フレッシュな目で見た理工学部における研究と教育

この4月から母校である慶應義塾大学に戻り教員となった田邉孝純専任講師、
神原陽一専任講師、1年間の海外留学から帰国した犀川陽子専任講師。
新しい年度にふさわしいフレッシュな3人の研究者に、
研究の場、教育の場としての慶應義塾大学についてそれぞれの思いを聞いた。

Profile

田邉 孝純(電気情報工学科)
犀川 陽子(応用化学科)
神原 陽一(物理情報工学科)

田邉 孝純
信号処理の究極的な省電力化と高速化を目指して、フォトニック結晶やシリカによる微小光共振器を利用した光非線形制御の研究に取り組んでいる。これまでに、半導体チップに集積可能な光スイッチや光メモリなどの開発に成功。2004年3月慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻博士課程修了。同4月、日本電信電話株式会社に入社、NTT 物性科学基礎研究所に所属。2009年4月同研究所研究主任。2010年4月より現職。2007年Scientific American 50 Award など。

犀川 陽子
自然現象に関わる鍵物質に注目し、それら天然物の単離、構造決定を行っている。また、分子内デッツ反応などを用いた独自の手法による、複雑な天然物の合成研究に取り組んでいる。2003年3月慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻博士課程単位取得退学。2002年4月、慶應義塾大学理工学部応用化学科助手。200年、博士(理学)取得。2008年4月より現職。2008 年9月から2009年9月ハーバード医科大学院訪問研究員(Jon Clardy 教授)。2003年第45回天然有機化合物討論会奨励賞など。

神原 陽一
高温超伝導を示す化合物の「発見」を主目的に、無機合成による結晶性の高い試料の作成と評価を行い、得られた結晶の局所構造と電気的性質・磁性との相関を明らかにする研究を展開中。2005年3月、慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻博士課程修了。2005年4月より科学技術振興機構ERATO SORST 細野透明電子活性プロジェクト研究員。2008年10月より科学技術振興機構TRIP新規材料による高温超伝導基盤技術研究員。2010年4月から現職。2009年第1 回超伝導科学技術賞など。

研究紹介①

電子回路よりも省エネが期待される光回路の実現を目指す田邉孝純専任講師

微小光共振器を開発し光回路を

超省電力社会を実現する

田邉孝純

電子ではなく光を用いることで機器の超省電力を実現する光回路。その実用化に欠かせないのが、メモリのように光を蓄え、トランジスタやスイッチのように蓄えた光を自在に取り出したり、性質を変えたりできる微小光共振器である。

光回路に欠かせない微小光共振器

ノートパソコンの電源アダプタやテレビの背面に触れたとき、その熱さに驚いたことはないだろうか。実は電気製品は、その機能とは関係なく消費電力の一部を無駄な熱として放出している。例えば、電気伝導に優れた金でさえ電気抵抗はゼロではなく、電気が流れると電気抵抗に応じたジュール熱を発生してしまう。つまり電気回路は、通電するだけでその回路の電気抵抗に応じた熱エネルギーを失っていくことになる。
「発熱を宿命づけられた電子回路ですが、光回路は違います。光はガラスの中を通過してもジュール熱のようなロスを発生させません。そのため、光回路は原理的にロスなしにできるのです」と田邉孝純専任講師は説明する。
通常の電子回路と比べて消費電力を大幅に低減できる光回路は、現代社会が直面する省エネルギーや CO2 削減といった課題解決策としても期待が高まっている。
いいことずくめに見える光回路だが、課題も少なくない。その1つが光を1カ所に留めておく装置の開発だ。マイナスの電荷を持つ電子は、プラスとマイナスが引き合う力を利用して電子をその場に留めることができる。しかし、光は電子のような電荷を持たない。そこで1カ所に留めておく別の方法を考えなくてはならない。
「光を1カ所に留めておく装置を微小光共振器と呼ぶのですが、光回路の実用化にはこの微小光共振器の実現が欠かせません。1カ所に留めておくことができれば光をメモリとして使えますし、閉じ込めた光を操作することでスイッチやトランジスタとして機能させることもできます。この研究ではいくつかの方法が試されていますが、私もフォトニック結晶という技術で光を閉じ込め、コンピュータの記憶に関する演算回路の作動に成功しています」。
一連の研究から成果を得た田邉さんは、この春から光回路の実用化に取り組んでいる。それがガラスの主成分のシリカを素材にした微小光共振器の開発だ。

光集積回路の基本的な構造
シリコンの基板上にシリカガラス製の光デバイスが配置されている。左上にある円盤状の装置が微小光共振器。この装置の中に光が閉じ込められている。微小光共振器は入射光の強弱によって屈折率を変えることができ、光スイッチや光トランジスタとして機能させることもできる。右上の装置は光信号を分岐させるパッシブなデバイス。光スイッチや光トランジスタからの光信号をこの光デバイスに送ると、信号を波長ごとに分けたり、信号を複製することができる。

