リハビリを科学に、BMIを患者さんに

ブレイン・マシン・インタフェース(BMI)のリハビリへの応用を研究する牛場潤一さん。
熱くなれる対象としてコンピュータを見つけ、小学生の頃から打ち込んだ。
もうひとつ、中学時代にひかれたのが脳だった。
どちらも研究者としての牛場さんの縦糸となり、いまBMI研究に結ばれて、
患者さんに使ってもらえる日をめざす。

Profile

牛場 潤一 / Junichi Ushiba

生命情報学科

ヒトの随意運動や反射に関する運動制御機構に関する研究に従事。最近は、これまでの科学的知見を応用したブレイン・マシン・インタフェースの開発に取り組む。2003 年、デンマーク,オルボー大学感覚運動統合センター客員研究員。2004 年、博士(工学)を取得。慶應義塾大学 助手。2007 年より慶應義塾大学理工学部 専任講師、現在に至る。

コンピューターへの興味と脳への興味

若手研究者として充実した毎日を送っておられますが、
そもそもどんなご家庭で育ったのですか?

私の家庭は、父がフランス文学者で大学の教員、母はフランス語会話の講師や翻訳などをやっていました。まったく文系の家庭環境です。父は書斎にいることが多く、そんな父の後ろ姿を見ていて、「大学の先生っていいなあ」と思ったのが研究を仕事にすることにあこがれをもった最初かもしれませんね(笑)。そんな家庭で、「お前は好きなことをやればいい。責任を持って究めろ」と言われて育ちました。

コンピュータに興味を持って
触れるようになったのはどんな動機でしたか。

小学5年生のときに学校でコンピュータ教室が開かれるようになりました。コンピュータが何台も設置されて、希望者に放課後プログラミングを教えてくれたんです。同級生に誘われて参加したのがコンピュータに触れた最初でした。どの家庭にもコンピュータがあるという時代ではありませんから、もっぱら学校でコンピュータを触っていたものです。
夏休みには大学の先生が理工学部でコンピュータ教室を開いていたので、それにも参加するようになりました。プログラムを書いている大学院生を見て、「すごいなあ」と大いに刺激を受けました。以来、すっかりコンピュータにはまってしまったわけです。その頃の小学生が熱中する対象としては漫画やTVアニメもありましたが、私の家庭ではそうしたものを見せてもらえなかったので、いっそうコンピュータに向かったのかもしれません。
当時、流行だったのは人工知能です。大学院生が自動会話システムのプログラムを作って小学校に持ってきたことがありました。“なぞなぞ”のようなもので、ヒントをひとつひとつ出してやると最後に正しい答えが返ってきます。間違ったときには正しい答えを教えると、ちゃんと学習して次回から正答を出すようになるシステムです。コンピュータはあらかじめ指示したとおりにしか動かないはずなのに、人工の知能が作れることを初めて知りました。びっくり仰天です。
中学のとき、OBの御子柴克彦先生(現・理化学研究所)が来られて、脳の話をはじめて聞きました。熱い情熱をもって語られるその内容はたいへん魅力的でした。その後、自ら応募して脳科学者の松本 元先生(当時・電総研)の講演会に行ったんです。このお2人にはすごく刺激を受けて、今でもその印象は強烈です。
毎年の学校の夏休みの自由研究発表会では、自分で作ったプログラムを公開していました。1人で作ったものです。中学1年では湾岸戦争後の都市復興のシミュレーション、2年のときには初期のハンドスキャナーを使ってモーフィングの研究を、3年では多角錐の影が光源の位置によってどう出るかを推定するレイトレースなどを作っていました。
毎週土曜日には大学院生の下宿先に通ってアルゴリズムを教えてもらいました。個人指導です。コンピュータが本当に好きでした。

熱中の仕方はほとんど“コンピュータおたく”のようですが、
学校や家庭ではどんな少年だったのでしょう。

学校ではそんなに目立つ存在ではなかったと思います。スポーツが得意でもないし、特に注目を集めるわけでもない。どんなタイプの同級生ともつき合っていましたが、好きなことは学校でも家庭でも1人でやっていました。わりにのんびりしていたんでしょうね。別に疎外感ももたずにやっていました。

