「素人の発想、玄人の仕事」でMEMS研究を牽引する

「挫折という言葉は大嫌い」と言う、三木則尚さん。挫折は挫けて折れる、と書く。
たとえつまずいて挫けても、折れなければいい、というのが信念だ。
何にでも興味をもちチャレンジする精神と、持ち前の明るさで
研究者の道を突き進む三木さんは、楽しさをモットーに、自由な発想と、
積み重ねてきた確かな実績を携えて、MEMS研究の新たな地平を切り拓く。

Profile

三木 則尚 / Norihisa Miki

機械工学科

MEMS(Microelectromechanical Systems:微小電気機械システム)技術をベースに、ICT、医療、環境分野へ幅広く研究を展開中。1974 年兵庫県龍野市生まれ。2001 年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。2001 年から2004 年までマサチューセッツ工科大学航空宇宙工学科ポスドク研究員、リサーチエンジニア。2004 年より現職。高校時代はヘビーメタルに、大学時代は麻雀と釣りに、その後はゴルフにはまっている。

研究紹介

今回登場するのは、MEMS 技術を使って、既存の技術では果たせなかった

新しいデバイスの開発に取り組む、三木則尚専任講師です。

MEMSで新デバイスを創造する

もの作りの新領域を切り拓く

寝たきりの人が「お茶が飲みたい」と思った時、ポットと湯飲みに目をやることでその意図を人に伝えることができる。老人や子どもがどこを見ているかがわかれば、より安全な都市設計に役立つ。ディスプレイに写る商品の感触がわかれば、インターネットショッピングの可能性が大きく広がる。
今、この視覚や触覚などの感覚的な情報を数値化し、コミュニケーション手段に役立てようという試みがなされている。そのキーデバイスの製作を担うのが MEMS だ。そんなデバイスを実際に作っている慶應義塾大学理工学部機械工学科の三木専任講師に話を聞いた。

産業界で活躍する MEMS 技術

1987 年、米国 AT&T(アメリカ電話電信会社)ベル研究所が直径 0.2mm に満たないシリコン製のマイクロ歯車を発表してから約 20 年、その間に MEMS(Microelectromechanical Systems:微小電気機械システム)は着実に進化し、今や産業界に欠かせない技術へと成長している。身近なところではポータブルゲーム機が好例だろう。ゲーム機を傾けると、画面の中に描かれたボールがふいに、ころころっと転がりだす。ゲーム機を水平に戻すと、ボールはすーっと止まる。この感覚的な動きをよりリアルにしているのが MEMS 技術である。他にも自動車用エアバッグの動作制御といった人命に関わる分野で活用されるなど、広範な分野で使われている。
「MEMS の技術は、衝撃検知センサ、加速度センサ、流量センサといった計測分野の技術革新に大きく貢献しており、その技術は自動車から携帯電話まで幅広く使われています。コントローラーを野球のバットやテニスラケットのように振り回して遊ぶゲームがありますが、あの中にも MEMS 技術が使われています」と三木則尚専任講師が語る。
MEMS とはマイクロメートルを単位とする微細な世界の “もの作り” に欠かせない技術で、三木研究室ではこの技術を活用し、今までにない新しい機能を備えたデバイスを開発している。

人の視線を検出する

三木研究室が取り組む研究内容は情報・通信分野から、医療・福祉領域と幅広い。この幅広さは、MEMS の活用領域の広さを表しているが、その取り組みの 1 つが人間の視線をキーボードやタッチパネルに代わるインタフェースデバイスにする試みだ。
「人間の視線検出については、これまでも多くの研究がありましたが、視線を捉えるために両眼の前に小型カメラを置くなど、被験者にプレッシャーを与えるような大がかりな実験装置が必要だったのです。そこで被験者の負担を減らし、自然な状態で実験できるシステムを作ろうと考えたのです」。
視線検出を考えていた当初、具体的なアプリケーションとして、アニメ「ドラゴンボール」に登場するスカウターをイメージしていたという。スカウターとは19 世紀の欧州で流行した片眼鏡に似た道具で、レンズ越しに対象を注視するとスカウターが視線の先にあるモノを認識し、その戦闘能力やそこまでの距離、方角といった情報を数値化してレンズ上に表示する優れものである。
「人間の視線を正確に把握する技術があれば、スカウターに近い装置も夢じゃありません。将来的にも面白い技術になると考え、視線検出デバイスを MEMSで作ろうとしたのです。例えば、対象を視線でポイントし、注視でクリック、ダブルクリックは瞬まばたき 2 回。情報の取得を見るだけで完結できるのです」と、楽しそうに語る三木さんだが、「素人の発想で始め、玄人の技術で実現する」と気持ちは真剣だ。
そして三木研究室は、メガネ型の視線検出システムの開発に着手する。瞳の位置を把握するため、メガネの左右のレンズ上に透明で微細な光センサを一定間隔で並べ、センサからの情報をもとに視線を検出する方法を考えついた。
既存の技術では難しい微細なセンサをガラス上に並べるという作業も MEMSでクリアし、メガネ型で装着も簡単な視線検出システムを実現したのである。それは新たなコミュニケーションツールやヒューマンインタフェースデバイスとして期待されている。