まず実用化を目指して

「微小光共振器の素材としてシリカを選んだ理由はいくつかありますが、念頭にあったのは、既存の光デバイスとの高い親和性です。実用化を考えるとシリカは魅力的な素材ですね」。
光ファイバーケーブルや光信号を光のままで分岐させる平面光波回路など、光回路に必要なデバイスのうち、光信号の送受信や情報の分岐といったパッシブな装置は実用レベルに達しつつある。そして、それらの多くはシリカを素材としている。つまり既存の光デバイスと同じ素材であるシリカで微小光共振器を開発できれば、光メモリや光スイッチ、光トランジスタといったアクティブなデバイスと既存のパッシブなデバイスを1つのチップにまとめられ、光集積回路をより簡単に構築できることになる。
さらにシリカは、フォトニック結晶が素材とするシリコンと比べて、非線形光学現象は小さいが反応速度は速いという、相反する特徴を持っている。シリカを素材にすることで、素材の違いが機能に与える影響を見極めることもできるのだ。
「シリカを素材にすることで、共振器という素子単体ではなく、周辺機器との組み合わせを含めた光集積回路に特有の課題の洗い出しも可能になります。そこで発見した成果や課題は、フォトニック結晶など、他の手法で進められている光回路研究にも貢献できると考えています」と田邉さんはこれからの抱負を語った。

(取材・構成 渡辺 馨)

研究紹介②

自然現象の原因物質を探索し、その正体を突き止める犀川陽子専任講師

身近な“なぜだろう”の正体を解き明かす

キノコの毒性を分子で説明する

犀川陽子

カバの汗はなぜ赤いのか?
世の中にはたくさんの “なぜだろう” がある。天然物有機化学研究室の犀川陽子専任講師は、こうした自然現象の原因物質を探す研究をしている。そして最近、ニセクロハツという日本産毒キノコの毒成分を突き止めた。

ニセクロハツと呼ばれる、実においしそうな毒キノコがある(図中の写真)。1950 年代に致死性の毒をもつ新しいキノコとして発表されたが、その後 50 年近く死亡事故がなかったことや、似たキノコがいくつも存在するといった理由から、ほとんど幻のキノコのようになっていた。
2009 年 7 月、ニセクロハツの毒は2‐シクロプロペンカルボン酸であると、英国の科学誌 Nature Chemical Biology に発表された。この成果は、橋本貴美子博士(現在、京都薬科大学准教授)らとの共同研究であり、現在所属する研究室の中田雅也教授、当時学生の松浦正憲博士と共に行なった。調べつくされた観のある天然物探索の世界ではかなり話題になっている。

消える毒物質

2‐シクロプロペンカルボン酸は、炭素原子 3 つからなる環に、カルボン酸がついただけの小さな物質である。「自然界にはまだ、こんなにシンプルな物質が、知られずに残されていたんだ!と驚きました」と研究に関わってきた犀川さんは、毒の正体を突き止めたときのことを話す。
しかし、構造はシンプルでも、その抽出は簡単ではなかった。研究は、まずニセクロハツを特定することから始まった。そのために毒性の評価法として、マウスの腹腔に毒物質を直接注射する方法を採用した。しかし、毒性のない成分を注射してもマウスが死んでしまうことが途中でわかる。急遽、マウスに食べさせるという方法に変え、実験をやり直した。
特に難問だったのが、通常の抽出操作では毒物質が消えてなくなることだった。「これがダメなら、次を試してみる。とにかくいろいろやりました。そういう意味で、研究者は短気です」と犀川さんは当時を振り返る。研究には当たり前の操作を見直す謙虚さと、次々に解決策を考え出し実行するタフさが必要とされるようだ。結局、濃縮によって毒物質が消えることがわかり、抽出操作を改善した。こうして、ニセクロハツの毒が 2‐シクロプロペンカルボン酸だとわかったときには、研究開始から実に 8 年もの歳月が流れていた。

2‐シクロプロペンカルボン 酸と重合反応
ニセクロハツ(写真)は毒成分が解明されていない、唯一の致死性毒キノコだった。ニセクロハツのもつ致死性の毒成分は、2‐シクロプロペンカルボン酸だとわかった(左の青丸の部分)。2‐シクロプロペンカルボン酸の分子どうしが接近すると、重合反応がおこり毒性を失う。そのため、抽出操作の濃縮の段階で、毒性が消えるという問題が起こっていた。(写真/犀川陽子)

わかったときの目から鱗の醍醐味

「結果が出ないときは精神的にとても苦しいですが、構造がわかってしまうと目から鱗が落ちるように、これまで見てきた現象の何もかもに答えが出るんです」。毒物質の構造が特定されてみれば、濃縮によって毒性が失われてしまうことにも納得がいった(図)。この “スッキリ”する感覚がたまらず犀川さんは研究を続けている。さらにこの研究では、自然界から新しいものを発見する喜びも味わうことができた。
ほかの分野に新たな疑問を投げかけることができるのも、新物質発見の面白さだ。この毒の最大の特徴は、筋肉が溶ける「横紋筋融解」が起こることだ。しかし、そのメカニズムが全くわからないため、医学的な注目が集まっている。

ネタ探しの手間は惜しまない

犀川さんは今、研究者としてはじめて1人の力で研究テーマを立ち上げようとしている。カバの汗を採りに動物園に通い、キノコを探しに何度も山に登ったこれまでの経験から、「研究ネタはどこにでも転がっています。でも、テレビや雑誌からだけでは見つかりません。自分の足を使わなければダメです」と話す。最近は研究のネタを探しに、親しくなった漁師さんとともに朝 4 時から漁に出ている。

(取材・構成 池田亜希子)

