研究に必要なのは、チャレンジ精神と集中力

女性研究者では珍しい量子光エレクトロニクスの研究を手掛ける早瀬潤子さん。
その柔らかな物腰からは想像できないが、高校時代はボート部に所属し、
全国大会で4位になったほどの実力だ。
早瀬さんは、部活で鍛えた体力と集中力を武器に、
自らの手で研究者としての道を切り拓いてきた。

Profile

早瀬 潤子 / Junko Hayase

物理情報工学科

専門分野は量子光エレクトロニクス。特に超短光パルスを用いた半導体ナノ構造の光物性、量子制御、量子情報応用に関する研究に従事。2001年上智大学にて博士(理学)を取得後、(独)理化学研究所基礎科学特別研究員、(独)情報通信研究機構専攻研究員、(独)科学技術振興機構さきがけ研究者、電気通信大学先端領域教育研究センター特任助教を経て、2010年慶應義塾大学理工学部准教授、現在に至る。2009 年度文部科学大臣表彰・若手科学者賞。

研究紹介

今回登場するのは、情報技術を飛躍的に革新する

「量子光エレクトロニクス」の実用化を目指す早瀬潤子准教授です。

半導体と光技術に
量子力学の原理を応用

“0でもあり1でもある世界”の可能性

原子や分子、電子、素粒子などの非常に小さな世界で起こる、古典力学では説明しきれない現象を扱う量子力学。理論の確立から 1 世紀近くを経て、実験によってその正しさが証明され、いまや人類が活用できる技術へと進歩を遂げつつある。早瀬潤子准教授は、光と半導体の量子力学的性質を制御する技術を開拓し、量子光エレクトロニクスの実用化に向けた研究に取り組んでいる。

パルス光と半導体を組み合わせて新技術を創る

「量子力学の最大の応用技術として注目されるのが量子情報技術です。量子力学的性質を活用できれば、遠く離れた場所へ一瞬で情報を伝える量子テレポーテーションや、現在のコンピュータでは何億年もかかる問題を超並列計算で一瞬にして解く量子コンピュータ、決して盗聴できない絶対安全な量子暗号システムなど、従来の情報技術では想像もしなかったようなことが可能になるのです」、と早瀬潤子准教授は言う。
早瀬さんの専門分野は量子光エレクトロニクス。 パルス光(一瞬だけ光るフラッシュのような光)と半導体ナノ構造を組み合わせ、光子*と電子の量子力学的性質を自在に制御するための研究を進めている。
「現在の情報化社会は光エレクトロニクス(光電子工学)によって支えられていますが、量子力学の原理を十分活かしきれているとは言えません。量子力学的性質を制御し活用することができれば、従来の常識を覆すような新しい技術を創りだすことができるでしょう。その1つの例が量子情報技術です」。

図 1 量子を利用した未来の情報技術
現在の情報技術では、光の強さ(光子の量)や電流の大きさ(電子の量)を制御して情報(0か1)を表わしている。これに対し、「重ね合わせ状態」や「量子もつれ状態」と呼ばれる量子状態を活用できれば、量子テレポーテーションや量子コンピュータ、量子暗号システムなどの革新的な情報技術を実現できる。

