日本は研究しやすい環境が整っている

専門家でなくても誰もが手軽に扱える、紙のセンサーの開発を手がけるチッテリオさん。
スイス・チューリッヒ出身のチッテリオさんが、
縁あって日本で研究をするようになってから、今年で通算して8年になる。
研究者どうしのつながりが強く、予算的にも設備的にも研究環境に比較的恵まれている日本は、研究者にとってとても魅力的な場所なのだという。

Profile

チッテリオ・ダニエル / Daniel Citterio

応用化学科

既存の物質を組み合わせたり、全く新しい材料(色素、高分子など)を開発することにより、 産業・医療・環境分析への応用を目指した化学センサーおよびバイオセンサーの開発に取り組んでいる。スイス、チューリッヒ生まれ。1992 年スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)化学科卒業、1998 年同大学大学院博士課程修了。慶應義塾大学ポスドク研究員を経て、ETHZ 助手に就任。その間、知的財産管理の修士を取得。その後、スイスの化学メーカーにて弁理士。2006 年慶應義塾大学に戻り、2009 年より慶應義塾大学理工学部応用化学科准教授、現在に至る。

人生の幅を広げるために日本へ

いつ日本にいらしたのですか?

スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)のドクターだった1996年に、共同研究プロジェクトに参加するため、東京大学の化学・バイオセンサーの研究室に所属したのが最初です。そのときは3カ月間だけの来日でした。ヨーロッパの大学では、通常、ドクターコースを終えると、1年ほど海外に留学してから就職します。たいていの学生はアメリカに行くのですが、私はアメリカには行きたくなかった。研究のためというよりも、自分の人生の幅を広げるために、文化も言葉もまったく違う場所で、新しいことにチャレンジしてみたいと思ったからです。そこで、ドクターのときに訪れた日本で、ポスドクとして研究をすることにしました。
最初に訪れたときから、日本はとても面白い国だと感じました。一見、見た目は東京も他の都市と変わらないのですが、実際に人と話をしてみると、欧米とはまったく違う文化があると感じました。たとえば、研究室内で上司・部下、あるいは先輩・後輩の関係が絶対的なのには驚かされましたね。もちろん、食べ物も人々の暮らしぶりも、見るものすべてが新鮮で、驚きの連続でした。
実は最初の留学のときに、1日だけ慶應義塾大学を訪れる機会があったのです。その折、現在、所属している鈴木孝治先生の研究室を訪ねて、自分の研究に近い分野の研究をしていることを知っただけでなく、慶應の学生はとてもオープンで、話がしやすく、よい印象をもちました。 慶應義塾大学のポスドクとして再来日したのは、1998年3月です。当初は1年間の予定でしたが、ようやく日本での研究生活に慣れたところで帰国するのはもったいないし、研究室の雰囲気も居心地よく、先延ばしするうちに4年半ほど滞在することになりました。

日本語はそのとき習得されたのですか?

ええ。最初はほとんどしゃべれなくて、日常の買い物にも困るほどでしたが、週1回の日本語家庭教師や学生とのコミュニケーションを通じて徐々に上達しました。とくに学生とのやりとりが一番効果的でしたね。でも、こちらに来て驚いたのは、日本の学生が思った以上に英語がしゃべれなかったこと。当初は、互いに英語と日本語で筆談しながら会話したものです。私は、いまだに漢字が苦手なんですけどね(笑)。
その後、2002年の秋にいったんスイスに戻り、大学で助教授として働き始めました。同時に、慶應の研究室でいくつか特許を出したことがきっかけで特許に興味をもつようになったので、もう一度大学に入りなおして勉強し、弁理士の資格を取りました。昔は、研究者は研究に専念し、特許を取ることなど研究の邪魔だと考えられていましたが、今の時代は違います。自分たちが手がけた研究を社会で活かすためには、特許についての知識をもつことはとても大事だと思います。
そうしたキャリアも携えて、その後、いったんスイスの化学メーカーに就職しました。でも、結局1年で辞めて、再び日本に戻りました。

研究しやすい日本の環境

なぜですか?