研究紹介③

鉄系高温超伝導物質を発見し、新たな可能性を提示した神原陽一専任講師

鉄系高温超伝導物質でロスゼロの送電線を作る

究極の電線作りを目指して

神原陽一

超伝導とは、物質を極低温にしたときに電気抵抗がゼロになる現象である。これは特定の物質に限られた現象で、特に鉄を含む物質では難しいと信じられていたが、神原さんは 2008 年に層状の鉄系化合物による超伝導現象を発見した。

鉄を含む物質での超伝導

1911 年、オランダのカメリン・オンネスが 4.2K(ケルビン、− 273.15℃をOK とする絶対温度の単位)に冷却された水銀の電気抵抗がゼロになることを発見する。これが超伝導の発見である。この電気抵抗がゼロに変わる温度は超伝導転移温度と呼ばれ、その後、より高い温度で超伝導を起こす物質の探求が行われてきた。
「超伝導の発見から約 100 年。これまでに多くの物質が発見されましたが、大きく、金属系と銅酸化物系の 2 種類に分けられます。転移温度の高さに注目すると、金属系では 2001 年に発見されたMgB2(2 ホウ化マグネシウム)の 39Kが最も高く、銅酸化物系では 1993 年に135K での高温超伝導が確認されています。しかし、それ以後は目立った発見がなかったのです」と神原陽一専任講師がこれまでの経緯を語る。
超伝導物質の探求が停滞する中、2008年に神原さんたちは1本の論文を発表する。それは、磁性を担う鉄は超伝導物質には向かないという通説を覆す、鉄を含む化合物での超伝導現象の確認である。しかも後続の中国の研究者が 55Kでの高温超伝導を確認するなど、それが銅酸化物系に次ぐ 3 種類目の高温超伝導物質の発見へつながったのである。
「今回発見した超伝導物質は鉄系の 4元素化合物ですが、この組み合わせは鉄以外にも適用できる可能性が高く、組み合わせ候補を劇的に増やしたという評価もあります。また、単結晶体は薄い板状になることが指摘されており、しかも電流は板状単結晶の長手方向に流れることも分かってきました。この構造を利用した電線への加工技術の確立が実用化の鍵になると言われています」。
神原さんが筆頭著者で発表した論文は、多くの研究者に驚きを与えるとともに関心も集め、英語論文の被引用数で 2008 年に世界1位になった。そして2009 年には第 13 回超伝導科学技術賞を受賞している。

鉄系高温超伝導体の結晶構造(左)
右図は鉄 (Fe) と希土類 (Ln) だけを抜き出した構造図で、鉄の自由電子が送電時に動く様子を示している。中央に鉄の層があり、それをランタン、サマリウムなどの希土類の層が上下から挟む層状物質となっている。単結晶は図の横方向に成長しやすく、薄い板状の構造を形成しやすい。送電を担うのは、この結晶中では主に鉄で、鉄の自由電子が移動することで電気が伝わる。

超伝導の発見を実用化に

リニアモーターカーや電力輸送、強磁場の発生など、多くの分野での応用が期待される超伝導だが、最も期待されるのは、電気抵抗がゼロになる超伝導物質で作る超伝導電線だろう。電気抵抗がないので、原理的には送電ロスが発生しない電線、つまり送電時にわずかなエネルギーも無駄にしない究極の電線が実現する。
「しかし、現実には課題も多いのが実情です。転移温度の高い物質が見つかり、その構造が分かっても、それを電線として使うには解決すべき問題が山積しています。例えば、鉄系超伝導物質は 1〜 100 マイクロメートル程度の単結晶からなるセラミックスなので、金属のように延ばしたり溶かしたりする方法がとれません。1本の長い電線を形成するには、微細な結晶を整然と並べる加工技術や、結晶どうしの接合面を酸化させない工夫など、今までにない新しい技術が必要になります。さらに、それらの課題を解決して作った電線の保護皮膜をどうするのか、電線を電極につなぐ接合方法はどうするのかなども問題です。これらの課題を解決していかなければなりません」。
実用化に向けた研究に取り組み始めた神原さんだが、その思いは鉄系に続く 4種類目の超伝導物質の探索にも向けられている。新しく始まった高温超伝導物質の探求について、今後の展開に期待したい。

(取材・構成 渡辺 馨)