0 でもあり 1 でもある“重ね合わせ状態” とは

私たちがパソコンや携帯、インターネットなどで利用するあらゆる情報は、 ご 存 じ の よ う に、“0” か “1” か のビットを最小単位として、その組み合わせ “01101…” で表わされている(図 1)。その “0” か “1” かを表現するのが、光や電流の強度(ON / OFF)だ。しかしそれは、光や半導体の性質のほんの一部を使った技術でしかない。そこで、世界中の研究者たちが期待しているのが、量子情報技術だ。量子力学の世界で起こる、“0でもあり 1 でもある” という摩訶不思議な現象が、これまで想像もしなかった情報技術を可能にするのだという。
「量子力学の概念を示すのに有名なのが『シュレーディンガーの猫』です(図 2)。箱 A の中に猫を入れて、毒ガス発生装置を仕掛けます。一方、箱 B にはランダムに作動するスイッチをセットしておいて、スイッチが入ると箱 A の毒ガス発生装置が起動するようにつなげておきます。一定時間が経過した後では、どちらかの箱を覗いて観測するまで猫が生きている(0)か、死んでいる(1)かわかりません。このような状態を “0 でもあり 1 でもある重ね合わせ状態” といい、これを情報の単位(量子ビット)に用いたのが量子コンピュータです。1つの量子ビットで 0 と 1 両方の処理が同時にできるので、たくさんの量子ビットがあると超並列計算が可能になるのです」。
もう1つの重要な概念が「量子もつれ」だ。「スイッチが入る前(B=0)なら猫は生きており(A=0)、入った後(B=1)なら死んでいる(A=1)。つまり『A が0 なら B が 0』『A が 1 なら B が 1』のどちらかですが、観測するまではわかりません。このような状態を “量子もつれ状態” と言います。箱 A と箱 B を空間的に離しておけば、箱 A を観測した瞬間に箱 B の状態が確定し、遠く離れた場所同士で情報を伝えることができる。これが量子テレポーテーションの原理です」。
重ね合わせ状態や量子もつれ状態といった量子状態は、蓋を開けるまではいくつかの可能性が共存しているが、蓋を開け、観測した瞬間に結果が確定してしまう。言い換えれば、量子状態は観測すれば壊れてしまうことを意味する。
「光子が暗号に活用できるのは、光子が最小の粒子で分割できないことに加え、仮に盗聴された(観測された)としても、量子状態が壊れるため、盗聴がわかってしまうからなんですね。また光子を使えば、非常に微弱なエネルギーで情報がやり取りできるため、究極の省エネルギー情報通信が可能となります」。

図2 シュレーディンガーの猫
量子力学の不思議な世界を分かりやすく描いたのが、有名な「シュレーディンガーの猫」の絵である。観測者が箱の中を見るまで、猫は生きている(0)か死んでいる(1)か分からない。こうした状態を「重ね合わせ状態」という。また、箱Bのスイッチが入る前(B=0)なら箱Aの猫は生きており(A=0)、スイッチが入った後(B=1)なら猫は死んでいる(A=1)。どちらであるかは箱Aか箱Bの中を見るまでわからない。こうした状態を「量子もつれ状態」という。

半導体量子ドットと超短光パルスを組み合わせる

早瀬さんは現在、量子光エレクトロニクスの実現に向けて、半導体中の電子と光子の間で量子状態をやり取りしたり、それらの状態を制御したりするための実験を行っている(図 3)。しかし、光子のもつ量子力学的な情報を半導体に伝えるには、様々な課題が山積する。
「量子状態は非常に脆くて、アッという間に壊れてしまいます。量子状態を保持しながら、制御したり、移動させたりする必要があるのですが、それが非常に難しいのです」。
そこで注目されるのが、量子状態を保持し制御するのに適した半導体、半導体量子ドットだ。これは、最新のナノテクノロジーによってつくられる、10−8メートルという極微小な半導体の粒。小さな領域に電子を閉じ込めることで、あたかもその領域が1個の原子のような振る舞いをするため、1つ1つの電子の量子状態の制御や保持が容易になるという。
「量子ドットの特長は、サイズや形状によって特性を自由に変えられること。私の研究グループでは、特殊な手法を用いることで、光ファイバー通信で使われている光と強く相互作用する量子ドットを作製しています。他のグループよりもずっと長く、重ね合わせ状態を保持することにも成功しています」。
とはいえ、量子状態が時々刻々と壊れていくことは避けられない。そこで早瀬さんは、10 − 13 秒というとてつもなく短い時間に瞬間的に光を出すことができる超短パルスレーザーを超高速なフラッシュとして使うことで、量子状態が壊れる前に制御したり、量子状態が壊れていく様子を観測したりしている。超短パルスレーザーを用いることで、通常の光では起こらない非線形な現象を利用し、重ね合わせ状態や量子もつれ状態を制御することが可能になるという。
もっとも、光子1つに相当する光の強度は極微弱なので、光子と電子の間で狙い通りの効果を引き起こすことは非常に難しい。そこで、量子ドットをたくさん集めることにより、光子と電子の相互作用を高める方法を探っているという。
「 量子力学の面白さは、その可能性が計り知れないところ。数十年後の世界を飛躍的に変えるような大発見を目指して研究に取り組んでいます 」。