周囲からの刺激が多くなる年頃ですが、自分の関心を貫くことはできたんでしょうか。

高校はコンピュータが強いところに進みましたが、吹奏楽部に入ってトランペットを吹いたり、バンドを結成したりしていました。コンピュータのほうはWindowsが出てしくみが複雑になり、扱いにくくなったせいで、興味が少々薄れてしまったんです。
一方で、脳には相変わらず強い関心を抱いていました。図書館や本屋でちょっと背伸びして難しい本を物色するのが好きでしたが、人工知能や人工生命というような言葉には強く反応するんですね。当時出版された人工生命の本を高校の隣にある大学の大学院生が翻訳していることを知って、「こんな近くにこんなすごい学生がいるんだ」と刺激されました。コンピュータは指示したことしかできないはずなのに、脳や生物がおこなっているような機能が創発されるわけですね。設計しない現象が生み出されていくのがなんとも不思議だったんです。どうしてそんなことができるのか、そのしくみを知りたいと思うようになりました。
大学は医学部をめざすか理工学部に行くか迷いました。理工学部には生体情報を専門にしている先生もおられるし、僕はコンピュータ好きですから、結局、理工学部に行くことに決めたのです。慶應の理工学部にはちょうど物理情報工学科という新しい学科ができたので、そこに進みました。この学科は医学部とのつき合いも深く、神経や筋肉をテーマにしている先生がいたからです。
理工学部に進んだものの、数学は苦手でした。中学の頃の成績はCをもらっていたものです。本当にやる気が出たのは大学3年頃からだと思います。基礎を基礎として学ぶのではなく、こんな応用があると出口を知るようになり、そのためにはこういう基礎を学ぶ必要があると納得して、勉強する動機がようやくつかめたんです。どういうふうに社会に役立つかが見えると、それに必要な基礎を勉強するというタイプだったんですね、僕は。
富田 豊先生の研究室に入ったきっかけは、先生がリハビリの研究をしていて医学との接点があったことが大きかったと思います。入ってすぐに、共同研究をしたいからと、医学部の先生を紹介していただきました。

大学の魅力にひかれ母校の教員に

小学生の頃に芽生えた興味をすくすく伸ばして、結果としてそれが職業になっていったのは幸せなことですね。企業への就職はまったく考えませんでしたか。

学者の家庭で育ったせいももちろんありますが、コンピュータのおかげで小学生の頃から大学に出入りしていたので、大学には親しみを持っていました。
大学というところは、みんなが創造的な仕事をしているし、若い人も経験を積んだ人も仲良くリベラルにやっていて、素敵な世界だなと思っていました。自分自身が大学生になってもその思いは変わらなかったですね。企業に魅力を感じる間もなく、そのまま大学の魅力に取り付かれて大学で仕事をすることになったのです。
慶應のおおらかな風土も好きですし、小学校に大学の先生が行ったり、中学生が大学に通ったりという全塾的な連携や、OBが慶應に話しに来てくれるなど強いネットワークがあるのは慶應のよいところだと思います。大学に就職するときにも、外を見回してみてあらためて慶應の魅力を強く感じました。
中学のときに御子柴先生の話に刺激を受けたので、僕も中学校に自分の専門のBMI研究の話をしに出かけています。4年目になります。このあいだは女子高にも行ってきました。少しでも恩返しができればいいと思っています。

大学の先生になって5年あまりですが、実際になってみていかがですか。
やりがいや難しさはどのようなときに感じられますか。

学生が育ってくれて社会に出てしっかりやっているのを見るとうれしいですし、「あのときの先生の言葉に勇気づけられました」などと言われると教員冥利に尽きると感じます。
一方で、人を相手にしている難しさは常に感じています。学生にこちらの気持ちが伝わらず、自信をなくすこともありました。あまりこちらから指示してもいけないと思いますが、学生によってはもっと細かく指示してほしいと思っている人もいて、迷うところも多いんです。難しすぎると言われることもあれば易しすぎると言われることもあって、落としどころを探しながらの試行錯誤です。
学部ではバイオサイバネティクスと統計学の講義を受け持っています。実験の授業もしています。研究の場では学生にわりと細かく言うほうかもしれませんね。研究や教育以外にも、医学部との調整、学内の仕事、医学系や工学系のさまざまな学会での講演、産学連携の仕事など、役割が多くなってきました。