スペシャル座談会

研究する場としての慶應

研究する場としての慶應

神原陽一 物理情報工学科専任講師

司会 田邉先生と神原先生は、今年度慶應以外の研究機関から新しく教員としていらしたわけですが、外から見た慶應の印象や、着任した時の印象はどうでしたか。
神原 研究機関にいると、周りの人は専門家だけです。同じ分野で同じ専門用語を使える人だらけだから、研究する上ではすごく楽ですね。 
司会 なるほど。
神原 ただ、それは狭い分野のことです。もちろん、広く社会に寄与している分野なのですが、学問の内のカテゴリーとしてはすごくマニアックですね。私は研究員で、研究が仕事でしたので、仕事の存在価値に悩むところが多々ありました。これは本当に役に立つのか、役には立つのでしょうが、世の中にアピールしているのかどうかと…。
慶應理工学部の場合ですと、同じ分野の専門家が2人いることは、ほとんどありません。関わる分野は教員の数だけ存在します。だから、私のやっている仕事はよくわからないという人も多い。そういう意味では社会が広いのだなと、そういうところは意識しますね。社会での自分の位置がちょっと分かるというか。 
田邉 まったく同じ印象を持ちました。自分の研究領域とほかの先生の研究領域にかぶりがほとんどないことは、場合によってはデメリットにもなりますが、それをポジティブに捉えて、せっかくの機会だから新しい、まったく違うところとのコラボレーションに広げていけたら、それが長所になってくると思っています。
それから、着任しての印象ということですが、非常に自由な雰囲気があります。
私が思う慶應のよいところとして、ダイバーシティ(多様性)がすごくあると思うのです。いろいろな人がいる。これは、様々な入学経路があることによるのではないかと思っています。例えば、有名国立大学だと、受験を勝ち抜いてきた人が多いわけですよね。そうすると、身の回りには成功した人たちしかいないということになるけれど、慶應の場合は幼稚舎からずっと進学してくる人もいれば、推薦入学もいれば、慶應に入りたくて受験した人もいれば、「残念なんだけど」という人もいます。
司会 そうですね(笑)。
田邉 挫折感を味わってきている人もいる。でも、成功体験しか経験してこなかった人は、そういう人たちの気持ちを大学1年生の時に、「あ、そういう人もいるんだ」と知ることで、幅が広がるし、逆に多少残念な思いできている人も学生生活を謳歌している友人を見て元気づけられるというか、新たな視野が開けると思うのです。様々な経験と方向性をもつ人が集まることで、こういった多様性が生まれるのかなと思うのですが…。
学生の間に、挫折感を味わった人、成功体験をした人などいろいろ見るから、そういう人たちの気持ちがわかるようになって、社会をリードするような立場に立った時にも役に立つと思います。
司会 研究を発展させていく上での慶應のよさはどのようなものでしょうか。
神原 他の研究機関と共同で研究することを躊躇してはいけない場所なので、それを迷いなくできるというのは、よいことなのではないかと。
司会 躊躇してはいけないというのは、どういうことですか。
神原 分野ごとの専門家は大学では1人だけです。だから学生さんは、私の話しか聞けない場合がある。それはかわいそうですよね。もちろん、近い分野の先生はいますので、その方々と話をするのも重要です。ただ、大学内だけでなく、外部の人たちと話すことも重要だと思います。大学という環境では、それを躊躇してしまうと研究が発展しない。そこは積極的にならなければいけない。学生にも常々「大学の外の人と話しなさい」と言うようにしています。そういうことを躊躇なく言えるのはよいですね。
犀川 私は逆に、慶應の理工学部でわりと事足りるという感じもしています。私の所属する応用化学科だけでも30人くらい先生がいて、研究も、化学とは言いながら、構造的なことから、ちょっと生物っぽいことまで、いろいろあります。新しいことを始めたい時に、相談できる先生がすごく身近にいて、かなり多岐にわたる分野の人が「これはね」と、自分の専門の先端的立場から意見をくださるのです。だから、私としては元々慶應出身ということもあり、ホームな気分で、新しいことに挑戦する時の障壁はすごく低い感じがして、そういう面では、外部に行かなくてもいろいろな分野の情報も技術も学べるよさもあるかなと思います。
司会 学科によっても違いがあるのでしょうか?
田邉 僕の学科もオーバーラップが少ないと思います。でも、それを活かしていきたいですね。総合大学のメリットを活かしたいということかな。あと、卒業生に産業界で活躍している方が多いので、そこをうまく活用できればと思います。僕がやっているのは基礎的な研究です。基礎研究は実用化までの道のりが長いので、最終的にどういうふうに世の中で役に立つかという、道筋を描いていくのが専門家でもけっこう難しいのです。
でもやっぱり、どういうふうに役立つか、世の中にアピールしていかなければいけないと思っていて、産業界で活躍している人にいろいろアドバイスをもらいながら、「僕はこういうことをやっていますが、何か役に立ちませんか」と力を借りていきたいと思っています。
犀川 慶應は縦のつながりが強いですものね。OBでも、「慶應同士」という気持ちがかなり強いですね。
田邉 そうですね。僕は来週も、以前いた会社の三田会(慶應出身者の会合)があります。