触覚を再現する

MEMS の技術は、視線検知システムのように人間の感覚を数値化するだけにとどまらない。人間の皮膚に刺激を直接入力できる装置の開発にも使われている。その 1 つが触覚ディスプレイである。
「人間の視聴覚を刺激する映像や音声は非常に高いレベルで実現できていますが、触覚については長い間黎明期のままでした。というのも物理的な刺激を皮膚に直接与える必要があったからです。しかも刺激を感じるには数十ミクロンから100 ミクロン程度の変化が必要なのですが、MEMS は数ミクロン単位で動かすことは得意でも、数十ミクロン単位での動作は苦手という課題に直面していたのです」。
この課題を解決するために、油圧システムの原理を応用したアクチュエータを開発。数ミクロンの運動量を 100 ミクロンに増幅するシステムの開発に成功する。これにより実験室レベルではあるが、点字ディスプレイとしては実用性の高い装置を開発できたのである。
「最近の研究では、皮膚に刺激を与える場合、細かく上下に振動させると、単純に押し当てる時よりも少ないエネルギで刺激を知覚できることが分かっています。今は前後左右を含めた空間的な振動を加えたら、さらに少ないエネルギですむのではないかと考え、その研究に取り組んでいるところです。細かく動かすことは MEMS の得意分野ですから…」。
こうした成果を踏まえ、今後はいろいろな種類の刺激を与え、それをどのような触覚として人間が認識するのかを明らかにしていく予定である。

触覚ディスプレイの基本的な構造
触覚ディスプレイの表面はフラットだが、小型アクチュエータが動作すると刺激提示素子が飛び出し、指先や皮膚に刺激を与える仕組み。この小型アクチュエータの製造と制御に MEMS 技術が使われている。今後の展開としては、点字ディスプレイのほか、布地に触れた触感の再現、冷たさや温かさの再現といった分野での研究が期待されている。

MEMS の世界での “もの作り”

視覚情報の数値化や外界からの情報を触覚として伝える技術など、ヒューマンインタフェースの方法や形はさまざまだが、究極的には BMI(Brain MachineInterface)に行き着くのではと三木さんは考えている。「生命情報学科の牛場先生がやられている BMI は私も関心を持っており、MEMS で脳波を検出するための電極用の針を共同研究で作りました(詳しくは「新版窮理図解」no.01 を参照)。電気情報を阻害する皮膚表面の角質層は突き破り、でも痛点には届かないという長さ 200 ミクロンの小さな針です。ポイントは、ちゃんと皮膚に刺さるけれど、人が動いても折れたり外れたりしない “程よい” 堅さ。微細な世界での “程よいバランス” の追求は体系的に研究されておらず、メカニクス的な観点からも面白いテーマです。機械工学科の材料力学の研究室とも共同研究をしています」。
MEMS はその微細さゆえに、スケール効果による特性の変化など、通常の “もの作り” のルールが通用しない難しさもある。この難しさを解決していく過程にこそ、三木さんが語る面白さがあるのだろう。小さく見えるが広がりの大きいMEMS に期待が高まる。

脳波を検出する微小電極
簡単に装着でき、脳波を正確に読み取れる微小電極。この電極部の開発にも MEMS が役立っている。

(取材・構成 渡辺 馨)

インタビュー

三木則尚専任講師に聞く

大学ではロボットの研究を手がける

幼い頃から研究者になろうと思われていたのですか?

いいえ(笑)。僕は兵庫県龍野市の生まれなのですが、実家は醤油づくりを営む老舗で、研究とはまったく縁のない環境で育ちました。幸運にも成績は良かったので、小学校のときからスパルタ教育で有名な進学塾に通い、中高一貫の進学校に進み、流されるままに東大工学部に入ったという感じです(笑)。勉強が好きだったというよりも、仲間がいたおかげで、競いながら楽しんで勉強に取り組むことができました。

勉強では苦労されなかったのですね?