BMIを患者さんに役立つものにしたい

産学連携ではどんなお仕事が進んでいますか。

最終的にはBMIを実際に患者さんに使ってもらえる道具にしていかなくてはなりませんから、それに賛同してくれる企業と組んで、一緒に生体信号分析のアルゴリズムを作ったり、機械を作ったりしています。会社によってマーケットまでの温度差があり、先行開発として勉強しながらじっくりやりたい企業からまっすぐに市場をめざすところまでさまざまです。業種はエンターテインメント、家電メーカー、自動車など、これまたいろいろあります。

最近、大きな研究プロジェクトに参加しておられるそうですね。

文科省の脳科学研究戦略推進プログラムです。慶應のほかに、ATR、東大、阪大、島津製作所などが参加しています。代表者は医学部リハビリ科の里宇(りう)先生で、慶應は医学部と理工学部の連携で取り組んでいます。

これからBMI研究をどんな方向に進めたいと思っておられますか。
短期、中期、長期の目標はそれぞれどんなことでしょう。

短期的には、いま立ち上げているリハビリBMIについて数年のうちにエビデンスをきちんと出すのが目標ですね。リハビリはBMIの新しいコンセプトです。学問として道筋をつけて、慶應から世界に発信したいと思っています。世界的にはこの分野で大きな研究拠点が2つありますが、私たちは医工連携の研究をずっとやってきたという自負があるので、BMIをフィールドにして花を咲かせたいという希望をもっています。数年で学問的な検証はある程度進むと思いますが、医療に結びつけるにはさらに年月が必要です。しかし、エアコンをつけるとかTVをつけるという程度の目的なら、数年でデバイスができてもおかしくありません。患者さんが購入できる程度の価格で使えるものを作る道筋をつけたい、というのがもうひとつの目標です。
中期的には脳科学をベースにしたリハビリのサイエンスを作り上げる一端を担えるようになりたいと思います。現在のリハビリはまだ経験則によるところが大きいんです。それが今、科学として体系化する方向に進んでいるので、自分もそれを担う一員になりたいと思います。
究極的な目標は教育に還元することですね。この分野は多くの領域を融合的に学び、多様な人と付き合う必要があるので、そうしたことを自発的にできる人間を育てたいと思います。自分自身も勉強しなくてはなりませんが、学生さんたちも一緒に成長してもらって、縦糸をちゃんともっていると同時に自ら隣の縦糸との間に横糸を張っていくことができる人間になってほしいと思います。
私は、前に述べたような家庭で育ち、小学校、中学校、高校でいろいろなことを学ぶなかで燃えられる対象を見つけることができました。幸い教員の立場になれたので、私も大学生の教育ばかりでなく、小中高の生徒たちが夢やきっかけを見いだせるお手伝いをライフワークとして続けていきたいと思っています。

お忙しい毎日ですが、気晴らしはどんなことですか。

最近はこれといったものがありませんねえ。仕事もそうですが、小さい子供が2人いるので、その世話でてんやわんやですね。仮面ライダーごっこをしたりするのが、気晴らしになっているかも(笑)。学生時代にやっていたバンドは数年前まではライブハウスを借りたりして続けていましたが、発展的に解消してしまいました。妻はリハビリの臨床医なので、家でも研究の話をしています。幼い頃のあこがれだった書斎を最近作ったので、のんびり本でも読みたいな、と思っていましたが、実際は研究費申請のための書類作りをしているのが現状です。

 

どうもありがとうございました。

 

 

◎ちょっと一言◎

学生さんから: 頭は切れるし、先を見通す力がすごい。表現力が豊かで理系には珍しいタイプかも。人をのせるのも上手です。楽しい研究室です。

秘書さんから: 整理整頓が苦手なのは頭の回転に現実が追いつかないせいかしら…。仕事についてはやさしくていねいに指示して下さいます。ほほえましいマイホームパパの一面も。

インタビュアーから:肩に力を入れずに成果をあげるタイプとお見受けしました。コンピュータ少年だった頃が目に浮かびます。先は長いので、働き過ぎて疲れを溜めないよう気をつけて。

(取材・構成 古郡悦子

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