留学先から見た慶應

司会 犀川先生は昨年ハーバード・メディカルスクールに留学されましたが、どういった思いで行かれたのでしょうか、外から見た慶應はいかがでしょうか。
犀川 私は慶應に入って以来、一度も外に出たことがなくて、学部から同じ研究室で同じような分野を研究してきました。ハーバード・メディカルスクールとは医科大学院なのですが、そこに行くとなると、外国にもほとんど行ったことがないうえ、医学の分野や生物医学系の分野も挑戦でした。研究室を出るということひとつでも、私の中では珍しい貴重な経験だったので、「ほかのものを見てこよう」という気持ちで行きました。
きっかけは、若手研究者を1年ごとに留学させてくれる学科のシステムで、それで私も「行ってきたら」という感じになりました。なかなか自分からは行けない貴重な機会をいただいたと思っています。
実際に行ってみると、「ハーバードはすごい」という面もあったのですが、のんびりしているけれど学生がよく勉強しているなど、慶應とすごく似ている部分もありました。医学系なので、慶應と言ってわかってくれる人もいて、慶應がグローバルに知られているという印象も受けました。
化学対医学という意味では、私は化学ですが、もちろん医学部の方が化学のことを知っているとも限らないし、こちらも医学のことを知らないのですけれど、まだまだ医学の中でも化学が大事にされる場面がけっこうあるなと思いました。化学はとても古い分野で、最近はバイオロジーなどのほうが人気なのですが、化学もまだまだ捨てたものではないという印象を受けました。
司会 医学の世界に少し歩み寄ったからこそ、化学の必要性が再認識されたということでしょうか。
犀川 そうですね。医学の方と話していると、化学の構造などの視点では全く見ていないので、お互いに話しがかみ合わなかったり、若干けんか腰になったりするのですが、よく話してみると「ああ、そういう視点があるんだ」という新たな視点がたくさんあって、そういう意味でよい経験でした。
神原 どこか研究室に入ったのですか。
犀川 はい。
神原 メディカルスクールというのは臨床もやるのですか、患者さんもいたりするのですか?
犀川 臨床のようなことをやっている人もいますが、隣接してハーバードの病院がいくつかあるので、臨床系の人はだいたい病院の研究室で仕事をしており、神経系の研究などもしていました。だから患者さんが近くを通ったりするわけではありません。
司会 慶應のことを知っている方もいらしたのですね。
犀川 名前を知られていて、「おお」と思ったのですが、私が学部の時に所属していた剣道部は、ハーバードと提携していました。たぶん、慶應がハーバードに近寄ろうとしているところがあると思います。だから、校風も似ていて、自由な感じとか、私立ですし、私たちに身近な印象でした。
田邉 ハーバードって、剣道部が提携しているのですか。
犀川 ハーバードで剣道をやっている学生が、一緒に合宿に参加したりしています。
田邉 体育会の剣道部ですか。
犀川 はい。
田邉 すごいですね。

イノベーションを生み出す研究姿勢

イノベーションを生み出す研究姿勢

田邉孝純 電子工学科(現:電気情報工学科)専任講師

司会 先生方はそれぞれの分野で、目から鱗のような発見を若くしてなし遂げた経験をお持ちですが、そのようなイノベーションはどういった研究姿勢から生まれると思われますか。高校生や大学生がどういう姿勢で勉強に取り組むべきかなど、アドバイスをいただけませんか。
神原 だいたい「そんなことってあるの?」という結果は、当初の目的とは違うところで出る。研究をやっているとよくあることですが、それを見逃さないことですね。 
田邉 強い磁性をもつ鉄は超電導にならないという常識があるそうですが、それでも鉄を混ぜたのは、混ぜてはいけない物を混ぜたということですか?
神原 いえ、これはよく調べると素姓のいいアプローチなのですが、説明すると長くなるので…。僕の入ったグループは、磁性を持つ半導体を作りたかったのですが、なかなか半導体にならなかった。まったく半導体にならないし、磁石にもならない時期がありました。新人の私から見て、これは半導体としてはアウトだけれど、鉄が入っているのに磁石でないというのは何事かと思いました。