図3 光子と電子の間での量子力学的な情報のやりとり
超短光パルスを半導体量子ドットに照射し、光子のもつ量子力学的な情報(量子状態)を半導体の中の電子に転写する(1)。一定時間後にコントロールパルスを照射し(2)、電子に転写した量子力学的情報を再び光子として取り出す(3)。

(取材・構成 田井中麻都佳)


*光子:光のエネルギーの最小単位。量子力学的にみると、光は波としての性質と粒(光子)としての性質の両方をもっている。

インタビュー

早瀬潤子准教授に聞く

高校の物理の先生との出会いが転機

どのような子ども時代を過ごされましたか? 
昔から、理系科目が得意だったのでしょうか。

私自身は全く覚えていないのですが、両親が言うには、しょっちゅう「どうして?」「どうして?」と質問ばかりしている子だったようです。ただ小さい頃は、とりたてて理系科目が得意だったというわけではありませんでした。 生まれは福島県で、のんびりしたところに育ったので、小学生の頃はあまり勉強した記憶はありません。中学のときに埼玉県に引っ越し、進学した県立高校で教わった物理の先生との出会いが大きな転機になりました。 高校の物理の授業というと、実験などはあまりやらず、教科書にかじりついて受験向けの計算問題を解くというものがほとんどだと思うのですが、この先生はちょっと変わっていて、毎回必ず実験をして、なぜそうなるのかを生徒たち自身に考えさせるという授業だったのです。定期試験でも、計算問題はほとんど出さず、「なぜこうなるのか説明せよ」といった設問ばかりでした。もともと考えることが好きだったので、この先生との出会いで、物理の面白さに目覚めました。とはいえ、このときはまだ、研究者というのは憧れの存在でしかなかったのですが……。 というのも、高校時代はボート部に所属し、インターハイに出るなど、部活動しかやっていなかったんですね。高校3年の9月の国体までは、部活一色の生活でした。なので、受験勉強はほとんどせずに、推薦で上智大学の物理学科に入学しました。

でも、普段の成績が良くなければ推薦は受けられませんね?

ボート部で体力がつき、集中力が鍛えられたおかげだと思います。体力と集中力で、定期試験を一気に乗り切っていました。実を言うと、私は一度も塾に行ったこともないし、模試も1回しか受けたことがないんですよ。推薦入学に際しての試験も、計算などは一切出なくて、すべて「○○について説明せよ」という論文形式の試験だったので、なんて私向きの試験なんだろうと思ったほどです(笑)。

新しい成果を求めて研究者に

研究者になろうと思われたのは、いつ頃ですか?

大学4年のときです。着任されてまだ2年目の江馬一弘先生の研究室に入ることにしたのですが、研究室では、超短光パルスを使った非線形分光という、世界でも最先端の研究を手掛けていました。大学3年生までは、答えの用意されている理論や実験について学びましたが、研究室では、世界でまだ誰もやっていないような実験を自分たちでやり、次々に新しい結果を出すことができました。研究室自体はできて2年目ということもあり、設備を整えたり、ルールを決めたり、装置を作ったりといろいろ大変でしたが、それだけ、やりがいもあり、非常に充実していましたね。研究室に泊まって、夜通し実験するということもよくありましたが、全く苦になりませんでした。一度集中すると、とことんやらないと気がすまないんです。
そうした環境に身を置いたことで、たんなる憧れから、研究者になりたいという思いが強くなっていったのだと思います。一見、私はおっとりしていると言われるのですが、結構、頑固者らしく、一度こうと決めたら譲らない性格なんですね(笑)。「大学を卒業したら就職して、いい人を見つけて結婚すればいい」という親の意見には全く耳をかさず、大学院の博士課程まで進むことにしました。