今の方がよっぽど苦労しています(笑)。僕は器用貧乏で、ズバ抜けてできるものはないけれど、なんでもそこそこできてしまう。そうしたわけで進路もなんとなく決めた感じでした。大学1~2年の頃は、生物や素粒子物理学に興味をもちましたが、ちょうど学部に進むころ、「バーチャルリアリティ」という新しい研究分野が脚光を浴びていて、面白そうだなと思って機械情報工学科への進学を決めたのです。その後はロボットに興味をもつようになり、4年生のゼミ配属では、ロボット研究の第一人者である三浦宏文先生・下山勲先生の研究室に入りました。
当時はまだホンダのASIMOが発表される前で、2足歩行ロボットや人工知能の研究が行き詰まるなか、突破口を見つけようと、この研究室ではマイクロロボットの研究を手がけはじめたところでした。二足歩行ロボットの手本が人間なら、マイクロロボットの手本は昆虫だろうと、MEMSを使った昆虫型ロボットの研究を手がけることになったのです。
小さいものを研究する面白さは、サイズによってきいてくる力が変わってくる点です。たとえば、モノの大きさが10分の1になると、表面積は100分の1になりますが、一方で、体積は1000分の1になる。つまり重力の影響がぐんと小さくなる。だからノミは自分の身長の50倍くらい高く飛ぶことが可能なんですね。そうしたことから、スケールにあったデザインが見えてくる。たとえば、飛行機の羽根と昆虫の羽根の違いというのは、スケールの違いからくるものといえます。ちなみに卒論は、生きた昆虫自身が操縦するロボットでした。ボールの上を昆虫が歩くと、ロボットがその動きに追随して動くというものです。

そこで生物への興味が生かされたわけですね。

ええ。プログラムを書くのは苦手でスイス人の留学生に手伝ってもらいましたが、昆虫の勉強やモノづくりは楽しかったですね。そうやって興味の赴くままにやってきたのですが、その頃になってようやく将来について考えるようになりました。実家の家業を継ぐことや、メーカーへの就職も選択肢の1つでしたが、修士のとき、先生方のお供で海外の学会に参加する機会があり、先生が海外の研究者と握手をして気さくに話をしている様子を見て、「かっこいいなぁ」と思い、博士課程に進もうと(笑)。実際に、ドクターの生活はとても充実していました。
当時、異業種交流会などに参加する機会が多かったのですが、さまざまな職種の人と話をするうち、それまでは長いものには巻かれよ、といった人生でしたが、人と違う道を進むのも悪くないなと思うようになりました。ほとんどの同期が就職する中、博士課程に進学したわけですが、それもよかったな、と。研究にも力が入るようになり、午前中から明け方まで研究して、カラスが鳴き出すころ、だいたい3時すぎですが、ようやく研究室を出るという毎日でした。でも、辛いということはまるでなくて、研究室までの行き帰りに、千駄木周辺の路地を散策したり、コンビニで発売されたばかりの漫画を誰よりも早く立ち読みしたり、日々楽しんでいましたね。このとき手がけていたのは、外部から磁界を与えて空を飛ぶ、1cm以下のマイクロヘリコプタです。飛ぶということを考えると、実は昆虫をまねて羽ばたくよりも、回転させたほうが効率がいいのです。世界で一番小さいヘリコプタじゃないでしょうか。
また、この頃から、国内外で開催される国際学会に参加するようになり、若い研究者たちと親交を深めることができました。今でも彼らとの交流が続いており、情報交換できるいい仲間です。ついこの間も香港で開かれた国際学会で会ってきました。

MITの研究員になる

博士課程修了後の2001年に、マサチューセッツ工科大学(MIT)へ就職されましたね。

ドクターを修了したら、次は海外だという勝手な思い込みがあったのですが、当時興味があった「MITマイクロエンジンプロジェクト」の教授が僕の所属する研究室に来る機会がありました。その折に研究員の空きがあるかどうか尋ねてみたところ、書類を送るように言われ、その後面接に呼ばれ、晴れて「マイクロエンジンプロジェクト」に雇われることになったのです。正直いうと当時は、ボストンがどこにあるかも、そもそもMITがボストンにあることも知らなかったのですが……(笑)。行ってみて、街の美しさに驚きましたね。