司会 見逃さなかったということですね。

神原 見逃さなかった。妙な現象なので、「とりあえず冷やそうか」…と。鉄なのに磁石でないのは、相当に変な状態です。「とりあえず冷やそうか」というのは、超伝導体は磁性を持たないので、まず冷やして超伝導体かどうか確かめたのです。
実は、銅酸化物超伝導体というものがあって、同じような経緯で見つかっています。これは、誘電体の専門家が発見しました。2価の銅イオンも磁性を持つのですが、その銅が磁性を持たない状態ができてしまった。それを冷やしてみると、当時、世界最高温度の超伝導体だったのです。 目的意識が高くて、集中しすぎると、うまくいかない場合がある。壁にあたった時は、ちょっとよその分野を見る。すると、よその分野の基準では、それがすごくインパクトの大きいものだったりする。イノベーションというのは、こんな風にして起こるのではないかと思います。なので、その時に役に立たないようなことでも大事にすることです。テストでよい点を取るとか、その程度のモチベーションでいいので、目の前にある課題にできるだけ多く触れておくのがよいと思います。全部を完璧にすることはないので、ちょっとずつでも触れておくのが大事だと思いますね。
司会 その発見で、2009年に賞をとられた。
神原 2009年の第13回超伝導科学技術賞をいただきました。
司会 2008年は?
神原 2008年は、論文の被引用数で年間1番でした。
司会 世界で、ですね。
神原 2008年だと引用数が240いくつで、2番目が100いくつなので、ダブルスコアでした。iPS(多能性幹細胞)の山中先生よりも多かった。今は1,200くらいになりました。
田邉 すごいな。引用される論文の書き方を教えてほしいな。もちろん研究内容が素晴らしいのだと思いますが…。
神原 内容はシンプルなほうがいいでしょうね。「鉄で高温超伝導が出ました」というシンプルな内容でした。
司会 では、田邉先生お願いします。
田邉 何事にも素直な気持ちで取り組むことが大事だと思います。私はずっと光の研究をしているのですが、大学の時は、フェムト秒(10のマイナス16乗秒)レーザと言われる分野の研究をしていました。具体的には、光のパルス幅、つまりフラッシュみたいに光る時間をより短くしたり、短く光っている間に光の波形をいろいろ変えたりする研究をしていました。
司会 光っている時間を縮めるのですか。
田邉 はい。例えば、銃弾がリンゴを貫いた瞬間の写真がありますね。普通のカメラのシャッター時間だと銃弾が通り過ぎてしまうのですが、なぜ止まって見えるかというと、暗いところで撮っていて、フラッシュを瞬間的に強く光らせるからです。そういった速いものを見るためには短く光らせることが必要なのです。
司会 短く光らせることができるのですね。
田邉 できます。フェムト秒などごく短い時間で光らせることができるのです。大学の時は「より強く、より短く」という研究をやっていたのですが、企業の研究所に行ってからは、同じ光ですが、逆に、光の強度をより弱くして光による省電力化を目指した研究をしていました。光というのは速くて、いろいろな信号処理をしようとしても通り過ぎてしまうので、小さいところに長く、つまり光を遅くする研究をしていました。
言ってみれば、同じ光の研究でも、大学でやっていた研究は「より速く、より強く」。企業に行ってからは「より遅く、より弱く」という研究で、ある意味で全然違う方向の研究分野に入ったのですが、その時に、素直な気持ちで物事を見ようと心がけました。なぜかというと、「より速く、より強く」という場合には現象が速いじゃないですか。物を見ることがすごく難しかったのです。だから、測定技術にもすごく難しいものを使っていました。その知識があるので、「より遅く、より弱く」の分野に入った時、こちらではとても簡単な測定をしているので驚きました。その時に、最初は以前の測定法を無理に持ち込もうとしたのですが、そうではなくて、そこでやられている測定法をそのまま認めようと受け入れました。そういう素直な気持ちで取り組んだことが、比較的早く研究が立ち上がった原因かなと思います。
司会 元々の知識と素直な気持ちで得た新しい知識がうまく融合したのですね。
田邉 そういうところを目指しています。素直な気持ちで物事を見て、受け入れることが、すごく大切だなと勉強しました。
司会 田邉先生は、学生に求めるものもそういうことでしょうか。
田邉 はい、学生にもそれは必要だと思うのです。研究室に入って研究するけれど、企業に行ってそれをそのままやるわけではありません。だから、過去のやり方をそのまま持ち込むのではなく、その環境に合ったやり方で、まずその環境に合ったものに取り組むこと。そこで消化してから、何か出していくのが大切だなと思います。
司会 ありがとうございました。犀川先生はいかがですか。
犀川 私の分野は、素直に「どうしてこうなの」という点を探求することで終わってしまうような分野なので、引用されることはほとんどないと思われます。論文の被引用数とか、あるのかな。
大学院からずっとカバの研究を続けてきました。当時の先生と、カバの汗はなぜ赤いか、その赤いのは何かを知ろうという話で研究を始めました。実際に研究していて一番大事だと思ったのは、よく見ることと、自分自身で体験することです。
というのも、化学は試験管の中でどうなるかという世界で、対象が分子の構造なので、カバの汗だったら汗をもらってきたところからやっていたのですが、赤い汗と言われているのに実際は茶色でした。「そんなものなのか」と思って、何カ月かはそれを解析しようとしていたのですが、「何のこっちゃ」という感触でした。
後日、飼育係さんに会った時に、「取った直後はもっと赤いんだけどね」と言われて、「え?」と思って、それからは自分で上野動物園に通って、汗を取る瞬間に立ち会いました。すると赤い汗が取れたり、たまには赤くなくて、「今日はだめか」と思ったら、パッと赤くなったりという体験をしました。そういうことを体験すると、「これ、何?」とさらに調べることもできるし、新鮮な情報になるのですが、原料を持ってきてくれる人や、つくってくれる人からもらって、化学という分野だけで研究しようとすると、見えてこないものがあるのです。トータルで見ることが大事だなと、その時に強く思いました。
あとは、実験の時には、マニアックな表現ですが、よく「モノの気持ちをつかむ」ことを考えています。化合物が対象なので、それがどういうふうに振る舞っているかは、推理小説みたいにちらっとしか手がかりが見えません。それをよく考えたり、想像力を働かせて、「こういうことなんじゃないか、ああいうことなんじゃないか」とやっていると、いつかそれこそ目から鱗という感じで、全部の謎が解けてわかるので、よく観察して、想像力を働かせて物事を見る力が大事だなと思います。
神原 汗が赤いというのは、酸化鉄なのですか?
犀川 鉄ではないです。簡単に言うと、何か間違ってできる化合物です。その化合物が、今まで世界に発表されたことのないような構造だったので、こんなものがあるんだという驚きがありました。
田邉 採取は、どのようにするのですか。
犀川 難しいのですが、汗なので晴れていないとだめです。外にカバがいて、中に食事が用意されると、「そろそろ中に入れて、ご飯、食べたい」と柵の前にくるのです。その時に飼育係さんとか私がガーゼを持って待ち構えていて、顔を近づけた時にサッとふきとるのです。
司会 それを絞るのですか。
犀川 絞るほど取れることはありません。そのまま持って帰ると茶色くなってしまうので、その場でアイスボックスに入れて持って帰ります。最初は、持って帰って茶色になるとか、操作したらすぐ茶色になるとか、茶色になるたびに、「はい、終わり」という日々が続きました。
田邉 すごく反応性がいいのですか。
犀川 不安定な色素だったんですね。
田邉 最後におっしゃっていた、全然関係ないものから想像力を働かせてねらいを定めるという考えは、すごく共感します。
犀川 「こういうことだったのか」という瞬間がありましたね。
田邉 僕もそういう経験をしたことがあります。最初はつまらない実験結果だと思ったのです。当たり前だなと。でも、一応は論文に書けるかなと思って書いてみたら、真っ赤にペンを入れられて返ってきたのですが、「こういうふうにそれぞれを結びつけて、こういう世界を考えるのか」と、すごくびっくりした記憶があります。想像力だなと思います。
司会 神原先生の「見逃さない」ということにもつながってきますね。
神原 想像力というのは大事ですね。想像力により、ばらばらになっている知識がつながるのだと思います。だから見逃さなかった。

