意されている理論や実験について学びましたが、研究室では、世界でまだ誰もやっていないような実験を自分たちでやり、次々に新しい結果を出すことができました。研究室自体はできて2年目ということもあり、設備を整えたり、ルールを決めたり、装置を作ったりといろいろ大変でしたが、それだけ、やりがいもあり、非常に充実していましたね。研究室に泊まって、夜通し実験するということもよくありましたが、全く苦になりませんでした。一度集中すると、とことんやらないと気がすまないんです。
そうした環境に身を置いたことで、たんなる憧れから、研究者になりたいという思いが強くなっていったのだと思います。一見、私はおっとりしていると言われるのですが、結構、頑固者らしく、一度こうと決めたら譲らない性格なんですね(笑)。「大学を卒業したら就職して、いい人を見つけて結婚すればいい」という親の意見には全く耳をかさず、大学院の博士課程まで進むことにしました。

高校、大学と、先生との出会いが転機になっているんですね。

現在、私自身が研究室を主宰し、学生を指導する立場になってみて初めて、江馬先生から学んだことが非常に役に立っていると感じます。よく考えてみると、私は江馬先生から怒られた記憶がほとんどないのです。学生のいいところを褒めて、本人のやる気を引き出すような助言や課題を与えることで、それぞれの成長を促すというやり方は、今の私のお手本になっています。
博士号を取得した後は、アカデミック研究者を目指して、理化学研究所に入所しました。今でいうポスドクの立場で、3年の任期付き。自分で研究テーマを提案する形式の応募で、運良く採用されました。今の研究とは少し違うのですが、光と半導体ナノ構造を扱うという意味では同じような分野の研究です。任期終了後は、情報通信研究機構(NICT)に移り、そこで量子ドットと出合いました。ちょうどNICTには特徴的な量子ドットを作っている研究部隊がいて、面白そうだと思ったのがきっかけでした。ここに4年半くらい在籍したのですが、NICTの場合も、自分で就職活動をして得た職でした。私たちアカデミックの世界では、博士号をとって、すぐに任期のない安定的な職につけるわけではないんですね。
そんなわけで、研究資金を獲得するため、また安定的な研究環境を探すためにあちこちに応募をしていたのですが、NICTに在籍中、運良く15倍の高い倍率をくぐり抜け、科学技術振興機構(JST)の個人型研究を対象とする競争的研究資金制度「さきがけ」に採択されることになりました。「さきがけ」に採択されて良かったのは、採択された研究者や審査側のアドバイザーが一堂に会して、半年に一度、合宿で議論を戦わせる場があったこと。そこで研究の進捗について発表するのですが、厳しい意見を含め、非常にレベルの高い意見や助言をもらえることで、成長できたと思います。合宿形式なので、議論するだけでなく、夜は夜でざっくばらんに将来について語り合い、気付いたら夜中の2時、3時ということもよくありました。この世界では、人と人とのつながりがとても大事なので、「さきがけ」で知り合った同世代の仲間は、かけがえのない大きな財産になりました。
「さきがけ」がステップアップのきっかけとなり、その後、テニュア・トラック制度(若手研究者が、任期付きの雇用形態で自立した研究者としての経験を積み、厳格な審査を経て安定的な職を得る仕組み)を利用して電気通信大学の教員になりました。そしてようやく昨年、縁あって慶應義塾大学に着任し安定的な職を得ることができました。今から思えば、任期付きのポスドクという立場は不安定ではあったけれど、研究に没頭できるし、とても良い経験だったなあと思います。今は、学部生と院生計6名を抱える研究室を運営していく側になり、責任の重さと、大きなやりがいを感じています。

つねにご自身の手で、道を切り拓いてこられたんですね。

はた目で見ると、計画的にバリバリやってきたように見えるかもしれませんが、その場その場で、ただ好きなことを続けてきただけなのです。今後は、せっかく任期のない職についたのですから、時間のかかるチャレンジングな研究にも取り組んでいきたいですね。

“女性”を意識したことはなく自然体で

女性研究者として苦労したり、逆に得をしたりしたことはありますか?

大学の頃から男性にしか囲まれてこなかったこともあって、あまり意識したことはありませんね。自分が女性であることが意識にものぼらないというか、「女性だから…」と特別に考えたことはなく、いつも自然体でいます。得したことといえば、目立つので覚えてもらえることですね。また最近は、女性研究者を後押しする制度もあり、得しているかもしれません。仮に得をしているとしたら、その分ちゃんと成果を出して、お返ししなければと思っています。それは女性研究者だからではなく、1人の研究者として思っているだけですが……。

研究の合間の息抜きは?

普段は慌ただしく過ごしているので、オフのときは夫と一緒に買い物をしたり、旅行に行ったりして、ゆったり過ごすようにしています。研究にはやはり、体力と集中力が欠かせませんので、そのためには適度な休息が必要ですね。研究室の学生たちにも、やる時には集中してやる、休む時には休む、メリハリのある研究生活を送って欲しいなと思います。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
本当にタフな方だなぁと思います。どんなに大変なときでも、時間にきちんと来て、集中して研究する姿勢は、研究者の鑑です。先生を見習おうと、僕も体力づくりを始めました。

(取材・構成 田井中麻都佳

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