「素人の発想、玄人の仕事」でMEMS研究を牽引する

「挫折という言葉は大嫌い」と言う、三木則尚さん。挫折は挫けて折れる、と書く。
たとえつまずいて挫けても、折れなければいい、というのが信念だ。
何にでも興味をもちチャレンジする精神と、持ち前の明るさで
研究者の道を突き進む三木さんは、楽しさをモットーに、自由な発想と、
積み重ねてきた確かな実績を携えて、MEMS研究の新たな地平を切り拓く。

Profile

三木 則尚 / Norihisa Miki

機械工学科

MEMS(Microelectromechanical Systems:微小電気機械システム)技術をベースに、ICT、医療、環境分野へ幅広く研究を展開中。1974 年兵庫県龍野市生まれ。2001 年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。2001 年から2004 年までマサチューセッツ工科大学航空宇宙工学科ポスドク研究員、リサーチエンジニア。2004 年より現職。高校時代はヘビーメタルに、大学時代は麻雀と釣りに、その後はゴルフにはまっている。

大学ではロボットの研究を手がける

幼い頃から研究者になろうと思われていたのですか?

いいえ(笑)。僕は兵庫県龍野市の生まれなのですが、実家は醤油づくりを営む老舗で、研究とはまったく縁のない環境で育ちました。幸運にも成績は良かったので、小学校のときからスパルタ教育で有名な進学塾に通い、中高一貫の進学校に進み、流されるままに東大工学部に入ったという感じです(笑)。勉強が好きだったというよりも、仲間がいたおかげで、競いながら楽しんで勉強に取り組むことができました。

勉強では苦労されなかったのですね?

今の方がよっぽど苦労しています(笑)。僕は器用貧乏で、ズバ抜けてできるものはないけれど、なんでもそこそこできてしまう。そうしたわけで進路もなんとなく決めた感じでした。大学1~2年の頃は、生物や素粒子物理学に興味をもちましたが、ちょうど学部に進むころ、「バーチャルリアリティ」という新しい研究分野が脚光を浴びていて、面白そうだなと思って機械情報工学科への進学を決めたのです。その後はロボットに興味をもつようになり、4年生のゼミ配属では、ロボット研究の第一人者である三浦宏文先生・下山勲先生の研究室に入りました。
当時はまだホンダのASIMOが発表される前で、2足歩行ロボットや人工知能の研究が行き詰まるなか、突破口を見つけようと、この研究室ではマイクロロボットの研究を手がけはじめたところでした。二足歩行ロボットの手本が人間なら、マイクロロボットの手本は昆虫だろうと、MEMSを使った昆虫型ロボットの研究を手がけることになったのです。
小さいものを研究する面白さは、サイズによってきいてくる力が変わってくる点です。たとえば、モノの大きさが10分の1になると、表面積は100分の1になりますが、一方で、体積は1000分の1になる。つまり重力の影響がぐんと小さくなる。だからノミは自分の身長の50倍くらい高く飛ぶことが可能なんですね。そうしたことから、スケールにあったデザインが見えてくる。たとえば、飛行機の羽根と昆虫の羽根の違いというのは、スケールの違いからくるものといえます。ちなみに卒論は、生きた昆虫自身が操縦するロボットでした。ボールの上を昆虫が歩くと、ロボットがその動きに追随して動くというものです。

そこで生物への興味が生かされたわけですね。

ええ。プログラムを書くのは苦手でスイス人の留学生に手伝ってもらいましたが、昆虫の勉強やモノづくりは楽しかったですね。そうやって興味の赴くままにやってきたのですが、その頃になってようやく将来について考えるようになりました。実家の家業を継ぐことや、メーカーへの就職も選択肢の1つでしたが、修士のとき、先生方のお供で海外の学会に参加する機会があり、先生が海外の研究者と握手をして気さくに話をしている様子を見て、「かっこいいなぁ」と思い、博士課程に進もうと(笑)。実際に、ドクターの生活はとても充実していました。
当時、異業種交流会などに参加する機会が多かったのですが、さまざまな職種の人と話をするうち、それまでは長いものには巻かれよ、といった人生でしたが、人と違う道を進むのも悪くないなと思うようになりました。ほとんどの同期が就職する中、博士課程に進学したわけですが、それもよかったな、と。研究にも力が入るようになり、午前中から明け方まで研究して、カラスが鳴き出すころ、だいたい3時すぎですが、ようやく研究室を出るという毎日でした。でも、辛いということはまるでなくて、研究室までの行き帰りに、千駄木周辺の路地を散策したり、コンビニで発売されたばかりの漫画を誰よりも早く立ち読みしたり、日々楽しんでいましたね。このとき手がけていたのは、外部から磁界を与えて空を飛ぶ、1cm以下のマイクロヘリコプタです。飛ぶということを考えると、実は昆虫をまねて羽ばたくよりも、回転させたほうが効率がいいのです。世界で一番小さいヘリコプタじゃないでしょうか。
また、この頃から、国内外で開催される国際学会に参加するようになり、若い研究者たちと親交を深めることができました。今でも彼らとの交流が続いており、情報交換できるいい仲間です。ついこの間も香港で開かれた国際学会で会ってきました。