学生が学ぶ場としての慶應

司会 先生方から見て、慶應の学生さんはどのように映っていますか。
神原 卒業して5年経ってしまって、戻ってきたばかりなので、まだ学生さんのことはそれほどわかっていないのですが、私のいた時と変わらないとすると、助け合いがうまいですね。さっき田邉先生が言われたように、モチベーションとか、元々持っている基礎学力とか、幅があると思います。幅がある者どうしで仲よく助け合う文化がある大学なのでしょうね。私は程度の低い学生でしたが、近くに優秀な人は必ずいるので、その人を尊敬して、目標にするとか、まねしたりすれば、すごく成長できる。その点ではベストな環境が用意された大学です。
司会 何か悪いところはありますか。
神原 幅があるので、着目するほうをモチベーションの低い人に合わせてしまうと、よい結果を生まないと思います。入学したからには、この大学をどう活かすかだと思います。
司会 田邉先生はいかがですか。
田邉 さっきの繰り返しになりますが、やっぱり幅があることですね。ダイバーシティという言葉がぴったりで、いろいろな入学径路があるからだと僕は思っています。
司会 犀川先生はいかがですか。
犀川 “幅”について、いろいろなパスがあるという意味での幅もあるのですが、個性の幅も育てようとしている印象があります。ほかの大学のことはよくわからないのですが、慶應では学ぶ場において、最初から専門家を育てるのではなく、何でもありで、下手をすると散漫なのですが、意外な2つが好きとか、「計算も好きだけど、有機化学も好き」みたいな学生さんがいて、それをあまり失わないで研究室まで進級してくるのですよ。
でも、研究室に入るとかなり専門的になってしまいますよね。だから、なるべくその個性をなくさないようにしたいと思っています。意外な特技があったりするのが、ギャップとしておもしろくて。特に内部生は、そういう個性をなくさないように育てられている印象を受けますね。
田邉 それはすごく重要ですよね。僕もそう思う。サイエンスというのは、何か1つやればよいのですが、工学部、エンジニアというのは、あまり関係なさそうな2つのものを持ってきて、それを組み合わせる。
犀川 組み合わせの妙がありますよね。
田邉 ありますね。そういうのはすごく重要ですね。その組み合わせを、誰も思いつかなければつかないほど。例えば、昔レーザが発明された時には、それが医療と結びつくとは誰も思っていなくて、それを結びつけたレーザ医療という新しい分野ができた。組み合わせるものが離れていれば離れているほど、おもしろい分野が開けるのではないでしょうか。
犀川 そういう自由な発想ができるように育てられている気がしますね。
司会 時には興味が広がりすぎて、散漫になることもあるのでしょうか。
犀川 そうですね。欲張りすぎるような印象があります。分野的にも散漫になるし、サークル活動もそうです。皆、そういうのに慣れているのですね。サークルもやるし、研究もするみたいな…。よく言えば両立なのですが、何にでも手を出すという感じもします。処世術がうまいと言えばそうですけれど、失敗するとどれもいけなかったりする。でも、皆さんうまいと思います。そういったことに大学の時に慣れているので、社会に出てもうまくやっている感じがしますね。頭でっかちではなく、いろいろなことを知っていて、楽しんでいる感じがします。