大学の研究室で実験したり、論文を書いたり、自由な発想で研究に取り組んでいたのに、会社に就職したとたん、そうした生活がなくなったら、急に将来に対して不安を抱くようになってしまったからです。やはり自分は研究者に向いていると思いました。
実はそのときは、また日本に戻りたいと積極的に思っていたわけではないのです。ただ、すでに日本語が話せるようになっていたので、前回よりもやはり苦労が少ないだろうと思ったことと、慶應での4年半の研究生活がとても楽しく、よい印象をもっていたことが根底にはあったと思います。
そんな折、鈴木先生から新しいプロジェクトのお話をいただいて、2006年に再び、特別研究助教授として慶應義塾大学理工学部に戻ってきました。2009年度からは、専任の教員(准教授)になりました。このときに、以前よりもキャンパスに留学生が増えていたのに驚きました。それだけ国際化が進んだということでしょうね。
インクジェットプリンターによる紙のチップの研究には、2007年から取り組んでいます。慶應義塾大学は研究者にとって素晴らしい環境が整っている場所だと思います。

研究しやすい環境にあると?

自分でプロジェクトの提案をし、それが通ったら、大学がサポート環境を整えてくれますし、それでいて自由に研究ができるのがいいところです。
今は状況が変わってきていますが、それでも、日本は比較的、研究予算を取りやすい環境にあると思います。また、鈴木先生をはじめ、日本では研究者どうしの結びつきが強く、コネクションを大事にしているのはいい点ですね。自分の研究分野と離れていることを知りたい場合でも、ネットワークを通じて、誰かに相談できる環境にあります。
一方で現在は、不景気の影響もあり、日本の学生の就職はとても厳しい状況にあります。せっかく海外留学をしたいと思っても、就職を優先して留学を断念する人もいます。残念ですね。
最近は、学生が留学に後ろ向きだという話も聞かれますが…。
実際には、留学したいというモチベーションも機会もあるとは思いますが、今は、早く就職を決めておかなければという風潮が強いように思います。実際に国際会議に出て、外の世界に触れたことをきっかけに、留学を希望する学生もいます。もちろん英語のハードルは越える必要があります。積極的に国際会議に出るなどして、自信をつけてほしいですね。私自身、日本語を習得するのは大変でしたが、専門分野のセミナー、学会などに参加するなかで、専門用語を身につけることができたので、チャンスがあれば利用して欲しいと思います。

どうして研究者を目指したか

ところで、先生のお名前はイタリア名でしょうか?

先祖が1800年代にイタリア北部から移住してきたためです。父はスイス出身、母はドイツとスイスの国籍をもっています。母国語はドイツ語です。
ちなみに、幼い頃から研究者に憧れていたわけではなかったと思います。パイロットになりたいと思っていたのですが、目が悪かったので断念しました。学校では、外国語(英語、フランス語、イタリア語、ラテン語)の成績がよかったこともあり、先生からは語学の勉強をしたらどうかと薦められていました。もちろん外国語の勉強をするのは好きだったのですが、それを仕事につなげたいとは思いませんでした。
研究者になったのには、隣のマンションに高校の化学の先生が住んでいたことが影響しているのかもしれませんね。よく学校まで車に乗せてもらって、化学の話を聞いたことを覚えています。それから、中学生用の化学の実験セットに夢中になったこともあります。実験に失敗して、部屋の壁紙が茶色に変色してしまったこともありましたね(笑)。とにかく実験するのが好きだったのです。

ご自身で手を動かすことがお好きなんですね。

ええ。実は料理も得意なんですよ。料理って、化学の実験に似ているところがありますからね。日本ではずっと日吉周辺に住んでいて、1人暮らしということもあり、時間があれば、友達や学生たちを呼んで手料理を振る舞うこともあります。日本食は複雑なのであまりつくりませんが、チーズフォンデュなどをよくつくります。
手だけでなく、体を動かすことも好きなので、休日に時間があればアウトドアを楽しみます。サイクリング、スキーやハイキングなどですね。日本の若者があまりハイキングをしないのには驚きました。よい自然風景がたくさんあるのだから、もっと自然を楽しんでほしい。私はそういった気分転換で、研究への活力を取り戻しています。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
ダニエルさんは、とても気さくで話しやすく、皆、先輩のように慕っています。やりたいことをやらせてくれるだけでなく、親身になって相談にも乗ってくれる、とても頼れる先生です。

(取材・構成 田井中麻都佳

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