MITの研究員になる

博士課程修了後の2001年に、マサチューセッツ工科大学(MIT)へ就職されましたね。

ドクターを修了したら、次は海外だという勝手な思い込みがあったのですが、当時興味があった「MITマイクロエンジンプロジェクト」の教授が僕の所属する研究室に来る機会がありました。その折に研究員の空きがあるかどうか尋ねてみたところ、書類を送るように言われ、その後面接に呼ばれ、晴れて「マイクロエンジンプロジェクト」に雇われることになったのです。正直いうと当時は、ボストンがどこにあるかも、そもそもMITがボストンにあることも知らなかったのですが……(笑)。行ってみて、街の美しさに驚きましたね。

お話によると順調に歩まれてきた感じですね。

そもそも、挫折するようなことがあっても、気にしない性格なんだと思います。僕は、挫折したから強くなったなんて言うのは大嫌いです。挫けたって折れなければいいというのが僕の信念です。もちろん、海外に行けば言葉も自由に操れないし、勝手のわからないことだらけで苦労はありました。日本だとベラベラしゃべって盛り上げるタイプなのに、アメリカだと、無口でたまに面白いことをボソッと言うような違うキャラクターになってしまい、自己嫌悪にもなりました(笑)。
でも、MIT時代は楽しかったですね。マイクロエンジンプロジェクトでは、携帯電話の電源やマイクロロケットのバッテリ用に、シリコンを使ったボタンサイズの小さなガスタービンを作っていました。設備も環境も最高に恵まれていました。もっとも、1ヵ月かけて作ったものが、実験で動かすと3秒で壊れてしまったり、いろいろ失敗もありました。
ゲスト写真 また、ボストンには、MITだけでなく、ハーバード大学、ボストン大学などもあり、さまざまな分野から選ばれた日本人が集まっていて、月に1~2回開催される日本人研究者交流会を通じて、多くの人と話をする機会を得ることができ、ぐっと視野が広がりました。とくにボストンに来て2年目以降、アメリカに住む日本人として日本を客観視できるようになり、日本の将来について皆で議論したり、いろいろと考えたりすることができたのは、僕の中でたいへん大きな変化でした。
それから、2年目に日本人の研究者でアイスホッケーチームを作ったことも大きなイベントでした。アイスホッケーなんてやったこともなくて、そもそもスケートも全然滑れなかったのですが、かっこいいからやってみようと…。というのも、アメリカ人って、どんなに下手でも、努力していれば、必ず“Good job!”って言ってくれるんですよ。それが嬉しくて、どうせやるなら自分が中心になってチームを作ろうと思ったのです。名前は、日本人チームらしく「Sushis(スシーズ)」。ちなみに、うちのチームは見学不可なんですよ。1回見学してから入団を決めるというのはナシで、まずはとにかく一緒にやってみようというのがSushisのポリシーです。

MEMSをベースに自由な発想で研究に取り組む

MITでの生活を本当に楽しまれたようですが、3年後に日本に帰国され、
慶應義塾大学へ来られたわけですね。

そのままアメリカで就職することも考えましたが、9.11を経て、ブッシュ政権のもとイラク戦争に突き進んでいくアメリカに危機感をもち、日本に帰ることにしました。また運よく、自分の研究分野で慶應義塾大学に空きがあったので、戻ってくることができたのです。
現在、慶應義塾大学にきて6年目になりますが、せっかく研究をするなら自分が興味をもてる面白いことをやろうということで、自由な発想で研究に取り組んでいます。現在は、MEMSをベースにしたヒューマンインタフェースをテーマに、視線検出や触覚ディスプレイ、味覚・嗅覚センサなど、多岐にわたるテーマを扱っているところです。モットーは、指導教官だった下山先生の教えでもある「素人の発想、玄人の仕事」です。何にでもチャレンジしてみようという素人の発想をもちつつも、研究成果をきちんと出すために、仕事はプロの技に徹する、ということですね。 研究室には20名の学生がいますがにぎやかにワイワイやっています。合宿では毎年趣向を凝らし、ペイントボールといって銃でペイント弾を打ち合うゲームやラフティング(川下り)、ソフトボールなどをやったりして楽しんでいます。もっとも、研究をするときには真剣にやる。メリハリが大事だということです。
一方で毎週1回輪講のときに、研究室で一般教養テストをしています。問題は国の首都名でも、漢字でも、歴史でも、映画でもなんでもありで、皆が順番に出題します。というのも、一般教養というのはとても人生を豊かにしてくれるものだと思うからです。面白いことに、受験勉強が意外と一般教養につながっているんです。僕自身、受験英語のベースがあったからこそ、学会発表や海外生活で役立った。詰め込みの受験勉強は意味がないなんていうけれど、教養として身についていれば、ちゃんと使うことができます。
実際に、海外の人と話をする場合にも、一般教養はたいへん役立っています。江戸時代の鎖国の話とか、うけますよ。教養は、研究の幅を広げることにも役立つはず。研究者としての基礎はもちろんですが、そうした視野の広い人間を育てていきたいと思っています。ちなみに、一般教養テストで成績の悪かった人は、研究室の掃除当番になるので、みな真剣に取り組んでいます。このテストは僕も入って、ガチンコ勝負でやっているんですよ(笑)。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
いつも明るくて、やさしくて、頼りがいのある先生です。合宿では、ペイントボールをやったり、ラフティングをやったり、とにかくみんなで大いに盛り上がって楽しんでいます。もちろん、研究のときは切り替えて、真剣に取り組む。先生の背中を見ながら、僕らもメリハリのある学生生活を楽しんでいます。

(取材・構成 田井中麻都佳

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