お話によると順調に歩まれてきた感じですね。

そもそも、挫折するようなことがあっても、気にしない性格なんだと思います。僕は、挫折したから強くなったなんて言うのは大嫌いです。挫けたって折れなければいいというのが僕の信念です。もちろん、海外に行けば言葉も自由に操れないし、勝手のわからないことだらけで苦労はありました。日本だとベラベラしゃべって盛り上げるタイプなのに、アメリカだと、無口でたまに面白いことをボソッと言うような違うキャラクターになってしまい、自己嫌悪にもなりました(笑)。
でも、MIT時代は楽しかったですね。マイクロエンジンプロジェクトでは、携帯電話の電源やマイクロロケットのバッテリ用に、シリコンを使ったボタンサイズの小さなガスタービンを作っていました。設備も環境も最高に恵まれていました。もっとも、1ヵ月かけて作ったものが、実験で動かすと3秒で壊れてしまったり、いろいろ失敗もありました。
ゲスト写真 また、ボストンには、MITだけでなく、ハーバード大学、ボストン大学などもあり、さまざまな分野から選ばれた日本人が集まっていて、月に1~2回開催される日本人研究者交流会を通じて、多くの人と話をする機会を得ることができ、ぐっと視野が広がりました。とくにボストンに来て2年目以降、アメリカに住む日本人として日本を客観視できるようになり、日本の将来について皆で議論したり、いろいろと考えたりすることができたのは、僕の中でたいへん大きな変化でした。
それから、2年目に日本人の研究者でアイスホッケーチームを作ったことも大きなイベントでした。アイスホッケーなんてやったこともなくて、そもそもスケートも全然滑れなかったのですが、かっこいいからやってみようと…。というのも、アメリカ人って、どんなに下手でも、努力していれば、必ず“Good job!”って言ってくれるんですよ。それが嬉しくて、どうせやるなら自分が中心になってチームを作ろうと思ったのです。名前は、日本人チームらしく「Sushis(スシーズ)」。ちなみに、うちのチームは見学不可なんですよ。1回見学してから入団を決めるというのはナシで、まずはとにかく一緒にやってみようというのがSushisのポリシーです。

MEMSをベースに自由な発想で研究に取り組む

MITでの生活を本当に楽しまれたようですが、3年後に日本に帰国され、
慶應義塾大学へ来られたわけですね。

そのままアメリカで就職することも考えましたが、9.11を経て、ブッシュ政権のもとイラク戦争に突き進んでいくアメリカに危機感をもち、日本に帰ることにしました。また運よく、自分の研究分野で慶應義塾大学に空きがあったので、戻ってくることができたのです。
現在、慶應義塾大学にきて6年目になりますが、せっかく研究をするなら自分が興味をもてる面白いことをやろうということで、自由な発想で研究に取り組んでいます。現在は、MEMSをベースにしたヒューマンインタフェースをテーマに、視線検出や触覚ディスプレイ、味覚・嗅覚センサなど、多岐にわたるテーマを扱っているところです。モットーは、指導教官だった下山先生の教えでもある「素人の発想、玄人の仕事」です。何にでもチャレンジしてみようという素人の発想をもちつつも、研究成果をきちんと出すために、仕事はプロの技に徹する、ということですね。 研究室には20名の学生がいますがにぎやかにワイワイやっています。合宿では毎年趣向を凝らし、ペイントボールといって銃でペイント弾を打ち合うゲームやラフティング(川下り)、ソフトボールなどをやったりして楽しんでいます。もっとも、研究をするときには真剣にやる。メリハリが大事だということです。
一方で毎週1回輪講のときに、研究室で一般教養テストをしています。問題は国の首都名でも、漢字でも、歴史でも、映画でもなんでもありで、皆が順番に出題します。というのも、一般教養というのはとても人生を豊かにしてくれるものだと思うからです。面白いことに、受験勉強が意外と一般教養につながっているんです。僕自身、受験英語のベースがあったからこそ、学会発表や海外生活で役立った。詰め込みの受験勉強は意味がないなんていうけれど、教養として身についていれば、ちゃんと使うことができます。
実際に、海外の人と話をする場合にも、一般教養はたいへん役立っています。江戸時代の鎖国の話とか、うけますよ。教養は、研究の幅を広げることにも役立つはず。研究者としての基礎はもちろんですが、そうした視野の広い人間を育てていきたいと思っています。ちなみに、一般教養テストで成績の悪かった人は、研究室の掃除当番になるので、みな真剣に取り組んでいます。このテストは僕も入って、ガチンコ勝負でやっているんですよ(笑)。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから
いつも明るくて、やさしくて、頼りがいのある先生です。合宿では、ペイントボールをやったり、ラフティングをやったり、とにかくみんなで大いに盛り上がって楽しんでいます。もちろん、研究のときは切り替えて、真剣に取り組む。先生の背中を見ながら、僕らもメリハリのある学生生活を楽しんでいます。

(取材・構成 田井中麻都佳

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