高校、大学と、先生との出会いが転機になっているんですね。

現在、私自身が研究室を主宰し、学生を指導する立場になってみて初めて、江馬先生から学んだことが非常に役に立っていると感じます。よく考えてみると、私は江馬先生から怒られた記憶がほとんどないのです。学生のいいところを褒めて、本人のやる気を引き出すような助言や課題を与えることで、それぞれの成長を促すというやり方は、今の私のお手本になっています。
博士号を取得した後は、アカデミック研究者を目指して、理化学研究所に入所しました。今でいうポスドクの立場で、3年の任期付き。自分で研究テーマを提案する形式の応募で、運良く採用されました。今の研究とは少し違うのですが、光と半導体ナノ構造を扱うという意味では同じような分野の研究です。任期終了後は、情報通信研究機構(NICT)に移り、そこで量子ドットと出合いました。ちょうどNICTには特徴的な量子ドットを作っている研究部隊がいて、面白そうだと思ったのがきっかけでした。ここに4年半くらい在籍したのですが、NICTの場合も、自分で就職活動をして得た職でした。私たちアカデミックの世界では、博士号をとって、すぐに任期のない安定的な職につけるわけではないんですね。
そんなわけで、研究資金を獲得するため、また安定的な研究環境を探すためにあちこちに応募をしていたのですが、NICTに在籍中、運良く15倍の高い倍率をくぐり抜け、科学技術振興機構(JST)の個人型研究を対象とする競争的研究資金制度「さきがけ」に採択されることになりました。「さきがけ」に採択されて良かったのは、採択された研究者や審査側のアドバイザーが一堂に会して、半年に一度、合宿で議論を戦わせる場があったこと。そこで研究の進捗について発表するのですが、厳しい意見を含め、非常にレベルの高い意見や助言をもらえることで、成長できたと思います。合宿形式なので、議論するだけでなく、夜は夜でざっくばらんに将来について語り合い、気付いたら夜中の2時、3時ということもよくありました。この世界では、人と人とのつながりがとても大事なので、「さきがけ」で知り合った同世代の仲間は、かけがえのない大きな財産になりました。
「さきがけ」がステップアップのきっかけとなり、その後、テニュア・トラック制度(若手研究者が、任期付きの雇用形態で自立した研究者としての経験を積み、厳格な審査を経て安定的な職を得る仕組み)を利用して電気通信大学の教員になりました。そしてようやく昨年、縁あって慶應義塾大学に着任し安定的な職を得ることができました。今から思えば、任期付きのポスドクという立場は不安定ではあったけれど、研究に没頭できるし、とても良い経験だったなあと思います。今は、学部生と院生計6名を抱える研究室を運営していく側になり、責任の重さと、大きなやりがいを感じています。

つねにご自身の手で、道を切り拓いてこられたんですね。

はた目で見ると、計画的にバリバリやってきたように見えるかもしれませんが、その場その場で、ただ好きなことを続けてきただけなのです。今後は、せっかく任期のない職についたのですから、時間のかかるチャレンジングな研究にも取り組んでいきたいですね。

“女性”を意識したことはなく自然体で

女性研究者として苦労したり、逆に得をしたりしたことはありますか?

大学の頃から男性にしか囲まれてこなかったこともあって、あまり意識したことはありませんね。自分が女性であることが意識にものぼらないというか、「女性だから…」と特別に考えたことはなく、いつも自然体でいます。得したことといえば、目立つので覚えてもらえることですね。また最近は、女性研究者を後押しする制度もあり、得しているかもしれません。仮に得をしているとしたら、その分ちゃんと成果を出して、お返ししなければと思っています。それは女性研究者だからではなく、1人の研究者として思っているだけですが……。

研究の合間の息抜きは?

普段は慌ただしく過ごしているので、オフのときは夫と一緒に買い物をしたり、旅行に行ったりして、ゆったり過ごすようにしています。研究にはやはり、体力と集中力が欠かせませんので、そのためには適度な休息が必要ですね。研究室の学生たちにも、やる時には集中してやる、休む時には休む、メリハリのある研究生活を送って欲しいなと思います。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
本当にタフな方だなぁと思います。どんなに大変なときでも、時間にきちんと来て、集中して研究する姿勢は、研究者の鑑です。先生を見習おうと、僕も体力づくりを始めました。

(取材・構成 田井中麻都佳

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