企業と大学、研究者を志したきっかけ

企業と大学の違い

犀川陽子 応用化学科専任講師

司会 さきほど田邉先生から少しお話がありましたが、企業と大学の違いは、どのようなものでしょうか。
神原 企業を知らないのでよくわからないのですが、大学の研究は、それがお金にならなくてもよいと思うのですね。企業の方と共同研究をする場合も、大学側は信頼できる結果、正確な情報を示した上で、そこからの発展を示唆することが仕事でしょう。異分野の研究者も近くにいるので、その人たちの意見を聞けるのがいいですね。自分の持っている結果を「これはどうですか」とオープンに聞きやすいと思います。
田邉 僕がいた企業の研究所はとてもアカデミックだったので、今から話すことは当てはまらないのですが、一般的な話として、企業と大学の違いは、2つあると思っています。1つ目は、企業は製品が主体です。自分の研究成果が製品として世に出るというのは、逆に個人の顔はあまり世に出ないということです。それに対して大学は、個人が前面に出るので、それが違うと思います。製品として世の中に出すか、個人の顔として外に出すかというのは、大きい違いだと思います。 もう1つは…ちょっと忘れました。
司会 教育面はいかがですか。大学と企業だと教育も違うと思うのですが。
田邉 思い出しました。一般的には企業では人事異動がありますね。だから腰を落ち着けて研究や教育をすることが難しい場合がある。事業所に行ったり、また研究所に戻ってきたり。落ち着いた気持ちでいられるのは大学のよいところで、後進の教育も、大学のほうがしっかりできます。まあ、教育機関ですから当然ですが。
企業も本当は、教育をしなければいけないのですよ。今、いろいろな技術、ノウハウを持っている団塊の世代がどんどん辞めてしまうので、ノウハウを伝承していかなければいけないのですが、忙しくてその時間がないのです。あっちに行ったりこっちに行ったりということで、教育したくてもできないという問題があると思います。
司会 犀川先生はいかがでしょうか。
犀川 私も企業には出ていないのですが、イメージ的には、企業では、製品になることが大きなモチベーションだと思います。そして、それは社会貢献にもなるし、自分も給料をもらえるというすごくよい回り方だと思います。一方、大学では、すぐには役に立たないことでも許してもらえます。「それは基礎研究だから」と理解をしていただいて、自分が基礎研究をやっているから言うのですが、それがそのまま社会貢献になるわけでもないのですが、それこそ田邉先生がおっしゃるように腰を落ち着けて、長い時間をかけて大きなことに挑戦することができるという意味で、いいなと思います。
大学はそういうものをねらっていくべきだと思います。国立の大学や研究所にいる友人の研究者は、2、3年でどんどん動かなければいけないそうで、特に若手の人は異動が多く時間のかかる大きな研究ができないと言っています。それに対して、慶應というか、少なくとも私の学科はわりと長いことやれます。それでぬるま湯につかってしまったらだめですが、そこで大きなことに挑戦して、なかなか結果が出なくても、温かい目で見てもらえる雰囲気が、居心地のよい環境だと思います。
神原 私がいた科学技術振興機構については、いくつかのプロジェクトがあって、1つのプロジェクトがだいたい3年から5年くらいの期間です。大型のプロジェクトでは5年がさらに継続して10年になることもあるのですが、大部分の研究員は2年くらいで結果を出して、3年目で宣伝して就職することがモチベーションなので、田邉先生がおっしゃった企業の研究ペースとあまり変わらないのではと思います。私も今は腰を落ち着けてやりたいですけれど、リハビリが必要ですね。
田邉 リハビリ?
神原 研究員時代の緊張が抜けなくて、すぐに期限を意識したテーマを考えてしまいます。

研究者を志したきっかけ

司会 理系を志したきっかけ、あるいは、研究者を志したきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
田邉 私がちょうど中学生くらいの時だと思うのですが、NHKスペシャルで「電子立国日本の自叙伝」という番組があったのですよ。トランジスタがどうだったかというような、電子立国・日本はこうしてがんばった、という放送を見て、「こういうことをしたいな」と思いました。
神原 私は子供の時から特技があるタイプではなかったので、周りに合わせて、大学に行って就職しようと思っていました。どういうふうに進学先を決めたかというと、自分の成績表を見て、どう見ても、英語はあまり…、理系のほうが適切だなと。数学と理科はまだまともだったのです。そんな理由で進学しました。うちの親が高校の教員だったので、自分もそういうふうになると思いまして、現役の時に学芸大学を受験したのですが、見事に落ちました。1年間、時間があったので、受験勉強のついでに、高校在学時の物理の先生のところによく遊びに行っていました。その時に「いろいろ読んでみろ」と言われて、物理寄りの相対性理論を簡単に書いた本などを見せていただいて、こういう分野もおもしろそうだなと思い、一浪して物理系に進みました。あとは本当に流れで、目の前にあることを一所懸命にこなしていたら、今に至ったというわけです。大望があるタイプではないですね。
田邉 私も、国語が分からないし、理系に行くしかないというのもありました。
神原 古文も、文章に書いてある内容はおもしろいのだけど、暗記する気はなかった。それから逃げたら、こういうコースになりました。
司会 得意な分野を残された形ですね。
神原 そうですね。得意というか、まともだった分野というわけです。
犀川 私は完全に文系でした。国語とか音楽のほうが好きだし、成績もよくて、理科とか数学はあまり好きではなくて。ただ、家では山菜を採って食べたりしていたのです。山菜なのか、道端の草か、あやしいですけれど、そういう植物の分類や、「これは食べられるものだ」と図鑑で調べることを通じて植物や自然に親しんでいて、そういうものは好きだったし、必要だったのですね。
でも高校の2年生の秋、文系か理系かを完全に決める時に、そのころになると国語のほうがあまり得意ではなくなってきて、特に、作者の気持ちを書けといわれて、書くと△にされるみたいな、そういうあいまいさがあまり好きではなくなっていました。逆に、クリアに「この植物の成分は何である」とか、そういうことがわかる化学や生物などの分野のほうがおもしろいなと思って、そこでいきなり、文系だったのを理系に変えて、こっちに来たという感じですね。
根本として、何かを見た時に、「この植物は何」とか、「これはどういう成分か」とか、「食べられるの?」とか、「いつ生えているの?」とか、そういうものに興味があったというのが元にあったと思うのですけれど、基本的に、思想としては文系で来たので、たまにずっと理系で進んで来た方と話すと、申し訳ない気がします。
司会 三者三様ですね。めざましい成果を挙げている先生に恵まれて、学生はとても希望が持てると思います。貴重なお話をありがとうございました。新しく着任されて、また留学から戻っていらして、新しい思いで臨まれる研究でのご活躍に期待したいと思います。

 

(司会・構成 新版窮理図解編集委員会

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